そんな祈りは届きますか…映画『教皇選挙』の感想&考察です。前半パートはネタバレなし、後半パートからネタバレありの構成です。
製作国:アメリカ・イギリス(2024年)
日本公開日:2025年3月20日
監督:エドワード・ベルガー
きょうこうせんきょ
『教皇選挙』物語 簡単紹介
『教皇選挙』感想(ネタバレなし)
2024年最大のクィア映画を選ぶならこれ!?
大統領就任式で言いたい放題だった“ドナルド・トランプ”大統領は翌日のワシントン国立大聖堂での礼拝に参加。そこで前に立った聖公会の“マリアン・エドガー・バッディ”主教の発言が注目を集めました。この主教は「弱い立場」にいる人々への慈悲を願ったのです(The Mary Sue)。
この非常に信仰深い言葉を現アメリカの大統領は気に入らなかったようで、礼拝や主教をボロクソに貶しました。トランプ大統領は宣誓中に聖書に手を置かなかったことでも話題でしたが、あくまで自分を熱狂的に支持してくれる宗教右派が好きなだけで、本音では宗教自体は嫌いなんだろうなという本性がありありと伝わってくるものでした。
今やアメリカでは「クリスチャン」という言葉が持つ精神や意義が剝奪される瀬戸際であり、一部の信仰者は真剣に抵抗しています(ドキュメンタリー『Bad Faith』を参照)。

そんな2024年にキリスト教最大の教派であるカトリック教会の最高指導者にしてバチカン市国の元首であるローマ教皇を描くこの映画が登場したのはまさに時代の投影じゃないでしょうか。
それが本作『教皇選挙』です。
原題は「Conclave」。教皇が死去や辞任などでその座を退いたとき、新しい教皇を枢機卿の投票で決める独特の選挙が行われ、それは「コンクラーベ(コンクラーヴェ)」と呼ばれています。本作はタイトルどおりこのコンクラーベを描く映画です。
教皇やコンクラーベを描く映画は他にもいくつかありましたが、その中でもこの『教皇選挙』は際立った一作です。
まずコンクラーベの様子はリアルに描いていますが、あくまでフィクションで、実話ではなく、実在の教皇や枢機卿を描いてもいません。少し実在の人物や逸話から着想を得ている程度となっています。イギリスの作家“ロバート・ハリス”による2016年の小説が原作です。
そして、『2人のローマ教皇』のようにコミカルさをともないながら教皇の個人の心の内に迫っていく物語のトーンとはまるで違います。

『教皇選挙』はジャンルとしては完全にポリティカル・スリラーです。選挙のために密室空間に閉じ込められた関係者一同が互いの思惑を察しながら、自分が、もしくは自分の支持する人物を教皇に選出しようと画策する…。その関係者たちはそれぞれの政治的信念や派閥があって、これはもう世界の政治の縮図です。題材は教皇の選挙ですけど、大統領など政治のトップを決める選挙と大差ありません。
さらに…これが私の個人的には一番大切な本作の特徴…この『教皇選挙』はクィア映画です。詳細はネタバレになるので言いませんが、性的マイノリティを描いており、かつ非常にLGBTQIA+の権利運動に直結する内容となっています。
『教皇選挙』がクィア映画であるという事実は、宣伝もそうなされないでしょうから、ここで声を大にして言っておきます。別にクィア映画だと知ったからって面白くなくなるわけではありませんからね。むしろ「クィア映画なの!?」と関心を持って映画を観てくれる人が増えるはず。なにせこんなパっと見、おじさんばかりがでてくる映画がクィア映画だなんてなかなか思わないじゃないですか。ノーマークな人も多いでしょうし…。
このアカデミー賞で作品賞にもノミネートされた最もキレキレなクィア・クリスチャン映画『教皇選挙』を監督したのは、リメイク版『西部戦線異状なし』の“エドワード・ベルガー”です。
主演は、『キングスマン:ファースト・エージェント』や『ザ・メニュー』など多彩な作品で名役者っぷりを魅せる“レイフ・ファインズ”。共演は、『スーパーノヴァ』の“スタンリー・トゥッチ”、『スキャンダル』の“ジョン・リスゴー”、『ウエスト・エンド殺人事件』の“ルシアン・ムサマティ”、『墓泥棒と失われた女神』の“イザベラ・ロッセリーニ”など。
ぜひ固唾を飲んでその投票結果を見守ってください。
『教皇選挙』を観る前のQ&A
鑑賞の案内チェック
基本 | — |
キッズ | 大人の会話劇が多く、低年齢の子どもには退屈かもしれません。 |
『教皇選挙』感想/考察(ネタバレあり)
あらすじ(前半)
バチカンの夜の街を歩くひとりの男。彼はイギリスの枢機卿トーマス・ローレンスです。こんな夜中にわざわざ向かったのは同じく枢機卿が集結するある建物の一室。みんな一様に表情は暗く、沈黙しています。
それもそのはず、教皇が静かに息を引き取ったのです。心臓発作でした。ローレンスはベッドに横たわる教皇の傍に他の枢機卿とともに並び、追悼します。手順に従い、遺体は運び出され、この部屋の扉は赤いリボンで閉鎖され、蝋で封されます。
悲しんでばかりもいられません。次の教皇を決めなくてはいけないのです。
教皇を直接に補佐する「枢機卿団」の中からひとりが投票で選出されます。投票は枢機卿だけで極秘に行われ、選出されるまで何度も投票が繰り返されます。ローレンスはその選挙を取り仕切る重要な役を任命されました。
100人を超える候補者たちの中、有力な候補が数名いました。アメリカ出身のバチカン教区のアルド・ベリーニ枢機卿、カナダのモントリオール教区のジョセフ・トランブレ枢機卿、ナイジェリアのジョシュア・アデイエミ枢機卿、イタリアのベネチア教区のゴッフレド・テデスコ枢機卿。この4人です。
2週間後、枢機卿たち一同がシスティーナ礼拝堂に揃います。ここで投票が行われます。投票が終わるまでずっとこの周辺関連施設で寝泊まりです。過去には不正や侵入者もあったことから、厳重な警備体制で、枢機卿も持ち物チェックを受け、外部との接続は遮断されます。
ローレンスはこの選挙「コンクラーベ」が厳粛に行われるように細心の注意を払って進行をしないといけません。不測の事態は避けないといけません。この外では大勢の信徒とマスコミがこぞって注目しています。誰が選ばれるにせよ新たな教皇の船出がいきなり最悪のかたちになってはいけないのです。
しかし、教皇庁長官のヤヌシュ・ウォジニャクから、前教皇は死去した夜にトランブレ枢機卿と会っていたらしく、何でも辞任を要求したという看過できない情報を聞きつけます。
さらに前教皇が前年に突然に枢機卿に任命したメキシコ出身のカブール教区のヴィンセント・ベニテス枢機卿も現れました。なぜそのような異例の任命になったのかは謎で、彼についても不確かなところがありました。
第1回の投票がさっそく実施。開票すると、必要な3分の2の多数票を獲得した者はおらず、また後日にやり直しとなります。しかし、その1回目の投票では、アデイエミ枢機卿がわずかに優勢でした。
こうして次の準備が進む中、ローレンスはまたもある枢機卿も不穏な話を耳にしてしまい…。
現代社会の政治の縮図

ここから『教皇選挙』のネタバレありの感想本文です。
『教皇選挙』は閉鎖空間でポリティカルな駆け引きが静かに勃発し続け、そのシチュエーションはまさに現代社会の政治の縮図です。宗教は政治と無縁ではいられません。
各有力な枢機卿はそれぞれ政治的スペクトラムのどこかに立っています。
ベリーニは進歩主義。ただし、あくまであの枢機卿団は全体的に保守的なので、その中では進歩主義であるという相対的な評価にすぎません。同性愛や離婚について言葉を選びながらの態度は一般的な進歩主義の切れ味とはほど遠く、日和ってる感じが目立ちます。
やはり保守派が多く、その中でも細分されます。トランブレはどちらかと言えば穏健な保守派。テデスコは伝統主義な保守派で、テロ事件の際は思わずなのか反イスラムな発言をぶちかまし、教皇を目指しているのに宗教差別な内面が露呈してしまいます。
リベラル寄りな投票が分散してしまい、やむを得ず、ベリーニがしぶしぶトランブレの支持にまわるあたりも、いかにも現代っぽいですね。あとは保守寄りな票の動向しだいです。最も差別主義的なテデスコに対抗しようとするのも、まあ、よくある流れ。
原作は2016年ですが、映画は2024年に公開され、その間に大きな政治選挙を目にしてしまった私たちにとっては既視感が余計にあります。
そんな中、ローレンスは有力な候補者それぞれの裏の顔を知ってしまい、対処することになります。
初のアフリカ系教皇という明確な目標を目指して当初は順調だったアデイエミは、シスターとの間の不倫というセクシャル・スキャンダルに轟沈。
ベリーニ票も取り込んで優位に立ったと思われたトランブレも、聖職売買(シモニア)という不正行為の発覚で、こちらも撃沈。
ここで気に留めておきたいのは、「悪いこと」をしたらちゃんとその人物は候補者から外れるということです。最近の日本を含めてあちらこちらの政治選挙はこの大事な前提が疎かになっていることが多く、悪いことをした人間が平然とした顔で立候補していたりします。コンクラーベは世界のいろいろな選挙の中でも民主主義とは程遠く、限られた枢機卿(しかも男性)しか投票できません。しかし、それでもこの「悪いことをしたらダメだ」という倫理観が共有されているのはやっぱりすごく重要ですよね。
ローレンスの一番の役目は選挙の進行ですが、いろいろな問題を抱える枢機卿に対峙する、ある種の告解を担っています。このへんは通常の選挙管理委員会とかはやらないような仕事です。
本作はこの選挙サスペンスとして普通にスリリングで、それでいてこのプライベートな内面的対話が挟まれるという信仰的な作品の面白さも兼ね備えており、非常にボリュームがあります。それでも“エドワード・ベルガー”監督らしく、抑制された最小限の構成だけでスマートに見せ切っていくシンプルさもあって、ストイックにまとめられた映画でした。
私の身体は神が作った
さあ、『教皇選挙』の結末の話をします。この話は私の感想では避けて通れないので…。まだ観ていない人は、もうこの感想記事はここで読むのをやめてください。
コンクラーベで最終的に教皇に選出されたのは…まさかのベニテスでした。
しかし、ここでベニテスにも世間に隠していたある事実が明らかになります。
ベニテスは教皇の支援も受けながら、ある医療施設へ通っていました。それはジェンダー・クリニックであり、この示唆から観客にとっても「ベニテスはトランスジェンダー男性なのでは?」という“疑い”(あえてこう表現しています)が浮上します。
荒唐無稽な展開に思えますが、これはトランスベスティゲーションという陰謀論を彷彿とさせます。「あの有名人はトランスジェンダーだ!」と勝手に決めつける行為のことで、2010年代後半から政治の場ではすっかり定着したレトリックとなりました。
『教皇選挙』の場合は陰謀論ほどの悪化はしていませんが、ローレンスは身体的な性別を“調査”していくわけで、それはトランスベスティゲーションとやっていることは変わりありません。
原作は2016年なのでたぶんトランスベスティゲーションを風刺する意図はなかったのかもしれませんけど、2024年はもう例のトランプ選挙キャンペーンといい、トランスベスティゲーションが酷く蔓延りました。『教皇選挙』は偶然にしては凄まじいシンクロをみせましたね。
結論としてベニテスはトランスジェンダーではありません。しかし、出生時に割り当てられた性別は男性でしたが、大人になってたまたま虫垂切除手術を受けた際に、子宮と卵巣を持って生まれていたことを知ります。つまり、ベニテスはインターセックスでした。
インターセックスとは何かについては、以下の記事か、ドキュメンタリー『エブリボディ』を観てください(できればドキュメンタリーをオススメ)。


このベニテスがインターセックスだったと終盤で判明する展開は、典型的な性的マイノリティをオチとして衝撃を与える仕掛けに用いる手法であり、マジカル・クィアのステレオタイプでもあります。
この展開をもって本作を否定的に受け止めるクィアな観客がいても全然理解できます。私も『怪物』の感想で、性的マイノリティがオチで消費されることの問題性を指摘しました。
ただ、個人的にはこの『教皇選挙』は受け入れられました。むしろテンションが上がりました。
というのもそもそも「教皇」という存在自体が打ち消しようがないほどに「マジカル」であり、その教皇がインターセックスで、しかもインターセックスのアイデンティティをはっきり肯定してくれるのですよ。子宮や卵巣の摘出手術も一旦検討しても結局はやりませんでした(教会が進めてきた転向療法の歴史を思えばこれがどういう意味を持つか…)。それを語る際の「自分は神が作ったものだ」のセリフの威力。
インターセックスの権利運動を全面に打ち出す映画が他にあったか?と振り返ると、この『教皇選挙』はレプリゼンテーションの歴史に残ることをやってみせたと思います。
ただでさえ、作中ではずっと枢機卿の後ろめたいスキャンダルばかりが発覚してきました。しかし、このベニテスの“発覚したこと”は何もスキャンダルなどではありません。何の恥にも感じず堂々としているベニテスに、ローレンスも認めざるを得ません。
50代にして最近演技の世界に足を踏み入れたばかりの無名俳優の“カルロス・ディエス”をベニテス役に起用しているのも効果的でしたが、観客もローレンスも不意を突かれるのは、ベニテスが政治的イデオロギーよりも自己アイデンティティ自体で「教皇とは何か?」を証明してみせるからじゃないでしょうか。不確実的なものであろうと信仰を見出し、存在するだけで影響力を与えるということを誰よりもわかっているのはベニテスです。なら存在を肯定してみせないと…。
ベニテスはローレンス以外にインターセックスであると公表していませんが、立場上、いつかは公にすることになるかもしれません。その未来を想像すると…たぶん世界のLGBTQコミュニティは歓喜で大盛り上がりでしょうね…。
いや、あの作中の美術デザインも素晴らしかったですが、実際よりもわざわざ鮮やかな赤にしていたり、ベニテスを踏まえるとキャンプにすら思えてくる…。
ちなみに、本作はそのクィアネスっぷりからインターネットミーム化し、その収益がインターセックスの権利運動に関する慈善団体に寄付されたりもしました(Them)。
別に荒唐無稽なオチでもないでしょう。インターセックスの割合を考えると、100人の枢機卿がいればひとりくらいインターセックス当事者であることは全然あり得ます。
亡くなった教皇が一連の選挙がこの結果になるようにどこまで先手を打って計画していたかはかなり解釈に委ねられますが…。伏線というか、あの前教皇はこうなるように誘導したのでは?と示唆するヒントはあちこちにありましたけども。
最後にカメをローレンスが池に戻すシーンも示唆的でした。多くのカメは孵化時の温度によって性別が決まる生き物です。教皇が選出されて世に誕生したとき、その性別の事実が明らかになる展開とどこか重なります。
そして信仰から心が離れていたローレンスは最後に全てを終え、部屋の窓を開けて新しい空気を感じる。保守的だと思われたカトリック教会も自分だけが知っている“変化”が訪れている…そんな予兆を感じているようでした。
私も信仰の世界でいろいろ傷つけられた人生経験があるから感傷に浸ってしまうのかもしれませんが(ローレンスと重ね合わせているのかも)、『教皇選挙』のような強烈なクィアな宗教映画をもっと味わいたいなと思いました。
シネマンドレイクの個人的評価
LGBTQレプリゼンテーション評価
○(良い)
関連作品紹介
教皇が登場する映画の感想記事です。
・『エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命』
作品ポスター・画像 (C)2024 Conclave Distribution, LLC.
以上、『教皇選挙』の感想でした。
Conclave (2024) [Japanese Review] 『教皇選挙』考察・評価レビュー
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