敦賀駅前の都怒我阿羅斯等像(敦賀市) | 神社ぢからと寺ごころ

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寺社を通じて教わった気づきを綴ってまいります。
頂いた御朱印も順次公開していきます。
磐座とか陰陽石を探すほうが多くなってきてましたが、最近では街中の小社ばかり回ってる気がします。

各自治体には、その地の英雄的な人物が当然いますよね。

そして駅前とかにのその銅像が建っていたりしますが、徳川家康とか伊達政宗とか戦国武将であったり近代の著名な人物であることが多いです。

それらは有名な人物なので、なるほどなと思えますよね。

しかしながら、JR敦賀駅前にに建っているのがこの人。
誰かわかります?

都怒我阿羅斯等ですよ。

敦賀といえばもちろんこの人って、僕ですら言われるまで思いつきませんでしたけど、市民はみんな誰かわかってるのだろうか。

都怒我阿羅斯等は『ツヌガアラシト』と読みまして、『ツルガ』の語源になったとも言われています。

日本書紀では、崇神天皇の時、額に角の生えた都怒我阿羅斯等が船で穴門から出雲国を経て笥飯浦に来着したと書かれています。

そしてこれが『角鹿(つぬが)』の語源であり、のちに敦賀に転訛されたと言われています。

もちろん本名ではなく『ツヌガアラシト』って『角がある人』ってことと安易に考えられますがら実際に角があったとは思えませんので、角のような被り物をしていたと推測したいところです。

『角鹿』という漢字を当てている点から推測するに、鹿の角のついた兜を被っていたとしましょう。

本多忠勝の兜のようなものですよ。

銅像でも一応角の生えた兜被ってますよね。

都怒我阿羅斯等が自国にいた時、黄牛の代償として得た白石が美しい童女と化したため、まぐわいをしようとしたら、童女は都怒我阿羅斯等のもとを去って日本に行き、難波並びに豊国の国前郡の比売語曽社の神になったといわれています。

比売許曽神社の御祭神は下照姫ですが、赤留比売の伝説と似通っている点から、天日槍と同一人物であるとも言われています。

この伝承いつも思うのですが、都怒我阿羅斯等も天日槍もキモいです。

天日槍も本名ではなく、大君から賜った名だと思います。

異国人に『天』という天津神に繋がるであろう称号を贈られていることや、都怒我阿羅斯等が帰国の時には、垂仁天皇より、御自身の諱を国につけるようにと贈られたことからも、破格の待遇によって迎えられたことが推測されます。



観光客も誰も写真を撮ろうとしないので、哀愁おびた後ろ姿も。