特別なRB10

昭和の東武バス野田の思い出や東京北東部周辺の乗りバスの記録等。小学生時代に野田市内バス全線走破。東武系・京成系を特に好む

東武バスイースト前史9~オイルショック期の苦悩~

2021年09月22日 17時05分48秒 | 旅行

中国恒大ショックの候、皆様におかれましてはワクチン2回接種すでに終えられたこととお喜び申し上げます。
 2回どころか9回もこうしてちまちま年表を作ってきますと恒大や石油ショックの荒波にさらわれるよりも以前に我がふるさとの路線バスには危難と災厄が訪れていたのだなということが見えてきて胸の張り裂ける思いがいたします。この時代のワンマン化というのは車掌不足というよりただのリストラの感があります。当時東急・京王・関東バスは全ダイヤワンマン化完了済、以下小田急99.3%、国際興業98.9%となっています。
 youtubeには東武バスがワンマン化して一年も経っていない昭和42年10月に実施した都区内一律20円から30円への運賃値上に抗議して足立東綾瀬団地がタクシー5人相乗りで対抗した「バスには乗りません」という、そのすじでは大変有名なニュース映像の動画がアップされてますね。似たようなことが我孫子の阪東バスにもあって当時の新聞を見ますと大変興味深いストーリーであったのに今日に至るまで歴史の闇に埋もれているのはいいことではありません。なぜならそれも民衆が愛した路線バスの一つの真実の姿だからに他なりません。しかし東綾瀬団地の人には「安くするためにワンマンバスにしたばかりじゃないか、値上げはおかしい」という人も絶対いたはずでこういうすれ違いもバス事業の苦悩の一つなのです。
参照書籍類はこちらの細かい画像にて。

・・・・// ・・・月日・・・  で き ご と
1972年昭和47 2月6日 柏市と東武鉄道との協議(1月19日)を経て未舗装ながら改良工事なった南柏駅東口にバス乗入開始、南柏駅-今谷経由光ヶ丘団地間(113回/日)豊住経由光ヶ丘団地間(21回/日)豊住経由増尾間(10回/日)豊住経由中原間(5回/日)を開通、全便ワンマンカー。
同時に柏車庫発柏駅東口経由上記各行先系統の運行も開始しているが南柏発と異なり多区間運賃制採用しており柏駅前で30円だけ払って降りる客多し、光ヶ丘-柏駅間50円、増尾-柏駅間60円、テープで周知したいところだが社規によりテープは最低6か月間使用と定められているので運転士が直接声掛けしている

4月 29日・30日の2日間にわたる日光鬼怒川地区観光客動態調査の結果、マイカー利用者数が東武鉄道・国鉄・乗合バス・貸切バス各利用者数を抜く

12月28日

野田市中野台鹿島町に東武興業野田東武ボウルが開業
1973年昭和48 1月 柏住宅自治会と三井柏自治会が東武鉄道と三井不動産へ団地内バス乗入を要望、東武鉄道「三井側と負担金問題未解決のため赤字覚悟の増発や住宅地への乗り入れは考えていない」と拒絶
2月

自動車局、郊外路線ワンマン車両への小田原鉄工所製RX-Ⅱ型料金箱設置を決定
同月キッコーマン醤油傍系利根コカコーラボトラーズ(株)本社屋が野田市中根に完成し野田営業所、中根・紫ゴルフ場入口間に「コカコーラ本社前」バス停を置く

3月3日

旧野田町元警察官・戸邊秋次郎氏経営柏最後の映画館「富士館」が廃業、館入口の地所が不当転売されたため。最後の上映作は成人映画「わたしはこうして失った」

3月20日

出店予定の駅前大型店に対抗すべく柏扇屋1Fに国内20店目、県内では千葉・船橋に次いで3店目のマクドナルド開店

4月5日

千葉県・茨城県運賃改訂、野田~柏間140円→170円、岩井~野田間100円→140円
同日野田営業所管内ダイヤ改正あり、柏~瀬戸折返(1回/日)を廃止

5月24日

旧柏車庫車両整備場跡地に長崎屋柏店が開店

同日、天王台駅まで(3.1km)40円から60円への運賃改訂認可に悩む我孫子市の湖北台団地自治会(2400世帯)が千葉県交通会館で県陸運事務所・阪東自動車と3者会談を行い、事情説明とバス運行時間延長等申入れしたが物別れに終わったため翌25日、運輸大臣を相手取り「キロ当たり8.7円の基準認可運賃からみて3.1キロ60円は不当に高い、運輸省は運輸審議会の答申当日に認可を決めており審議が十分とは思えない、バス運賃の決め方に根本的欠陥がある」などとして行政不服審査法に基づく異議申立をなす。
阪東自動車は「団地バスは朝・夜だけの乗客が多くかなり厳しい、このため多少割高になるケースが多い」。

7月1日

東武鉄道、埼玉県内運賃改訂実施、野田市駅-北越谷駅100円→130円、境町-杉戸駅130円→170円

7月7日 東武柏ステーションビル第一期工事完了

8月24日

阪東自動車の料金体系が不当であると行政不服審査申立をしていた湖北台団地自治会、我孫子市の斡旋で阪東自動車と「回数券値下げ」で和解
  9月10日 京成電鉄が「流山街道の定時運行困難、松戸営業所の車掌が5人しかいないため通し運転に必要な車掌数が足りず増回できない、流山折返ならばワンマン化可能」などとして流山市に野田-松戸間通し運転廃止のうえ松戸-流山間(18回/日)並びに松戸-江戸川台間(10回/日)への行路短縮を打診、また市営文化会館駐車場を流山折返用地として要求していたことが明るみに。
江戸川台-野田間は東武バス(11回/日)のみとなるため158名の市立新川小バス通学児童に影響ありとして流山市、野田市とともに現状維持を申入れ、住民にも不安広がる

10月6日

柏東口駅前再開発すべての事業が完了

10月10日

柏駅東口に柏そごう(売場面積43700㎡)開店。本館と別館に分かたれ別館名称公募し柏市花野井の主婦の「スカイプラザ柏」に決す
11月2日 柏駅西口に「柏高島屋」(売場面積19000㎡)が開店

12月13日

松戸市内でトイレットペーパー騒動発生し路上に客あふれ一般車、定期路線バスに通行支障。
同日、東武労組柏分会で柏駅東口バス乗降場が駅前から移転で住民苦情相次いだことへの討議行わる
1974年昭和49 1月11日 野田営業所、水堰橋改修工事のため野田市駅~柏駅西口線の一部を水堰橋折返し運転とす。この頃前面行先表示枠とは別に系統表示枠を設けた富士重工製車両が野田・柏に見られる
3月

柏市光ヶ丘団地在住の柏市議が「つくしが丘」バス停の利用客100人にとったアンケート結果とともに南柏-光ヶ丘団地間の増発陳情書を議会提出

4月21日

名所あけぼの山を売却して捻出した資金で大規模工事中だった布施弁天東海寺がめでたく落慶式を迎え、布施バス停を山門前に復帰

4月26

京北通り商店街「ヨーカ堂対抗作戦」として柏二番街アーケードを完成
4月10日 柏市光ヶ丘婦人センター地域座談会で市長に対し東武バスに南柏・光ヶ丘間増発の要望せよとの意見が相次ぐ。このとき柏市内34系統、運行回数770回、うち車掌乗務線は松ヶ崎循環、柏駅西口-豊四季-流山広小路間、柏駅東口-豊住-光ヶ丘間。

7月

東武鉄道自動車事業局大宮業務部、柏市議団に回答を寄せ「バス事業は増強すればするほど採算が悪化するので助成金制度が確立した大型団地等でなければ新規事業として社内認承を得ることは不可。ラッシュ時積み残し対策として不採算路線を廃止し多客線に充当する。柏駅東口~増尾~光ヶ丘線の一部延長は可能性を探っているところ。全路線ワンマン化のためワンマン規格不適合線については適合幅員6m以上に道路拡幅整備されたい、ワンマン化出来なければ例え多客線であっても廃止する用意がある」
7月20日 宝珠花発春日部駅行東武バスに男が運転する普通車が衝突し車掌・乗客7名怪我
10月7日 柏営業所所長、柏市安藤山の新興住宅地三井団地で行われた青空座談会に出席。1.5Kmも離れた土谷津入口まで一時間に一本のバスでは不便であるとの要望に「昭和50年度には5億3千万円の赤字見通しのため布施線の延長、増発は不可能」と返答。東武バスに補助金を出せないかという市民からの問いに柏市もつれない返事
11月5日 柏そごう12階「四川飯店」で谷沢健一氏を招いてのセリーグ優勝中日ドラゴンズ祝賀会挙行
12月12日 柏営業所柏駅西口発若柴循環バスが殖産住宅前停留所から降車口に乗客の女子大生の右手を挟んだまま300メートル引きずり頭蓋骨骨折を負わせる。運転士は「大したことはあるまい」と運行業務を終えてから柏署に届け、業務上過失傷害容疑で取調べ
1975年昭和50 4月1日 光ヶ丘線向根バス停前に県立柏南高等学校(三石琴乃出身)が開校
5月11日

柏営業所管内の乗合車両に老人・身障者対象の「優先席」を設ける

7月26日 スカイプラザ柏1F東武バス前に東武商事ジューススタンド「フルーツ柏」開店!
8月4日 梅林堂関谷氏の四女で女優の関谷ますみが日本テレビ「おはようこどもショー」の司会になる
  8月10日頃 柏市団地自治連合と東武労組が共同で鉄道本社から建設約束を得ていた柏駅西口バスのりば3ヶ所の「上屋根」が完成
8月20日 東武鉄道、流山駅-松戸駅間を廃止し野田市駅-流山駅前線とす
10月1日 東武鉄道、野田市駅貨物構内線をキッコーマン醤油(株)と秦野精麦(株)に限る車扱貨物専用線とし一般扱貨物を廃止、取扱業務を総武通運への全面委託とす。

同日、境営業所下妻出張所(配属13輌)、下妻駅前車庫が著しく狭隘のため下妻市下妻字並木198番地の1、茨城急行自動車下妻営業所の借用を開始。
乗務員詰所・自転車置場・燃料タンクや自動洗車機を茨急社と共用する
11月 柏市議会で自動車事業局大宮業務部よりの若柴循環線の増便・柏管内不採算路線廃止通告の報告
同月、運河橋架替工事に伴い野田~流山間東亀山バス停を移動
1976年昭和51 1月4日 茨城県石下町撮影協力のNHK大河ドラマ「風と雲と虹と」放送開始、将門ブーム勃興し日本経済新聞の特集記事に石下岩井間に茨急バスと誤記されている(関東鉄道バスが正)
2月3日 三井団地自治会が柏駅-布施線の増回を柏市長に三たび陳情
2月14日 プロテニスプレーヤー沢松和子選手が柏ローンテニスクラブ吉田宗弘氏と結婚する
3月15日 柏駅東口スクランブル交差点に盲人用音響式信号機が設置される
4月8日 柏-豊四季-流山線の公民館停留所前にある旧日本軍廃材で建てられた富士見町公民館が朽ち果ててしまったので取壊しのうえ富士見町青年館を建てる
5月 この頃までに境長井戸車庫-野田市駅線(境営業所)ワンマン化なる。東武鉄道にワンマンバスが登場して10年目を迎えワンマン実施率81.6%に達しツーマンダイヤ383まで減少
野田市駅頭に野田営業所管内路線図板が建てられる
11月1日 野田営業所、柏~三井団地間運行開始、全車ワンマン車両で柏駅へ15本/日、北柏駅入口へ10本/日。途中停留所名に翌月制定予定の新地名「布施新町」と名付ける
柏市大青田の新興住宅地住人、路線バス期成同盟を結成し東武バスと交渉を始める
1977年昭和52 2月21日 茨城急行自動車が下妻営業所を廃止し岩井市辺田字大六天349番地の17に新設した岩井営業所へ本社業務を移転
5月11日 流山鉄道、松戸駅西に6F建て商業ビル「流山鉄道ビル」を完成させる
10月15日 バスターミナル着工のため柏駅西口の全てのバスのりばが大和銀行裏「島田駐車場」に移転
11月28日 幸手駅-関宿線(幸手出張所)がワンマン路線になる
1978年昭和53 3月31日 沼南町役場、公募のうえ日本住宅公団の仮称沼南台団地一帯を「大津ヶ丘」と地名改正、同日阪東自動車柏駅東口-大津ヶ丘団地間開通
10月20日 旧水戸街道で排水不良改修工事開始され柏-野田線経路が国道6号廻りとなったため「ぢがね橋」停留所当面使用休止
12月2日 消費者団体千葉県連合会が国鉄千葉駅、柏駅他県下12駅で一斉バス運行実態調査を実施、定刻発車は3割ほど、ほとんど遅延だが中には早発するバスもあり
12月6日 春日部駅野田線ホーム上に「春日部ラーメン」オープン!
  12月23日 柏駅東口で火災発生しバス大幅に遅延または運休す

次回へ続く