緩くスピリチュアリティな道を生きる…TAO

いつでも自分らしく…魂の感じるままに…気づいて行く…素直に表現する…そして楽しむ…

ステレオタイプは身近な人間関係の中に。

2024-04-26 | 意識・無意識
  ステレオタイプの時代が崩壊して行ってるという話から
自分がどんなステレオタイプにハマっているかを知るのも必要ですよね。
時代や年代や社会がそのステレオタイプを作っているという事もあるからです。

知ったからと言って直ぐにその型からはみ出すなんて難しい事だと。
自分自身の老後を考えるなら、自分が思う望みの老後を毎日唱えることが必要だという話をしていました。
誰に決めらる事ではなく、社会や政治家が決めるものでもなく、
とにかく自分が望む自分らしい人生。
先ずはかけ離れた望むものでもなく日々の今向き合っている事を望む方向へ抜け出す事でも良い。
毎日その部分を意識して、意識を強めて唱える。
痛みや病気ならお医者様に反抗してでも自分を信じれるぐらいに唱える。
こう言うと、既に諦める人多いですよね (^^;)
自分を信じれるってどうなのって感じで、そんな事絶対ないわと直ぐに言うし思うんでしょうね。

どうせ病気で、これから悪くなるんやと思うより毎日よくなるって唱えながら死んだ方が良いけど。
いつ事がどう変わるかなんて決められていないし、意識を変えてみないと分らない。
いつしか無意識に変わった時にはそんな事忘れているかも知れないしね。
その唱える事より先に自分を知るって大切だという話でもありますが。
そうなると、人間関係って大切で凄い学びや気づきやなと。
同じようなまさしくステレオタイプの集まりかも知れないし、
真逆のタイプの集まりかも知れないし、
サークルや組織だったら、在る型は基本的に同じだけど、いろいろなものが混じっているとか。
その中の影響でハミ出せるかもしれないし、そんな意識を見出すかもしれないし。
先ず他を知らないと。たくさんの心理や意識の素材を知らないといけません。

近年の私の気づきの中で、あるコミュニティに所属してて、自己承認欲求の強い人とよく出逢ってます。
多分自分の中でその自己承認欲求という言葉がいったいどういうものなのか、どんな心理から来ているのかどんな影響があるのかどんな影響を与えるのかがテーマだったからだと思うのですが、そのいろいろ強弱を知るために観せてもらってるって感じです。

そんな自己承認欲求が強い人ほど自分自身に気づいていない。
自分の事を観ていない人が多いなと。
自分を棚の上にあげている人が多いなと。
そして自分をステレオタイプにハメたくない人が多いかなと。
かと言って、自身の事も観えていないので信念も在るほどでも無いという。
ある意味身勝手な。気持ちはあるけど自己主張が強いタイプ。
多分不安症の寂しがりやな孤独を好むようで孤独が怖い、そんな感じ。
人の世界観を尊重しながら人と繋がり融合するという。
表面的なステレオタイプではなく奥では同じ魂だという事の気づきなのかなと。

魂だって同じ魂でも個性があるので奥深いのですが、
根底では繋がっているので、
奥からの表面という事で、自身の中でも何層にも重なった意識、自分の中でもステレオタイプを作っているかも知れないのです。
それが「一つの中にすべてがあり、全ての中に一つがある」という本質にも繋がると。
そんな気付きです (^.^)



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