写楽湯遊

キャンピングカーで名所旧跡を訪ね、温泉に浸り、たまに山歩き、写真撮影、釣りなどを楽しんでいる夫婦です。

2024年・春の車旅3日目(妻の実家で過ごす)

2024年04月19日 | 車旅紀行

昨夜は妻の実家の庭先でP泊した。

風呂に入る前に体重を測ると2日間で1kg以上増えていた。

この二日間は車の運転と友人宅に座り込んでの歓談で、カロリーを消費する様な運動は皆無だった。

その様な事から今朝は妻と散歩に出掛けた。

震災後、妻の実家は陸前高田の広田湾を一望できる場所に移った。

一本松を遠くに眺める事が出来る。

望遠レンズで引き寄せるとこの様に見える。

歩いて防潮堤に向かうと河口に設けられた水門と海岸で、アイナメを狙って竿を一人で合計8本も出していた。

まだ釣果はゼロだった。

釣れていたら私も竿を出したいところだが、その気にならなかった。

高さ12メートルの堤防が完成してから何回か訪れているが、眺めは殆ど変わっていなかった。

植林した松林も大きく変化は無い。

この木が育ち昔の高田松原を取り戻すのは数十年先になりそうである。

散歩から帰ると間もなく妻の弟と従妹がやって来た。

クルミのタレで味付けされた手作りのヨモギ団子や天ぷらを持って来てくれた。

これが中々の味で美味しく頂きながら談笑した。

津波で全てを流され思い出の写真も失った事から、私が撮りためていた写真から皆が映っている昔の写真をプレゼントした。

写真を食い入るようにみて、当時にタイムスリップ!!

懐かしい思い出話が尽きる事は無かった。

震災時の話になり、今ならその当時の写真も見られると言う。

私と妻はキャンピングカーに支援物資を積み込み、震災後11日目に陸前高田に入った。

当時の惨状に驚愕しながらも、記録に残そうと写真を沢山撮っていた。

それをテレビ画面に写して皆で見る事になった。

次々と映し出される写真は、当時の惨状を記録していた。

妻の実家が有った場所の道路に車を止めて撮った写真です。

地震・津波の破壊力が如何に凄いか、写真が物語っている。

写真を見ると津波の惨状が蘇ったが、生活再建の目処が付いている今は冷静に見る事が出来た。

3月~年末までの10ヶ月間に7回訪れたが、キャンピングカーは災害支援に大活躍した。

今日は昔を思い出しながら過ごした一日になった。

 



最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ふくろうキャンかー)
2024-04-19 20:06:06
震災前の道の駅「高田松原」に立ち寄ったことを思い出します。
松原を散歩しましたがもう無いんですよね。
頑丈な堤防が作られた事で安全は確保された様ですが元の景色は見られないのは残念ですね。
Unknown (kenharu)
2024-04-19 20:15:36
キャンピングカーを入れた最後の写真は強烈です。
12メートル(?)もの堤防で海を見えなくしてしまったのも、大規模な地盤のかさあげ工事も、恐怖心からなんですね。
長いこと、海は見たくない、被災の様子も見たくないという人が多かったようですが、ようやく冷静に振り返られるようになったのでしょうか。
Unknown (写楽湯遊)
2024-04-19 20:40:06
ふくろうキャンカーさんへ
安全を取るか、景観を取るか、究極の選択で、安全を取ったわけですね!
元の松原を見られないのは残念ですが、新しい松原が何十年後に見られるでしょう。
Unknown (写楽湯遊)
2024-04-19 21:32:59
kenharuさんへ
写真はほんの一部です。
実際の惨状は体験した人しか分からないとか思いました。
でも、このような写真を通してでも繰り返し伝え、次世代に伝え続けることが大切ですね‼️
巨大な堤防は良く検討した結果でしようね‼️
恐怖心とは違った観点だと思います。
この評価は1000年~1500年サイクルで起こる同規模の地震が発生するまで、分からないのでは⁉️
その時に、かさ上げしていて良かったとなるのか、
それとも意味なかったとなるのか・・・評価が決まるでしょう⁉️

コメントを投稿