仁元堂の中村です。
仁元堂は、1999年から三重県津市で開業している「カウンセリング」「整体」「アロマテラピ~の教室」です。
こころのこと、健康のこと、からだのこと、本の話など、色々つぶやいておりますので、のぞいていただけると幸いです。
コメントや感想も、大歓迎です♡

よろしくお願いいたします(*^-^*)
 
仁元堂のつぶやきにようこそ。

いじめについて、
2回ほど書いてきました。

今回もその続きを
書いていこうと思います。

前回の記事はこちら


小学生のころ、
(詳細は忘れましたが)いじめにあい、
誰に相談してよいかわからず、

とうとう
「電話相談」に電話してみました。

親にも言えず、

かといって、
信頼できる人は見つからず

(学校で友達(?)に言おうものなら、
 翌日にはみんな知っていますし、
 ネタにされます。

 今ならネットでその日のうちに、
 周知の出来事になりますね)、

結局電話しました。

私の主旨としては、
「悩みを聞いてほしい」のではなく、
「解決策を聞きたい」といった
具体的なものでした。

詳細は覚えていないですが、

当時、
誰か一人をみんなでいじめるというより、

ある「力のある一人(やその周囲にいる人たち)」によって

日替わりでいじめられる人が替わりました。

そのいじめられる人は、
パワーバランスからすると
少しおとなしめの子たちが集まるグループから、
ひとりづつ…。

大した理由はありません。
なんとなくだと思います。

しかも、悪趣味なことに、
今までいじめられていた子は、
別の子がいじめられるといじめから解放されます。


中には蝙蝠のような子もいて、
自分がいじめられなくなると、
積極的に別の子をいじめる側に回る子
もいます。

でも、いじめられたくなければ、
新しくターゲットになった子と
仲良くしていることはできません。


私、正直もうどうでもよくなってきたんですね。

いじめられているのが
ずっと自分だったら、

ほかの子がいじめられないし、

誰かをいじめてまで自分の立場を良くしたくない。


最初のうちは
自分も加担していました。
 
口を利かないとかその程度だったので。

でも、別に正義感とかだけでなく、
本当にばかばかしくなってきたんですよ。

でも、本当に友達がいないのは、寂しい。

せめて学校では話すことができなくても、
そのことで友達をやめてしまうのは、
違うと思うし。

と、こんな感じの時に「電話相談」
に電話をしたんです。

そうしたら、
その電話に出た女性の方が
「それは辛かったね」と言いました。

辛くないんですよ。
どうでもいいんですから
(強がりとは少し違って)。


そうでなく、
解決策を聞きたくて電話しているんです。

その「辛かったね」という言葉に、
当時の私は腹が立ちました。


もう一つエピソードがあります。

私の両親は、
私が小学校3年くらいの時に離婚しています。
母子家庭というやつです。

「お父さんは?」
と何かの時に聞かれて

「いません」という話をあちこちでしました。

別にそのこと自体は
どうということもないのですが、

離婚して父がいないという話になると、

「かわいそう」とか、
「よく頑張ってるね」とか、
「さみしくない?」といわれます。


正直良くわかりません。

なにがかわいそうなのか。

父と母の壮絶なケンカを
毎日見ているほうが
「かわいそう」
だと思うし、

怒られる人が一人なのは
少しお得に感じていた
ので(笑)。

父親がいないことの
開放感のようなものもあったかもしれません。

母が仕事から帰ってくるまでは、
誰も家にいないわけですから
(弟はいましたよ)。

なので、
ある程度の歳になってからはそう言われると、
「(大変なのはきっと)母がね」と答えていました。

母は、大変だったと思います。

だって、
子供二人食べさせていかなければ
いけなかったんですから。

でも、
私は何を頑張っているんでしょう?
…確かに家事手伝いは

母子・父子家庭のほうが多いのかもしれません。

でも、
特にそのことについて
「辛い」とか
「頑張らなければ」と

思ったことはありません。

でも、
その頃は何に違和感があったのか、
わからないままでした。


実は、同じことを私がしていました。

お父さんが転勤族の方で、
ほぼご自宅にいらっしゃらない
中学生の男の子がいました。

年間数日帰ってくるのみ。

思わず私もその方に
「さみしくない?」と聞いてしまいました。

すると
「よく聞かれるんだよね~。
でも、別に僕にとっては普通のことで…」
といわれて、
ハッとしました。

「だよね~(笑)」。

他人と比較したら
「父親が家にいない」ことは、
おかしいことかもしれないけど、

その方にとっては別に普通のことですよね。

「かわいそう」とか
「辛かったね」という言葉に
私が違和感を持っていたのは、
そういうことだったのか!
と腑に落ちました。

母子家庭で育った、私。

いじめにあって
(辛い思いをしているであろう)、私。

という目で、相手の方は捉えていて、
『私』個人は見ていないんだな、と。

『上から目線』的なことだと
思っていましたが、

そうではなく、
十把一絡げに

『母子家庭で育った』とか、
『いじめにあっている』とかっていう

カテゴライズされた存在になっていたことに、
違和感があったんだということが分かりました。

私も自分の不注意から
「お父さんが転勤であまりうちにいなくて寂しい」方と、
決めつけてその方とお話ししていたんだから、
本当に申し訳ないことをしたと思います。

当時を振り返ったので、
いろいろ思い出しましたので、
続けて書いてみようと思いますが、

その当時「いじめ」のループをやめるために、
何が必要だったんでしょうか?

…その答えが、
一人で生きていく力をつける。
ということだったんです。

私が一人でも大丈夫なら、
友達がいなくても良いと思えたのなら、

他の子がターゲットになっていても
関係なくいられた
でしょうし、

強い子たちにも
「おかしい」と
はっきりいうことができなのではないか

思います。

でも、人は一人ではいられません。

たくさんの人に支えられて、
たくさんの人と共存して生きています。

そんなに簡単に
いじめの問題が解決するとは思えません。

私にだって、
波長が合う人も、
少し距離を取りたい方もいます。

お互いを尊重しつつ、
自分は自分の足でしっかり立って、

そして、共存して生きていく。


それができたら、
きっといじめは少なくなるのではないかと思います。

そして、それができていたら、

きっと「かわいそう」とかそういう言葉は
出ないのではないかと思います。

たぶん電話相談の方から私が感じたのは、

私を尊重するのではなく、
同情されたことに違和感があり、
腹が立ったんだと思います。


いじめは交通事故と同じです。

なくそうと思って
なくなるものではありません。

でも、環境を整えることはできます。

教育もそうかもしれないし、
周囲の配慮かもしれないし。

いじめや交通事故を
「なくそう」は努力目標であって、
理想論です。

「ある」という前提に立つ、
ということです。

それを意識して共有することができれば、
きっと少し何かが変わる気がします。

今回はこのあたりで終わりにしたいと思います。
ここまでお読みいただきまして、ありがとうございました。
ご意見やご感想など、いただけると嬉しです。
 

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