映画『ナイトメア・アリー』感想

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映画『ナイトメア・アリー』チラシ

2022年過去日記、絶賛消化中…


1940年代のアメリカを舞台に、野心的な主人公・スタントンが見世物小屋からショー・ビジネスで成功するが、ふとしたところから転落してゆく様を描いたもの。
高みへの階(きざはし)は奈落への楼台となる様は因果応報であり悲劇的でもある。また、映画の中で一貫して暗示するオカルティズム――タロットカードの『運命の輪』を彷彿させるイメージ――が結末を示唆している。
物語の中で『運命の輪』のカードは出てこないのだが、没落し元と末が一致するような結末を迎える。

非現実的世界

映画『シェイプ・オブ・ウォーター』の頃から、古き良きアメリカのレトロな雰囲気を堪能する――懐古趣味的――作品が続いているような気がするギレルモ監督作品。
今回もまた、現代アメリカが忘れてしまったような、泥臭い部分をリアリティと共に映し出していた。
興行期間が終わり、カーニバルは大型テントを解体する。
ディズニーアニメ映画の『ダンボ』でサーカスの一団が同じように撤去・設営している様を想起させられた。あれは動物たちも協力するファンタジーだが、同じように団員たち(と日雇い労働者)が力を合わせて行っていた。
本当にリアルでテントを設営し撤去風景を撮ったらしい。CGで色んな表現ができるようになっても、実際の大道具の物質感(リアリティ)は圧巻というか、それに敵うものはない。
その小道具は舞台装置にも表れている。使い込まれて年季が入ってちょっとボロ感が出ている様…映画『パシフィック・リム』でもあった、あの感じ。

カーニバルの見世物小屋という特殊空間では、観る人の好奇心――隠されたもの、観てはいけないものを見たい/見る背徳感――を刺激する。
日常生活では決して見ることが出来ない、古今東西の珍奇なものが集められている。変な生き物や特異な人間たちが。
トリックがある見世物も(フィクションと分かっていても)面白い。身体が人より柔軟な大道芸人も、その珍しさから目を惹く。
そして獣人(ギーク)。腹を空かせた獣人(ギーク)が生きた鶏にかぶりつき喰う見世物。
そのシーンに日本でも平成まで細々とあった、生きたままの蛇を食べる蛇女を思い出した。今は動物愛護法関連でできなくなったらしい(※1)。

獣人(ギーク)とは洗脳された薬物中毒でアルコール依存症の浮浪者だった。
洗脳方法も中々にえげつない…「本物の獣人(ギーク)が見つかるまでの間」という名目で演じさせ、依存症にした上でクビにしようとする。薬とアルコールの快楽と他への行き場が無いことから、獣人(ギーク)を演じる事に依存させられる。そして本物の獣人(ギーク)になってしまう。
見世物小屋が閉まった後、檻の中で独り呟いている。「違う、本当の俺はこんなんじゃない…」

映画冒頭で逃げた獣人(ギーク)を追って迷い込む巨大な“悪魔の家”は欧米の地獄――七つの大罪――を暗示させる内装だった。それはそのまま主人公が足を踏み入れる世界が不穏なものであることを示唆していた。

獣人(ギーク)を捕縛する際、殴られ逆上したスタントンが殴り返した頭の傷で、獣人(ギーク)は衰弱する。
衰弱した獣人(ギーク)をスタントン達は教会施設の前に放置する。
ネオンの看板にあった"JESUS SAVES(イエスは救いたもう)"の冒頭3文字が消えて、"US AVES"と読める。直訳(私たちの鳥?)しても意味不明なので、もしかしたら"U(N)SAVES(救いは無い)"を暗示しているのかもしれない。

オカルティズム

カーニバルでは様々な見世物・出し物がある。獣人(ギーク)以外にも怪力男、軟体男、感電しても死なない女性……それらはイカサマが多い。
巧みな話術で観客の道徳や知的好奇心を謡いながら、その根底にある優越感を見据えている。そこを突いて少額なお金を巻き上げる。
その中にはオカルティズムを強く意識させるものがある。千里眼を持つ女性とされるジーンが行うのは透視、読心術、そして交霊術。
ジーンによってその魅力的な声(と容姿も?)から「才能がある」と指摘され、彼女のパートナーであるピートから透視や読心術の方法を習う。そのノウハウを記したピートの手帳を託されて。

作中では、これらイカサマとその種明かしも描かれる。
ジーナから伝授される、読心術の方法。

対象の人物をよく観察すること。
人は誰しも悩みを抱えている。
人は無意識に自己表現をしている。

それはカウンセリング、精神分析の分野にも通じる指摘だった。

そしてこうしたノウハウの中で、忠告もちりばめられている。

幽霊ショーはやらない。
それは希望ではなく、嘘だから。
悪用してはならない。

「その“嘘”を『自分にもパワーがある』と思い込むと、現実を見失う。全て真実と思うからだ」
「善良で神を畏れる人々が傷つく」
「嘘を重ね、嘘が尽きるとそこにあるのは――お前を見つめる神の顔だ」

ピートの忠告はそのまま結末を暗示しているのであろうと予感する。

コールド・リーディングと精神分析

ピートの手帳に書かれていることはコールド・リーディングと呼ばれる手法について。
詳細については伏せられているが、その内容と思しきものは既に書籍としてまとめられているらしい。
メンタリストのTony Corindaが作成した、"13 Steps to Mentalism"(※2)。
目次を見ると、前述したような雰囲気を盛り上げるギミック――オカルト要素――は、映画『グランド・イリュージョン』でも重要な要素として言及されていた。
タロットに代表される、オカルティズムを象徴する小道具が効果的な役割を担っている。
この映画で特に象徴的なものは、ホルマリン漬けの小さな神エノク。
単眼の奇形胎児。

「彼は本当に聡明で、超然とした表情をしている。僕からしたら、この瓶詰めエノクは、物語全体を見守ってくれている気がするんだ。正直言って、どうしてそう思うのかわからない。ただ、本作を隅から隅まで見届けてもらう商人として、彼が必要だと感じたんだよ」

ジーナ・マッキンタイヤー
ギレルモ・デル・トロのナイトメア・アリー ある「怪物(おとこ)」の悲しき物語とその舞台裏』p.98

エノクは傍観者であり、映画内の世界の神(の代理)でもあるようだった。
その単眼は、スタントンがショービジネスで成功し着ているものが良くなってから、目隠しの文様になっている。
また、節目となるスタントンの犯罪が起こるとき、ライティングで彼の顔の半分――片目だけが見えるようになる時がある。それこそ単眼になったかのように。
この表現は、スタントンが神と一体化していると“思い込んでいる”奢りの象徴のようにも思えた。

ショービジネスで成功し、ブルジョワが多く集まるホテルでショーを開催するようになったスタントン達。
そこで精神科医のリリス・リッター博士と出会う。彼女はその名が示すようなキャラクター(悪女として)。
スタントンが人の仕草などから“心を読む”ように、人の心を“分析”し、抱えている悩みを告白させた情報を悪用する。
スタントンはリリスと取引し、精神分析の情報を得て幽霊ショーのダシにすることで、一山儲けようとする。

それはピートが忠告した禁忌だ。
それを更に補強するように、千里眼のジーナがタロットでスタントンの未来を占い、『吊るされた男』の逆位置を示す。
徒労に終わる、間違った方向……と。

リリスと金でお互いWin-Winの関係を築けたと思ったスタントンに、リリスは精神分析を体験させる。
寝椅子での問答、その前のリリスとのやり取りの中で勧められる酒をスタントンはずっと断っている。彼はは禁酒している。「絶対に飲まない」と。
アルコール依存症への無意識の嫌悪。
そこに父に対する劣等コンプレックス(ネガティブな感情、怒り)があることをリリスは指摘する。
冒頭から断片的に暗示されるスタントンの罪が徐々に明るみになってゆく。

「父親みたいな人間に絶対にならない」

スタントンが拘る「絶対」という言葉には、そうなってしまいかねない、反語の意味が込められている。

地元判事の家でプライベートな幽霊ショーを行ったスタントンは、息子を失った夫人に死について「苦痛は無かった。再びまた会える」と耳障りの良いことを伝える。
それが後々になって夫人の死後世界への情景となり、判事夫妻は無理心中する。

スタントンは幽霊ショーで更に儲けようとするも、次第に嘘が露見しそうになり慌てて行動を起こした結果嘘は暴かれ、更にはスタントンのだけでなくクライアントの罪までも判明し、上書きするように殺人を重ねてゆく。<br /> スタントンは協力者だと思っていたリリスに切り捨てられ嵌められ、逃亡者となる。

浮浪者となったスタントンはまたカーニバルに流れ着く。
物語冒頭で身を寄せたカーニバルとは違う団体だが、そこにはあのホルマリン漬けの小さな神エノクがいた。
再び読心術を使って身を立てようとするもカーニバルの団長に「読心術は古い」と断られるが、食事と寝泊まりする所を提供する代わりに、別の仕事を紹介される。「獣人(ギーク)って知っているか?」
その言葉を聞き、獣人(ギーク)の成れの果てを知っているスタントンは、己の宿命と悟る。

絶望と苦悩に満ち、泣き笑いの表情を浮かべるスタントン。
人間は追い詰められると泣くか笑うかのどちらか、と言う。
獣人(ギーク)の落ちぶれた姿は、スタントンが冒頭で見殺しにしたアルコール依存症の父の惨めな姿と被る。
スタントンが「絶対にならない」と言っていた、その姿に。


俳優陣がとにかく豪華だった。人間の無意識の優越感そして他者を見下している様、それを見極め冷やかにあざ笑う様、騙し騙される人間関係……人間のグロテスクさを演じる彼らの演技に惹きこまれる
ロード・オブ・ザ・リング』『ホビット』シリーズでガラドリエルを演じたケイト・ブランシェット。サム・ライミ版『スパイダーマン』のグリーン・ゴブリン役のウィリアム・デフォー。そしてギレルモ監督作品には外せないロン・パールマンといった大御所俳優陣の素晴らしき演技。

舞台装置も素敵だった。
場末のカーニバルの(当時から見ても)前時代的で(古臭く)安っぽい感じになっているアール・ヌーヴォー調の装飾から、上流階級が集うアール・デコ調の洗練された空間へ。当時を忍ばせ、時代の変容と格差を象徴的に示す建築装飾は、私にはどれも魅力的だった。

参考文献
ギレルモ・デル・トロのナイトメア・アリー ある「怪物(おとこ)」の悲しき物語とその舞台裏
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