日記

脱線

勉強や仕事をしている時に「脱線」をすることが多いい。
例えば、スマホを弄り出したりネットサーフィンをし出したり妄想し出すって感じ。そういう目的から「脱線」をすることが多々ある。

特に、週明けから週末に向かって「脱線」をする頻度が多くなっている気がして、なんでなのか書き出し。

疲れ(ストレス)が溜まっているから

「脱線」が起きる原因は十中八九「疲れている(ストレスが溜まっている)」からなんだと思う。

だって、週明けから週末に向かうに連れて集中力が低下して、脱線する頻度が増えているもん。
そして、同時に疲労(ストレス)量も増えていると感じるからそうなんじゃないかと思う。

なので、ストレスが原因で脱線が起きるんだと思う。

脱線しても復線する

でも、脱線をしたとしてもある程度時間が経つと集中し出すんだよね(復線する)。

そのことから、ストレスにはゲームの体力ゲージのようなストレスゲージというモノがあって、そのゲージの許容量を超えるとオーバーヒートして一時的に集中力が途切れる。そして、オーバーヒート状態を回復するために脱線をするんじゃないかって思う。

だとすると、週末に向かって脱線をしやすくなるのも当然。だって、週末はストレスが溜まってストレスゲームが常に一杯一杯だから。

なので、通常時なら問題がないちょっとしたストレスでもオーバーヒートを起こしてスタン状態(脱線)に入ってしまうと考えると、週末の脱線頻度が増えることの説明がつく気がする。

ストレスに接する前にはウォーミングアップが大事

もう一つ、脱線はオーバーヒート状態を回復する以外に「これからストレスと相対するぞ!」って感じのウォーミングアップ的な役割がある気がする。

と言うのも、脱線をしている時ってどうでもいいニュースやどうでもいい漫画やどうでもいい動画を見ることが多いいんだけど、それらをしている時に頭の中では目の前の勉強や仕事や作業などのストレスを「どうするか?」って考えている感覚があるんだよね。(自覚は無いがたぶんあるんじゃないかな?って感じ)

なんというか、ストレスそのものを直視するとしんどいから、ニュースや漫画や動画を使って間接的に見ている状態ってイメージ?

まぁ、全く考えていない気もするが、学生時代に図書館や塾の自習室に勉強をしに行く時とかも「席について即集中!」ができたかって思い返すとそうじゃなくて少し携帯を弄ってから勉強をしていたから、図書館や自習室(これから勉強するぞ!)の環境に慣れるためのウォーミングアップは必要なのかもしれない。

そして、そのウォーミングアップは「脱線」中に行われるんじゃないか?って話。

ウォーミングアップが必要なのは準備不足だから

ただ、ウォーミングアップが無くてもすぐに作業ができる時ってのもあるんだよね。

例えば、コワーキングスペースからネカフェに移動して仕事をする時。

僕は普段コワーキングスペースで作業をしていて、コワーキングスペースが閉まるけど仕事が中途半端だとネカフェに行って仕事をする時があるんだけど、その時は直ぐに集中して仕事ができる。

それは、コワーキングスペースでやっていた作業の続きをネカフェでやるっていう感じで、やることが決まっているから脱線せずに作業ができるんだと思う。

そのことから「脱線」というのは「準備不足」によって引き起こされる面もあるんだと思う。

もし、「あれやって、これやって」というのを事前に準備していたのであれば、脱線をすることなく集中して作業ができるんだろうね。実際、学生時代にすぐに勉強に入れなかったのも「どこからやるとか何をすればいい」ってのがいまいちわかってなかった。(勉強する意味もわかってなかった)

まとめると、脱線は「ストレスによるオーバーヒート状態を回復する目的」と「準備不足のため何をするのか決まっていないことによるウォーミングアップ的な役割」の2つ側面から起きているだと思う。

終わりに:ストレスを感じるっておかしくね?

準備不足の方はある程度対策取れそうな感じがするんだけど、ストレスによるオーバーヒート状態はどうするかなぁ…

つか、そもそもストレスを感じるってのがおかしい。

ストレスを感じる時って「思い通り」にならない時に感じるが、そもそも「思い通り」なるって思い込むのが間違い。けど、人は何かを行動をする時に理由が必要で、ある程度「思い通りになる」って思わないと行動ができない。例えば「思い通りにならない(上手くいかない)」ってわかっていたら行動をしない。だから「思い通りなる」と推測を立てて行動をするが故に「思い通りにならない」状態になるとストレスを感じる。って僕が考えた理論がある。

この理論で言うと、仕事は他人が絡むのでストレスを感じるのは仕方がない。けど、僕のストレスの大部分って漫画で、その次に仕事、その次に日記の清書なんだよね。

漫画も日記も仕事ではなく他人が絡まない趣味のようなものだから「上手くいかない(思い通りならない)」ってストレスを感じるのはなんか違うんだよね。

とは言え、そこでストレスを感じる理由もわかる。それは成功体験があるからで、漫画も日記の清書も「上手くいった(思い通りになった)」というような体験が一応はあるんだわ。

その体験と比較をしてしまい、ストレスを感じている。

けど、それがおかしいんだよ。なんというか、その時その時で環境が違うという話で「インターネットが普及する前に上手くいってたビジネスがインターネットの普及で上手くいかなくなった、ストレスだ!」って感じの違和感がある。

過去上手くいったけど、今上手くいかないってのは当然。だって、漫画のストーリーや日記の内容もその時その時で変わるわけで全く同じ状況ではないから。過去の成功体験がそっくりそのまま当てはまるわけがない。

そういったことを僕は理解をしているはずなのに過去の成功体験と比較してストレスを感じている。

人が何か行動をするには理由が必要で、成功体験は行動をしやすい理由ではあるんだけど、なんでその理由を使って行動をしているの?って部分に違和感。

理想としては「上手くいかない、なんで上手くいかないんだろー?」って能天気に捉えたいんだよなぁ。それこそ、趣味とかゲームのような感覚でやりたい。

この辺も、後々考えるかなぁ…
これが上手く行くと、ゲームの代わりに漫画や絵を描くってことができるようになってメリットでかいからなんとかして紐解きたい。

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