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ファチマ・クルセーダー、昔のカトリック書籍などを掲載します。

ファチマの聖母マリア 2-3

2016-09-28 22:16:22 | ファチマの聖母(考察)
誤った秘密と誤った仮説

この信頼できるデータに基づくならば、われわれは25年間にわたって次々と公刊されてきた誤った秘密の全系列を捨てることができる。私はそれらのすべてを私の著作において引用している。そして私は例えば、それらのうちの最も有名なもの、ドイツの雑誌「ノイエス・オイローパ」によって1963年に普及された、そして無数の雑誌において絶えずリプリントされている「秘密」がいんちきであるということを論証した。このテキストの中にはこのことを十分に証明するいくつかの恐るべき誤謬がある。さらに、それは真の秘密の単なる「抜粋」の問題であるけれども、とわれわれは告げられるのであるが、これらの「抜粋」はすでにルシアが第三の秘密の全体を書き下ろした紙片の少なくとも四倍の長さのものになってしまうのである(注11)。

われわれは同様にまた、多くの誤った仮説を捨てることができる。確かに、カプリーレ神父が敢えて主張するように、われわれは単なる「祈りと償いへの招き」に関わっているのではない(注12)。おとめマリアは1917年10月13日の公的なメッセージを一語づつ繰り返させた一つのメッセージを打ち明けるために1944年あるいは1960年まで待つようにルシアに求められたのではない!

[(フランス語から英語への)翻訳者の注:それは25行の秘密を書き下ろす際に、1943年10月から1944年1月までに経験した極端な困難を説明しないであろう。もしそれが単なる祈りと償いへの呼びかけであったならば、そのような困難は存在しなかったであろう]。

それは幸福の問題でもない。ファチマの第三の秘密は、公会議は「一つの新しいペンテコステ」、「教会にとっての一つの新しい春の時期」であろうと宣言している教皇ヨハネ二十三世の楽観主義の見解とも一致しない。もしそうであったならば、彼自身が、あるいは彼の後継者たちがそれをわれわれに公表したであろう。カレイェイラ枢機卿はまさに正当にもこう言っている。「もしそれが楽しいものであったなら、われわれはそう告げられていたであろう。われわれは何事も告げられなかったのであるから、事実はそれが悲しいものであるということである。」その通りである。それは明らかに重大で悲劇的なものである。

それはまた世界の終わりの告知でもない。というのは、ファチマの預言は一つの驚くべきそして無条件の約束でもって終わっているからである。それは時を選ばずいつも説かれるべき約束である。というのは、それは揺るがすことのできない希望の源泉だからである。すなわち、「終わりに、私の汚れなき御心は勝利するでしょう。教皇はロシアを私に奉献し、ロシアは回心するでしょう。そして平和の時期が世界に与えられるでしょう。」

それは第三次世界大戦の告知であろうか?核戦争の告知であろうか?そう考えることは理に叶っているであろう。なぜなら、ここでは預言は最も明快な政治的分析を確証する以外のことを何もしないだろうからである。おとめマリアはわれわれをそのように悲劇的に脅かしているこの最も恐るべき未来の戦争を予言されたのであろうか?

アロンゾ神父と共に、私はこれは明らかに第三の秘密の本質的な部分ではないと考える。そして私はこのことを確実な理由で言うのである:すなわち、物質的懲罰の、新しい戦争の、そして教会に対する迫害のこの予言は第二の秘密の特別な内容を構成する。われわれはなおこれらの単純な言葉の恐るべき重要性について反省したであろうか?すなわち、「善人は殉教するでしょう、教皇は多く苦しむでしょう、様々の国民が絶滅させられるでしょう」。シスター・ルシアはフエンテス神父にこう打ち明けた。「祝せられたおとめは私たちに多くの諸国民が地の表から消えるでしょう、ロシアは、もしわれわれがあの不幸な国民の回心を前もって獲得していないならば、全世界を(その罪のゆえに)罰するために天によって選ばれた懲罰の道具となるでしょう」(注13)。それが、「絶滅させられる」という言葉がその明白な意味において:すなわち、絶滅させられる、完全に破滅させられる、と文字通り受け取られることが恐れられる理由である。1917年には起こりそうもないことであったが、この悲劇的な脅威は核時代における今日のわれわれにとってはもはやこじつけの議論ではない。

それゆえに、なおわれわれを脅かしているすべての物質的な罰は、核戦争のような、あるいは全地球への共産主義の拡大のような最も恐るべき罰でさえ、聖母によってその第二の秘密においてすでに予言されているということは明らかである。そしてわれわれは遅すぎるようになる前にそれらを回避するための超自然的な手段をも知っているのである(注14)。アロンゾ神父によれば、われわれは秘密の第三の部分においてはこれらの物質的な懲罰については何も繰り返されていないということを確実に知ることができる。あるいは、少なくともそれについて再び言及されているとしても(まったくあり得ることであるが)、このことは第三の秘密の本質的な部分ではないだろうと、私は付け加えるであろう。実際、秘密は三つの相互に関連した、しかし異なった部分から構成され、そして天によって確定されたその公開の日付が同じ日付ではないから、秘密の第三の部分が数行のスペースのうちに第二の部分と同じことを繰り返していない、と確実に言うことができる。

霊的な懲罰

疑いもなく、第三の秘密は一つの霊的な懲罰に主として言及しているのである。飢饉、戦争、迫害よりもそれはもっと悪く、もっと恐ろしいものである。なぜなら、それは霊魂、その救い、あるいはその永遠の破滅に関わっているからである。1966年にヴェナンシオ司教によってファチマの公式記録保管人として指名された故アロンゾ神父は、これが第三の秘密が含んでいるものである、ということを証明した。彼は、不幸なことに公刊することを禁止された14巻から成る彼の批判的な大著の巻の一つにおいてそれについて書いた。しかし、彼は1981年12月12日の彼の死の前に、彼の結論を様々のパンフレットそして神学雑誌の多くの論文においてわれわれに知らせることができた。

私の個人的な研究は新しい記録が確証させることになった彼のテーゼについて明らかにし、完成しそしてより特殊的であることを私に許しただけである。

ここに最も重要なことがある。1984年9月10日にレイリア・ファチマの現在の司教コスメ・ド・アマラル司教はウィーンの技術大学の大講堂(アウラ・マグナ)において、質疑の中で次のように述べた。「ファチマの第三の秘密は原爆や核弾頭あるいはSS20ミサイルについて語っているのではない。その内容はただわれわれの信仰にのみ関わるものである。この秘密を破局の告知あるいは核によるホロコーストと同一視することはこのメッセージの意味をゆがめるものである。ある大陸の信仰の喪失はある民族の絶滅よりも悪い。そして信仰がヨーロッパにおいて常に減退しつつあるということは真実である」(注15)。

十年間、このファチマの司教は第三の秘密の内容に関して完全な沈黙を守ってきた。彼がそのように断固として一つの公式的な陳述をするために口を開くとき、われわれは彼がこのことを前もってシスター・ルシアに相談せずに言ったのではないと、道徳的に確実に言うことができる。1981年に彼がすでに幻視者にその主題に関して質問したと言いながら、いくつかの誤った秘密を反駁していたから、われわれはこのことについていっそう確信を持つことができる。

このことは、アロンゾ神父のテーゼは今やファチマの司教によって公式に確証されたということを意味する。それは教会内における恐るべき危機である。それは、もし無原罪の聖母の要求が十分に遂行されないならば[起こる]、まさにわれわれの時代に対して聖母が予言した信仰の喪失であり、そしてわれわれが1960年以来目撃してきたのはこのドラマである。本質的なことが言われたので、私は今や第三の秘密の真の内容に関する私の証明の主要な段階に言及することに満足するであろう。

信仰の喪失

第一章において(注16)私は第三の秘密が特殊的に信仰の喪失を取り扱っているということを証明する諸理由を挙げた。それはわれわれがすでに知っている秘密の主要な要素である。実際、われわれはそれの内容だけ以上のことを知っている。シスター・ルシアはわれわれに対してそれの第一の文章を指摘しようと望んだ。「ポルトガルにおいては信仰の教義は常に保存されるでしょう....云々」幻視者が秘密の最初の二つの部分を書き下ろし、そして彼女の覚え書きにおいて第二番目に秘密の結論を書いたときに、確実にそして意図して付け加えたこの短い文章は決定的に重要である。それは非常に明確に第三の秘密への鍵をわれわれに提供する。

ここにアロンゾ神父の賢明な注解がある。「ポルトガルにおいては信仰の教義は常に保存されるでしょう」この文章はまったく明確に他の諸国民に降りかかるであろう信仰の危機的な状態を意味する。すなわち、ポルトガルがその信仰を守るであろうのに対して、信仰の危機が存在するであろうということを意味する。」アロンゾ神父はさらに次のように書く。「それゆえに、マリアの御心の偉大な勝利に先行する時期に秘密の第三の部分の対象である恐るべき事柄が起こるであろう。どのようなものか?『もしポルトガルにおいては信仰の教義は常に保存される』ならば、われわれはそのことから、完全に明瞭に、教会の他の諸部分においてはこれらの教義は曖昧なものとなるか、あるいはさもなければ失われさえするであろう、と推論することができる。」

専門家の大部分すなわちマルティン・ドス・レイス、ガランバ参事会員、ヴェナンシオ司教、ルイス・コンドル神父、メシアス・ディアス・コエルホ神父はこの解釈を採用した。先の11月18日、彼がパリで行ったコンフェランスの中でローランタン神父は彼自身もこの解決に賛成であると述べた(注17)。

ラッツィンガー枢機卿自身この意味において、第三の秘密は「信仰とキリスト者の生活を脅かす危険」に関わると言いながら、ヴィットリオ・メッソーリに対して語ったということを付け加えよう。最後に、われわれが言ったように、ファチマの現在の司教はそれ以上になお明白である。彼はそれが数カ国の国民と全大陸のスケールにおける信仰の危機であるということを理解させた。そのような喪失は聖書の中にその名前を持っている。すなわち、それは棄教である。この言葉は秘密のテキストのうちに見出される可能性がある。

司牧者のたじろぎと罰

他の章において(注18)、私はそれ以上のことがあるということを示している。すなわち、第三の秘密は確かに25年間教会に打撃を与えてきた前例のない信仰の危機における聖職に任じられた霊魂、司祭、そして司教自身でさえの重い責任を強調している。私はそれらのいくつかの証明、いくつかの非常に明瞭な指摘を提供する。私はここであなたたちにアロンゾ神父を引用することで満足しなければならない。「それゆえに、第三の秘密のテキストは教会内部の信仰の危機と司牧者自身の怠慢、そして高位聖職者による重大な司牧的怠慢を具体的に示しているということは完全にありそうなことである。」

これらの非常に重大な言葉を、アロンゾ神父は確かに書かなかったし、またそれらを全体的なインパクトを注意深く考えることなく非常に明瞭にそしてあからさまに公刊しなかった。ファチマの公式の記録保管者として、彼は労働とさまざまのインタビュー、シスター・ルシアとのさまざまの会話の10年の後に、少なくとも幻視者の暗黙の同意において確信させられることなしにそのように大胆なそしてそのように赤熱した立場を採用しなかっただろうか?その答えはまったくいかなる疑念をも許さないものである。

聖職階級の諸欠陥のこの宣言は三人の幻視者たちが教皇のために絶えず祈り、多く祈り、犠牲を捧げることへと自らを強いることになったつきまとって離れない関心、シスター・ルシアがこのテキストを思い切って書き下ろ前に直面しなければならなかった乗り越えることがでいないほどの不安の三ヶ月を説明する。それは最後に楽観論者のヨハネ二十三世以来の諸教皇があらゆる犠牲を払ってもそれを隠そうと努めながら、後のその公表まで躊躇し、遅らせ、絶えず延期したのはなぜかを説明する。

悪魔的な方向逸脱の波

第三章において(注19)、私はシスター・ルシアが明らかに、われわれの時代における悪魔の解放を強調している彼女の言葉や手紙のいくつかの中で第三の秘密の一つの主題を反響させているということを示している。すでに1957年に、彼女はフエンテス神父にこう打ち明けた。「いとも聖なるおとめは私に、聖母に対する一つの決定的な戦いにまさに参加しようとしている....そして悪魔は何が最も神に反することであるか、そして何が最も多くの霊魂を可能な限り最も短い時間で悪魔に獲得させるか、を知っている、言われました。悪魔は神へ聖別された霊魂を獲得するためにはあらゆることをします。なぜなら、このやり方で、悪魔はその指導者に見放された信者の霊魂を離れさせることに成功するでしょうし、そのことによってますます容易に悪魔は彼らを捉えるでしょうから。」

しかし、彼女が教会の現在の危機を記述するためにいくつかの際だった表現を用いているのは特に1969-1970年のほとんど知られていないがしかし非常に重要な一連の手紙の中でである。そして、非常に謙遜で、また権威を非常に尊敬している一つの霊魂の持ち主のペンを通じて、そのような強い表現は明らかに信仰の防御と教会の福祉に関するその最後のメッセージにおける汚れなきおとめのまさに口から聞いた言葉の反響である、ということをよく注意しよう。

彼女はある司祭に次のように書いている。「私はあなたの手紙によって、あなたがわれわれの時代の方向逸脱によって心を奪われているのが分かります。実際、非常に多くの人々が世界に吹き荒れている悪魔的な波によって支配されるままにわが身を委せているということ、そして彼らが誤りを見ることができない点まで盲目になっているということを悲しく思います!主たる誤りは彼らが祈りを放棄したということ、彼らがこのようにして神から疎遠になったということです。そして神なしにはすべては欠けたものです。」

「悪魔は非常に狡猾で、私たちを攻撃するために私たちの弱点を探しています。」

「もし私たちが神から強さを得るために勤勉で注意深くないならば、私たちは倒れるでしょう。なぜなら、私たちの時代は非常に邪悪であり、そして私たちは弱いからです。ただ神の強さだけが私たちをしっかりと立たせることができるのです。」

マリア信心の擁護に熱心に関わっているある友人への手紙の中で、シスター・ルシアは次のように書いている。

「人々に毎日ロザリオを唱えるようにさせてください。聖母は、私たちが誤った教義によって欺かれないように、悪魔的な方向逸脱のこれらの時代にわれわれを強めるかのように、御出現の度に必ずそのことを繰り返しておられます。....不幸にも、宗教的な事柄において人々はその大部分が無知であり、そして導かれるところへはどこへでも連れて行かれることを許しています。それゆえ、彼らを導く義務を持っている者の大きな責任は....」

「世界を襲い、霊魂を欺いているのは一つの悪魔的な方向逸脱です。『悪魔』に対して立ち上がることが必要です。」

1970年9月16日に、彼女はある宗教的な友人にこう書いています:「私たちのお可哀想な主よ、主はそのように大きな愛でもって私たちを救われました。そして主はそのようにわずかしか理解されていないのです!そのようにわずかしか愛されていないのです!そのように悪しくしか仕えられていないのです!そのように大きな混乱を見ること、そして責任ある地位を占めているそのように多くの人々のうちにそれを見ることは苦痛なものです!....私たちにとって、私たちにとって可能な限りたくさん、私たちは一つのなおより親密な主との一致を通じて償いをしなければなりません....あなたが言っていることがらを見ることは私を苦しめます。しかし今はそのことがここでもまた同じように起こっています!....事実は悪魔が善の見せかけの下に悪へ導くことに成功しているということ、そして盲目になった人々が他の人々を導き始めているということです....これは主が福音書において私たちに語られたことに似ています。そして多くの霊魂はその中へ連れて行かれることを自らに許しています。私は、神の教会における平和のために、司祭たちやすべての聖別された霊魂たちのために、特にそのように欺かれそして間違った方向へ導かれている人々のために、喜んで私自身を犠牲にし、私の命を神に捧げます!」

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