手話通訳者のブログ

田舎の登録手話通訳者のブログです。

馬鹿馬鹿しい。

2017-05-07 05:38:03 | 手話
「新しいとは何が新しいのか意味不明です。聞いたことがないカタカナことばを手話にしてろうあ者に知らせていると思い込んでいる人へ。古いと決めつける手話を知らないでしょう。宇宙、インクルージョン、合理的配慮などなど簡単にーいわゆる昔の手話ーで表現できますよ。古い手話なるものを知らないで、とやかく、これが正しい手話なんてろうあ者の人に対して失礼でしょう。」

もっと考えてからコメントしなはれ。

12 コメント

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馬鹿馬鹿しいとは? (ある手話通訳しているひとり)
2017-05-07 13:05:54
いつもブログを読ませていただいています。今回特に気になったので書かせていただきます。新しい手話を創ることは、手話研究の場において、限定的な場面において、やっていただきたい。と新しい手話を一定肯定されて書かれていますね。なのにコメントは馬鹿馬鹿しいとは矛盾しませんか。問題は、時代に応じた手話はろうあ者の人たちが自分たちなりに表現してきたものでしょう。それを誰が新しい手話を創っているのか、創るという表現でいいのか、を考えておられないのでは。合理的配慮。この言葉を肯定されますか。原文は、(障害者の要求に対して)出来うることをするということですから従来の手話で通訳できますよね。馬鹿馬鹿しいのはカタカナ文字の氾濫や造語の氾濫が横行していることで混乱させられていることではないですか。と、思います。
心配 (はまかぜ)
2017-05-21 17:34:59
最近 投稿がないんで心配してます あなたの考え 意見は 僕のような新米手話通訳者には参考になるのです 賛成する しないは別 ブログは議論する場ではなく あなたが 意見を言う場だとおもう がんばれ 田舎の(おっさん)通訳者
お久しぶりです。 (ランクル)
2017-05-24 04:14:12
たいしさん、すっかり御無沙汰してしま
いました。

久しぶりに読ませていただきました。

この場をお借りして、読者の皆様に聞い
ていただきたいことがあります。

手話は「ろう者の言語」であります。

昔々、「手まね」と言われていた頃から
ろう者が創作し、代々引き継がれて現在
に至っていることは、ご存じの通りであ
ります。

ろう者の言語である「手話」は、手話通
訳者の為の手話ではありません。

手話通訳者は、ろう者の手話を学び、追
究し「ろう者の為の手話通訳者」になっ
ていただきたい、それ以下でもなくそれ
以上でもないと、私はそう思います。

手話通訳者になろうとして頑張っている
方、又は手話通訳者として頑張っていた
だいている方…。

私は敬意を表します。

こういいますと語弊があると思います
が、手話通訳者の主観で創作した手話、
押しつけられた手話、ろう者年輩者にし
たら理解不能な手話等々…が、果たしてろ
う者の為にもなっているかどうか?
通訳者が必要にせまられて創作した新し
い手話が、果たしてろう者にしてみたら
本当に必要なのか?
同じ意味であれば今まで使っている手話
でも間に合えばそれを使えばいいし、ろ
う者が使わなかったらそれはもはや手話
ではない。
いたずらに数を増やしても何になるの
か?

少なくとも私の周りのろう者は「手話通
訳研究会」に対して良い思いをしていな
い、これは事実です。
押し付けられるような感じがして面白く
ないという人もいます。
ろう者をさしおいて議題を進められても
なんだかと言う人もいます。
私は、ろう者同士が必要に迫られてああ
だこうだと考えながら、いつの間にかに
出来上がった手話というのが好きです
し、すんなり受け入れられます。

私自身仕事柄、健常者の世界にどっぷり
浸かっています。
たまにろう者と会うと、私自身ろう者で
ありながらもその「屈託のない手話」に
感動してしまいます。
聴覚障害の私がこんなこと言うと変です
が、純粋なその手話に涙腺が緩んでしま
うこともあります。
これは決して上から目線ではなく、久し
く手話と触れ合えた時の「手話っていい
な」と、私の偽らざる想いなのです。
ろう者というのは聴力以外の「4」感に
非常に敏感です。
変に形だけの気取った?通訳者から仕込
まれたろう者が使う手話に、例えろう者
同士でも抵抗を感じてしまいます。私も
そうです。
手話の「方言」も時間が経てば、ろう者
同士なら全然通じ合えます。当事者の私
がそう言って言います。
それを手話通訳者が通じないからと、標
準化に持っていくのもどうかと思ってし
まいますが。

もう1度いわせていただきます。

手話はろう者の言語であって、通訳者の
為の手話でないと。

決して、手話通訳者を邪険にしているの
ではありません。「手話通訳研究会」そのものも否定はしていません。
手話通訳者なりに色々とご苦労はあると
思います。


ただ「その領域」に踏み入れていいかど
うかの見極めを持っていただきたいだけ
なのです。


人間ですので、考えや思うことがそれぞ
れ違って当たり前です。
手話通訳研究会を支持するろう者の
方々、手話通訳者全てに解って頂こう
と、そんな大それたことは考えていませ
んし、上手く言えませんがこういう思い
をしているろう者もいると解って頂きた
いだけです。

あえて批判を受ける覚悟で投稿させてい
ただきました。
言語とは… (もも)
2017-05-25 22:21:59
ランクルさん、ご無沙汰です!
ランクル節、久びさに聞き入りました(笑)
勉強になります。

とは、言っても
まだまだ学習者の身。

サークルなどで、楽しく
会話したり
逆に、全く読み取れなくて
もどかしかったり…

そんな時は、頭のなかの
【音声言語】と【手話】を
ベリベリ!!って
切り離したくなります(笑)

言語は身についているものだから
難しいですよね。

まだまだ、言語について
語れるような立場ではないですが

日常の中で考えることがあります。

また、機会があれば
書き込ませて頂きます。

あ、たいしさん
ご無沙汰してます。

たいしさんの留守中
勝手ながら
ランクルさんへの
手話相談、お許し下さい(笑)
ももさんへ お久しぶりです。 (ランクル)
2017-05-26 02:36:08
http://blog.goo.ne.jp/koumei1230/e/83b02e26f4fe27a36707df06319991f2

たいしさんの過去のブログです。

この内容は、まさに私が言いたかったこ
とを代弁しています。

>手話は生きている。
>そして、手話の躍動感を伝えるため
>に、その時、その場にいたろう者にな
>りきることが必要だと思っている。
>だから、日本語の文脈としておかしく
>ても、生き生きと語られる手話を伝え
>るために、こういう「通訳」をする。

その通りです。


私は、この場合はひとつめの「感動」で
「そうか、今日は僕の誕生日だったん
だ・・・」に持っていけるかどうかで、
その通訳者の素質を見い出すわけですの
で、このブログをたまたま見掛けたこと
で、たいしさんを支持するきっかけにな
りました。
別にあります「手話の入口はパナマ」も
そうです。

私は、今まで数えきれないほどの通訳者
と会いましたが、このようにきちんと根
拠を持ち、筋道立てて説明できる手話通
訳者は、本当に稀なんです。本当に貴重なんです。
ランクルさん、コメントありがとうございます。 (もも)
2017-05-26 21:35:12
うーむ…(苦笑)
私のような学習者に
これは重い…(笑)

…が、しかし
本日、仕事が比較的【暇】
だったので(笑)
自分なりに、この文面を
仕事の合間、合間に
手話表現やってみました!

でも、【歩く】は付けたいかな。
疲れた表情で。

逆に、【電車】省きたい。
疲れた表情で、吊り革を持つ表現で…など。

自分なりに、仕事中考えたりしました(笑)

でも、平面的な文面から
「今日は、僕の誕生日なんだな…」

…と、訳されると
不思議、立体化されますよね。

それが、ランクルさん
たいしさん曰く

「手話は、生きている」
なのかなと…
自分なりに解釈しました。

学習者のくせに、生意気ですが
日常の中で【言語】とはと…
考えることがあります。

あ、あと昨日の私のコメント
読み返してみて
全く、日本語になってなかった
ところがあったので訂正します(汗)

【音声言語】と【手話】を
ベリベリ!って
切り離すことができたら
もっと、簡単に素直に
ろうの人の言葉を読み取ることが
出来るのに(くやし~)

…と、いう意味でした。苦笑

サークルのN先生に
いつも言われています。

「手話を身につけるには
その前に自分達の言葉(国語力)を
ちゃんと身につけなきゃね。
じゃなきゃ、聞こえる人にも
聞こえない人の言葉が
伝えられないでしょ。」

自分の【日本語】に
気をつけなきゃ。(汗)
ランクルさん・ももさん (ミモザ)
2017-05-28 07:31:52
初めまして。
リンクしてある過去の日記を読みました。

通訳中に、原発言を省略するのは、外国語通訳は当たり前にしている事ですが、手話通訳はまだまだ発展途上なので、そうした「通訳のノウハウ」が未完成なのかもしれません。

読み取り通訳の場合、大切なのは、発言者が何を言いたいかを理解し、それを訳出することで、この行為は外国語通訳であっても同じことです。

新しい手話を作ることに関しては、国の意図が元になっています。
言語には主に「生活言語」と「学習言語」とがあります。手話は生活言語で、国が増やしたいのは学習言語の方と思われます。他者とコミュニケーションするには、手話の標準化は不必要ですが、学習面においては、概念と手話とが一致しており、なおかつ手話が標準化されている必要があります。
手話には書き言葉がありません。それゆえ、学習言語についてのみ、標準化が必要なのです。
ですが、標準化において、聴者だけが集まって考えるのではなく、集まるなら、ろう者のみが集まって、新しい手話を考えて欲しい。
そう思っています。
ミモザさんへ (ランクル)
2017-05-30 05:20:55
ミモザさんへ

たいしさんのブログですが…私宛にコメントをいただいたということで、ありがとうございます。

>新しい手話を作ることに関しては、国
>の意図が元になっています。

その「国」とは、どの機関のことでしょ
うか?文部科学省を指しますか?
疎くて申し訳ありません…。

>標準化において、聴者だけが集まって
>考えるのではなく、集まるなら、ろう
>者のみが集まって、新しい手話を考え
>て欲しい。

その通りです。それが理想でもありま
す。ただ…悲しきかな…昔も今も、通訳者
が主導になって進めてしまっているのが
現状です。

言葉に対する解読力が、ろう者はどうし
ても健常者より弱いのです。それを通訳
者がサポートしながら、ろう者に言語を
理解させて、ろう者独自の躍動感にあふ
れる、感動的な手話の創作へ導かせるよ
うなサポートを…、それが理想的でも
あると考えます。
たいしさんへ (ランクル)
2017-06-05 23:07:38

お元気でいらっしゃいますか?

また暴れに?来てください。
(私のブログではありませんが…(^^;))
ランクルです。 (ランクル)
2017-07-26 23:43:39
たいしさんはお休みのようですね…。

コメントを入れていただいたももさん、ミモザさん、はまかぜさん、その他のみなさんへ。お元気ですか?

たいしさんがお休みの間…良ければ私のブログのほうにもいらっしゃいませんか?

手話に関する事とは全く違う内容のブログですが、手話について悩んでいることなど、色々語り合いませんか?(^.^)

http://blog.goo.ne.jp/landcruiser76_2002/follower

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