【再掲】「ありがとう」は thank you ではない | まーりんのまりんエッセンス

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魂・心・体に響き渡る、これから先の時代のエッセンス
「海のエッセンス」「月のエッセンス」の物語

 

 

 

 

 

雨の日曜日

緑が生き生きと輝いてみえます。

小雨をものともせず鹿さんがやってきて、道端の草をもりもり食べています

雨に洗われた草は格別なのかもしれません

 

 

このところずっと太平洋プレートの両端

東南アジア台湾日本あたりと

サンアンドレアス断層を含む北米西岸が揺れて、動きが活性化しています。

気が抜けませんね

 

それとともに

イラン、イスラエルでも揺れが起きています。

 

 

地球は人の想念に応じて変動する、ということから

いま一度みていただきたい記事を再掲します。

ちょうど3年まえ(2021/4/24)のブログです。

 

 

ブログやニュースは日々更新されて

ほんの少し前のことも忘却されてしまう気がしますが、

 

3年という時間はとても長かったようでもあり、あっという間であった気もして、

時間感覚、自分のなかの「時の物差」が通用しなくなった、そういう時代のような気がします。

 

3年まえが思いだせますか?

あるいは、「時間」に対してどんな感覚をもちますか?

 

あっ・・・どんどん話がそれてしまいました

どうぞ 以下も ラクにご覧ください

 

 

******

 

 

 

 

映画「祈り」やインタビュービデオで

村上和雄先生を偲んでおったのですが

 

お話を聞いていたら

 

あれ なんか

同じような話を聞いたことがある・・・!

 

 

そう感じたのが

 

ありがとう

 

という言葉の意味についてです。

 

 

 

 

ありがとう をたくさん言うといい。

そう言ってきた人が日本に2人います。

 

斉藤一人さんと小林正観さん。

 

一人さんは120歳まで生きるつもりとおっしゃってましたが、正観さんは、村上和雄博士より先にお亡くなりになっています。 しかし正観さんは、最後のギリギリまで仲間と呼べる方々に囲まれて地上を堪能して、爽やかに引き上げて逝かれました。

 

正観さんの講演でyoutube に上がっているなかに、

運よく、わたしが村上博士とも共通すると感じた部分、ありがとうに関する話を見つけました。

 

 

 

 

 

ちょっと文字起こしして

抜き出してみます。

 

***

 

語源大辞典っていうのが

とても日本語の意味を面白く解説している

というのをある先生から聞きましたので


語源大辞典の本を手元にしてからですね
最初に開いた語源の項目というのは何かというと

ここんとこの ありがとう というやつですね

そうならなくていいけど 

なになにしてくださってありがとう

という言葉ですね

で、「ありがとう」という言葉を引いてみたわけです

 

そしたら
ありがとうと言うのは
凄いことが書いてあったんですけど

 

ありがとう という言葉は滅多にない事、有り難いというのは滅多にないという意味

というふうに私は取ってたんですが、

実はそうではなくて

滅多にないことではなくて、有り・得ない・こと

自然現象として有り得ないことが起きたときに使う言葉 なんだそうです。


神仏(かみほとけ)に対して

そのなせる技に対して

称賛する言葉 として使われたものだそうです。


有り得ないことが起きたときに、

神仏を誉め讃え、称賛する言葉として使われた。


人間に対して使われるようになったのは

室町時代以降のことと書いてありました。


これは驚きました。

ありがとう、ありがたい、有り難しという言葉は 実は 

神仏を誉め讃える言葉であって

人間に対して使われた言葉ではないんだそうです。


私たちが目の前の人に美味しいコーヒーを淹れてもらった時に
"このコーヒー美味しいからありがとう"、"ありがとう、美味しいコーヒーを淹れてくれて"って言ったとき
そのコーヒーを淹れてくれた人に対して 「ありがとう」 って言いますね

 

ところが
私たちが その誤解をしながら使っている「ありがとう」
人に対して使うものじゃなかったのに、人に対して使っている「ありがとう」は

口にした瞬間に

その「ありがとう」という言葉を 神が聞いている ということです。

神に届く言葉だから。

だから私たちは人間に対してありがとう をいくら言ってもいいんだけれども

使っちゃいけないのではなくて いくら使ってもいいけど

神は 人に対して使っている言葉だと思わないで 自分のところにくる言葉だとどうも思っているらしい。


(中略)

 

 

で、このことがわかった直後に

「水からの伝言」という 2800円の高い本がありまして

水に対して いろんな言葉だとか条件づけをしたら こんな結晶になりました

っていうのを載せてる本があるんです。

江本勝さんという方がお作りになった。
それで、その本には

ありがとうって言った時と、サンキューと言った時とで結晶が違うという写真が載っています。

92ページと93ページです。
もう何十回も言っているので覚えてしまいました。

左側に92ページで 右側が93ページです
当たり前ですけどね

で、左側にありがとう言った時の結晶写真が載っていて

そのありがとうの結晶写真というのはどういうものかというと

こんな(会場に見せて)

こんな風な結晶写真が載っています。

日本語のありがとう言った時にこういう結晶になるわけですね


で サンキューと言った時の結晶写真が、赤っぽくて

赤ってのは怒りとかイライラの色なんですけれども
ちょっと違う色になっている これは美しいですけどね、割かし
 

なぜ ありがとうとサンキューで、こんなに色や形が違うのがわからなかったので、一応ありがとうとサンキューの写真は載せたけども、それに対しての解説は1行も書いてないんですって。

 

江本さんもわからなかったし、その周りの編集スタッフもわからなかったので、とりあえず書いてないと。
小林正観が世界で初めてその違いに気がついた人ですね。

こんな所で自慢したってしょうがないんですけど(笑)

どういう事に気がついたかというと

いいですか

 

ありがとう という言葉は

人間に対して使ってもいいんですけど、
(右上を指し)神仏(かみほとけ)を称賛する言葉なんですよ
 

サンキューってね

 "I thank you" が略されたもので

私はあなたに感謝するんです

 

 

わかりますか

民主主義の国であるアメリカというのは
目の前の人がやってくれた時に、その人に対してサンキューなんですよ。

あなたに対して感謝している、でも神に感謝しているわけではない

日本の言葉、ありがとうは

ありがとうって目の前の人に言ったとき

(右上を指して)「この人」に対して感謝をしている言葉なんです。

で、実際に私たちは今勘違いをして

人に対してありがとう言っているけれども

それが勘違いかどうかは(右上を指して)「この人」には関係がなく
ありがとう という言葉が届いたとき

自分に向かって言われた言葉だとカウントをするらしい。

 


で、ありがとうと言った言葉とサンキューと言った言葉では

水の結晶の仕方が違うんです。


で、それがそういうことなんだということが分かった。

 

***

 

 

以上です。

 

えっと、パット見では

わかったような、わからんような(笑)

 

「それがそういうこと」 ってどういうことか

もう一度おさらいしておきたい。

 

 

「ありがとう」は、有り難いってこと

 

有り難いってのは、

「滅多にない」ではなくて

「有り得ない」「有り得ない=そうなるはずがないことが起きた」という意味。

 

その有り得ないこと、いわば奇跡が起きたとき、
神やそのなせる技を讃えます

というのが

「ありがとう」の意味。

 

「ありがとう」は、神に向けた言葉。

 

室町時代以降は、神様だけじゃなくて人に感謝するときにも使うようになった。

それでも神は、わたしたちが「ありがとう」と言えば、全部自分=神に向けて言ってるものとして取り扱っているようである。 

 

何でそう言えるのか。

言葉の波動を反映する水の結晶が、「ありがとう」と「thank you」 で違うから。

どちらも、わたしはあなた(人)に感謝する、というつもりで使われている。

しかし、日本語のありがとうは、前述のとおり元々神に対して向けた言葉である。 これ一点が、thank you との違い。 従って、これが水の結晶に違いを生んだ要因。

 

ということは。

いまわたしたちが人に感謝を伝えるために「ありがとう」を使っても、「ありがとう」は、元の意味=神の起こす奇跡を讃えます、そのエネルギーを失ってはいないということです。

 

ひとたび

「ありがとう」という音が、この次元に放たれると

それは眼前の人へ感謝を伝えながら同時に

この事象を起こした神を讃えている。

 

 

わたしの理解では、

正観さんはそう理解したんだ、ということになります。

 

 

 

 

 

 

そして村上和雄博士なんですが、

この正観さんの気づきに匹敵するものを

ゲノム解読作業という、全く別ルートから得ておられる

 

というように

わたしは思ったんですね

 

 

 

 

ちょっと長いですが、滋味に富んだお話で

核心部分以外からも何か受け取れるように感じるので、あえて省略せず長々と書き起こしています。

 

白鳥哲監督映画

『祈り~サムシンググレートとの対話~』

村上和雄博士のインタビューから

 

***

 

21世紀はね

日本の出番が来ると思ってるんですよ

てか出番にしたい。

これはね ダライ・ラマがそう言うんですよ

「21世紀はあなたたちの出番ですよ」って。

 

やっぱ世界から見てるとね

日本はね そういう使命がある ということを最近思いだした。

これはこれで30分ぐらいしゃべれますからね

 

なぜならね 日本はね

やっぱりその 西洋の科学技術を学んだ

そしていろんなこと学んで

経済大国になった

 

しかしね

西洋と違うところはね

やっぱり日本文化の伝統ちゅうのがあるんですよ。

 

これやっぱ

仏教と神道の から来てるね

 

サムシンググレートの世界を感じてる。

 

日本人の 

いただきます もね

もったいない もね

おかげさまさま もね

ありがとう もね

 

正確には英語に訳せない

 

あの裏にはね全部

大自然の働きに対する ほんとに

感謝が含まれている

 

それ一見無くなったように見えるけどね

2千年も続いた伝統はね

スイッチがオフになっただけなんですよ

 

だから わたしの言う

サムシンググレートに感謝する、あるいは

地球に感謝し

太陽に感謝し

水に感謝する

 

それが おかげさまでありね

もったいないでありね

いただきますなんですよ

 

ありがとうもサンキューだけじゃない

有り難いこと

 

生きてるちゅうかな

わたしどもから見ると 

ほんとうに「有り難い」ことなんです。

 

細胞一個ね偶然にできる確率はね

日本でジャンボ宝くじ買うでしょ

一億円当たりますね

飛び上がりますね

 

そんなどころの話じゃない

 

細胞一個偶然にできるのは

一億円のジャンボ宝くじを最低100万回連続当選するような

「有り難い」ことが起こったんです。

 

細胞一個ですよ。

これを60兆持っとるわけです

 

わたしがいま生きてることが有り難い

あなたが生きてることが有り難い

 

そのわたしが あんたに 感謝する

 

素晴らしい言葉なんですよ

 

言葉と言うのはね

文化を表すんです、考え方を

 

わたしどもはね

いただきます おかげさま もったいない ありがとう をね

2千年も3千年も言ってきた。

 

いまそれが少しオフになりかけてんだけど

わたしはね

 

オンにできると思う

 

日本の文化と伝統で。

 

 

そういう国になると

これは世界にとって 非常に

日本はね

大切な尊敬される国になりますよ。

 

そういう国にしたいとわたしは最近思いだしまして

一方では遺伝子の研究をやってんだけど

これから日本のね

世界に向けて出番にしましょうと

 

ということは

日本は世界に役立つ国です

尊敬される国になる

 

そういう国家目標を立てればね

わたしはね

日本はね素晴らしいね国になる。

 

(そう)したいと思っています。

 

それがわたしの大きな夢なんです

 

わたしはそのため

サムシンググレートのメッセンジャーになろうと思ってる

 

サムシンググレートのメッセージを伝えるね

だからそれをこれからやっていきたいと思ってまして

講演したり本を書いたりしてるんです

 

それが私の天命

 

天命を楽しもうと

楽天的にいこうと (笑)

 

 

 

 

※これ書き起こしたまんまの話し言葉ではあるんだけど、本当には伝えきっていません。

実際のお声は、訥々としたなかに強い抑揚があって、お心の内が伝わってくるんです。

ぜひ映画で、先生のお顔とお声で感じてみていただきたいところです。

 

 

 

 

 

 

いかがですか

 

 

わたしもいま気づいたんですが、

期せずして、お二人とも言ってますね

 

ありがとうは thank you と違う、と。

 

 

 

正観さんは、

ありがとうは 有り得ない事象、神の奇跡を讃える言葉

と言った。

 

 

村上博士は、

ありがとうは 有り得ない奇跡のなかに存在していることをサムシング・グレートに感謝する言葉

と言った。

 

 

正観さんは、

「ありがとう」を人に対して使っていても

神はそれをあたかも自分に言われたかのように扱う

つまり、

「ありがとう」と口にすることは、

それが日常行為への感謝であっても、

有り得ないことが起きたと神を讃えていることになる、ということを言った。

 

 

村上博士の捉え方は、それとは少し違う。

われわれが肉体をもっていることもそうだし、生きているということ自体が奇跡である。

(科学は生命体を創り出せてはいない)

 

わたしたちが

日常ととらえている、この次元で体験する事象は

実際のところ

 

「わたし」も 「あなた」も 

この宇宙で起きている事象のひとつであり

 

有り得ない奇跡によって存在する「わたし」が、

有り得ない奇跡によって存在する「あなた」と関わった、という連続する奇跡である

 

だから

あなたへの感謝とは、

あなたという奇跡に対する、サムシンググレートへの感謝。

 

それが、

村上和雄博士の科学の眼でみた「ありがとう」の意味だった。

 

 

 

 

 

これ自分の備忘録のつもりでもあって

色々書き込んでみたんだけど

 

つたない説明

説明になってなかったりするかもですが

読んだ方に何か得るものがありますように。

 

 

 

七色の魔術師まーりん