他者をおとしめることでは… | フクロウのひとりごと

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愛知県在住のトロンボーン吹き、作編曲家、吹奏楽指導者。
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なにかの価値を伝えるために、なにかの良さをわかってもらうために、また、自分の価値を感じるために、そのほかのものをおとしめること、あなたはしてはいませんか。他者を下に見ることで、自分の位置を高くするの?

こんばんは。
トロンボーン吹きで作編曲家、吹奏楽指導者の福見吉朗です。

 


 

 

  辞任知事

 

他者をおとしめる発言(失言?)を繰り返して辞任した大バカ知事が、最近いましたよね。
よくあれで知事なんか出来ていたものだと呆れるばかりですが、でも…
みなさんもありませんか。
なにか他者をおとしめることで、自分や仲間、自分の選んだものの価値を主張したこと…
他者とくらべて優れていると思い込むことで、自分には価値があると思ったこと…
でも…
他者をおとしめなければ見いだせないような価値って、いったい何なのでしょうか。
 

 

  あんなのはダメだよ?

 

「あんなのはダメだよ」、「あんなやつダメだよ」…
そんなふうに言って、自分が選んだものは価値があると主張する人っていますよね。
「あんなものは音楽ではない」とか…
そうやって上下関係をつけてなにかを見下すことでしか、価値を見いだせないのでしょうか。
それって、ほんとうには良さを見ていない、わかっていないということではないかと思うのです。
そもそも、『ダメなもの』なんて、世の中にそうそうあるものではないです。
それは多くの場合、その言っている人が、それをダメだと決めつけているだけなのです。
そしてそれは、なんの価値も生み出さないこと。
それどころか、その言っている人のレベルさえ知れてしまうことなのです。
ほんとうにちゃんとした人は、「あんなのはダメだ」なんて決して言わないのです。
 

 

  優秀だね?

 

人をほめるとき、たとえば教えていて、よく出来たとほめるとき…
「こんなに出来る人、なかなかいないよ」なんて言ってしまうこと、ありませんか。
「これ、普通なかなか出来ないんだけど偉いね」とか…
ふと考えるのですが…
それって、他者とくらべてそれよりも優れていると言っているということですよね。
他者や平均的なところよりも優れている、だから「優秀だね」ということ…
それって、どうなんでしょうか。
ある意味、他者をおとしめているのと同じなのではないか、そんなふうにも思うのです。
尤も、あんまり考えすぎるとなんにも言えなくなってしまうのでしょうが…
 

 

  存在意義

 

人間の存在意義、価値ってなんでしょうか。
他者よりも優れていること、でしょうか。
人には出来ないようなことが出来ること、それはたしかに魅力的なことです。
価値にもなるでしょう。でも…
それは、ただ単に『その一面において』優れているというだけのこと。
決してそれで、『人間としての価値』が決まる訳ではないと思うのです。
そのことは、忘れてはならないところだと思うのですよね。
別の面においては、相手の方が優れている、そんなことはいくらでもあるのです。
そしてそもそも…
 

 

  くらべること

 

くらべること、なにかのモノサシで序列をつけること、それって何なのでしょうか。
もちろん、たとえば誰かのことを『素敵な人だ』と思うのだってじつは、
過去に出会った人たちとの比較、なのかもしれません。
でも、はたしてほんとうに大切なことって、他者よりも優れていること、なのでしょうか。
それは一時の指標にはなるのかもしれませんが、ほんとうに価値あるものは実はそこではなくて、
個性に魅力を見いだしたり、成長を見つけられたりすることなのではないでしょうか。
他者をおとしめたり否定したりする態度は、その対極にあるものだと思うのです。
正方向に意識が向いているのか、負の方向に向いているのか、ということ。

さて、あなたはほんとうの価値、見いだせていますか。