マウミーさんが完成しました。
若宮に続きニコモデル2作目ですが、製作指示がアバウトだったのとめんどくさくなったので細かいパーツは付けずに目立つパーツだけ付けてお開きとしました。
金属パーツ、レジンパーツには瞬間接着剤は相性が悪すぎてストレス溜まるだけなので(指にしかくっつかない)、短気な人は血管を切る前にこんなもの壁に投げつけて作りやすい模型を作るか、いっそ模型は買うだけにしましょう(戒め
マウミーは米大西洋艦隊に属した古株の給油艦だったらしく、WW1では駆逐艦に給油を行い、艦隊型給油の先駆けとなった船らしいです。
WW2では大改造して大西洋の危険な輸送作戦に従事したそうです。
ヨーロッパ戦の終結した1945年5月以降は太平洋でも活動したようです。
たぶん艦体色はタミヤスプレーのヘイズグレーがジャストだったと思うんですが、切らしてたのでエアスペリオリティブルーで塗りました
なんか違う(小並感)ですがこれでいいことにします。
製作は大変でしたが、アメリカの給油艦の模型なんてそうはないので、貴重な経験になりました。
買ってよかったですよ、私はね。
















以下製作工程


給油艦と言うには重武装な艦


いろいろ付いてないパーツもあるけどこれにて組み立て完了

吹いてみて思う。色が違う(小並感
が、こんな感じだろ、と今後も塗装を強行
おまけ

沢根の曼荼羅寺を目指す
この岬は沢根本間氏の居城があった地とされる場所

佐渡征伐における上杉軍上陸地点
上に上げた岬のすぐ裏手で、河原田城からは目と鼻の先です
真昼間からこんなとこに大軍勢を揚陸してたらばれて迎撃されるので、おそらく夜半の闇に紛れて、漁火に擬態してひっそりと上陸したのではないかと(俺が直江兼続ならそうする
あまりにも大胆な上陸で、羽茂本間氏の末裔の方は著書で上杉軍と河原田は内通していて、共に南部に侵攻して羽茂を滅ぼし、河原田当主・本間高統はその祝宴の席で誅殺されたという説を提唱してました。













例の曼荼羅寺。
建立は14世紀に沢根本間摂津守により。
佐渡征伐時、沢根の弟がここの住職を務めており、直江兼続は彼を通じて沢根を寝返らせたと言われてます。
久知軍記でも紹介しましたけど、遺恨や怨恨が連鎖して憎しみが強まり、狭い島の中でも争いの絶えなかった中世の佐渡。
そうした状況を収めようと、越後守護代の長尾氏が佐渡に侵攻するも返り討ちに遭い戦死するなど、その状況は混迷を極めていました。
佐渡征伐が天下人羽柴秀吉による天下惣無事令に佐渡の本間氏が違反したことにより行われること、そうした佐渡の状況を変えるには今しかないと、兼続は手紙で訴えたのでしょうか。
どのみち、それを受け入れていなければ沢根本間氏の血は後世には受け継がれなかったでしょうね。
主家を裏切った沢根・潟上両本間氏は戦後佐渡を離れ、上杉家を新たな主君とし、会津転封と関ヶ原後の米沢減封にも付き従いました。
末裔は山形・酒田で豪商として栄えたらしいです。

昼飯はタリーズでボロネーゼのセットを。
初めてコンビニ弁当じゃないボロネーゼ食べましたわ…
味の染み込んだひき肉の塊が美味かったです


黄砂と花粉で車がドチャクソ汚れてたので、若林石油で洗ってもらいました。
今回は車の中も拭いてもらってこの値段。
お客さんが多くてちょっと待ちましたけど、車はすごい綺麗になったので満足してますわ。