「井伊谷の日」に『おんな城主直虎』の恋愛展開と「本能寺が変」を振り返って見た(^^)

超久々のブログ更新(^^)
ただ今、「11月はおんな城主直虎月間」としてツイッターで2017年大河ドラマ『おんな城主直虎』を振り返っていますが、naokoroさんからとても面白いリプをいただきました(^^)

*****以下引用*****
naokoro鳥トラの顔(大河直虎大好き)
@naokoro10
返信先:
@SagaraSouju
さん
恋愛展開と本能寺が変ネタ以外は意外とすきがない作りでよくまあ、と思いますw
私は史料の読み込みなど出来てないひとですが
午後11:00 · 2020年11月3日
*****以上引用*****

「恋愛展開と本能寺が変ネタ」も、荒唐無稽に見えますが、野良研究者のそれがしの目には、鋭いものも感じられました。

それがし、放送前の直虎のNHKのリリースの、影響を与えた「四人の男」というのも、架空キャラ龍雲丸も、

「なに、四人の男だあ? 龍雲丸だあ?」

とものすごくうさん臭く思ってましたし、直虎が「農婦」になるというマル秘情報も、

「はあ、農婦??? 爆死か!?
(^^;)」

と危ぶんでいたのですが、実際にドラマを見て、考えを改めました。

今の史料では、井伊直盛娘の男性遍歴なんて、誰も実証できないんです。
直虎が龍雲丸とくっつく展開は、

「あんたたち、女がみんな大人しく死んだいいなずけのことだけ想って死ぬと思ってるの?」

と男性の研究者と視聴者が問い詰められた気がしました。

少なくともそれがしは、井伊直盛娘が許婚直親の遺児直政を盛り立てて、恋愛とは無縁なけなげな一生を終えたと決めつけてました。『井伊家伝記』も、その後の郷土史家も、直虎処女願望があると思います。

終盤に登場した自然(じねん)ちゃんが光秀の子なのに、直虎がとっさの思いつきで「信長の子じゃ!」と言い張る展開も、それがし

「なにい!?光秀の子だあ!?」

とぶっ飛ばされたのですが、龍潭寺四世住職悦岫永怡(えっしゅうようい)が信長の子だという怪しい伝承があり、誰の子でもあり得る。

それがし、ずっと前に龍潭寺ホームページに四世住職が信長の子で、信長からもらった天目茶碗の写真が掲載されているのを見て

「ふーん、ありがちなお話だな」

とだけ思って忘れていたのですが、このシーンを見て、森下さんは、このエピソードもよく考えて脚本に盛り込んだな、と感服しました。

悦岫は誰の子か? 信長の子だったらほっておかれないと思いますので、井伊谷周辺の高位の人の訳ありの隠し子ではないでしょうか?

それがし森下さんのおかげで「龍潭寺四世は誰の子?…ま、まさか直盛娘の不義の子じゃないよね?」とドキドキすることがあります(^^)

ちなみに、数少ない一次史料、井伊谷徳政関連文書からは、「次郎法師」または「井伊次郎」は「小野但馬」と「瀬戸方久」と親しかった印象を受けます。

徳政実施を求めて駿府に長期滞在していた匂坂直興は、蜂前神社禰宜への書状で、「二郎殿」が徳政をやると言うよう小野但馬に説得してもらいたい、と書き送っています。「二郎殿」は小野但馬の言う事なら聞くかも知れない、そう直興は思っていたわけです。直興の書状から察するに、小野但馬はおそらく井伊側の代理人として、駿府と井伊谷を往復していました。

瀬戸方久は、井伊次郎が徳政を渋っていた理由「銭主の難渋」の銭主で、曾祖父直平おじじの冥福のために「次郎法師」が鐘を福満寺に寄進したとき、資金援助もしているようです。

さらに、氏真ぼったまが方久に徳政免除の書状を出したとき、方久の事は「次郎法師」や年寄や井伊主水佑から聞いているような書きぶりです。

方久はお金の力で次郎法師に恩義を感じさせたのかも知れません。

ただし、瀬戸方久は、家康が遠江国に攻め込んで来た時、ちゃっかり安堵状をもらったのはいいのですが、それからしばらくして、お寺の三重塔を建設途中で亡くなったと言われます。

話を戻しますが、直虎が農婦となって龍雲丸と同棲したのは、史実らしさを犠牲にしてはいますが、直虎のビジュアルと生活が地味すぎるのを防ぐ意味ではよかったと思います。

それがし、直虎が主人公と聞いた時、トンデモない赤マフラーファンタジーで我々「史実ガー」勢を激昂させて爆死も心配でしたが、逆の極端で、逆境に耐えるけなげで地味すぎる尼さんのお涙ちょうだいドラマで爆死、と言うのも心配でした。

それがしも今川大河ドラマを想像したり、直虎を主人公にした小説を考えてみたことはあるんですが、史実準拠だと、まず、許婚直親と結ばれないので世をはかなんで出家しようとする。

井伊家の重臣中野直由や、新野親矩、直平おじじが次々死んで、やむをえず、おんな地頭になる。当主としてあまり変わった事はせず、基本小野但馬たち重臣の提案を受け入れる。

お金を貸してくれる瀬戸方久に恩義を感じて、徳政令には消極的。今川とそれで駆け引きはあるが、直後に家康侵攻。

その後は、龍潭寺に引きこもって小野但馬たち戦死者の菩提を弔う。

五年後、直親の法要で再会した虎松に井伊家再興を賭けて家康に出仕する手助けをするが、その後も尼僧姿で、虎松改め万千代の活躍を龍潭寺で聞くだけで、読経三昧の日々を過ごす寂しいアウトサイダー。

七年後、本能寺の変頃には病気がちで、横になっている事が多い。本能寺の変を龍潭寺の病床で知り、万千代の安否を心配するが、その知らせを聞いた頃には家康たちは既に危地を脱している。そしてそのまま死去。

すいません、自分で書いてて鬱になりそうなジミー展開ですよ(^^;)。

史実の直虎は家康の遠江国侵攻以後亡くなるまで、直政出仕以外イベントがない。この十三年間の空白はきっついですね。

タイトルを『おんな城主直虎と徳川四天王直政』とかにして、同じキャストで直虎と直政ダブル主役、関ヶ原合戦までやれば、終盤に大イベントがあって、脚本の森下さんは苦しまずにすんだと思います。

しかし、最終回と総集編のラストシーンが

ほんっっっっとうに!!!

素晴らしかったので、結果としてはこれでよかったと思います(^^)

話を戻しますが、龍雲丸とくっついて、農婦としての生活や、その後も尼にならないビジュアルは、史実にとらわれたジミー過ぎる展開よりもよかったと思います。

「本能寺が変」も、トンデモファンタジーと超ジミ爆死の間の細ーいすき間をすり抜けた、

ある意味とてもスリリングwwwな展開でした。

歴史上の大イベントを見逃す手はないですが、それがし、直虎をうまく巻き込む方法は思いつかなかったです。

「尼さんが家康と一緒に伊賀越えか???…しっかし、尼さんが井伊谷で噂を聞くだけってのもなあ……」

しかし、森下さん、さすがはプロ、色々な技を繰り出してましたね。

まず、直虎はやはり赤マフラーせざるを得なかったですが、家康たちの海路のバックアップのために堺まで来ただけで、歴史を破壊するまでには至らず、まあこれでいいか、と思いました。

このドラマでは、直虎が色々ドタバタ奔走するが、徒労に終わったり、逆に史実に残らないおおごとを防いだりして歴史の破壊に至らない展開が結構ありました。

一方で、家康主従や、信長など、本能寺の変の主役たちには色々どきどきするネタが満載でした。


「史実ガー」勢にとっての一番大きなドキドキは、「信長の家康討ち」展開、そうです、

あの明智憲三郎説か!?!?!?

と思わせる展開です(^^)(^^)(^^)

エビ蔵さんの信長、AB長w登場時には、

「何じゃ、この信長の野望もどきは??? おちょくっとんのか???」

と見下した人は多かったのではないでしょうか。それがしは、ホントにそう思いました。

『信長を殺した男』に酷似した光秀にも、

「はあん???」

と思ったものです。

しかし、見た目「魔王」の信長は実は言葉足らずで、家康たちが勝手に誤解しているような場面が多かったです。

信長に謀殺される事を恐れてビクビクしている家康主従。信長に関わった人は大なり小なりそう感じたと思います。

それがしも、

「家康討ち? 明智憲三郎説?」

とドキドキしながら見てました。

しかし、本能寺の変前夜、燈火に照らされながら、信長は家康に贈る茶器を選ぶ。

森下脚本は、同じ人物の二面性やギャップを印象的に表現していて、この時も、

「家康討ちじゃなかった」


とホッとすると同時に、

「うまいな」

と思いました。

直虎が堺で南蛮船を用意していたのも、

「えっ、伊賀越えしないの?船で帰るの???」

とドキドキしましたが、そうならなかったので、

「まあ、そうだよね」

と安堵しました。

一方で信長の家康討ち陰謀論を本気で信じ、光秀と共謀している家康主従は、「アナ雪」wwwこと穴山梅雪にそれを悟られまいと、下手な芝居を打つ。

大河ドラマ俳優たちが芝居が下手な家康主従の三文芝居を演じる。ある意味とてもゴージャスな三文芝居。

そして、それをけげんそうな表情で首をかしげるヒゲモジャの「アナ雪」がおかしかったです。

この場面は、あたかも小劇場のような雰囲気で、面白いメタドラマを感じました。

そして、やはりだましきれないと考え、本多正信がアナ雪主従をあっけなく謀殺。「きれいな家康」に見える事が多かった阿部サダヲ家康ですが、黒い所も見せてこの多面性も面白く感じました。

さらに、このエピソードが、直虎の最期につながる。堺に行って帰ってきて直虎、どうやら病気をもらっていて、その後短い間患って亡くなりました。史実の佑圓尼の死因は分かりませんが、惨めな闘病生活ではなく、ピンピンコロリで、ファンタジー風の終焉でした。これもよかった。

と言うわけで、「本能寺が変」、史実の直虎の事績は完全な真っ白、空白でしたが、寡兵の諸葛孔明が大軍を率いた司馬仲達に対して「空城の計」を用いたかのごとく、神算鬼謀ぶりを発揮してくれました。

ホントに、それがしには想像もできない素晴らしいイリュージョンでした。

「井伊谷の日」の今日、そんな事をあれこれ考えて、思い出し笑いしました。

十一月は、「おんな城主直虎月間」として、また思いついたら書きますね。

今宵はここまでにしとうごさりまする。