『記・紀』神話では、漂っていた大地を完成させる使命を持った伊邪那岐命と伊邪那美命の夫婦神が天沼矛(アメノヌボコ)を渾沌とした大地に突き立てかき回し、矛を引き抜くと、切っ先から滴った雫がオノゴロ島となったとされている。

 

一方、霧島六社権現の一社・霧島東神社(宮崎県高原町)の社伝によると、この天逆鉾は、大国主神の国譲りの時に使われた鉾を、邇邇芸命の天孫降臨の時に譲り渡されて国家平定に役立てられ、その後、国家の安定を願い矛が二度と振るわれることのないようにとの願いをこめて高千穂峰に突き立てたという伝承がある。

 

それではこの逆鉾は本当に邇邇芸命の時代(弥生時代)からあったのか?或いは後の時代に誰かが建てたものなのか、本当の処は解っていないらしい。

 

さて、貴方はこの天逆鉾は何時からあったと思いますか?

 

更に明治時代になると坂本龍馬が姉の乙女に出した手紙に、妻のお龍と新婚旅行で高千穂峰に登り、その時二人で天逆鉾を引き抜いてしまったと書いてあります。

坂本龍馬もこんな罰当たりなことをしているから、それこそ本当に罰が当たって、暗殺されてしまったのでしょうか?

 

因みに竜馬が引き抜いた後、天逆鉾は元通り立てておいたが、その後霧島山が噴火して、逆鉾は火砕流に埋もれてしまい、現在の天逆鉾はレプリカらしいのである。

本物の天逆鉾は後で掘り起こされて島津家に献上され、近くの荒武神社に奉納されたが、その後も様々な人手を転々と渡って現在は行方不明らしいのである。

 

 

 

 

 

この記事を読んで納得された方は下記バナーをクリックして応援の程よろしくお願い致します。

 

 

 


にほんブログ村 歴史ブログ 神話・伝説へ
にほんブログ村