皆さん、アリとキリギリスの話はご存じですよね。アリは小さな体で遊びもしないでせっせと働き、キリギリスは歌を歌い、自分が思うように過ごした結果、アリには仕事をした貯えがあり、年をとっても、その貯えで優雅に暮らした。しかし、キリギリスは、仕事も満足にしないで、青春を謳歌した日々を送っていたために、年を取って誰もが相手にしなくなり、仕事にもつけず、寂しい人生の週末を迎えることになる。というお話です。

 

人間に例えると、若いうちは、何をしても食べていける仕事に就けます。若いうちはきれいで、若いからと言って、ある程度のことは許されます。何をしても何をやっても自分の思うことができ、自分が自由に生きられます。

 

年を取ると体も衰え、醜くなり、いうことが効かなくなり、仕事にもつけず、自分で思ったこともできない状態になるのです。

若いうちは、未知の将来に希望が持て、希望に向かって生きるので、何とかなるという希望で、生きられるのですが錯覚なのです。

 

未知の将来は、将来に向かって目的のために自分で努力をして目的を達成するために計画をしなければ、達成できないのですが、

何とかなるという人は、そのうちに何とかなると言うような考えが離れずに、なんとなく生きてしまい、自分が年を取ったころには、仕事にもつけず、自分の思ったこともやれないようになるのです。

 

若いうちは有利に生きられますが、年を取ると年のハンデが付きまとい、自由に生きられなくなるのです。

若いうちに人生の経路をしっかりと計画をして生きる必要があるのです。

しっかりした人生の経路を作るには、早ければ早いほうが良いのですが、体が動き働けるうちは、ある程度の年齢は関係ありませんが、目的の範囲は制限させられてしまいます。

 

人によって、満足の度合いが違います。目的の幅は人それずれです。自分で楽しみを作り、ひっそな暮らしでも満足して生きられれば、それで良しです。

 

人間には能力の差がありますので、自分の能力の範囲内での努力を致した結果でよいのです。

それで満足して生きればよいのです。

 

人と比べてはなりません。自分の宇宙と人の宇宙は違うのです。

宇宙はつながっていますが、自分の考え方は宇宙で繋がってはいないのです。

 

人間は、一人一人が、一人の宇宙の中で生きているのです。

自分の考え方や思い方で、景色が変わり、喜怒哀楽も自分の感じ方でいかようにでもなるのです。

 

般若心経の五蘊がすべてを説いています。

色、受、想、行、識、です。形あるもの、熱い寒い、苦しい、爽快と感じること、何かをなそうとすること、残念に思うこと、

楽しい、と思うこと嫌だと思うことなど、全ては自分で作り出し、自分で感じていることなのです。

 

五蘊のすべてが空という意味は、自分の心が作り出しているもので、形あるものでも時間がたてば変化をして消滅するし、ものの考え方も自分で作り出したことであって、最初から何も存在しないものだということから空という。

 

付け加えますが、病院では治せないガンや難病の方は辛い人生を生き抜くには大変でしょうが、正しい考え方をもって希望をもって生きていれば、必ずガンや難病を治してくれる超能力者と縁で神様が結び付けてくれるでしょう。

 

お問い合わせはこちらから。 ◎病院の治療で治せない、ガンや難病や生活に支障のある病の方へお伝えします。
施術を受ける心構えとして、何を差し置いても病を治したいという必死の心境が必要です。
無難になんとなく治したいというのでは奇跡の効果を与えることはできません。
命の危機感をもってください。

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