素晴らしい風景!!

色々歩いた山や国内の風景等をご紹介いたします。

▲ 足柄峠から矢倉岳へ ▲

2024年05月05日 | 日本の歴史

足柄峠は標高 759mの箱根外輪山から派生する尾根上に位置し、静岡県小山町と神奈川県南足柄市との境にあり、古くから官道として防人や旅人の往来も盛んでありました。

また、軍事的にも重要な場所であったため、多くの史跡や遺跡、石仏、文学碑等が残され、その上旅情豊かな風景は訪れた人達の心を離しません。

古代、足柄峠は都と東国とを結ぶ官道でありました。                             大和朝廷の昔、倭建命(やまとたけるのみこと)が東征の帰路この峠に立ち弟橘姫(おとたちばなひめ)を偲んで「あずまはや~」と叫んだという記述が古事記に所載されています。

足柄峠から富士を望む。

雄大に広がる富士の裾野 御殿場市、その左手には愛鷹山。

雲一つない富士を望んでから聖天堂へ。                                        弘法大師の建立と云われ、本尊は等身大の石仏で秘仏として公開されていません。      福運厄除、縁結びの御利益があるとして参拝者が絶えません。

聖天堂の近くに足柄明神社があります。

ここ足柄明神は 『古事記』 によると、東国平定の帰りに食事をしている倭建命を白い鹿になって襲い、打ち殺された坂の神が祀られています。

足柄の開拓者たちが足柄明神を産土神(うぶすなかみ)として祀った。坂東人(関東地方の人)の誇りを守った古代の英雄なのです。                                          この足柄明神は天慶3年(940)に創建され、後に矢倉岳に遷座され矢倉明神となり、その後に苅野への移転があり、昭和 14年(1939)には足柄神社となり現在に至っております。

足柄明神社跡よりこれから向かう矢倉岳(標高 870m)を望む。 

矢倉岳に向かう途中で、万葉集に詠われた足柄道に関連する7つの歌碑が迎えてくれる「足柄万葉公園」を歩き、しばし万葉人の心に触れて行きます。

足柄の坂は、世に聞こえた荒振る神の棲む坂であった。                      その荒振る神は、坂を旅する異郷の人々にとって、恐ろしい神であっただけでなく、坂の麓で生活する里人にとってさえも、畏み恐れなければならない存在であった。

  足柄の 御坂畏み 曇夜の

        吾が下這へを 言出つるかも

《 あしがりの みさかかしこみ くもりよの あがしたばへを こちでつるかも

【大意】足柄の神の御坂を越えて行くとき、峠の神に手向けして恐れかしこまるあまり、人の隠さねばならない恋人の名前まで、つい告白してしまった。                                人に云うべきじゃないことだのに。

当時の旅人たちは畏怖のあまり思わず『足柄の御坂かしこみ』と峠の神に手向けせずにはいられなかったというが、往時の森厳さと神秘感寂寥感は今もその名残りをとどめています。

                               

次の詩は、防人が九州防備のために徴用されその任期が3年とされていたが、当時の防人の宿命として再び故郷へ帰ることが困難な時代であった。

  足柄の 御坂に立して 袖ふらば

        家なる妹は 清に見もかも 

《 あしがりの みさかにたして そでふらば いわなるいもは さやにみもかも 》

奈良時代東国の任地に赴く役人たちが、ここで都に最後の別れを告げ、また防人の任に赴く東国の農民たちも、この峠で故郷に残した肉親を思い、心の叫びを詠んでいます。

【大意】足柄の神の御坂に立って故郷に向かって別れを告げる時、家に残して来た妻は、私が力の限り袖を振っているのをハッキリと見ているであろうか❓

                                           こうした万葉人の痛切な声は、時代を越えて今もなお私たちの胸をうちます。

この様に、足柄の坂は日本列島を東西に区分する重要な境界と考えられていました。

                              

足柄峠からは万葉公園を通過すると尾根伝いのアブラチャン並木の中を進みます。      アブラチャンはクスノキ科 で何本も株立ちするのが特徴で、とても分かり易いです。     樹木全体に油分が多く、特に秋の果実は触ると油っぽい感触が伝わります。

尾根道(新ルート)を下り、旧ルートと合流する。

尾根道の下り途中で見られた露頭の「タマネギ石」 。                            地層は泥岩や頁岩(けつがん)などで良く見られ、地層の中に丸い同心円状の岩を「タマネギ状風化」と言います。                                                   また、昼と夜の温度差によって岩石の表面と内面で膨張量の差が出来ることによるヒズミで割れ目が入って起こるともいわれています。

足柄万葉公園から矢倉岳に向かう尾根道の鞍部(上部に送電線が見える。)を過ぎ、矢倉岳本峰の登りにかかる辺りで宝永 噴火で降灰した黒い火山灰を見ることが出来ます。      火山灰の下に見える小石の層は噴火の際に軽いので先に飛んできた軽石の層です。

矢倉岳本峰の登りは樹林帯の中の登りで、直接の陽射しが当たらないので登り易かった。   山伏平通過、 この辺りは地蔵堂や二十一世紀の森、洒水の滝への分岐となっている。

山頂に近い樹林帯の中では、苔が生き生きしてとても綺麗でした。

お昼に丁度良く山頂に着いた。まずは休憩してお弁当に。

足柄明神が矢倉岳山頂に遷座され、矢倉明神となった名残りの五輪塔。

黒玉子で有名な箱根大涌谷の噴気が見えました。

この矢倉岳は約 200~70万年前に伊豆と本州の間にあった海に泥や砂、礫が堆積して出来ている足柄層という地層をフィリピン海プレートに乗った伊豆半島が押して来たプレート運動の圧力により、標高 870mまで隆起したのです。

この足柄層群が出来ていく過程で、およそ 170~120万年前に出来た地層に、その直後の115万年前にマグマ が入り込んで、ゆっくりと冷え固まり、後に矢倉岳となる岩体が出来ました。   できた岩石の種類は『石英閃緑岩 と呼ばれる深成岩の一種です。

115万年前に深成岩体が出来たことは、そう珍しいことではありません。

世界的に珍しいのは、115万年前にできた岩体が既に地表に露出している点にあります。

低山であれども、世界的に(地質を研究されている方にとって)有名な 『矢倉岳』 であります。 

 

 

                                                                 

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▲ 鷹打場から鳳来山東照宮経由で下山 ▲

2024年05月01日 | 国定公園

今回の山行は低山でありながら山岳信仰の強い山であり、景色というよりも信仰に重きが置かれ修行の場であることから景色は二の次であります。

天狗岩を 10時 45分出て、露岩の多い下り基調の登山道を進み、11時 05分 鷹打場分岐を通過。

鳳来山東照宮へ向かうコースからは外れているが、今回のコース上もっとも見晴らしが良いというところで寄ってみることにした。                                    樹林帯の中の道を5分ほど下ると急に目の前が開けた。 鷹打場展望台着、11時 10分。

やはり山では見晴らしの良い所が最高です。                                テーブルベンチの様な岩があり、風が とても気持ち良いので小休止とし、しばし展望を楽しんだ。                                         場所は約 900mの断崖上にある岩場で、雄大な景観が楽しめるスポットとなっています。

東照宮への道は多少のアップダウンはあるものの、ほぼトラバースで順調に進んだが、何ヶ所か朽ちているのが確認できる丸太橋があり、あまり衝撃を与えないよう慎重に通過した。    写真の橋は 日当たりの良い所にあるので、しっかりしていました。

11時 40分、背後から社務所を回り込む感じで鳥居のそばに出られました。                               鳳来山東照宮到着。                                                                                                                     こちらは、天竜奥三河国定公園域の鳳来寺山内にある徳川家康公を祀る神社。        日光東照宮、久能山東照宮と共に日本三大東照宮の一つとされています。

1648年(慶安1)に三代将軍 家光が造営を命じ、1651年(慶安4)に創建された。      写真の拝殿 をはじめ社殿は国指定重要文化財になっています。

建物は江戸初期の建築技法を残す入母屋造りで各所に彫刻が残されています。        拝殿と幣殿の繋ぎ構造は、背面切妻造りで拝殿に接続し貴重な建築様式で現存しています。

正面からは拝殿しか見えませんが、拝殿の後ろに幣殿、その後ろに中門があり、その門の中に本殿が並ぶ構造となっています。

こちらの鳳来山東照宮へは麓から鳳来寺山パークウェイで山頂有料駐車場まで車で来られるので、参拝者は軽装の方が多くザックを背負っているのは私くらいでした。

鳥居を出ると急な階段を下り、鳥居に向かって右手が山頂有料駐車場につながり、左手は鳳来寺本堂へと向かいます。

東照宮と本堂をつなぐ参道は立派な道で、途中では狛犬が迎えてくれました。

11時 50分、再び鳳来寺本堂に戻りました。                                朝と違い、無事に戻ってきたせいもあり本堂がスッキリと立派に見えました。          正面の扉が開いており、無事周回コースを歩けたことに感謝のお礼を済ませてきました。

本堂脇のシャクナゲにも陽光が当たり、とても綺麗でした。

本堂からは石段参道の下りであり、朝方よりは乾いていたがスリップや捻挫に注意して下る。 参道では沢山の石仏さまが見守って下さり、心強い。

12時 05分、892段目の石段を下る。                                         登りの時も石段が 1425段と聞きビックリしましたが 、石を運び階段を作った人達がいたことを考えると疲れたとか、厳しいとかは口に出来ず、修行のつもりで歩きました。

谷間なので朝方は薄暗かった松高院前も新緑が綺麗に見える。この辺りが 594段目だった。

更に長い石段を膝に負担を掛けないように下る。

傘すぎ にも陽が 差し、改めて立派な杉の大木に驚き  通過 12時14分。

12時 43分、石段参道の取付き点に下山。新緑が眩しい。 

木戸跡まで戻り、振り返って歩いて来た鳳来寺山を見上げる。                       低山でありながら山岳信仰の聖地となり深山を感じさせ、数々の歴史や文化が生まれた鳳来寺山に感慨深いものを感じました。

早朝は、まだ寝起き顔であったホソバシャクナゲが、陽光を浴び元気に開花し、帰りを迎えてくれた。

13時、出発点の門谷門前町入口に無事戻りました。   

鳳来寺本尊の薬師如来へ病気の平癒や災除などを願って、中世や近世では武士や多くの一般の人々もこの地を信仰するようになり、鳳来寺は江戸時代に最盛期を迎えたようです。       そんな事に想いを馳せ、歴史ある鳳来寺山を歩くことが出来て良かった。

 

 

 

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▲ 鳳来寺本堂から山頂経由、天狗岩へ ▲

2024年04月29日 | 国定公園

新城市門谷(かどや)から鳳来寺山表参道を通り、源頼朝が寄進されたという 1425段の石段の途中である鳳来寺本堂まで来ました。                                           鳳来寺山には『声の仏法僧』(コノハズク:愛知県の鳥)の生息地としても有名です。

快晴となった本堂前広場の展望休憩所からの景色を楽しみ、9時丁度に本堂の左手より階段参道に取り付く。

急石段を登った本堂の直ぐ裏手に建つ、煙巌山鳳来寺弘法堂。

弘法堂を少し上がった大岩の岩窟に利修仙人座像が鎮座していました。

鳳来寺山山頂へは狭く斜度がきつくなった階段が更に続きます。

鳳来寺の開山(703年)後、平安時代になると、ここは仏教の教えを会得したい人々(主に修験者)にとっての聖地となり、その中で真言宗や天台宗の2つの信仰が特に学ばれたとのことです。                                                 参道のアチコチで石仏様が見守って下さっていました。

9時 25分、勝岳(しょうがく)不動通過。                                      こちらの不動尊は、自分の寿命を悟った利修仙人が、お供の三匹の鬼に「共に死んで鳳来寺の守り神になる」ことを約束させ、仙人は鬼の首を本堂の下に埋めた後、ここ勝岳不動で入寂されたと伝えられています。

六本杉通過。                                                    672年利修仙人が、この地の霊木 七本杉の一本を切って薬師如来を刻み本尊として祀った。  以来、残りを六本杉と呼んでいるようです。

9時 40分、奥の院到着。                                             開祖(利修仙人)や霊仏(薬師如来)を祀る場所とのことです。                建物は大分傷んでおり、近寄れない様にロープが張られていました。

尾根に出た感じの道となり、樹林に囲まれているせいか木の根が目立った。

僅かに開けた樹間から眼下の景色に目をやったら、早朝歩いた門谷の門前集落が見えた。

9時45分、東屋が見え近寄ったら休憩所と表示されていたが、床が抜けそうな朽ちた建物で通過した。

このコースは東海自然歩道であり、木の根や岩に注意して歩く。

9時 55分、鳳来寺山(標高 684m)山頂に到着。                                  山頂は樹林帯の中で展望は無く、直ぐ近くにある瑠璃山に向かう。

多少のアップダウンを繰り返し、綺麗な青空が見えた。

階段を回り込み瑠璃山の岩峰を見上げる。

岩の間をよじ登り、15分ほどで瑠璃山(標高 695m)山頂に着いた。                   岩峰のピークの上なので、あまりキョロキョロできなかった。開けた方の景色を望む。

瑠璃山から鳳来寺山を経由して 10時 40分、天句岩展望台到着。                                        この岩は天狗に似ているところから天狗岩といわれ、流紋岩・松脂(まつやに)岩などからできています。

東屋がありますが、こちらも倒壊しそうで近寄れません。                           岩の上から見下ろした時に、もう遅かったが少しトウゴクミツバツツジが見られました。

※ 鷹打場展望台から鳳来寺東照宮経由で下山します。

 

 

 

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▲ 石段参道を登り鳳来寺本堂へ ▲

2024年04月27日 | 国定公園

愛知県新城(しんしろ)市北部にある標高 695mの 山。                        古くから山岳信仰の対象とされ、修験者の聖地であった。                 鏡岩と呼ばれる絶壁の横には 703年(大宝 3)の開創と伝える古刹 『鳳来寺』 の本堂が建ち、天竜奥三河国定公園に含まれています。                              国の名勝・国指定天然記念物であります《鳳来寺山》を 歩いて来ました。

鳳来寺山の紹介は標高 695mの山とありますが、鳳来寺山山頂の標高は 684mで、そこから直ぐ北にある瑠璃山が標高 695mとなっており、近いので標高は 695mと表示しているのでは ❓ と思います。

鳳来寺山は麓からの比高差は約 475mあります。                                   また、鳳来寺本堂は標高 450m地点に所在し、山麓から延びる 1425段の石段は全国有数の規模を有しているとのことです。                                            今から約 1400万年前に起こった火山 噴火とその後の浸食作用によって今の山の形となりました。                                                                                             そのため、ここの地質は火山活動によって溶けて冷え固まった岩石や火山灰で成り立っていることに特徴があります。                                            鏡岩に代表される切り立った岩壁などの特異な景観は神秘的なものとして古くから人々を惹きつけ、大宝3年(703)に鳳来寺がこの山に開かれました。

                                 

新東名の新城インターから 25分で鳳来寺門前集落「門谷」の入口に7時、到着。                   入口には火の見櫓の様な高い建物が道路を挟んで左右に立ち、江戸時代に鳳来寺本尊である薬師如来への多くの人々の信仰により最盛期を迎えていたという往時が偲ばれました。

櫓から集落に入り直ぐ右手の新城市の市営笠川駐車場に駐車、トイレも完備されていました。   登山準備を済ませ、7時半出発。古い民家の中を進む。                              道路脇には 100m毎に十二支 像の石碑が、鳳来寺への石段まで続いています。

また、歩き出して間もなく街路樹の様に満開のホソバシャクナゲが迎えてくれ士気高揚。   早朝でもあり、とても静かで綺麗な集落にビックリしました。

7時 35分、木戸跡を通過。                                         この木戸は、門前町に出入りする人を監視する見張り所とのことです。                   ここからが門前町で、60軒もの宿屋と2軒の芝居小屋があり、とても賑わっていたようです。

早朝の静かな集落、建物は宿場町で見かけるような立派な建物が並んでいました。

種田山頭火の歌碑。                                         山口県生まれの俳人で、萩原井泉水に師事。のちに出家して諸国を巡り、自由律句の作に特徴があります。

上浦橋通過、 もうそろそろ、あの長い石段が始まる。

7時 50分、十二支の亥の石碑を通過。直ぐ近くに山頭火の歌碑。

伝説の利修仙人。                                                  鳳来寺山はもと桐生山といって、高さが 150mもある桐の大木が生えていました。         古い木なので洞があり、龍や鳳凰という美しい大きな鳥が住みついていました。                1400年ほど前、仙術という超能力を身につけた利修仙人がこの山へ来て修行をはじめ、鳳凰を操って空を飛んだりしていました。

1300年ほど前のことです。                                          文武天皇が病気になって中々治らないので、霊力を持つという噂の高い利修仙人に御祈祷してもらおうということになりました。                                      そして、草鹿砥公宜(くさかどきんのぶ)という人が天皇の使いとして、利修仙人に頼みに来ました。仙人は鳳凰に乗って都へ行き、一心にお祈りをして天皇の病気を治しました。              病気の全快を喜んだ天皇は、利修仙人を開山として、桐生山に立派なお寺を立てました。   そして、鳳来寺と名付けました。                             そこから鳳凰が来たという意味で、その後は桐生山を鳳来寺山と呼ぶようになったということです。

 

7時 55分 、鳳来寺への石段参道前に到着。 ここから 1425段の階段に挑戦です。

初めての挑戦で焦っても仕方なく、昨日の雨で石段が濡れていることもあり滑って捻挫でもしたら笑えないので、無理せず慎重に歩を進めました。                                谷間にある参道で陽の差し込むこともなく、また杉の大木の中であり正に深山幽谷といった雰囲気の中を神聖な気持ちで歩きました。

8時 02分、鳳来寺仁王門通過。                                             昭和28年(1953)に国の重要文化財に指定された「鳳来寺の仁王門」は、慶安4年(1651)の東照宮の造営と共に三代将軍 徳川家光によって建立されました。

この門の正面に掲げられる「鳳来寺」 の扁額は光明皇后の筆によるものと伝承されています。

仁王門を通過して間もなくの所に、杉の大木である「傘すぎ」に驚き                          樹齢 800年、樹高 60m、根回り 7.5m  

結構登った感じはしたが、松高院前に 594段目の表示あり。まだまだ半分も来ていない。

医王院手前を登る。8時半。 段々階段の斜度が増し、足元に注意する。

少し平坦になったと思った先にも階段が見える。左手には石仏様が元気を下さった。

私は、初めての鳳来寺訪問であり様子が何も分からなかったので、石段がどこまで続くのか❓ 興味があった。                                               急な階段を登り切ったら、左手に 1316段目と書かれた標示板が見え、広場に出た。

谷間から陽当たりの良い気持ちの良い広場に出た。                                 8時 50分、標高 450mの鳳来寺本堂に到着。

南側には展望休憩所があり、太平洋側の遠州灘方面が見えた。

鳳来寺本堂の左手には、切り立った岩壁の鏡岩が望めた。

まだまだ石段は続くが鳳来寺山山頂を目指して頑張る。

 

 

 

 

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▲ 茅ヶ岳から金ヶ岳をピストンし尾根道を下る。▲

2024年04月17日 | 私の見た山・登った山

尾根に出てからの天気は申し分なかったが、欲を言うと雲が多いのが残念だった。   10時に茅ヶ岳(標高 1704m)に到着。                                 北には標高 1764mの金ヶ岳が見え 、時間的にも早いので 20分ほど休憩し、金ヶ岳に向かう。

疎林の中を北に向かって急降下する。                              鞍部の先の巨岩の間をすり抜け、登山道が石門と言われる大岩を抜け、金ヶ岳に向け登り返す。                                                         石門通過、10時 35分。

茅ヶ岳と金ヶ岳間は大岩が沢山あり、頭をぶつけない様に 通り抜けたり、バランスを崩さない様に脇を通過しながらアップダウンを繰り返す。                       傾いた巨岩の脇から、先ほどの茅ヶ岳のピークを望む。

傾いた巨岩から登り返し、11時 15分 金ヶ岳南峰に着いた。                     観音峠へは、ここから東方向へと下って行く。

北峰に向かう途中の開けた所から、南西方向の韮崎市街と鳳凰三山や甲斐駒を望む。  稜線付近の雲が無ければ地蔵岳のシンボルであるオベリスクが見えたのに残念❓

11時 20分、金ヶ岳北峰到着。                                 山頂には目立つ山名表示はなく、茅ヶ岳同様岩がゴロゴロして狭い。

開けているのは南方向のみ。                                      雲が多く余り遠望が利かず木の間から茅ヶ岳を望む。 20分休憩し11時 40分下山開始。

金ヶ岳への行きは南西側が切れ落ちていたり、大岩の登りが厳しく感じたが、帰りは意外と順調に進んだ。                                            南峰通過、11時 52分。

石門通貨、12時 10分。

金ヶ岳に向かう時には気付かなかったが、帰りの茅ヶ岳の登りで花芽の無いイワカガミの艶のある紫紅色の葉が沢山見られた。今後が楽しみです。

12時 40分、再び茅ヶ岳に戻りましたが、青空で気持ち良い。                       暖かくて 360度の景色を楽しみながら、ノンビリ お弁当を広げました。

40分もノンビリし過ぎて 13時20分、尾根道経由で下山開始。

この山全体が岩のゴロゴロした山で、急降下の下山道であり慌てずに慎重に下りました。                                                  下り出して直ぐに千本桜分岐を通過、 13時 24分。

山頂でお会いした方が千本桜から登って来られ、まだ二分咲き(4/12 現在)程度でしたと残念がっていました。

今回は、歩き始めの山桜とこのリンドウの二種の花しか見られませんでした。

尾根道は平坦地が無く、延々とした急勾配の下りが続き 40分ほど下った頃、膝が笑い出し怪我をしたら 笑えないので、休み休み下った。

下り出して1時間の 14時 23分、防火帯の道に入った。                        茅ヶ岳山頂から尾根道経由で駐車場までの下りが1時間半であったが、それ以上に長く感じた。 

防火帯の道を下り切ったら、前山大明神林道に出た。

14時 45分、深田記念公園に戻る。 休憩所と解説板あり。

14時 50分、深田公園駐車場に無事戻りました。

朝の出発時には気付きませんでしたが、戻ったら桜がほぼ満開でした。 気温 19.0℃

 

 

 

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🌸 實相寺の山高神代ザクラ 🌸

2024年04月15日 | 春景色

大津山 實相寺は永和年中、波木井伊豆守が出家され、實相院日応と号して宗を改め開いた日蓮宗のお寺であります。

山門  

 

神代桜 は、山梨県北杜市武川町山高の實相寺境内にあるエドヒガンザクラの古木であります。                                       境内には沢山の桜が見られますが、神代桜は開花が早かった様で周りの満開の桜が目立ちました。 

樹齢 2000年ともいわれ、 日本五大桜または三大巨桜(福島県の三春滝桜・岐阜県の根尾谷薄墨桜)の一つであり、1922(大正11)年10月12日に国の天然記念物第一号に、1990(平成2)年6月には新日本名木百選にも指定されています。

 
ところが近年の環境の変化により樹勢が急激に衰えてしまい、2001(平成13)年には樹勢の回復を図るべく、根や病気の調査を行いました。
翌年からの工事では、弱った根に活力を取り戻すための養分と有用な土壌微生物に富んだ土に入れ替え、更に主幹からの新たな発根を促すため屋根付きの櫓を撤去しました
 
樹齢 2000年の古木と云われるだけに、根元幹周が 1922(大正11)年は 13.5mありましたが、2006(平成18)年には 11.8mにやせ細り、今回拝見した時も痛々しさを感じました。                                      今迄に実施されました樹勢回復工事の成果が現われ、一日も早く今まで以上の元気な姿を見せて欲しいと願っています。
 
 
これらの工事は4年間かけて行われ、2006(平成18)年3月に終了いたしました。
 
                               
 
山門から境内に入り参道を進みます。 
 
参道左手には一面に水仙が咲き、満開の桜並木とその背景には南アルプスの雄姿が聳えています。                                      足元にはおよそ8万株のラッパ水仙も咲き、黄色、白、ピンクと色鮮やかさが引き立っています。
 
 
本堂左手には桜に囲まれ日蓮聖人立像 が見られました。                     13世紀頃、日蓮聖人がこの木の衰えを見て回復を祈ったところ再生したため、『妙法桜』とも言われています。
 
 
実相寺の境内には神代桜の他にソメイヨシノが 30本、スペースシャトルに乗って宇宙に旅立った神代桜の種子が地球に戻り発芽した 「神代桜の宇宙桜」 も公開されています。
 
三春滝桜の子桜                                          平成 12年に福島県三春町より譲り受けて植栽した「滝桜」の子桜だそうです。
 
 
臥竜(がりゅう)桜の子桜                                  平成14年4月に岐阜県高山市より譲り受け植栽されたそうです。
 
 
 
庫裡の前に咲くソメイヨシノ     
 
 
鐘楼を囲む桜                                          鐘楼に架かる梵鐘は総高 145cm、鐘身 105cm、口径 79cm。               技法的に江戸初期の特色が良く表現されているという美しい梵鐘です。
 
 
第二次世界大戦中、すべての金物が供出させられた中で、由緒ある文化遺産として供出を免れたものだそうです。
 
 
 合掌で光を 
本尊に合掌すれば 信心となり
父母に合掌すれば 孝養となり
長上に合掌すれば 敬慕となり
事物に合掌すれば 慈愛となり
自分に合掌すれば 修養となり
お互いに合掌すれば 幸福となる  
 
 
日本一の桜が生きる『實相寺』でした。

 

 
 
 
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▲ 深田記念公園から茅ヶ岳へ ▲

2024年04月13日 | 私の見た山・登った山

山名はススキが山麓を広く覆っていたところから『茅ヶ岳』と呼ばれたようです。                                 茅ヶ岳は甲府盆地の北、御岳昇仙峡の奥に位置した古い火山で、長く裾野をひいた優美な姿は、よく八ヶ岳と間違われ、『ニセ八ツ』とも呼ばれ親しまれています。

1971(昭和46)年3月21日、『日本百名山』の著者であります深田久弥氏が、この山を登山中に亡くなられたことで知られ、多くの登山者が訪れる様になりました。

毎年4月の第3日曜日には 「深田祭」 が開催され、記念登山や式典が行われ、全国から沢山のファンが集まるようです。       

今年は、4月21日(日)に開催されます。

深田記念公園駐車場に7時 15分到着。 15分で準備を済ませ7時半出発。

登り始めは赤松林から雑木林へと傾斜の少ない林道を緩やかに登って行く。

駐車場の標高が 940mであり、まだ若葉も見えず殺風景な登山道であるが、唯一山桜が出迎えてくれた。

8時 07分、前山大明神林道を横切る。

登山道は大岩がゴロゴロした涸れ沢(女沢)を登って行く。

両側の尾根が迫ってくると、行く手に女岩(奥に見える黒い大岩)が立ちふさがる。  通過、8時 45分。

かつてはコース中唯一の水場であったが、近年崩壊の危険ありとのことで女岩手前に立ち入り禁止のイエローテープが張られ右手にある巻き道に誘導される。

涸れ沢の一寸広い登山道はここまでで、ここからが急斜面でクヌギやナラの樹林帯をジグザグに頑張って登る。

片側が崩れていたり、落ち葉が深く積もり足を取られたりと緊張する箇所が多かった。 慎重に登り女岩の上部を通過。

茅ヶ岳と大明神岳を結ぶ稜線に近づいて来ると登山道は枯葉に覆われていた。

9時半、稜線に立つ道標が見えた。

稜線の鞍部に出て茅ヶ岳へは尾根を左に進むのだが、右手に見える岩峰に立つと金峰山や瑞牆山を望むことが出来た。

10分ほど展望を楽しみ茅ヶ岳を目指す。

茅ヶ岳に向けて登り出し、5分ほどしたら深田久弥氏が亡くなられた場所に石碑が建ち、お花が添えられていました。 通過、9時 45分。                                死因:脳卒中だったそうです。 享年:68歳  

急坂で岩場の多い登山道を慎重に登る。

10時 05分、茅ヶ岳(標高 1704m)登頂。                                     右手が金ヶ岳(標高 1764m)と中央の白い稜線は八ヶ岳連峰。

展望は 360度良好でありましたが、雲が多く富士山は五合目から上は見えず、南アルプスでも八ヶ岳は見えましたが甲斐駒や鳳凰三山の上部は見えず残念であった。

20分ほど休憩し、10時 25分、金ヶ岳に向け出発。

 

 

 

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▲ 石割山から富士を目掛けてミニ縦走 ▲

2024年03月10日 | 冬の風景

石割山の開けた山頂からは、富士は 目の前そして左下に 山中湖、右下には忍野八海で有名な忍野村の眺めが広がっていた。

下山は富士山に向かって尾根を下るミニ縦走。                              平尾山(標高 1290m)、大平山(標高 1296m)、飯森山(標高 1191m)、長池山(標高 1178m)と南西に向けアップダウンを繰り返しながら高度を下げ、山中湖の北岸に降りました。

上空に 雲は無く、石割山山頂からの景色は素晴らしかったのですが、風が 強く時折雪煙を巻き上げた突風が吹き、ノンビリできる状況ではなかった。                   そのため写真だけ撮影して、短時間で移動開始。

富士を真正面に見ながら急斜面を下る。                               登山道には積雪があり余りの傾斜でアイゼンを使用すれば問題は無かったが、ロープの設置があり滑らぬ よう利用した。

石割山からほぼ 10分ほど下ったら大分歩き易くなった。

雪道では太陽光線がより以上に眩しく、持参した  サングラスが活躍してくれた。

尾根歩きなので風当たり が強く、周りの木々が少ないと風により雪が落ちてくるが、竹笹の中は暖かった。

地図に表示のない「一ノ砂ノ沢の頭」 標高 1318mを 11時48分、通過。

道は平坦な尾根歩き(東海自然歩道)となり 12時 02分、平野へ下る分岐点通過。

この辺りは快適な尾根歩きで、ずっと歩いていたい感じがした。

展望良く暖かな平尾山 (標高 1290m)に到着。12時 05分。

風もなく雪に埋もれてないベンチが有ったので、ノンビリ 20分の休憩を取り、昼食とした。                                                   カヤトの後ろには石割山が望めた。

12時 25分、平尾山を出発。                                        芙蓉台別荘地を望みながら 、雪の下が凍りついた細い階段を慎重に下る。

下り切るとホッとできる平坦な道が続いた。

平坦な道の見通しの良い所からは、山中湖の東側とその先に三国山が望めた。

この付近の道は変化に富んだ登山道で、先ほど眺めた芙蓉台別荘地の脇を登る木製階段の所は雪深く、登りが厳しかった。                                やっと 登り切り、富士が顔を出した。

13時 20分、今回のミニ縦走で一番山頂の広い、大平山 (標高 1295.5m)に着いた。

広々した山頂からは富士の聳える南西方向の景色が素晴らしかった。  

東海自然歩道の尾根上にある飯森山 (標高 1191m)を通過、13時 55分。

午後になり緩んだ雪を、サクサクと踏み音をたてながら歩くのは、この時期にこそ味わえる快感である。

湖畔近くの樹林帯の中は吹き溜まりになっており、踏み跡を外すと膝くらいまで埋もれてしまった。

14時37分、山中湖畔の長池親水公園駐車場に無事戻りました。

午後の富士山。                                       今回は雪化粧をし、一番カッコいい霊峰富士をじっくり 眺めながら歩くことが出来ました。                                          トレースがしっかり出来ており、滑り止めを用意すればハイキング気分で歩けます。

 

 

 

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▲ 雪の石割山へ ▲

2024年02月28日 | 私の見た山・登った山

これでもか と言うほど雪化粧をした富士山を道連れに、雪山ハイキングをして来ました。

富士山周辺には、富士山の眺めが優れた山が多い。                          その中でも石割山は山中湖と富士山を一緒に眺められるうえ、下山する尾根のミニ縦走は終始、富士山が正面に見えるのです。

周回コースを歩くため、車を山中湖北岸の長池親水公園駐車場に停めた。       駐車場到着、7時 10分。                                         外気温-3.0℃  風があり寒い。車内で登山準備をし7時 45分、出発。

平野への 車道 は雪があり狭く危険なので、サイクリングロードで平野へ向かう。

日当たりの良い所では、小鳥たちが日向ぼっこをしていた。 ホオジロ。

シマアオジ

仲間とおしゃべり。

平野地区のサイクリングロードは日当たりが良く暖かい。

8時 46分、平野から国道 413号(道志みち)を5分ほど進んだ所の左手に赤い鳥居の不動明王社に到着。 左手に進む。

林の中の別荘やテニスコートなどを見送り、林道を進むと右手に黄色の太鼓橋と真っ赤な鳥居が見えてくる。                                        そこが石割山登山口駐車場到着、 9時 03分~9時 18分。30台くらいは停められそうです。

太鼓橋を渡り、真っ赤な鳥居をくぐると先の見えない真っ直ぐの階段が続く。

登り始めは西側の日陰斜面の階段であり、雪の下はガチガチに凍結しており、 スリップしないよう 手摺りを利用し慎重に登った。                              階段は四百段以上あり、三百段位を越えると更に右へと階段が続く。

滑らないように気を張りながらの四百段はきつい。2~3度休憩して登り切った。    登り着いた所が富士見平、到着 9時 35分~9時 48分。                      丁度良く東屋があった。 石碑に「避難小屋」平成4年9月竣工と記されていたが、テーブルとベンチが有り休憩舎の様であった。 10分少々休憩。

富士見平からは、緩やかな林道の様な広い道を登る。

途中のベンチには、どなたかが作られた可愛い雪だるまさんにホッコリ。

10時 32分、石割神社に到着。                             この神社は、石割山の八合目に鎮座し、昔から古事記にある「天の岩戸」伝説の地といわれる神域だそうです。

また、御神体の大岩が『石』の字に似て割れているので、石割神社と名が付いたともいわれ、切り立った大岩には、高さ15m、幅約60cm、長さ約15mほどの隙間があり、その間を3回通れば( 時計回り)幸運が開けると云われているとのことです。     この岩の割れ目から滴り落ちる湧水は、眼病・皮膚病などに効く薬水として伝承され、多くの崇敬者がその御利益に浴しているそうです。

凍結しており、隙間を回るのは諦め山行の無事のみ祈願してきました。       出発、10時 45分。

石割神社を後にすると、道は登山道らしい雰囲気になって来た。

山頂までは僅かであったが、厳しい傾斜であった。

11時 17分、石割山(標高 1413m)に到着。                                     時折、突風 が北側から吹き抜け、物は飛ばされないように注意したが、雪煙が顔にあたり痛かった。

眼下に見える、富士山との間にある山中湖が川の様にひょろ長く見えた。      また、右手遠方には南アルプスの雪の稜線が望めた。

北側には三角点と左手奥の左に杓子山(標高 1597.5m)、右手に鹿留山(標高 1632m)が見えた。

風が無ければ雪のため、太陽の照り返しにより暖かな山頂なのだが、展望が良いだけに風よけが無く、汗が冷えないよう5分で退散した。

 

 

 

 

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🎎 ひな祭り⁑ 2024 🎎

2024年02月21日 | 伝統行事

築 300年の古民家 『瀬戸屋敷』 で行われる雛祭りには、江戸時代の風情がいっぱい。

地元の蔵から発見された 300年前の「享保雛」や瀬戸屋敷収蔵のひな人形の数々、手づくりの「つるし雛」8000 個以上を展示。                                  高さ 2.4mの「大つるし雛」は圧巻です。

瀬戸屋敷は、江戸時代、この地域の名主を務めてきた瀬戸家のお屋敷として建てられました。                                              300年という長いながい時間の流れに洗われた、穏やかでやわらかい空気が迎えてくれます。

屋敷には、水車や土蔵、囲炉裏、井戸など、あの頃の日本が今もそのまま残っています。

季節や自然とよりそっていた、日本ならではの暮らしを思い出してみる。

時間を忘れて、ただただほっこりと過ごしてみる。

まわりに広がる田園風景も、じまんのひとつです。

おたまじゃくし、アメンボ、ホタル、あじさい、稲穂など、季節ごとのいろんな表情が心の時計をゆっくりにしてくれるはずです。

歴史ある母屋を、様々な時代のお雛様が彩り、豪華な段飾りや御殿飾り、八千個以上のつるし雛など、華やかな色彩と手作りの温かさが見る人の心を和ませます。

3月3日は、女の子の晴れの舞台でもある 『ひな祭り』 の日です。           女の子のいる家庭ではひな壇を作り、たくさんのひな人形を飾るのが習わしとなっていました。

桃の花を供えることから桃の節句」も呼ばれ、春らしい彩に満ち溢れる行事となっています。

でも、『ひな祭り』を紐解くと彩に満ち溢れる行事とは、一寸違うようです。    ひな人形とはそもそも、何なのでしょうか ❓

それは形代(かたしろ)と呼ばれる人形の一種で、神や霊が降臨するもので、霊が取り憑く対象物なのだそうです。                                       言わば、わが娘の身代わりだそうです。                              娘に襲い掛かろうとする病などの災厄、穢れを、ひな人形に移して避けるという行事が「ひな祭り」のもとになっているとのことです。

この行事が定着したのは平安時代といわれています。

当時の乳幼児死亡率は現代とは比較にならないほど高かった。                 赤ちゃんのうちに亡くなってしまうことも珍しくもなく、親としては必死の思いで子の成長を見守り、枕元には形代を置き、厄除けとしたようです。                    そして1年の災いを、春のひな流しで祓う。                                  この様なことが『ひな祭り』の起源なのだそうです。

ひな人形は「ひな祭り」が終わったら直ぐに片付けないといけない。というしきたりは今でも存在するようです。

 

 

 

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▲ 大野山から湯触コースを下り谷峨駅へ ▲

2024年02月05日 | 私の見た山・登った山

西丹沢前衛の 低山ですが、山頂一帯に牧場が広がり、明るく牧歌的な雰囲気のある人気の山であります。                                                       台地状の山頂に牧草地が広がりのどかで展望良好、富士山も良く見えます。

10時50分、薫る野牧場から大野山(標高 723m)へ向かう。

車道と登山道が交差する十字路のイヌクビリに出る。                   そこにはチェーンソーカービングの作品である熊さんのお出迎えあり。

イヌクビリから西に登ると右手に駐車場があり、トイレが設置されています。                そこを横目に見ながら、ひと登りすると右手に無線塔が見え、広々した大野山山頂に到着です。11時 10分。

山頂には方位盤や東屋、見晴らしの良い所にベンチ、そして立派なトイレも設置されています。

南東方向には足柄平野と相模湾が見えます。

南側には箱根大涌谷の噴煙も見えました。

南西方向には越前岳と位牌岳の双耳峰に見える愛鷹山が望めます。

この日の山頂は、とても暖かく和紙の原料となるミツマタが咲いていました。

北側には三保ダムによって造られた丹沢湖と後方には西丹沢の山々が望めました。

日向ぼっこ をしながらお弁当にしたり、広い山頂を歩き回り 360度の景色を 45分間楽しみ 11時 55分、山頂を後にしました。                              山頂より富士山に向かって南西に進み、とても歩き易い道で気持ち良かった。

この時期の富士山はとても綺麗でした。                               5分ほど南西に進んで見えた道標に沿ってメダケの道を南下する。道の先に谷峨駅が見えた。

笹の道を出たら車道を横断して行く。

2027年完成予定の新東名高速道路の工事が下山道から俯瞰できた。

12時 10分、湯触コースを下り、東屋に到着。箱根方面が良く見えました。

道の整備が行き届き、誰にでも歩き易く見晴らしがとても良いです。

カヤトの湯触コースを振り返る。

東京スカイツリーと同じ高さだとチェーンソーカービングの作品であるウサギさんが解説板を持って待っていてくれました。フクロウさんもいて休憩もできます。

山北方面と湯触地区への分岐点通過、12時 37分。

少し遠回りして都夫良野地蔵堂へ参拝に立ち寄りました。

酒匂川沿いに下山、谷峨駅まで 25分の標示板あり。

吊り橋を渡り、御殿場線の谷峨駅に向かう。

酒匂川の河岸段丘から望む、東名高速道路。

13時50分、可愛い無人駅舎の谷峨駅に無事到着しました。

運よく電車も直ぐにあり、14時05分には山北駅に戻りました。

 

 

 

 

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▲ 山北から高杉コースで薫る野牧場へ ▲

2024年01月27日 | 私の見た山・登った山

国指定重要無形民俗文化財であり、2022年には盆踊りや念仏踊りなどの民俗芸能『風流踊(ふりゅうおどり)』をユネスコの無形文化遺産に 24都府県の 41件が登録されることになり、その中に神奈川県の 《山北のお峰入り》 が入りました。

お峰入りの演技は8種類11演目あり、大野山から高杉の神明社に「道行き(演目の一つ)」が行われます。

今回は「道行き」のコースを逆に神明社から大野山に向けて歩いてみました。

山北町の観光客用臨時駐車場を 8時 10分出発。

高杉集落にある神明社へは市間橋まで皆瀬川に沿った県道 725号を北上します。

この皆瀬川なのですが、元禄16年(1703)の大地震と宝永4年(1707)の富士山大噴火により、これまで山北の町中を東に流れ向原で酒匂川に合流していたとのことです。                                  ですが土砂降灰で氾濫を繰り返したため、この地を堀割って現在の南への流れとし樋口橋の下を流れ酒匂川に合流しています。

そのために新しく用水堰を造る必要に迫られ享保 19年(1734)時の名主 湯山弥五右衛門父子を中心に山北・向原の村民によって山裾を東へ向原に至る用水路が造られ、これを『川入堰』と呼んでいます。

この堰の完成を記念して建立されたのがこの石碑とのことです。 通過、8時 20分。

現在の皆瀬川を北上すると、物流の大動脈である東名高速道路とその横に新東名高速道路の工事が急ピッチで進められています。

新東名高速道路は秦野 IC から御殿場 IC 間の約 25Kmが難工事 となっており、完成は 2027年のようです。

8時 45分、県道725号の市間橋を渡り、ここから高杉集落の神明社に向けて左の車道(高杉コース)を登り始める。                                                  鉄塔 № 363通過、9時 15分。

皆瀬川沿いの県道歩きは山間の日陰で酷く 寒かったが、高度を上げ陽射しの暖かさは有難い。 梅の開花が見られた。

市間集落の辺りでは茶畑が広がっていた。

市間集落の道路沿いで石仏群を発見。 通過、9時 25分。                                        その中の右から二つ目に「私はサンゴ石灰岩」という解説版がありました。                  丹沢山地のふるさとは南洋の海底です。                               熱帯のサンゴ礁の海底で生きていたサンゴや石灰藻が集まってできた岩石です。                 その岩石をルーペで良く観察すると一個体が3mmくらいで6枚の花びら 模様のショウガサンゴ化石が沢山見えます。                                              皆瀬川の上流には海底火山が起源の地層が分布しており、この岩石は下流まで流されていたものを昔の集落の人たちが、ここに運び設置されたとのことです。

高杉のウラジロガシ通過、9時 45分。                                        平成4年(1992)指定、神奈川県指定天然記念物。                                山麓部など比較的土壌の浅い立地で生育しウラジロガシ林を形成するようですが、こちらのは単木で樹高 約 21m、根回りの樹幹周囲 約5m、推定樹齢 約 300年とされ、更に樹冠が南北 20m、東西 17mに達し、まだ樹勢も衰えておらず元気なので保護しているようです。

10時 05分、お峰入りの舞台である神明社に到着。

山北の  お峰入り とは、山北町共和地区に古くから伝わる民族芸能であり、山中で修行を行うことを意味し、修験道の儀礼が芸能化したものと考えられています。              また、南北朝時代に宗良親王が河村城に難を逃れた時から始まったという伝承もあり、笛・太鼓の調べや歌詞は万葉の時代を感じさせます。

公演の日は境内広場が 鮮やかな衣装の演者と見学の人々であふれかえります。

演技は8種類11演目あり、天狗、獅子、おかめ、山伏、太鼓、笛などの役を80名の男性が演じます。                                          歌や踊りは全て口伝えで伝承されており、近年では概ね5年ごとに公演されております。

2023年に公演があり、次は2028年ですが、今年(2024)の2月11日(日)に特別公演が小田急小田原線の海老名市で開催されます。  是非

神明社から大野山間を演者一同が演目「道行き」で歩く。

10時 35分、薫る野牧場に出る。

大野山山頂より演目の「道行き」をお峰入り出演者一同が行列を組み、笛や太鼓のお囃子に合わせて、この道を賑やかに練り歩き神明社に向かいます。

この日は大した風もなく、薫る野牧場の牛さんも美味しそうに食事をしていました。

遠く相模湾と、その遠方に伊豆大島を望むこともできました。

最高の天気でカヤトの尾根歩きは、何とも言えない爽快感を味わうことが出来ました。

山の上空にはトビが群れを成して優雅に飛び回っていました。

 

 

 

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▲ 石丸峠から大菩薩峠、上日川峠経由で戻る。▲

2024年01月17日 | 私の見た山・登った山

石丸峠(標高 1933m)から大菩薩峠(標高 1897m)への稜線沿いは酷く風が 強かった。   大菩薩峠から大菩薩嶺(標高 2057m)迄は見晴らし 最高なので風のない時に沢山の方々に歩いて頂きたいお勧めのコースです。                                      夏には沢山の花々が咲き競います。

景色が良いので時間的にお弁当 にしようかと考えたが、余りに風が 強いので5分の休憩で12時 20分先に進んだ。

石丸峠から、これから向かう北西側の熊沢山 (標高 1978m)を越え大菩薩峠に向かう。

風に押されないよう、しっかり足を踏ん張りながら取り付いた。                   熊沢山は樹林帯の中を抜け 、下りに入ると岩と木の根が張り付き、歩き難く薄暗く山深い感じを受けるが介山荘の所で途切れる。

12時 50分、介山荘の南側に設置された休憩所に到着。                                風が強いせいか他の登山者とは1人も合うことはなく、休憩所も貸し切りでノンビリお弁当にした。

お腹を満たし防寒対策万全にして、介山荘と売店の間を抜け大菩薩峠の標示板のある所に向かう。                                                    こちらの介山荘は、長編小説 『大菩薩峠』 の著者である中里介山も泊まった山小屋だそうです。

介山荘の横に立つ可愛い案内板。

ここが大菩薩峠のガイドブックに必ず見られる 定番の撮影ポイントです。                雲一つない登山日和の様に見えますが、冷たい 強風が吹き抜けカメラなど岩陰や建物の陰に置かないと飛ばされそうでした。

少し賽の河原寄りから遠望した富士と大菩薩湖です。

中里介山 記念石塔。

《大菩薩峠 甲源一刀流の巻》                          

大菩薩峠は江戸を西に距(さ)る三十里、甲州裏街道が甲斐国東山梨郡萩原村に入って、その最も高く最も険しきところ、上下八里にまたがる難所がそれです。                          標高 六千四百尺、昔、貴き聖(ひじり)が、この嶺(みね)の頂に立って、東に落つる水も清かれ、西に落つる水も清かれと祈って、菩薩の像を埋めて置いた、それから東に落つる水は多摩川となり、西に流るるは笛吹川となり、いずれも流れの末永く人を湿(うる)おし田を実らすと申し伝えられてあります。・・・・・ 

北側から介山荘を望んだ所です。                                 岩がゴロゴロした、 この広場は麓の裂石(さけいし)から走り上がる 『大菩薩峠登山競争 のゴール地点です。                                      私も何回か出場しましたが、最高記録が 2時間 00分 39秒で2時間を切ることはできませんでした。                                           でも汗びっしょりで走ってくると頭から水を掛けてくれたり、沢で冷やされた大きな桃がコース上のテーブルに並べられ、両手に持ってかじりながら口の回りや手をベトベトにして走った楽しい大会でした。                                               今思うと食い意地を張らずに走りに専念すれば2時間は切れたのかな?と思いました。    でも暑くて苦しい時に、美味しそうな桃を見て通過していく選手は1人もいませんでした。

ここ大菩薩峠は自分にとって、苦しくも楽しかった思い出の地なのです。            そんなことで、誰もいない峠で強風と戦いながら、35分もブラブラ歩き廻っていました。

当初は、この尾根 を登り大菩薩嶺(標高 2057m)を目指す予定でしたが、

日の短い時には無理をせず 13時 25分、下山を開始した。                           この時期の日没は 16時 50分位なので、常緑樹の山では麓の方に来ると真っ暗になってしまうため安全を第一とした。

13時 50分、勝縁荘通過。 道は広いので順調に下れた。

福ちゃん荘前通過、13時 57分。綺麗な公衆トイレが設置されていた。

福ちゃん荘からは車道と登山道があり、近道となる登山道を下る。

ロッヂ長兵衛の所で車道と登山道が再び合流する。

ロッヂ長兵衛前通過、14時 17分。

ロッヂを過ぎて間もなくの所に、再び車道より近道となる足場の悪い登山道を下る。

堀の深くなった道には沢山の 落ち葉が堆積し、深い所では膝下位までが埋まってしまい時折そこに石や木の根が隠れており「危な」と思うことが何度かあり、慌てず慎重に下りました。

下りは勢いが付きやすく不用意に石などを踏み外したりし捻挫をし易いので、単独登山では下りに一番気を使います。

15時 15分、林道に出た。

15時 20分、千石茶屋が見えた。  駐車場まであと僅かなのでホッとしました。

15時 25分、 丸川峠入口駐車場に無事下山しました。

 

 

 

 

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▲ 丸川峠入口から石丸峠を目指す ▲

2024年01月13日 | 私の見た山・登った山

草原や笹原の尾根、富士山や南アルプスの展望、そして対照的に静かな針葉樹林の中を歩いて来ました。

穏やかな 2024年 を迎え『何となく、今年はよい事あるごとし。元日の朝、晴れて風無し。』石川啄木の詩がピッタリと思っていた矢先の夕方、能登地方に大地震そして2日には羽田空港での航空機事故、年明け早々にどうして❓ と思ってしまいました。

能登地震は日を追うごとに被害の甚大さが報道され、東日本大震災の再来です。

火山大国である日本の背負う運命でもあり、関東の南側には北アメリカプレート、フィリピン海プレートそしてユーラシアプレートの3つが接する場所があり、首都直下型地震、南海トラフ地震、神奈川の国府津~松田断層などいつ地震が発生しても可笑しくない状況です。

でも、災害が発生した時には皆さんで助け合う心が日本人には有り、唯一の心の支えとなっております。                                                  能登地震で被災されました地域の皆様の一日も早い平穏が訪れますようお祈り致します。

                                         

新年初の山歩きは大菩薩峠を目指してみました。                               当初の山行計画では、上日川峠~石丸峠~大菩薩峠~雷岩~大菩薩嶺~雷岩~福ちゃん荘~上日川峠の周回コースを計画しました。

ところが冬期 は丸川峠入口から上日川峠への林道が全面通行止め となっており、車は丸川峠入口駐車場に停め、歩きで 昔ながらの大菩薩道を登りました。

計画変更で日も短くなっていることから、当初予定の大菩薩嶺(標高 2057m)登頂は諦め、介山荘のある大菩薩峠から福ちゃん荘~上日川峠へと下りました。

                                  

丸川峠入口駐車場到着、8時丁度。 30分で準備を済ませ出発。

通行止め を抜けて林道を登り、次の左折点で林道と別れて近道 となる登山道を登る。

 

15分ほど登ると芦倉沢に架かる橋の先に千石茶屋が見え、 そちらに進む。通過、8時 45分。

上日川峠まで車で行けるようになった現在、裂石から昔の大菩薩道を歩く人は少なくなりましたが、今回は昔の人の思いを 噛みしめながら急登に取り付きました。

所々に深く窪んだ溝は、長年にわたる人の往来によって侵食された結果で、歴史が感じられます。

遠く迂回していた林道のガードレールが頭上に見え林道に合流。 9時 53分。

わずかに林道を登ったら、再び登山道に入る。

2度目のガードレールが見え林道に出たら、目の前にロッヂ長兵衛前の上日川第一駐車場が見えた。                                          当初の予定では、ここまで車で来る予定でした。                                                    寒さでレンズの一部に結露が発生し、気付かずボケが出た。

広々したロッヂの前に人影はなし。                                   道路を挟んだロッヂ西側のキャンプ場でソロキャンプをされている方にお会いし挨拶を交わした。今回の山行で初めてお会いした唯一の人でした。

上日川峠は大菩薩連嶺への表玄関ともいうべきところで、大菩薩峠へは車道の左側につけられた登山道に取り付く。

私は通常のコースとは変えて石丸峠へと進路を取り、南東方向に下る。

緩く上り下りしている登山道を進むと沢を2 ~3回、横切る。

小さな沢でキラキラ輝く宝石の様な氷を発見、撮影して「アレ?」と結露に気付いた。     慌ててフィルターを外し、レンズの清掃をした。

笹に囲まれた登山道を越え 

カラマツ林の明るい道を進み 

徐々に登りが続くようになってくると、石丸峠入口のバス停のある車道に出た。      通過、10時 53分。

車道を横断して、再び笹に覆われた登山道を登るが、この登りが予想外に厳しかった。

二度目の車道に出て、右手に進む。 通過、11時 17分。

二度目の車道に出たら東に進み、石丸峠に向かう最後の登山道に取り付く。

最後の登山道は尾根状の所に出るまでが、なかなか厳しい。

後方が開けて、とても気持ちの良い尾根で、綺麗な富士が顔を出した。

  

急登も一段落すると、山腹を絡んで登って行く。

そしてカラマツ林を抜けると前方の稜線上に笹原の尾根が見えてきた。

明るく開けた笹原の道は、歩いて いて最高に気持ち良い。

12時 15分、展望最高の石丸峠に到着しました。

上日川峠から石丸峠のコースは2度目となりますが、前回は曇天で素晴らしい景色を目にすることがなく、今回は好天の中をノンビリ歩くことができ最高でした。 

 

 

 

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🌄 2024 迎春 🌄

2024年01月01日 | 伝統行事

良き新年をお迎えのことと お慶び申し上げます。

 

 

                    

本年も どうぞ よろしくお願い致します。

 

 

 

 

 

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