カイト・カフェ

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「教師は意外と世間を見ている」~人生の答え合わせ3・5の①

 学校を出てそのまま学校に入った、
 だから教師は世間知らずーーそうか!?
 そもそもキミたちの知っている学校と、
 私たちの知っている学校とはまるっきり違うのだがね、
 という話。(写真:フォトAC)

【大型連休後半の「私の人生の答え合わせ週間」】

 5月4日(みどりの日)の夜、大学4年の時のゼミ仲間と同窓会を開き旧交を温めました。コロナ禍下のオンラインを除いて、4年ぶり2回目の飲み会です。
 その翌日(5日こどもの日)、大学卒業後に勤めていた会社の先輩と同僚を呼び出し、オンラインのひとりを加えて4人で昼食会を開きました。年賀状や電話でのやりとりを除くと40年ぶりの会合です。
 翌6日の振り替え休業に田舎に戻り、さらに翌日(7日)、ウイークデイだというのに34年前に中学校で担任したときの教え子3人が、私の家を訪ねて来てくれました。3人のうちふたりは東京在住の女子(と言ってもすでに40代半ば過ぎ)、もうひとりは男子で地元(と言っても私の家からは1時間以上の距離)に住んでいて、今回は里帰りした二人を車に乗せて私のところに連れて来てくれたのです。
 34年前の元教え子と言っても女子二人とは一昨年東京で会っており、男子1名も成人式と「二度目成人式」(40歳)の同窓会で会っていますからおよそ6年ぶりになります。懐かしというほどの感じではありません。
 
 ただ今回は昼食を挟んで4人で5時間も話したので、これまでと違ってずいぶん細かなことまでさまざまな話が出てきました。ひとことで言うと、
「ああ児童生徒の見る教室(学校)と教師の見るそれとはずいぶん違うものだなあ」
というのが感想です。

 そこで今日は元教え子たちから見た教室や学校が私の見ていたものとどう違うのか、そのことをお話ししようと思ったのです。ところが書き始めたらあらぬところに筆が滑ってしまい、けれどそれも私の話したかったことなので、「~人生の応え合わせ④」は先に伸ばし(だから3・5)、とりあえず「児童生徒が見る学校と教師の見る学校とは違う」というところから話を始め、「学校の先生って基本的には世間知らずじゃないぞ」という方向に進めていきたいと思います。

【児童生徒が見る学校と教師の見る学校は違う】

 教員を誹謗したがる人の中には、
「教師というのは小学校から大学まで、ずっと学校内で過ごしてそのまま学校に入った人たちだから世間を知らない」
といった論理で「教師は世間知らずだ」を証明した気になっている人がいます。しかしその人は児童生徒として過ごす学校と教員として過ごす学校が、まったく異なるものであることを知りません。これが同じものだったら小中高大と最低でも16年も過ごした場で、大のおとなの教員たちがアタフタと苦労するはずがないのです。

 新任の教師たちが初めての4月~5月を、あるいは最初の数年を、死ぬほど苦労して過ごすのは、よく知っているはずの学校が教員として見るとまるで未知だったからにほかなりません。学校がどんな原理によって動いていて何を責務とし、何を目標に、どう運営されているのか、そうしたことはすべて児童生徒・学生のあずかり知らぬことです。それは教師となって現場に入って、初めて突きつけられる現実です。
 その点で会社員として初めて企業に勤める人とまったく変わりありません。就職活動の中で事前調査もしっかりやったし、企業訪問も繰り返し行った、インターンも経験した、しかし正式に入社して初めて知ることも山ほどあった――。
 先日読んだ新聞記事には「新年度早々に退職する新入社員の大半が、『こんなはずではなかった』という思いに突き動かされて離職する」と書いてありましたが、実際に働いてみると「話が違う」と言いたくなるのは、教員も会社員も同じようなものです。
 
 違っているのは多くの企業に研修期間があって徐々に職場と仕事に慣れていけばいいのに対し、教員は4月1日に初めて現場に行き、8時半に最初の職員会議の席に着いたとたんに古参教師と同じ立場に立たされて、数日後には児童生徒の前で授業をし采配を振るわなくてはならない点です。その瞬間から教師としての責任も問われます。
 考えても見てください。例えば大手不動産屋に就職して、2~3日、営業方針や地域環境の説明を受け、何となく概要が分かったかな? と思ったら4日目からひとりで顧客の相手をさせられている、それと同じです。

 教員は民間企業内のルールや慣習、雰囲気や気の使い方等を知りません。しかし民間企業のサラリーマンは教師に課せられた学校のルールや慣習、雰囲気・気の使い方などを知らないのです。ただそれだけのことです。

【教師は意外と世間を見ている】

 「学校を出て学校に入るのだから世間を何も知らない」と言われることに反論したついでにこの際きちんと言っておきますが、子どもを持つ日本の家庭の内情について、集団として一番詳しいのはおそらく教師です。子どもを通して家庭を見て、家庭の様子から社会を感じます。特に公立の小中学校は子どもを選びませんから、児童生徒を通じて関わる家庭にはありとあらゆる職業や立場、階層の人々が入ってきます。

 私は家庭訪問でとんでもないお屋敷に行ったこともありますし、いかにも貧しいご家庭にうかがったこともあります。小奇麗に片付いているお宅もあれば、おそらく部屋中が散らかっているからなのでしょう、ありとあらゆるところにシーツをかけて覆い隠し、何か鍾乳洞の探検にでも行ったふうな家もありました。母子家庭も父子家庭もあり、やたら横長のテーブルの向こうに私の担任している児童、その両親、祖母、なぜか姉(二人いるウチのひとり)と弟がずらっと並ぶ、まるで“査問”を受けているような家庭訪問もありました。あとで聞くと“その筋”の方の家だったようです。
 
 民間にそこまで多様な人々との関わりを前提とする職業が、どれだけあるのでしょう? 高級ジュエリーの専門店と若者向けのファッションブランド店とでは客層が違ってきません? 街のラーメン屋さんと三ツ星レストランとでは出入りする人が違うでしょ。一流の商社マンが日ごろ取引相手としている中に、警察官、いますか? 自衛隊員はいるかしら? 郵便局の人は? 無職の人は――?
 現職のころ私が対応した保護者には、今あげたような人がほぼ全部いました。さすがに三ツ星レストランのオーナーや従業員はいませんでしたが、日本中にいる私の仲間の中にはきっといるはずです。
 さように私たちは意外と世間をたくさん見ているのです。
(この稿、続く)