新イタリアの誘惑

新イタリアの誘惑

ヨーロッパ・イタリアを中心とした芸術、風景。時々日本。

心ふるえる風景 北中部イタリア編④ トリエステの街ではあちこちで 散歩する偉人たちに出会う

2025-03-25 | 心ふるえる風景 北中部イタリア編

 トリエステにはゆかりのある偉人の像が 何気なく道路上に置かれている

 大運河に架かる赤い橋(ポンテロッソ)の途中には ジェームス・ジョイスが立っている

 ぼうしを斜めにかぶったちょっと粋な姿の彼は 長編小説「ユリシーズ」で世界的に知られる

 

 彼はアイルランド出身だが 1904年から1915年まで

 トリエステに 英語教師として滞在していた

 この地をこよなく愛しており 像の下の碑文には「わが魂はトリエステに在り」と刻まれていた

 運河近くダンテ通りの路上に ステッキをついて散歩中の紳士像がある

 イタリア現代の代表的詩人である ウンベルト・サバ

 彼は1919年トリエステで中古書店「古今書店」を購入し この地で晩年を過ごした

 碑文には「岩の多い山ときらめく海に挟まれた 美しい街があった」と

 トリエステを表現した文章が 残されている

 

 サバを敬愛しイタリアに関する多くの著書を残した須賀敦子は 

 自らの著書「トリエステの坂道」に こんな文章を綴っている

 「サバが愛したトリエステ 重なり合いうねって続く旧市街の黒いスレート屋根の上に

 淡い色の空が広がり その向こうにアドリア海があった」

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

階段紀行・日本 東京編㉞ 大リーグ開幕試合に特別仕様が施された東京ドーム「王・長嶋ゲート」の階段

2025-03-22 | 階段紀行・日本

現在イタリア北中部の風景を連載中ですが、期間限定の階段を見つけたので一回だけ「階段紀行」を挟みます。

 今週、ⅯⅬBの開幕戦ドジャーズ対カブスの試合が東京ドームで開催された。チケットは取れなかったが雰囲気だけでも、とドームに行ってみた。

東京ドームにはジャイアンツの偉大な選手の功績を顕彰する2つの階段がある。対象はもちろん王、長嶋の2選手だ。

 場所は22番ゲート。その一塁側階段が「王ゲート」、三塁側階段が「長嶋ゲート」と命名され、階段上方に月桂樹が施され、壁面にはそれぞれの全身像があしらわれている。

 その階段が3月18,19の両日、特別な変身を見せた。大リーグ仕様に変化したのだ。

 「王ゲート」の階段にはシカゴカブスの文字が入り、球団ロゴも加えられた。

 一方「長嶋ゲート」はドジャーズの文字と球団ロゴ。どちらもチームカラーの青で彩られた。

両球団による開幕試合に合わせてのこの時期限定の模様替えだった。階段まではチケットなしでも入れるため、階段付近で記念写真を撮る人たちが行列を作る大盛況。しばしのイベントを楽しんでいた。

両日はこの試合の観戦者に加えて、チケットはないものの雰囲気だけでも味わおうと数万人ものファンがドーム周辺に詰めかけた(私も含めて・・・)。

 なお王ゲート、長嶋ゲートは、1981年に当時の後楽園球場に設置されたが、同球場解体に伴って消滅していた。

 しかし東京ドーム開場10周年の1997年に改めて復活したものだという。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

心ふるえる風景 北中部イタリア編③ アドリア海の夕陽の中で 髪の長い女性のシルエットが時を止めた

2025-03-18 | 心ふるえる風景 北中部イタリア編

 見上げると 陽が傾き始めていた

 アドリア海に沈みゆく太陽に 埠頭に集う人たちも次第に会話を止め

 沈黙の中で じっとその行方をみつめ続けている

 

 次第に夕陽が 世界を赤く染めて行く 空を 海を 街を

 潮騒のリズムに合わせて きらめく光の粒が

 明るいオレンジから 暗赤色へと変化を続けている

 

 まばゆさというより 吸い込まれてしまいそうな深みを伴う朱色

 そんな光を埠頭で見つめていた 髪の長い女性がふと立ち上がった

 すらりと伸びた体が 濃く彩られた光の中でシルエットとなり 時が止まった

 これまで見たこともなかった 劇的な一瞬

 哀しいまでに美しい光の変化を 見続けて育つ人は

 心に 何を宿すのだろうか

 

 日没後 埠頭から人影が消え 闇の世界に閉ざされて行く様子を

 ポツンと一人見つめ続けている 自分に気づいた時

 世界はすっかり 冬の寒さに支配されてしまっていた

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

心ふるえる風景 北中部イタリア編② トリエステの埠頭で旅の女性が尋ねた「海の向こうは何処?」

2025-03-15 | 心ふるえる風景 北中部イタリア編

 アドリア海の広がる 埠頭に向かった

 海に突き出るように設定された埠頭は モーロ・アウダージェ(勇者の埠頭)と名付けられている

 その突端で釣り糸を垂れていた老人に 旅の途中と思しき若い女性が話しかけた

 

 「この海の向こうに見えるのは どこですか?」

 「向こうかい 向こうもイタリアさ」

 そうトリエステはイタリア 海を挟んだ向こう側もイタリア

 トリエステはイタリア最東部 イタリア半島ではなくヨーロッパ大陸に位置している

 イタリア半島をアドリア海を挟んで向こう側に眺めることの出来る イタリア唯一の都市なのだ

 

 こうした地理的特徴は 歴史を振り返るとトリエステの独自性につながる

 ハプスブルク帝国時代栄華を誇った同帝国の弱点は  内陸国で海への拠点を持たないことだった

 それが 帝国への帰属によってトリエステは 軍事的経済的な発展を担う重要港湾都市の役割が与えられた

 

 だがイタリアに復帰してみると イタリアは半島すべてが海洋基地だらけ

 トリエステは単に 辺境の一都市としての存在に留まることになった

 過去の歴史に対する強い郷愁と ほのかにくすぶる憎悪

 今の置かれた立場への 心の揺らぎ

 そんなエトランゼのイタリアとしての想いが この土地に漂っているように思えた

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

心ふるえる風景 北中部イタリア編① 「イタリアじゃないイタリア」の北の街 トリエステ

2025-03-11 | 心ふるえる風景 北中部イタリア編

今回からはイタリアに戻って 「トリエステ」を訪ねます

 ヴェネツィアから電車に乗って トリエステに到着した

 ここは スロベニアやクロアチアと接した国境の街

 11月の末という季節なのに珍しく気候に恵まれ コートを脱いで駅舎から通りに歩き出した

 

 駅前のリベルタ広場で最初に出会ったのは 多くの従者に囲まれて立つ女性の像だった

 正面に廻ってみると何と彼女はエリザベート オーストリア・ハプスブルク帝国の王女だった

 そこで思い出した ここトリエステがイタリアに復帰したのは第一次世界大戦の後の20世紀

 従ってオーストリアの文化風習が 未だに色濃く残っているのかもしれない

 

 そんな目で見てみると イタリアにしてはちょっと異質な面が浮かび上がる

 街歩きの準備のため最初に入ったカフェは アールヌーヴォー風な内装が施され

 コーヒーもカプチーノだけではなく ちゃんとウインナーコーヒーがあった

 さらにコーヒーと一緒に水が提供された イタリアではほとんどなかったことだ

 

 角の土産物店には何と モーツアルトチョコが店頭に飾られ

 バスターミナルからはスロベニアやクロアチアを結ぶ定期バスが何本も走っている

 カフェの店員に聴くと 「スロベニアから通勤している人もたくさんいますよ」

 と当然のように答えてくれた

 

 前年にイタリア南部を旅した時には 自らの住んでいる町村を強烈に愛するイタリア人に

 何度もびっくりさせられていただけに そんなナショナリズムとはまた一味違った北の街の佇まいに

 新たな思いを感じさせられる トリエステ初日となった

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする