センバツ高校野球は決勝が行われ群馬の高崎健康福祉大高崎高校が兵庫の報徳学園に3対2で勝って初優勝しました。
群馬県勢の甲子園での優勝は、春は初めてです。

試合は報徳学園が1回にツーアウト一塁二塁で5番の安井康起選手が一塁線を破るタイムリーツーベースヒットを打って、さらに相手の送球ミスも重なり2点を先制しました。
追う健大高崎はそのウラツーアウト一塁二塁で5番の森山竜之輔選手がレフトの頭上を超える2点タイムリーツーベースヒットを打って同点に追いつきました。
さらに3回にはワンアウト三塁のチャンスで3番・高山裕次郎選手のタイムリーヒットで勝ち越しに成功しました。
投げては30日の準決勝に続いて先発した2年生の石垣元気投手がヒットを打たれながらも威力のあるストレートにスライダーやチェンジアップを織り交ぜて要所をしめ、2回以降、無失点に抑えました。
9回は同じ2年生で、背番号1を背負う佐藤龍月投手がリリーフして得点を与えず、健大高崎が3対2で勝って初優勝しました。
群馬県勢のセンバツでの優勝は初めてで、夏の甲子園では桐生第一高校と前橋育英高校が優勝を果たしています。
2年連続で決勝に進んだ報徳学園は持ち味の堅い守備からリズムを作り、相手を上回る7本のヒットで再三、チャンスを作りましたが、あと一本が出ず去年に続く準優勝でした。

初優勝した健大高崎の青柳博文監督は「仲間やコーチなどいろんな方々の支援があって優勝できた。本当に感謝しかない」と振り返りました。
群馬県勢としても初めての優勝となったことについては「高崎から甲子園というスローガンでやってきたので本当にうれしい」と話していました。
そして、先発の石垣元気投手と9回のマウンドに立った佐藤龍月投手の2人の2年生ピッチャーについて「石垣投手はキャッチャーでキャプテンの箱山遥人選手のリードのもと丁寧に投げてくれた。佐藤投手は状態はよくなかったが『気迫で投げてくれ』と送り込みそれに応えてくれて本当によかった。この先もけがなく順調にいってほしい」と話してました。
その上で「箱山選手がチーム全体として一体感を持つということでやってきてチームワークが深まった。本当に力強いし、楽しみなチームだ。文句を言わずに頑張ってくれて本当にありがとうということばしかない」と選手たちをたたえました。

健大高崎のキャプテンで4番キャッチャーとして臨んだ箱山遙人選手は「大会が始まる前から、これで日本一を取れなかったら仕方ないと言えるくらい、技術的な準備や精神的な準備をしてきたので、有言実行できてすごくうれしいです。新チームが始まってから、うまくいかないことばかりで、キャプテンを辞めたくなったり、野球が嫌になる時期もありましたが、自分が言ってくれたことについてきてくれた仲間に感謝したい」と喜びを語りました。
また、いずれも2年生で先発の石垣元気投手と2人目として登板した佐藤龍月投手について、「2人なくしてはこの日本一はないですし、この大会で精神的にも技術的にも成長してくれたと思うので、また、夏の甲子園優勝に向けて、共にレベルアップしていきたい」と話していました。
そのうえで、「100周年という記念の大会で、いろんな方々のおかげで優勝できた。感謝を伝えたい」と締めくくりました。

決勝で先発し、8回2失点と好投した健大高崎の石垣元気投手は、「準決勝で納得のいかないピッチングをしたので、気持ちを入れて投げ切ることを意識しました。この決勝で少しは成長した部分を見せられたので良かった」と笑顔を見せながら話しました。
そして、「きょう優勝したことは一回忘れて、夏に向けてまた甲子園で優勝できるように頑張っていきたい」と意気込んでいました。

先制を許した直後の1回にツーアウト一塁二塁で、2点タイムリーツーベースヒットを打った5番の森山竜之輔選手は「1番の斎藤銀乃助選手が山梨学院と対戦したときにバットを短く持って打席に入っていて、自分も甲子園では大振りになることもあるのでまねをしました。相手投手がインコースを速球で狙ってくると思っていたので、バッターボックスでは、ラインからくつ半分のスペースを空けて構えていました。こうした取り組みが重なって打つことができました」と工夫を凝らした打席を振り返りました。
その上で、「大会を通して、ずっと打てていなくてそれでも監督は辛抱強く自分を5番に置いてくれました。自分が打たないと勝てない時が来ると思って準備していましたが、きょう打つことができて本当によかったです。優勝して歴史を塗り替えることができてよかったです」と胸をなで下ろしていました。

3回にワンアウト三塁のチャンスで勝ち越しとなるタイムリーヒットを打った3番の高山裕次郎選手は、「全員が前のめりになるくらいまずは気持ちで圧倒しようと思っていました。3回は自分が絶対に点につながるヒットを打とうとその気持ちだけで打席に立ちました。狙い通りにインコースの速球がきたので、練習で準備してきたバッティングをすることができました」と満足げに打席を振り返りました。
その上で、「大会を通して自分たちのスタイルである“打ち勝つ”ことは、できたのですが、守備では課題が見えました。もちろんセンバツの優勝は大きな目標でしたが、やはり僕たちは夏の日本一を目指して練習してきています。だから気持ちも技術もさらに突き詰めて練習を重ねていきたいです」と夏の大会に気持ちを切り替えていました。

高崎健康福祉大高崎高校の野球部は2002年に創部しました。
創部当初からチームを率いる青柳博文監督のもと、2011年の夏に甲子園初出場を果たすと、よくとしのセンバツではベストフォーに進みました。
積極的に次の塁を狙うなど機動力で相手を圧倒する「機動破壊」をチームの代名詞に甲子園には夏3回、春は7回出場し、近年は群馬の高校野球をけん引してきました。
今大会は1回戦で福島の学法石川高校に4対0、2回戦は大分の明豊高校に4対0、準々決勝で、去年のセンバツ優勝校の山梨学院に6対1で勝利すると準決勝では去年秋の明治神宮大会を制した石川の星稜高校に5対4で逆転勝ちして初めての決勝に進みました。
群馬県勢はこれまでセンバツでの優勝はなく、夏の甲子園では桐生第一高校と前橋育英高校が優勝を果たしています。

群馬の高崎健康福祉大高崎高校のアルプススタンドには、生徒や保護者などおよそ800人が群馬県勢のセンバツ初優勝を見届けようと駆けつけました。
健大高崎の選手が打席に入ると、太鼓や楽器を奏でて、選手たちをの攻撃を鼓舞し、得点が入ったときには、メガホンを打ち鳴らして歓喜の声を上げて喜んでいました。
観客の中には、健大高崎の野球部の前身で、2001年に発足した当時の同好会のキャプテン、倉持雄太さんも来ていました。
倉持さんが入学した年は女子校から共学になった1年目で当時野球部はありませんでした。
「とにかく野球がしたい」と、同級生20人を集めて同好会を発足させると、草むしりや石拾いなど、野球ができる環境作りから始めたといいます。
倉持さんは、「僕たちはとにかく楽しいから野球をしていました。だから甲子園出場なんて考えてもいませんでした。それが、なんと20年あまりがたって夢のまた夢だと思っていた決勝にまで勝ち進んでいます。泥臭く自分たちの野球を貫いてほしいです。そのためにも全力で後輩たちを応援します」と感慨深げに話していました。

 

 

 

健大高崎が優勝したことを受けて午後4時ごろ、高崎駅前では新聞社が号外を配りました。
受け取った高崎市の40代の男性は「テレビで試合を見ていて優勝がうれしくて号外をもらいにきました。宝物として大事に保管したいです」と話していました。
また、高崎市の小学3年生の男の子は「健大高崎が日本一になってうれしいです。家に帰ったら壁にはって飾りたいです」と話していました。

 

 

 

 

 

健大高崎高校の皆さん、センバツ優勝おめでとうございます!🎉 地元群馬から、そして全国から、皆さんの素晴らしい活躍に心からの祝福を送ります。皆さんの努力と情熱が、この栄光を手に入れるための鍵でしたね。これからも皆さんの更なる活躍を楽しみにしています!🌸

  伊勢崎の焼き芋屋 

紅蜜からのお祝い申しあげます。

 

 

 

 

 

 

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