こんにちは。穎才学院です。
ダースベイダーの曲が流れると、こどもが替え歌を歌うので映画に集中出来ない、というお父さんの(´;ω;`)なTweetが流れてきて以来、「ぎゅーにゅーとーコッペパーンコッペパーン」は私の耳にも刻印されている。
こーゆー替え歌って、
みなさんにもひとつふたつは身に覚えがありませんか。
この手の替え歌が子供(時として大人)の間でひろがっていくとき、それは「文字を媒介としてひろがっていく」のか、「音声を媒介としてひろがっていく」のか、どちらのケースが多いのでしょう。
おそらく、音声を媒介としてひろがっていくケースが多いと思います。
たぶん、圧倒的に多いでしょう。みなさんも、そう思われるのではないですか?
では、ここで「タモリ倶楽部」(テレビ朝日系列)の人気コーナー、「空耳アワー」に触れてみましょう。
「空耳アワー」のコーナーでは、視聴者が発見した「空耳」がおもしろおかしく紹介されるのですが、ご存知ない方のためにその一例をお示しいたします。
こういうのを「空耳」というのです。
では、続いてこちらの「空耳」をどうぞ!
Metallica(メタリカ)というバンドの"Blackened"(ブラックエンド)という曲です。確かに聞こえますよね。
ここからが実験です。次の動画を映像を見ずに耳だけで聴いてみてください。いくつの「空耳」が聴き取れますか?
この動画はMetallicaというバンドとAt The Drive-In(アット・ザ・ドライヴイン)というバンドの楽曲からとられたいくつかの「空耳」をどなたかがご自身で編集されたものです。
とりあえず、Metallica(メタリカ)のパートだけお聴きください。2分30秒ほど、お時間をいただきます。
どうですか?
既に知っていた「空耳」と「ドラえもんでしょ」の「空耳」しか、聴き取れなかったのではないですか?
たぶん、そうだと思います。実は「空耳」は、歌詞の発音が日本語のように聞こえるのでなく、私たちの脳が勝手に日本語のようにそれを聴いているにすぎないのです。
実は、この編集動画の中には、名作といわれる「空耳」がたくさん含まれています。でも、そういった「空耳」は知らない人の耳には聴き取れなかったのではないかと思います。
また、この実験から予測できることは、それだけではありません。
「空耳アワー」では、曲のつくりだけでなく、流される映像のつくりが面白さに関係していると言われます。
実際に、映像のつくりが面白さの大半を占めているという「空耳」も少なくありません。
しかし、今回の実験で、私たちは映像を見ていません。それでも「ドラえもんでしょ」の「空耳」は聴き取れます。
ここでは、いくつかの可能性が予測できます。
そのひとつは、私たちの脳は頭の中に過去に認識した「音声」を蓄えていて、それを折に合わせて瞬時に頭の中から引きだすことができる、という予測です。
私たちの脳は、Metallicaの楽曲の断片を聴きながら、それまでに脳内に蓄えた大量の「音声」の中からそれと一致するものを見つけるというスキャンをしている、という仮説です。
だから、過去に聴いたことのある「空耳」にあたる部分だけ、歌詞が日本語に聴こえる。
そうだとすると、さらに踏み込んだ仮説も可能でしょう。
それは、私たちは字を見た瞬間に頭の中でそれを一度読み終えてしまっていて、次の瞬間に文字を脳内で「音声」として再生しながら、文字を読むということをしている、という仮説です。
「空耳」というのは、音楽を聴きながら、活字で示される歌詞を瞬時に脳内で「音声」再生するという作業で、私たちは文字を見て笑っているようだけれど、実際は文字から呼び起こした「音声」を脳内で再生させて笑っているのです。
では、次の「空耳」を聴いてみましょう。
どうですか?
Don't stop dancin'
というのが
農協牛乳
に聴こえる、という「空耳」です。
確かに、そう聴こえます。
でも実際に歌い手のプリンスさんは、「農協」に含まれるkの子音も、「牛乳」に含まれるgの子音も、発声していません。
でも、私たちの耳には
農ー協ー牛ー乳ー!
と聴こえてしまう。
それは、私たちが「農協牛乳」というテロップを見た瞬間に、頭の中でそれを「音声」として再生し、それに支配された認識しかできていないからではないでしょうか。
この動画の中でタモリさんは「絶対、Don't stop dancin'にきこえない」と言っていますが、一度「農協牛乳」と聴き取ってしまった私たちが「Don't stop dancin'」とそれを聴き取り直す方法はちゃんとあります。
歌詞のタイミングを覚えて、自分で「Don't stop dancin'」と発音しながら、歌詞を聴き取ってみてください。
たぶん、「Don't stop dancin'」と聴き取れると思います。
どうですか?
それくらい、「発音」や「発声」は私たちの言語認識に大きな影響をおよぼしているのです。
何かの拍子に耳から入ってきた替え歌が頭から離れないというのも、目で活字を読みそれを瞬時に頭で「音声」として再生して、実際に発音されていない「音」を聴き取ってしまうというのも、私たちの知覚の何か重要な仕組みと関連している現象である気がしてなりません。
「農協牛乳」や「ドラえもんでしょ」のような単語や短い表現なら、目で捉えてすぐに過不足なく「音声」化できます。
だから「空耳アワー」は気軽に楽しめる。素敵です。
でも、少し長い表現になるとどうでしょう。
日本語であっても、その係り受けを正確に理解するためには、だまって活字を見ているだけでなく、声に出して読んだ方が良い場合があるでしょう。
声に出して音声として日本語の文章を認識することで、脳内での文章理解が深まるのではないでしょうか。
ダースベイダーの曲が流れると、こどもが替え歌を歌うので映画に集中出来ない、というお父さんの(´;ω;`)なTweetが流れてきて以来、「ぎゅーにゅーとーコッペパーンコッペパーン」は私の耳にも刻印されている。
こーゆー替え歌って、
みなさんにもひとつふたつは身に覚えがありませんか。
この手の替え歌が子供(時として大人)の間でひろがっていくとき、それは「文字を媒介としてひろがっていく」のか、「音声を媒介としてひろがっていく」のか、どちらのケースが多いのでしょう。
おそらく、音声を媒介としてひろがっていくケースが多いと思います。
たぶん、圧倒的に多いでしょう。みなさんも、そう思われるのではないですか?
では、ここで「タモリ倶楽部」(テレビ朝日系列)の人気コーナー、「空耳アワー」に触れてみましょう。
「空耳アワー」のコーナーでは、視聴者が発見した「空耳」がおもしろおかしく紹介されるのですが、ご存知ない方のためにその一例をお示しいたします。
こういうのを「空耳」というのです。
では、続いてこちらの「空耳」をどうぞ!
Metallica(メタリカ)というバンドの"Blackened"(ブラックエンド)という曲です。確かに聞こえますよね。
ここからが実験です。次の動画を映像を見ずに耳だけで聴いてみてください。いくつの「空耳」が聴き取れますか?
この動画はMetallicaというバンドとAt The Drive-In(アット・ザ・ドライヴイン)というバンドの楽曲からとられたいくつかの「空耳」をどなたかがご自身で編集されたものです。
とりあえず、Metallica(メタリカ)のパートだけお聴きください。2分30秒ほど、お時間をいただきます。
どうですか?
既に知っていた「空耳」と「ドラえもんでしょ」の「空耳」しか、聴き取れなかったのではないですか?
たぶん、そうだと思います。実は「空耳」は、歌詞の発音が日本語のように聞こえるのでなく、私たちの脳が勝手に日本語のようにそれを聴いているにすぎないのです。
実は、この編集動画の中には、名作といわれる「空耳」がたくさん含まれています。でも、そういった「空耳」は知らない人の耳には聴き取れなかったのではないかと思います。
また、この実験から予測できることは、それだけではありません。
「空耳アワー」では、曲のつくりだけでなく、流される映像のつくりが面白さに関係していると言われます。
実際に、映像のつくりが面白さの大半を占めているという「空耳」も少なくありません。
しかし、今回の実験で、私たちは映像を見ていません。それでも「ドラえもんでしょ」の「空耳」は聴き取れます。
ここでは、いくつかの可能性が予測できます。
そのひとつは、私たちの脳は頭の中に過去に認識した「音声」を蓄えていて、それを折に合わせて瞬時に頭の中から引きだすことができる、という予測です。
私たちの脳は、Metallicaの楽曲の断片を聴きながら、それまでに脳内に蓄えた大量の「音声」の中からそれと一致するものを見つけるというスキャンをしている、という仮説です。
だから、過去に聴いたことのある「空耳」にあたる部分だけ、歌詞が日本語に聴こえる。
そうだとすると、さらに踏み込んだ仮説も可能でしょう。
それは、私たちは字を見た瞬間に頭の中でそれを一度読み終えてしまっていて、次の瞬間に文字を脳内で「音声」として再生しながら、文字を読むということをしている、という仮説です。
「空耳」というのは、音楽を聴きながら、活字で示される歌詞を瞬時に脳内で「音声」再生するという作業で、私たちは文字を見て笑っているようだけれど、実際は文字から呼び起こした「音声」を脳内で再生させて笑っているのです。
では、次の「空耳」を聴いてみましょう。
どうですか?
Don't stop dancin'
というのが
農協牛乳
に聴こえる、という「空耳」です。
確かに、そう聴こえます。
でも実際に歌い手のプリンスさんは、「農協」に含まれるkの子音も、「牛乳」に含まれるgの子音も、発声していません。
でも、私たちの耳には
農ー協ー牛ー乳ー!
と聴こえてしまう。
それは、私たちが「農協牛乳」というテロップを見た瞬間に、頭の中でそれを「音声」として再生し、それに支配された認識しかできていないからではないでしょうか。
この動画の中でタモリさんは「絶対、Don't stop dancin'にきこえない」と言っていますが、一度「農協牛乳」と聴き取ってしまった私たちが「Don't stop dancin'」とそれを聴き取り直す方法はちゃんとあります。
歌詞のタイミングを覚えて、自分で「Don't stop dancin'」と発音しながら、歌詞を聴き取ってみてください。
たぶん、「Don't stop dancin'」と聴き取れると思います。
どうですか?
それくらい、「発音」や「発声」は私たちの言語認識に大きな影響をおよぼしているのです。
何かの拍子に耳から入ってきた替え歌が頭から離れないというのも、目で活字を読みそれを瞬時に頭で「音声」として再生して、実際に発音されていない「音」を聴き取ってしまうというのも、私たちの知覚の何か重要な仕組みと関連している現象である気がしてなりません。
「農協牛乳」や「ドラえもんでしょ」のような単語や短い表現なら、目で捉えてすぐに過不足なく「音声」化できます。
だから「空耳アワー」は気軽に楽しめる。素敵です。
でも、少し長い表現になるとどうでしょう。
日本語であっても、その係り受けを正確に理解するためには、だまって活字を見ているだけでなく、声に出して読んだ方が良い場合があるでしょう。
声に出して音声として日本語の文章を認識することで、脳内での文章理解が深まるのではないでしょうか。