【中学受験】SAPIXでの思い出 2(生徒から目線 編)

 
【中学受験】SAPIXの霜山先生(イモ)
 
【中学受験】SAPIXでの思い出 1(イントロダクション編)
 
このシリーズの続きです。
今回はWisardで算数を授業をしており、
このブログを書いているアベが小学生時代に通っていた、
SAPIXの思い出編1です。
 
いくつか記憶の残るエピソードを挙げていきます。
超有名な先生で、おそらく現在は中学受験業界を離れている先生以外は、
イニシャル表記とさせていただきます。
 
 

入室したのは5年生の半ばでした。

 
当時、SAPIXはTAPという現在はなくなった教室から
分離独立したばかりの教室でした。
 
独立の際は訴訟になっていたようで、
詳しくお知りになりたい方はお調べになってみてください。
(東京地方裁判所 平成2年(ワ)2242号 判決 1993年8月25日)
 
 
超わかりやすく言えば、学習塾の内紛です。
結果、今でいうαクラスを担当する名物講師たちが
代表 霜山先生に率いられてまとまって辞職し、
新しくSAPIXを作ったわけです。
 
訴訟はその際に生徒を引き抜いた/引き抜かない、
教材を盗用した/盗用していない、
のような紛争だったようです。
 
SAPIXの設立に伴い、
生徒がまとまって移籍したような背景があったようです。
正直、算数の霜山先生の授業力は凄まじかったため、
当然かな、とは思います。
(ちょっと信者っぽい言い方になってしまいますが……)
 
 
さて、僕はそんな内情はまったく知りませんでした。
当時、4年生から通っていた地元の教室の先生も、
TAPから独立した先生が運営している教室で、
僕は4科目の単元学習をして中学受験するならSAPIXをお勧めする、
ということで、入室する流れになりました。
 
 

なんと、いきなり入室テストに落ちる

 
というわけで、お勧めされて入室したかと思いきや…………。
 
実は入室前に事件が起きます。
これは、つい最近その教室に近況報告に伺って、
初めて発覚した事実なのですが……。
 
僕はまず、初めに受験した、
 
入室テストに落ちていた
 
らしいです。
 
 
これは本当に記憶がなく、
右も左もわからずテストを受けに行き、
状況をよく理解しておらず、
忘れたというよりは、知らされていなかった、
ということのようなのですが………。
 
お世話になった先生から、
 
「とりあえずサピに入れて勉強してもらおうと思ったら、
お前がいきなりテストに落ちるものだから、かなり焦った」

 
 
を言われたので、確定事項です。
 
設立当初で、生徒を集めたかったはずのSAPIXからお断りされるとは、
 
当時の僕の学力とは
いったい……………???(笑)

 
 

当時は東京校と西東京校の2校舎のみ

 
今でこそ、多くの校舎を展開しているSAPIXですが、
当時は2校舎のみでした。
僕は日本橋/人形町/馬喰横山にあった、
東京校に通っていました。
 
受付と職員室のあるビルと、
8F建ての教室のあるビルで、
1Fに2教室しかなかったので、今と比べるとかなり小規模だったはずです。
 
 
当時は座席表なしで、自由席。
先生は出席をとりながら、生徒の名前を憶えていたようです。
 
 

授業がとても面白かった!!!

 
SAPIXの授業は非常に面白かったです。
先生たちもクラスメイトもキャラが立っており、
正直、最高でした。
 
なんというか、熱量があったというか…………、
あれが原体験になって、
いまの授業のしかたにもつながっていると思います。
 
 
これは、ものすごく昔の話です。
 
いまのようにSAPIXのメソッド/教材をどのように活かすか、
で差がついていく、というような成熟段階からは程遠い時期でした。
 
とにかく面白い授業を受けられる教室に、
元気よく通っていたら、
気がついたら2/1の試験会場にいた…………、
ようなかたちだったように思います。
 
 
まだまだ語り足りないのですが、
この記事、需要があるのか少し不安です……。
 
 
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