春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

坂東道 浅草・浅草寺 ❷-❷ 東京都台東区。

2024-05-05 07:41:38 | 坂東札所

👇1649年再建立した後
東京大空襲で焼失し、昭和33年再建した、

坂東札所13番、金龍山・浅草寺。
きっちりかっちり、歴史が見えないコンクリート造りでした。
当時、焼け野原から再興したばかり、
山は無く、伐採も遠くからで、
木造で作るには、莫大な費用が掛かったのでしょう・・・

初代・本堂の造営に携わった大工たちは、
源頼朝さん鶴の人声、ほとんどの人たちが、
鶴岡八幡宮の造営に、呼び寄せられたといいます。



初詣、三社祭、浅草カーニバル、ほうずき市、羽子板市など、
境内はびっしり、年がら年中、

奈良時代からの聖観世音菩薩さん・・・息つく暇もない。






五重塔・・宗教問わず、誰でも供養が出来き、
マザーテレスさん・ダイアナ妃の供養に位牌が、
安置されてると・・・





👇龍図 天人図・川端龍子画伯筆

















浅草に賑わいの帳が降りて
地元の人たちの散歩コース

私も、そろそろ帰りましょう
土産・抹茶のわらび餅
普段の我がままに陰口・陰口
これで一つ減れば
明日は平安
後生大事に・大事、大事に抱えて

コメント (3)
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坂東道 浅草、浅草寺 ❶ 東京都台東区。

2024-05-04 08:25:00 | 坂東札所

ケチ・ケチ道場の弟子になって、眼を輝かせ、
昨日の買い物より、今日は安かったとなれば、
初段の段位を貰えると、内心やったと・・・
なのに、段位もらえるまで、道のりは遠い・・・

関東の観音信仰者には、西国33カ所に訪れる、
道程は厳しく、代表者に行ってもらうという方法を取る・・
関西から来る人も同じでしょうね ‼

坂東道、埼玉県からまた東京にもどり、隅田川へ・・・



浅草・浅草寺、坂東札所13番。
歴史は飛鳥時代、漁師の投網に掛った像を捨てたのに、
場所を変えてもかかるので、持ち帰り、
調べてもらったら、聖観世音菩薩で、藁で作った堂を造り、
祀ったという。
観音様が人の姿で姿を見せると、
一夜にして千株の松が生え、3日後には、金の鱗の龍が、
松林に降りてきたという・・・

ながら、史実を記事にする能力袋は、すでに破裂・・
今回は、江戸時代、見世物小屋で、
曲独楽、辻講釈、居合抜、奇術などの興行で参詣人を喜ばせた、
庶民の文化で時代を先取りした、今の浅草寺風景を・・・ 



👇雷門の提灯は、9歳で火鉢店に生活苦から、
丁稚奉公に出され、
一代で財閥になった、松下幸之助さんが寄進したもの・・














👇一服していて、話しかけられた女性の足元



👇ここで土産、3箱を買う・・





👇本堂は、中門のはるか向こう・・‼





👇手水屋には、明治36年に制作した、
高村光雲さんのブロンズ・・


 本堂👇にたどり着きました
ふぅ~ 💀

関越道上りは35キロの渋滞予報
今日も、昼寝観世音に化身して
ネギ・大葉・茗荷・玉ねぎ・オクラ
隠し味に酢を2~3滴の
汁で揖保の糸そうめん
・・腹いっぱい
まもなく、作業開始です


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すももの実が、日光山から飛んできた、慈恩寺。坂東道・さいたま市。

2024-05-01 20:12:28 | 坂東札所

百日紅が咲いてた8月の参拝でした。
山門から鐘楼を目安に、



咲き終えた藤棚を見上げて



人形の町、岩槻市の坂東札所12番・慈恩寺。
なんつたって、敷地が広い、

以前は13万5千坪もあって、
山林、田畑など、関わるところ、
一帯、慈恩寺村と呼ばれていたらしい。

戦時中、南京駐留の日本軍が土木作業中、
三蔵法師の遺骨を発見し、届け出た。
南京政府からは、三蔵法師の遺骨を日本に贈り、
ここから5分ばかりの、十三重の塔に収められているという。

👇1827年に焼失し、
845年に再建して、昭和12年に改修した観音堂。







右、慈航普渡は、中国では、仏や菩薩は苦海を渡り、
それゆえに慈悲の心で、衆生を救ってくださるという・・



👇これ以上撮影禁止で・・・









昔、824年ごろ、慈覚大師が関東巡錫したとき、
日光山から『すもも』を投げたら、この地に落ち、
千手観音を彫って、堂を建てたという
慈覚大師、すももの実に除魔力を期待して
地域の開発を望んだ伝承

それにしても次の札所13番は
浅草・浅草寺
札所巡り鎌倉から始まったのに
また、鎌倉に戻るようで
💀
 あれ・アレェ~

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坂東道、しのぶれど、世を忍んで・吉見観音。埼玉県比企郡。

2024-04-30 23:07:47 | 坂東札所

しのぶれど・・・淡い思いの熱い心が顔に出るなら、
冷やかされても、腹も立たないけど、
昭和の日、人恋しさに調布の深大寺で見た薔薇👆・・・
風に揺れてた、藤青色の名は 
♫ しのぶれど ♫

しのぶれど色あせて、世を忍び耐え・・・
源頼朝の異母弟、武将にして英知に長けた、源範頼、
頼朝の信頼関係も、忠誠心を疑われ伊豆に流され、
修善寺で討伐される・・・
のに、確かな記録は無く、範頼はひっそり、
ここ比企郡吉見町で、生きてた伝説・・
平安末期の幼少期、範頼はここに身を隠していたという。
坂東札所十一番。岩殿山・安楽寺。







👇虎の彫刻は、左甚五郎の作と伝えられていますが・・



おばあさんに歩調に合わせる、
背筋が通った青年👇疲れが飛んだ、いいひと時だった。












👇範頼が寄進した三重の塔は、焼失し・・











吉見観音周辺は今
吉見町大字御所という地名
吉見御所と尊称された
範頼にちなむと伝えられ
範頼の妻の祖母で
頼朝の乳母でもある比企尼の嘆願により
子の範圓・源昭は助命され
その子孫が吉見氏として続いたとされる

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イーハトーブのねりさん...part Ⅱ

2024-04-29 06:44:26 | Extra


昨日古河市からの帰り、どんよりした空は黄砂かと・・
今は亡くなった、作家安部公房さんが少年期、

奉天で過ごした空も、
こんなだったろうかと、ふと思った。
赤字は今日、昭和の日、4月29日の追記・・・です。
イーハートーブ👇とは、宮沢賢治さんの心象の理想郷だった・・
2019年7月16日にこんな👇記事を書いていました。

梅雨雲の小窓に、三温糖の香りが、プンと立った。
もっぱらの仕事で、
私のイーハートーブがかすんで見える。
さぼろう、ほんの少しだけ。
週刊天気図に晴れマークが点き始めた。
まもなく野菜に、米に、蝉にも、いい日撚りが来る。
天気図を観ていて、出かけに準備していた、
ゆで卵、殻がカタカタ音をたてて、焦げていた。

さぼろう、ほんの少しだけ。
昭和7年、「児童文学」」に宮沢賢治さんの
「グスコーブドリの伝記」が載った。

作家安部公房さんの子供が昨年亡くなった。
産婦人科医で、北海道に住んでいた。
「ねり」さん。
イーハートーブの森に住む、
木こりの子供の、
グスコーブドリのブドリの妹の名が「ねり」

昭和22年、安部公房さんが、女子美専師範科を出た、
山田眞知さんと結婚して、6年後、
生れた長女の名を、
眞知さんは「ねり」にしたいと譲らなかった。
宮沢賢治さんの「グスコーブドリの伝記」を読んだ、
眞知さんの、こころに響いた名前。

宮沢賢治さんの実生活で、
24歳、病気がもとで、
亡くなった妹の名は「トシさん」
作品には、お洒落な名の「ねり」

宮沢賢治さんの朝、昼、夕、
こころから消えなかった妹さん。

安部公房さんはラジオドラマに、
子供向けの物語をたくさん書いている。
晩年、ポツリと語る。
小説は小学校の子供でも判る、
言葉で書かなければならない、のだよなぁ〜!

まもなく、つめたい雲から陽が射す。
そう思うと、仕事への集中力も、
スイッチがパチン、いい音で入る!

さてと・・・・。

医者にならないことを条件に、東大医学部を卒業した、
彼の複眼思考は、私の同年代の男性には大きな影響を与え、
スタジオ創設には、
仲代達矢、新克利、井川比佐志、田中邦衛、山口果林らが・・・
演劇界にも大きな足跡を残してた。
イーハートーブの『ねり】さんの名を娘に付けた眞知さんも
医師だった『ねり』さんも今はいない・・・



庄内砂丘「砂の女」の取材地を歩く

 

コメント (2)
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