栗城史多 NO CRAZY, NO MOUNTAIN. | 栗城史多の偽りとエベレストの冒険を共有する会  

栗城史多の偽りとエベレストの冒険を共有する会  

http://hello.2ch.net/out/登山・キャンプ・アウトドア@2ch掲示板
栗城史多スレッドにて自分の山を登っています( ゚∀゚)ノ

 

 

 

栗城が総括を出した模様

 

ここまで栗城下山劇場を通じて栗城の人間性を見てもらいましが

 

まさにこれぞ栗城という感じです。

 

それを踏まえ

 

ミスリード、言い訳、自己弁護、開き直り、あらゆる栗城をご堪能ください。

 

 

 

タイトルにもなってるCRAZYですが

クレイジー!って栗城のことを知ってて言ったんじゃなくて
時期外れになってC1C2に登っていくアジア人の小男に向けて言った言葉。

ヘッ電も持たずに昼過ぎから山に入る人に向かって言うニュアンスを

得意のミスリードでいいように捉えただけですので騙されないようにm(_ _ )m

 

 

 

 

2017年6月4日

 

※以下全文

青文字は私見です

 

NO CRAZY, NO MOUNTAIN.

チームクリキの皆さナマステ。
無線だけでは伝えきれてないこと全部書きました。
これからも頑張ります!いつも応援本当にありがとうございます。

『お布施おかわりください!』

2016年秋、僕は秋季エベレスト北壁の壁にぶつかっていた。
傾斜60度の氷雪壁ジャパニーズ・クーロワールを登りきり、真っ暗闇の壁を7400mまで登っていた。7000mぐらいから傾斜が緩くなると雪は
腰近くまでとなり、両手両膝で崩しながら進んでいく。秋は風が弱い期間が短い。あと2日でまた強風の周期がやってくる。なるべく雪が
しまっている時間に深い雪を越えようと夜20時半に6800mのキャンプを出発したが、多少硬い部分を見つけてもまたすぐに深い雪に埋もれていく。
これを一人で。。
山と向き合いたいという思いから人がほとんど入らない「秋季」を選び続けていた。
雪と強風の秋に無酸素で一人で登りきった人はまだ誰もいない。
「なぜ春に登りやすい通常ルートでいかないんだ?」とよく言われたりしたが、言葉で理解してもらうことは難しく、過去に秋季エベレストに無酸素・単独で向かった日本人は一人いる。きっとその人しかこの感覚はわからないかもしれない。

ファッ!?(゚д゚;)

『春は簡単だしつまらないし登れると思ってるんでw』あの発言はどっこ??

スポンサーさーんこんな人ですよ、、、、?

しかも去年の言い訳から入るとは流石です

北壁の雪はどんどん深くなっていく。
2日後にくる悪天候までこの雪を進み山頂に向かうのは不可能だと感じ、深夜下山を決めた。
だか、すぐには下山しないで深い雪に腰を下ろし、陽が昇るのを待っていた。
それはこの中間部から北壁全体を見渡すために。つまり、またここにくるために陽が昇るのを待ち続けていた。 

エベレスト7回目にして、はじめての「春」のキャラバンが始まる。
チベット・ベースキャンプはすでに多くの登山が入っており、街のようになっていた。
今年はチベット側のノーマルルートで300人、ネパール側で700人登るそうだ。
北壁ベースキャンプに到着後、高所順応のためにノーマルルートに向かい7300mまで登り下山する。
下山途中、お客さんを連れた日本人山岳ガイドに出会う。
「久しぶりだね。元気そうだね。」

『また今年もやってんのかよw元気そうだねw』

「あの氷どうするの?いけそう?」

『あれ?君ってアイスクライミング初心者講習受けただけだよね?wいけそう?w』

あの氷とは北壁下部あるジャパニーズ・クーロワールのブルーアイス(青く硬い氷)のことである。
「上から見てたんですけど、うまく行けば」

実は僕が最も気にしていたのは北壁下部にある長さ600mに及ぶ氷の壁のことである。
2016年にここを登っていたが秋の雪が張り付き、まだ比較的登りやすかった。
だが、春は雪が少ない分、氷が張り出し、硬いブルーアイスになって聳え立っていたのである。
それは北壁のベースキャンプからでも確認できており、上から偵察するためにもノーマルルートに回り込み、7300mまで登ってきたのだ。
もう一人、このブルーアイスを気にしてくれている人がいた。ドイツ人登山家のラルフさんだった。ラルフさんはドイツ人登山家として14座を登り、
エベレストも8回挑戦しているベテランの登山家だ。

チベットのティンリ村の宿で「クリキ?」と鋭い目で声をかけられ、決して目を逸らさない。

『あのチンパンジーなにこっち見てんだ??』

(前にドイツの新聞で僕の記事を読んだそうです)
誰だろうと思っていたが、名前を聞いてすぐにあのラルフさんだとわかった。
ラルフさんとはチベット・ベースキャンプに向かう車も一緒でお互いの哲学や過去の失敗談を交わしながら話を聞いた。

英語喋れないのに?

「秋のエベレストは6回登れなかったって?俺は7回目だよ」と笑いながら丁寧に話をしてくれた。
ラルフさんのエベレスト挑戦は7回登頂できなかった。 

ただし!向かっているルートはノーマル・ルートではなく全て「バリエーションルート 」(難しいルート)
登頂した一回はノーマルルートでの酸素を使用していたが、「あまり楽しくなかった」そう言って今回無酸素登頂を目指していた。
本当にガチンコで挑戦している人は共通してみな独特のオーラがあり、そして明るい。
「俺は2回北壁に向かったことがある。ただ、あの氷を越えるのにかなり時間がかかり、やめた。時間がかかるぞ」
本当にやってきた人は的確に短いアドバイスをしてくれる。
今まで色々アドバイスっぽいことを言う人がいたが、やったことがある人の声はやはり伝わり方が違った。

空いた口が塞がらない(゚д゚;)

一方褒めて一方貶してる事を本人は気がついてないんでしょうね

昨年の秋季エベレスト北壁の時は実際に行ったことのある山の先輩から「雪がしまっていたらいける。しまってなかったらいけないな」とメッセージ
をもらっていた。
まさにそうで雪の状態で大きく左右される。
北壁側のベースキャンプにて望遠カメラで撮影した写真をさらに拡大し、突破口を探していた。
このブルーアイスを意識して、事前に29本のアイススクリューと600m分のロープを用意していた。
だか、9本の指を凍傷で失ってから左手はピッケルを持つだけでも精一杯。ほとんど右手だけで支えなくてはいけない。

ふぅ〜‥

入れてきますねぇ

それでいて長時間いや、数日間もこのブルーアイスと格闘することができるだろうか。。
ロープを張って、下がり、ロープを張って下がる。
ラルフさんが言うように時間がかかりすぎる。
そして、何よりも心が進まないのは600mのロープを張ってもそれは回収することはできない。
つまり600mのロープと29本のアイススクリューを残置したまま帰ることになる。
まるでエベレストにホッチキスを打つかのように。
それがエベレストに申し訳なく、600mロープを張った先のゴールが見えなくなっていた。

このまま遠征をやめて仕切り直すか、それとも別なルートに行くのか。行くとすればどこに? 人が踏み固めたルートではなく「山」感じられる
ルートを。 

ファッ!?

ファッ!?

ファッ!?

ちょっと何言ってるかわかんないんですけど???

言ってる意味もわからなければ支援受けてるのにそんな感じるどうこうで辞めるとかあり?

教えてスポンサー様

 

2017年春。
チベットの高原の大地と雪、そして深い空。チベットの三原色を眺めながら春の北壁ベースキャンプに向かう。
考えた結果。ネパール側の西稜から北壁ホーンバイン・クーロワールに入るルートだった。

いきなりネパールw

そもそもこのルートは2012年秋に一度向かい、ホーンバイン入り口8070m地点まで行ったことがある。その時に猛烈な風に遭い、両手、両足と
鼻が重度の凍傷となった。
あの時のリベンジ。。ではないけど、聳え立つブルーアイスを避けて、ホーンバイン・クーロワールに合流するためにはこのルートしかない。
ただ、今から登山許可が取れるのか?また移動や新しい登山許可料でお金がかかる。
しかし、このまま心が向かないまま、また避けられる危険をわかっていて向かうわけにはいかない。

ふぅ〜‥

日本の事務局とエージェントに連絡してルートの変更と手続きの準備を進めてもらった。
5月17日、ネパール側のゴラクシェップ(5300)に入る。経費を抑えるために通常のベースキャンプは作らず、ベースキャンプから歩いて2時間手前に
あるゴラクシェップのロッジ(山小屋)をベースにした。
チベット側には3人のスタッフが残り、西稜から出てくる栗城を望遠カメラで捉えるために待っていた。
20日ゴラクシェップから一気に6400mのC2に向かう。しかし、1週間分の食料と荷物を比較的小さいザックに詰めて一度に全て上げる。
ゴラクシェップからの2時間が微妙に効いてくる。
体力温存のためにC1で泊まり、翌日にチベット側のABCと同じ標高のC2(6400m)に入った。
C2に入ると今まで見たことのない光景が広がっていた。
まるで下のベースキャンプと変わらないテントの数々、中には食堂テントにイスまでつき、ローツェ・フェイスには数珠繋ぎになる人の列が
見えていた。
だが、エベレストは誰のものではない。
公募隊の何人かに話かけられたが皆「夢」があり、それぞれのストーリーがある。本当に素晴らしいと思っていた。

達観した事ベラベラと喋ってますけどこの人登頂した事ないですから

中には借金して来ている人もいたが、自分も今回冒険の共有するために700万と300万合計1000万の借金をしている。
登山の費用は自分で用意できるが、登山とは全く違う冒険の共有をするために不足分は借り入れしてでも必ず行なう。 

バカにされることもあるが、僕には全てをかけられる夢がある。
挑戦する人の分だけそれぞれのエベレストがあるし、スタイルや哲学がある。
自然と個人が向き合うチャレンジに誰かがとやかく言う権利は無い。

自己資金ならね
あと“哲学”気に入りすぎ

C2で無線で最新の天気予報を入手する。
24日の登頂を目指していたが、23日西風が最も強く25日が最も弱くなる。
西稜は西風の影響を受けやすい。
25日の登頂。そこに標準を合わせて、23日にC2を出発することにした。朝、C2から一人西稜に向かっていく。
ザック、ザックとアイゼンの爪を食い込ませていく。時折、スノーシャワーが降り注ぐ。
傾斜はきつくはないが、時々ブルーアイスが出てきた。
雪が張り付いているかなとグローブで触ると厚さ3センチほどの雪が張りついているだけ。
ピッケルを一回、二回、三回とようやく三回目できまり、足を上げていく。
結局、稜線手前の傾斜緩くなるところまで、カリカリの氷を登っていった。
稜線手前にはバリバリのアイスバーンの斜面もあり、岩のテラスにテントを張ることにした。
今回、新しく入手したテントは500gの最軽量。
今夜はこのテントで一夜を過ごす。寝袋は300g(+8℃まで)の普通なら寒くて耐えられないが、重ね着の着方と呼吸法でそれでも充分耐えられるよう
になっていた。

ふぅ〜‥

ただ、C3に到着前に気になることが一つあった。
それは妙な吐き気だった。若干熱もある。
高山病かなと思っていたが、順応はすでにできるし、体内酸素濃度はこの7100m以上で80もある。無酸素で挑戦できる数字だ。
頭痛もなく、ただ胃がムカムカとしていた。
夜、そばがきとシリアル、パワープロダクション(glicoプロテイン)を混ぜた少量の食事を取り、就寝。
しかし、風が強くポールがグニャグニャと左右に揺れ、時折下から突き上げる風がまるで地震ように左右に揺れていた。
何度か強風でテントポールが折れた経験のある僕はこの場合はどうするか。 

一休さんになるしかない。。

((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル

この独特の空気読まない栗城ギャグ…

私嫌いです

「気にしない。気にしない。一休み、一休み」と極薄の寝袋に包まっていた。
朝、まだ風は強かったがテントは無事だった。
吐き気は収まらず、食べていたら吐くのはわかっていた。
水分を取り、様子を見るために出発の時間を遅らせる。
午前11時にC3を出発する。高所で標高を上げて体調が良くなることはない。一旦下りて体調を戻すしかないと思いながらも。一歩一歩ゆっくり
上がりながら体調を見極めていた。
そして、また嘔吐。。
僕は体調を戻すために一旦下山することを決めた。ゴラクシェップにて2日間の休養を取り、吐き気と熱は収まったが、もう一日休養が欲しかった。
しかし、週間予報では30日から31日が登頂に適しており、しかも25日の予報より風が弱い。
ここしかない。再びC2を目指していく。

精神的に追い込まれてきたのか、集中しているのか、口数が少なくなる。
C2に向かう時に他の登山隊から「クリキ!」「オー!ジャパニーズ!」と声をかけられるが一言答えるだけであまり深く話そうとはしなかった。

そりゃみんな登頂して意気揚々としてますからね

ただ、これまで道中で出会った一人一人が無事に登れたか気になっていた。
あの日本人登れたかな?ラルフさん、行けたかな? ネパール側ではすでに5人亡くなっており、みんなの無事を祈っていた。
やはり全てをかけてきている以上全員に来て良かったなと思ってもらいたい。

はぁ?

ファッ!?じゃなくて

はぁ?(゚д゚;)

誰がどの目線で???

ここ一番が腹が立ちました

C2に着いた時にほとんどの登山隊の撤収が始まっていた。

どうやら最後の一人になったようだ。
元々、山を感じるために単独一人の登山を好んできた。

ならネパール来るなよw

もう突っ込むの疲れてきた(TωT)

あとはこのまま天候が安定すれば。。
出発は29日の3時にC2を出発し、C3で数時間休養をしたらそのままホーンバインの入り口手前でビバーク。深夜に山頂を目指すという短いスパンでの登頂を目指すことにした。 

雪は深くない。充分いける。
そして、その日の夕方。水を作りながらプモリ中継キャンプの魚住さんから定時の天気予報を無線で聞く。
「そのまま読み上げます。ベンガル湾からサイクロンが。。」

始まります下山劇場(・∀・)/

その言葉を聞いた時に一瞬まるで8000mに飛ばされたかのような苦しさで呼吸が止まった。
だが、落ち着いて最後まで聞くしかない。天気は自分の力で変えることはできない。
僕は素直に従うしかないのだ。
「ベンガル湾からのサイクロンの影響でエベレスト周辺は悪天候の周期に。29日は西稜向かうのも難しい雪が降る」お世話になっている
山岳気象予報の猪熊さんからのメッセージだった。
確かに雲が湧いて来てる。
エベレストの無酸素登頂の成功のカギは最後は天候である。
ただでさえ、無酸素は有酸素に比べて身体が冷える。そこに風が加われば体感温度は低くなり、凍傷にもなりやすい。
そして、僕のようにラッセル(新雪をかき分けて進む)ルートは雪の取り付き方で登頂の可能性は全く変わる。
魚住さんから2回3回と予報を読み上げてもらい冷静に考えていた。
この天候は有酸素でも向かう人は誰もいない。
涙が止まらなくなってきた。
最後の最後に。。
涙の理由は決して悔しいからだけではなかった。
実はC2に向かう時に一つの問題があった。
元々、ネパール側に移る時にエージェントから6月7日まで登山は大丈夫と聞いていたし、他の日本人スタッフも確認していた。
しかし、それは間違っており、29日までに下山しなくては行けないと話を聞いた。
またチベット側では西稜から出てくる栗城を捉えるために日本人一人とネパール人スタッフがずっと待ち続けてくれていた。
チベット側は6月中旬まで許可が取れている。だが、ほとんどの登山隊が撤収を開始しているためお前らもそろそろ帰れと強制的に荷下げようの
ヤクを送り込んで来ていた。
そんな中、ネパール側とチベット側で「もうすぐ栗城が登るんです!」と必死の交渉が行われ、日本からも嘆願が行われていた。
そして、ネパール側は6月1日まで伸ばしてくれたのである。
それを知っていた僕はこの天候を聞き、申し訳なく、無線で中継スタッフに「本当にありがとう」と涙をためながら断念することを伝えた。
これが山か。。 

よくもまぁここまでつらつらと、、、

最後はサイクロンという以外なヤツが幕を下ろさせた。
翌日、僕は一睡もできず様々な想いが巡っていた。もし天候が良くても完璧な体調でないまま向かえたのだろうか。 あの時に吐き気がも
しなかったら。。一つ一つを振り返り、紐解いでいた。
29日午前10時、多少はサイクロンの影響が弱いかもしれない。晴れはしないが風は弱いと無線があり、すでにホーンバイン・クーロワールに
向かう時間はもう無いが通常ルートならギリギリまだ間に合うじゃないか。僕は通常ルートからの登頂を目指そうとしていた。
だが、身体に力が入らない。やっぱり自分は「感じる」登山がしたい。
「お前、素直なやつだな」

バカかと

この踏み固められたルートは僕には無理だった。
雪がパラパラと降り始める。そして、最後に無線で中継を行い、そのままの現状と支えてくれた人達への感謝を伝えた後、大雪の中、
ゴラクシェップに向けて下りていった。

 

「最後に」
今回、あの体調不良は何だったのか。
下山後に知り合いのお医者さんに相談したところアレルギーじゃないかと言われました。確かに吐き気と熱、そして、湿疹が身体にできていた。
アルコールは口にしないし、普通の人以上に食べ物に気をつけていましたが、
一番重要な時に。。本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。
ただ、それ以外の体内酸素濃度が昔より高く、今回、荷物も食料も最軽量にしても充分寒さも耐えられました。それは今まで秋の条件が悪い時に
挑み続けた中で身につけてきたものがあるからです。

『僕は悪くないです。だって僕は悪くないからです。』

そして、皆さんにお伝えしたいことがあります。
「自分の中にあるクレイジーを大切にして下さい」

はぁ、、

今回、様々な登山隊のシェルパや外国人から「クレイジー・ジャパニーズ!」「がんばってください」とたくさん応援してもらいました。

「クレイジー・ジャパニーズ!」→『そんな軽装でどこ行くんだ??w』

「がんばってください」→『がんばってくださいw』

「通常」や「普通」、「一般的」などと違うことをしようとすると理解されることは難しく、失敗すれば馬鹿にもされます。

彼が馬鹿にされ批判されているのは偽りや敗退前提のその姿勢と人間性

周知された今は通じることなどない哀れなミスリード

正しいこと言うとする人もいるけど、実際に自分はやったことはなく、言えば言うほど「お前つまんねぇな」(赤塚不二夫)です。
元々、山はクレイジーな世界です。
普通よりちょっとクレイジーな方がやっぱり面白いし、そして、その「クレイジー」は僕だけでなく、多くの人が持っています。
人と違う価値観やチャレンジを「つまんねぇな」の声にかき消されることなく、いつまでも大切に素直に生きていきたい。
つまり、来年もやる!ということです。
本当に応援ありがとうございました。
※9月はフランスで訓練です。
栗城史多

いつの間にかfeelからクレイジーに変わってますね

その前はリズム…

ふぅ〜‥

 

 

 

 

 

南谷真鈴さんと友人の若手登山家の田中綾一さんのコメント

 

 

 

 

 

 

 


『サイコパス』

 

ハリウッド映画で描かれる連続殺人犯としてのサイコパス(精神病質者)のイメージは、間違ってはいない。
だが、サイコパスのすべてが残忍な犯罪者になるわけではない。実際には、多くがビジネス界のリーダーとして成功を収めている。

米専門誌「Behavioral Sciences & the Law」(行動科学と法律)が2010年に発表した研究結果によると、サイコパスと判断されるのは人口の約1%。
一方、ビジネスリーダーに限ってみれば、3%ほどがこの分類に該当するとみられる。また、米国内の刑務所に収監されている受刑者のうち、15%はサイコパスだと考えられている。

仕事を通じて知り合った人の中にサイコパスがおり、あなたがそれに気づいていない可能性は十分にある。次の5項目に当てはまる人がいたら、その人がそうかもしれない。

 

1 すごく魅力的

サイコパスの第一印象は悪くない。少なくとも初対面のときには、好感を持たれる。雑談にも快く応じるし、いつでも当意即妙の発言をできる人に思える。

他人からみて、彼らは頭の回転が速く、人の心を引き付けるような話をする人物だ。そして彼らは人の信頼を得るために、お世辞を言ったり、称賛したりもする。

 

 

2 他人に共感しない

たとえ自分の家族であっても、サイコパスは自分以外の人のことを気にしない。顔色一つ変えずに誰かを傷つけることがあるが、それでも良心が痛むことはない。

自分の言動によって傷つけられたと訴えてくる人がいても、自らに責任はないと言い放つだろう。傷つけられた人は、サイコパスのこうした態度からさらに害を被る。

 

 

 

 

3 人の気持ちを食い物にする

サイコパスは、知的レベルにおいては他人の感情を理解している。そしてその知識を、自分の都合の良いように利用する。
罪悪感をくすぐったり、お世辞を言ったりして、通常なら取らないような行動を他人に取らせる。

一方で、他人の同情を引こうとする。誰かをだまして支援を得たり、心配をしてもらったりするために、自分は被害者だと訴える。

 

 

 

 

4 良心を持たない

サイコパスはためらうことなく嘘をつき、だまし、盗む。自身の行動について問い詰められれば延々と言い訳をし、
自分の非は認めずに、人のせいにする。誰かが人に不当な扱いを受けたことしても、それはその人自身のせいだとさえ考える。

目的を達成するためにはあらゆる手段を取り、他人に害を及ぼしても、後悔することはない。

 

 

 

 

5 自分を過大評価する

ナルシストたちと同様に、サイコパスは自分には通常のルールが当てはまらないと考える。サイコパスの多くが捕らえられることへの恐怖心を持たず
犯罪行為に走る傾向があるのはこのためだ。自分は他の者たちよりも優れていると考え、何をしても許されると思い込んでいる。

自信過剰で、自分は世界中の誰よりも優れ、価値のある人間だと本気で信じている。

 

 

 

 

サイコパスとの付き合い方

サイコパスは自分と他人、世界の見方がほかの人たちと異なる。彼らは論理的で、著しく人間の感情に欠ける。常軌を逸した行動を取るのはそのためだ。
彼らに「変われ」と言っても無理だ。自分に対して有害な行動を取られることがないよう、あなたが十分に配慮して対応するほかない。
その人がサイコパスだと認識していればそれだけでも、あなた自身が自らの置かれた立場を理解しやすくなるはずだ。

 

 

 

 

なんか読めば読むほど誰かに似てるんだが、、、、

 

 

 

 

 

号外

 

 

長年彼を支援して来た日清がスポンサーから撤退しました

 

栗城史多はNever give upでも企業はgive upみたいです

 

日清さん良い決断だと思います

 

某掲示板では日清製品がまた買えると歓喜の声が上がってます

 

これからの日清の株価が気になります( ´⊿`)y-~~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

追記 2027/6/9

 

先日の記事でも紹介した登山ライターの森山氏

 

第2弾きました。

 

登山ライターという立場から栗城はどう見えるのか?

 

興味深いです。

 

森山氏をほだそうとしてるのか

 

早速栗城からフェイスブックの友達申請が来たとか、、、、、

 

サバイバル登山家で山岳ジャーナリストでもある服部氏もこう言ってました。

「彼は人をほだすのがうまい」

「だから僕はジャーナリストとして関わらない」

 

森山氏も栗城にほだてられないように気をつけてくださいm(_ _ )m

 

http://www.moriyamakenichi.com/2017/06/blog-post_9.html