令和5年10月25日最高裁大法廷決定を読んで 2 性同一性障害 | 団栗の備忘録

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心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく書きつけます。なるべく横文字を使はずにつづります。無茶な造語をしますがご了承ください。「既に訳語があるよ」「こっちのはうがふさはしいのでは?」といふ方はご連絡ください。

裁判官三浦守の反対意見は、次のとおりである。

私は、本件規定が現時点において憲法13条に違反して無効であることについて、多数意見に賛同するが、さらに、5号規定も、同条に違反して無効であるから、原決定を破棄し、原々審判を取り消して、抗告人の性別の取扱いを男から女に変更する旨の決定をすべきものと考える。以下理由を述べる。

 1 本件規定について私は、多数意見が引用する前掲最高裁平成31年1月23日第二小法廷決定 (以下「平成31年決定」という。)において、本件規定がその当時の時点では憲法13条等に違反しないという法廷意見に賛成したが、鬼丸かおる裁判官との共同補足意見において述べたとおり、本件規定は、その当時、既に違憲の疑いが生じていた。(←過去に制定した法律が時代に合はなくなってしまひ、現時点においては不合理なものになってゐる、といふことは確かにあり得る。しかしそれを判断し法改正するのは国会議員の仕事であり、裁判官の仕事ではない) そして、平成31年決定の法廷意見が述べたとおり、本件規定の合理性については、性自認に従った性別の取扱いや家族制度の理解に関する社会的状況の変化等に応じて変わり得るものであって、その憲法適合性については不断の検討を要するものであり、現時点においては、その後の事情も踏まえて検討する必要がある。(←「社会的状況の変化等に応じて」法律が違憲になるのはをかしい)特例法2条は、性同一性障害者の定義に係る要件について、一般に認められている医学的知見に基づく診断によるものとした上で、その要件の一つとして「自己を身体的に他の性別に適合させようとする意思」を定めているが、「身体的に」といっても、どのような範囲や程度で他の性別に適合させようとする意思を意味するかについては具体的に定めておらず、この点は、時代とともに進展する上記医学的知見を前提として、解釈に委ねるものと解される。我が国における疾病の分類は、一般に、統計基準(統計法2条9項、28条)である疾病、傷害及び死因の統計分類(現在は、平成27年2月13日総務省告示第 35号)によって行われており、これは、世界保健機関のICDに準拠している。特例法制定当時のICD第10回改訂版においては、性同一性障害は、精神疾患に分類され、性同一性障害の下位分類のうち、性転換症は、「異性の一員として生活し受け入れられたいという願望。通常は、自身の解剖学的な性に対する不快感又は不適切感を伴い、自分の身体をできるだけ自分の好む性に合わせるために外科的治療やホルモン療法を望む。」とされていた。ICD第10回改訂版を改訂した第11回改訂版は、2019年(令和元年)5月に承認され、2022年(令和4年)1月に発効した。第11回改訂版においては、性同一性障害や性転換症という名称に代えて、性別不合という名称が採用され、性の健康に関連する状態として、精神疾患とは異なるものに分類された。そして、その下位分類のうち、青年期又は成人期の性別不合については、「自ら実感する性と指定された性との明白かつ持続的な不一致によって特徴付けられる。しばしば、その実感する性の人間として生活し受け入れられるために、「移行」を願望するが、それは、自分の身体を、望む範囲で、できる限り、その実感する性に合わせるため、ホルモン療法、外科的治療又は他の保健医療サービスによって行われる。」旨の説明がされている。ICD第11回改訂版における性別不合の示す症状及びこれに対する治療の在り方の多様性に関する認識は、アメリカ精神医学会のDSM(精神疾患の診断・統計マニュアル)第5版(2013年(平成25年))の性別違和に関する診断基準や、日本精神神経学会のガイドライン第4版改(第4版は平成23年、第4版改は 平成30年)の性同一性障害に関する診断及び治療の指針等に示された医学的知見に沿うものと理解される。

このような現在の一般的な医学的知見の下において、自己の生物学的な性別による身体的な特徴に対する不快感等の症状は多様かつ個別的なものであり、特例法2条の「自己を身体的に他の性別に適合させようとする意思」には多様な意思が含まれるものと解される。性同一性障害を有する者の中には、必ずしも内外性器に関し他の性別に適合させることを望まないとしても、胸のふくらみ、髭、声等の第二次性徴に関し身体的に他の性別に適合させようとする意思を有する者がいることは、DSM第5版の診断基準等からも明らかであり、ICD第11回改訂版もこれを前提にするものと理解される。このような意思は、一般に認められている医学的知見を前提として、同条の上記意思に当たるものと解されるが、このような者にとっては、治療として生殖腺除去手術を含む性別適合手術を受けることを要しない。多数意見が第2の2に述べるように、本件規定に係る要件を課すことは、医学的にみて合理的関連性を欠くに至っているが、この点は、ICD第10回改訂版の下で進展し一般化してきた医学的知見に加えて、国際的に合意されたICD第11回改訂版によって裏付けられるとともに、それらを前提とする性同一性障害者の定義の解釈に照らしても、医学的な合理的関連性が認められないものとなっている。 地方公共団体においては、近年、いわゆるパートナーシップ制度が飛躍的に拡大している。この制度は、地方公共団体によって違いはあるものの、一般に、婚姻していない二人が生活上のパートナーである旨の宣誓の届出を受理して証明すること等を内容とする制度であり、性的指向や性自認等の点で性的少数者とされる者について、社会生活上の不利益を軽減し、人格や個性を尊重する社会の形成に資すること等を目的とする。平成27年、東京都渋谷区及び世田谷区がこれを始めた後、他の地方公共団体にも広がり、平成31年決定当時は、10程度の市区町であったが、東京都渋谷区等の調査によれば、令和5年6月28日時点において、東京都、大阪府等の14都府県を含め320を超える地方公共団体がこれを設け、これらがカバーする人口は、我が国の総人口の70%を超えているとされる。当初は、同性の二人を対象とする制度であったが、現在は、異性の二人をも対象とする制度が一般的であり、性別変更審判等に関わらず性同一性障害を有する者の利用が広く考慮されている。さらに、最近では、パートナーシップ制度と併せて、子や親を含め、ファミリーシップ制度を設ける地方公共団体も増加している。身近な地域社会において、このような制度が拡大し、特に大きな問題もなく運用されているとうかがわれることは、性同一性障害を有する者を含む性的少数者が、家族を形成して子育てをし、充実した社会生活を営むという、多様な家族の在り方に関する社会的状況の変化を示しているというべきである。

多数意見が第2の2に述べるように、特例法の施行から約19年が経過する中で、性同一性障害を有する者に関する理解が広まりつつあり、その社会生活上の問題を解消するための環境整備に向けた取組等も社会の様々な領域において行われているが、パートナーシップ制度は、公的な制度という点でも、全国的な広がりという点でも、重要な意義を有するということができる。平成31年決定の共同補足意見で述べた事情に加え、以上のような事情等を併せ考慮して、総合的に較量すると、現時点において、本件規定による身体への侵襲を受けない自由の制約は、必要かつ合理的なものとはいえず、本件規定は憲法13条に違反するというべきである。そして、特例法の趣旨や、2条及び3条1項各号の規定の趣旨並びにそれらの関係等に鑑み、本件規定が違憲と判断される場合、特例法全体が無効となるものではなく、本件規定だけが無効になるものと解される。多数意見も同様に解していることは明らかである。

2 5号規定について 抗告人の論旨は、本件規定及び5号規定の憲法違反を内容とするものであるが、抗告人は、原審においても、両規定の違憲を主張していたところ、原決定は、本件規定を合憲と判断し、5号規定に関する抗告人の主張については判断していない。そこで、事案に鑑み、5号規定の憲法適合性についても検討することとする。5号規定は、「その身体について他の性別に係る身体の性器に係る部分に近似する外観を備えていること。」と規定するところ、これに該当するためには、原則として、外性器の除去術及び形成術又は上記外観を備えるに至るホルモン療法(以下、これらの治療を「外性器除去術等」という。)を受ける必要があると解される。このうち、外性器の除去術及び形成術は、生物学的な男性の場合は陰茎切除術及び外陰部形成術、生物学的な女性の場合は尿道延長術及び陰茎形成術であるが、これらの外科的治療は、生命又は身体に対する危険を伴い不可逆的な結果等をもたらす身体への強度の侵襲である。ホルモン療法は、ホルモンに関する薬剤を投与することにより、身体的に他の性別に適合させる一定の効果が生ずるものであり、他の性別に係る外性器に係る部分に近似する外観を備えるという点で、相応の効果が得られる場合がある。これも、上記外科的治療より強度は低いものの、身体への侵襲である。そして、ホルモン療法は、生涯又は長期にわたって継続するものであり、精巣の萎縮や造精機能の喪失など不可逆的な変化があり得るだけでなく、血栓症等の致死的な副作用のほか、狭心症、肝機能障害、胆石、肝腫瘍、下垂体腫瘍等の副作用を伴う可能性が指摘され、さらに、原則として、糖尿病、高血圧、血液凝固異常、内分泌疾患、悪性腫瘍など、副作用のリスクを増大させる疾患等を伴わない場合に行うべきものとされること等からすると、生命又は身体に対する相当な危険又は負担を伴う身体への侵襲ということができる。したがって、このような外性器除去術等を受けることが強制される場合には、身体への侵襲を受けない自由に対する重大な制約に当たるというべきである。ところで、5号規定は、性同一性障害を有する者のうち自らの選択により性別変更審判を求める者について、原則として外性器除去術等を受けることを前提とする要件を課すにとどまるものであり、性同一性障害を有する者一般に対して外性器除去術等を受けることを直接的に強制するものではない。しかしながら、外性器の除去術及び形成術を望まない場合において、ホルモン療法によって他の性別に係る外性器に係る部分に近似する外観を備えるに至らないときや、現に副作用や疾患による困難があるためにホルモン療法を続けることを望まないときなど、性同一性障害の治療としては外性器除去術等を要しない性同一性障害者に対しても、性別変更審判を受けるためには、原則として外性器除去術等を受けることを要求するものということができる。他方で、性同一性障害者がその性自認に従った法令上の性別の取扱いを受けるこ とは、法的性別が社会生活上の多様な場面において個人の基本的な属性の一つとして取り扱われており、性同一性障害を有する者の置かれた状況に鑑みると、個人の人格的存在と結び付いた重要な法的利益というべきである。このことは、性同一性障害者が治療として外性器除去術等を受けることを要するか否かにより異なるものではない。

そうすると、5号規定は、治療としては外性器除去術等を要しない性同一性障害者に対して、性自認に従った法令上の性別の取扱いを受けるという重要な法的利益を実現するために、外性器除去術等を受けることを余儀なくさせるという点において、身体への侵襲を受けない自由を制約するものということができ、このような制約は、性同一性障害を有する者一般に対して外性器除去術等を受けることを直接的に強制するものではないことを考慮しても、身体への侵襲を受けない自由の重要性に照らし、必要かつ合理的なものということができない限り、許されないというべきである。そして、5号規定が必要かつ合理的な制約を課すものとして憲法13条に適合す るか否かについては、5号規定の目的のために制約が必要とされる程度と、制約される自由の内容及び性質、具体的な制約の態様及び程度等を較量して判断されるべきものと解される。

ア そこで、5号規定の目的についてみると、5号規定は、他の性別に係る外性器に近似するものがあるなどの外観がなければ、例えば公衆浴場で問題を生ずるなど、社会生活上混乱を生ずる可能性があることなどが考慮されたものと解される。

外性器に係る部分の外観は、通常、他人がこれを認識する機会が少なく、公衆浴場等の限られた場面の問題であるが、公衆浴場等については、一般に、法律に基づく事業者の措置により、男女別に浴室の区分が行われている。このうち、公衆浴場については、浴場業を営む者は、入浴者の衛生及び風紀に必要な措置を講じなければならないものとされ、上記措置の基準については都道府県等が条例で定める(公 衆浴場法3条1項、2項、2条3項)。この条例の基準は、厚生労働大臣の技術的な助言(「公衆浴場における衛生等管理要領」平成12年12月15日付け生衛発第1811号厚生省生活衛生局長通知)を受け、一般に、一定年齢以上の男女を混浴させないことや、浴室は男女を区別すること等を定めており、これらを踏まえ、 浴場業を営む者の措置により、浴室が男女別に分けられている。旅館業についても同様の規制があるところ(旅館業法4条1項、2項、3条1項)、旅館業における共同浴室については、条例の基準として上記の定めがない場合も多いが、一般に、 旅館業を営む者の措置により、男女別に分けられている(「旅館業における衛生等 管理要領」上記厚生省生活衛生局長通知参照)。このような浴室の区分は、風紀を維持し、利用者が羞恥を感じることなく安心して利用できる環境を確保するものと解されるが、これは、各事業者の措置によって具体的に規律されるものであり、それ自体は、法令の規定の適用による性別の取扱い(特例法4条1項参照)ではない。実際の利用においては、通常、各利用者について証明文書等により法的性別が確認されることはなく、利用者が互いに他の利用者の外性器に係る部分を含む身体的な外観を認識できることを前提にして、性別に係る身体的な外観の特徴に基づいて男女の区分がされているということができる。事業者が営む施設について不特定多数人が裸になって利用するという公衆浴場等の性質に照らし、このような身体的な外観に基づく男女の区分には相当な理由がある。厚生労働大臣の技術的助言やこれを踏まえた条例の基準も同様の意味に解され (令和5年6月23日付け薬生衛発第0623号厚生労働省医薬・生活衛生局生活衛生課長通知参照)、上記男女の区分は、法律に基づく事業者の措置という形で社会生活上の規範を構成しているとみることができる。5号規定は、この規範を前提として性別変更審判の要件を規定するものであり、5号規定がその規範を定めているわけではない。

イ これらを踏まえて検討すると、性同一性障害を有する者は社会全体からみれば少数である上、性別変更審判を求める者の中には、自己の生物学的な性別による身体的な特徴に対する不快感等を解消するために治療として外性器除去術等を受け、他の性別に係る外性器に係る部分に近似する外観を備えている者も相当数存在する。また、上記のような身体的な外観に基づく規範の性質等に照らし、5号規定がなかったとしても、この規範が当然に変更されるものではなく、これに代わる規範が直ちに形成されるとも考え難い。さらに、性同一性障害者は、治療を踏まえた医師の具体的な診断に基づき、身体的及び社会的に他の性別に適合しようとする意思を有すると認められる者であり(特例法2条)、そのような者が、他の性別の人間として受け入れられたいと望みながら、あえて他の利用者を困惑させ混乱を生じさせると想定すること自体、現実的ではない。これらのことからすると、5号規定がなかったとしても、性同一性障害者の公衆浴場等の利用に関して社会生活上の混乱が生ずることは、極めてまれなことであると考えられる。 その一方で、5号規定がない場合には、性別変更審判により、身体的な外観に基づく規範と法的性別との間にずれが生じ得ることについて、利用者が不安を感じる可能性があることは否定できない。しかし、その場合でも、上記規範の性質等に照らし、性別変更審判を受けた者を含め、上記規範が社会的になお維持されると考えられることからすると、これを前提とする事業者の措置がより明確になるよう、必要に応じ、例えば、浴室の区分や利用に関し、厚生労働大臣の技術的な助言を踏まえた条例の基準や事業者の措置を適切に定めるなど、相当な方策を採ることができる。また、特例法は、性別変更審判を受けた者に関し、法令の規定の適用については、その性別につき他の性別に変わったものとみなす旨を規定するが、法律に別段の定めがある場合を除外して、その例外を予定しており(4条1項)、公衆浴場等の利用という限られた場面の問題として、法律に別段の定めを設けることも考えられる。上記混乱の可能性が極めて低いことを考え併せれば、現在と同様に利用者が安心して利用できる状況を維持することは十分に可能と考えられる。この点に関連して、5号規定がなければ、男性の外性器の外観を備えた者が、心の性別が女性であると主張して、女性用の公衆浴場等に入ってくるという指摘がある。しかし、5号規定は、治療を踏まえた医師の具体的な診断に基づいて認定され る性同一性障害者を対象として、性別変更審判の要件を定める規定であり、5号規定がなかったとしても、単に上記のように自称すれば女性用の公衆浴場等を利用することが許されるわけではない。(←法的な取扱ひとしては「女」になるのだが「手術」を経てゐない以上、女湯に入ることはできない、といふ理解でよいのか)その規範に全く変わりがない中で、不正な行為があるとすれば、これまでと同様に、全ての利用者にとって重要な問題として適切に対処すべきであるが、そのことが性同一性障害者の権利の制約と合理的関連性を有しないことは明らかである。

これに加えて、特例法の施行から約19年が経過し、これまでに1万人を超える者が性別変更審判を受けるに至っている中で、性同一性障害を有する者に関する理解が広まりつつあり、その社会生活上の問題を解消するための環境整備に向けた取組等も社会の様々な領域において行われていることからすると、5号規定がなかったとしても社会的な混乱が生ずる可能性が低いことや、現在と同様に利用者が安心して利用できる状況を維持できること等については、社会全体にとってその理解が困難なものとはいい難い。 以上検討したところによれば、5号規定による制約の必要性は、現時点において、相当に低いものとなっているというべきである。

ウ なお、トイレや更衣室の利用についても、男性の外性器の外観を備えた者が、心の性別が女性であると主張して、女性用のトイレ等に入ってくるという指摘がある。しかし、トイレ等においては、通常、他人の外性器に係る部分の外観を認識する機会が少なく、その外観に基づく区分がされているものではないから、5号規定がトイレ等における混乱の回避を目的とするものとは解されない。利用者が安心して安全にトイレ等を利用できることは、全ての利用者にとって重要な問題であるが、各施設の性格(学校内、企業内、会員用、公衆用等)や利用の状況等は様々であり、個別の実情に応じ適切な対応が必要である。また、性同一性障害を有する者にとって生活上欠くことのできないトイレの利用は、性別変更審判の有無に関わらず、切実かつ困難な問題であり、多様な人々が共生する社会生活の在り方として、個別の実情に応じ適切な対応が求められる。このように、トイレ等の利用の関係で、5号規定による制約を必要とする合理的な理由がないことは明らかである。(←陰茎を持つ人間が、女性用便所に入ってくることを、止められるのか?)

 次に、特例法の制定以降の医学的知見の進展を踏まえつつ、5号規定による具体的な制約の態様及び程度等をみることとする。特例法の制定趣旨は、性同一性障害に対する必要な治療を受けていたとしてもなお法的性別が生物学的な性別のままであることにより社会生活上の問題を抱えている者について、性別変更審判をすることにより治療の効果を高め、社会的な不利益を解消することにあると解されるところ、その制定当時、外性器の除去術及び形成術を含む性別適合手術は段階的治療における最終段階の治療として位置付けられ、 ホルモン療法はその前段階の治療として位置付けられていたことからすれば、性別変更審判を求める者について外性器除去術等を受けたことを前提とする要件を課すことは、性同一性障害についての必要な治療を受けた者を対象とする点で医学的にも合理的関連性を有するものであったということができる。しかしながら、特例法の制定後、性同一性障害に対する医学的知見が進展し、性同一性障害を有する者の示す症状及びこれに対する治療の在り方の多様性に関する認識が一般化して段階的治療という考え方が採られなくなり、性同一性障害に対する治療として、どのような身体的治療を必要とするかは患者によって異なるものとされたことにより、必要な治療を受けたか否かは外性器除去術等を受けたか否かによって決まるものではなくなり、上記要件を課すことは、医学的にみて合理的関連性を欠くに至っているといわざるを得ない。(←かういふことを判断するのは国会議員であり、裁判官が判断してはならない)

また、1に述べたとおり、現在の一般的な医学的知見の下において、性同一性障害を有する者の示す症状の多様性を前提にすると、特例法2条の性同一性障害者の定義における「自己を身体的に他の性別に適合させようとする意思」には多様な意思が含まれるものと解され、治療としては外性器除去術等を要しない場合があり、このような定義の解釈に照らしても、上記要件を課すことは、医学的な合理的関連性が認められないものとなっている。 そして、5号規定による身体への侵襲を受けない自由に対する制約は、上記のような医学的知見の進展に伴い、治療としては外性器除去術等を要しない性同一性障害者に対し、身体への侵襲を受けない自由を放棄して強度の若しくは相当な危険や負担を伴う身体的侵襲である外性器除去術等を受けることを甘受するか、又は性自認に従った法令上の性別の取扱いを受けるという重要な法的利益を放棄して性別変更審判を受けることを断念するかという過酷な二者択一を迫るものになったということができる。また、前記の5号規定の目的を達成するために、このような医学的にみて合理的関連性を欠く制約を課すことは、治療を踏まえた医師の具体的な診断に基づいて認定される性同一性障害者を対象とすること等をも考慮すると、制約として過剰なものになっているというべきである。

そうすると、5号規定は、上記のような二者択一を迫るという態様により過剰な制約を課すものであるから、5号規定による制約の程度は重大なものというべきである。

以上を踏まえると、5号規定による身体への侵襲を受けない自由の制約については、現時点において、その必要性が相当に低いものとなり、その程度が重大なものとなっていることなどを総合的に較量すれば、必要かつ合理的なものということはできない。

よって、5号規定は憲法13条に違反するものというべきである。

5号規定が違憲と判断される場合、本件規定の場合と同様に、5号規定だけが無効になると解されるところであるが、本件規定及び5号規定が無効になるとすると、特例法3条1項1号から3号までに係る要件のほか、特例法2条の性同一性障害者の定義に係る要件だけが残ることになるから、特例法の趣旨等に照らし、特例法全体が無効となるのか、本件規定及び5号規定だけが無効となるのかについて更に検討する。残余の要件により性別変更審判がされるとすると、特例法の趣旨等に反することになり、司法の判断により新たな立法をするに等しく、立法権を侵害することにならないかという問題でもある。

特例法の制定趣旨は、性同一性障害に対する必要な治療を受けていたとしてもなお法的性別が生物学的な性別のままであることにより社会生活上の問題を抱えている者について、性別変更審判をすることにより治療の効果を高め、社会的な不利益を解消することにあると解される。そして、特例法3条1項は、性別変更審判を請求できる者の要件として、性同一性障害者であって同項各号のいずれにも該当するものと定めているが、このうち、2条に規定する性同一性障害者の定義に係る要件が全体の基本となる要件であるのに対し、3条1項各号に係る要件は、形式的にも内容的にも、それぞれ独立した個別的な要件である。このような特例法の趣旨及び規定の在り方からみて、特例法は、生物学的には性別が明らかであるにもかかわらず、心理的にはそれとは別の性別であるとの持続的な確信を持ち、かつ、自己を身体的及び社会的に他の性別に適合させようとする意思を有するという、その心理的及び意思的な状態を基本的な要件とし、一般的な医学的知見に基づく医師の診断によりこれらが認められる者について、法令上の性別の取扱いの特例を認めることを基本的内容とするものと解される。そして、1 に述べたとおり、現在の一般的な医学的知見の下において、特例法2条の「身体的に他の性別に適合させようとする意思」には多様な意思が含まれ、治療としては生殖腺除去手術や外性器除去術等を要しない場合がある上(←具体的にはどういふ場合なのか?)、本件規定及び5号規定は、それぞれ社会的な混乱を回避することを主な目的とし、両規定に係る身体的な状態はその原因を問わないものであることからすると、その身体的な状態が上記意思と不可分の関係にあるものとは解されない。また、特例法制定時の法律案の提案理由説明やその立法に関与した者の説明(南野知惠子参議院議員(当時)監修「解説性同一性障害者性別取扱特例法」日本加除出版(平成16年)等参照)においても、法令上の性別の取扱いの特例を認める趣旨について上記身体的な状態を不可欠の要素としたことはうかがわれない。そうすると、本件規定及び5号規定に係る要件は、特例法の趣旨及び基本的内容と不可分の関係にあるということはできず、両規定に係る身体的な状態にない者であっても、治療を踏まえた医師の具体的な診断により、特例法2条に係る心理的及び意思的な状態が認められる場合に、これを上記特例の対象とすることが特例法の趣旨に合致することは明らかである。性同一性障害者がその性自認に従った法令上の性別の取扱いを受けることが、個人の人格的存在と結び付いた重要な法的利益であることからすると、むしろ、両規定の違憲を理由として特例法全体を無効にすることは、立法の目的に反するというほかない。以上に鑑みると、本件規定及び5号規定が違憲と判断される場合、両規定だけが無効となり、残余の規定に基づいて審判を行うべきものと解されるが、それは、特例法の趣旨及び基本的内容を何ら変更するものではなく、立法権の侵害というべきものでないことは明らかである。

よって、本件規定及び5号規定だけが無効になるというべきである。

なお、本件規定及び5号規定が違憲無効となる場合も、特例法2条に係る心理的及び意思的な状態について、一般的な医学的知見に基づき、治療を踏まえた医師の診断により、適正な判断が行われる必要があることはいうまでもない。この点に関し、特例法は、その診断を的確に行うために必要な知識及び経験を有する二人以上の医師の一般に認められている医学的知見に基づき行う診断が一致していることを要件とし(2条)、性別変更審判の請求をするには、上記診断の結果並びに治療の経過及び結果等が記載された医師の診断書を提出しなければならないものとしている(3条2項)。この診断書の記載事項については、同項のほか、平 成16年5月18日厚生労働省令第99号により定められ、さらに、同日付け障精発第0518001号厚生労働省社会・援護局障害保健福祉部精神保健福祉課長通知により、診断書の参考様式とともに、記載要領が詳細に定められている。これら により、診断書には、心理的に他の性別であるとの持続的な確信の有無及び自己を他の性別に適合させようとする意思の有無とそれらの根拠とともに、治療の経過及び結果について、精神的サポート、ホルモン療法、乳房切除術及び性別適合手術に区分して、それぞれ治療の期間、内容及び結果等を具体的に記載し、また、他の性別としての身体的及び社会的適合状況についても、具体的に記載することとされている。

本件規定及び5号規定が違憲無効となる場合、記載を要しないこととなる部分があるにしても、裁判所は、これまでと同様に、単に本人の主張や医師の抽象的な診断結果によるのではなく、治療の実績を踏まえた医師の具体的な診断であって、しかも、それが「その診断を的確に行うために必要な知識及び経験を有する二人以上の医師の一般に認められている医学的知見に基づき行う診断が一致しているもの」と認められる場合に限り、特例法2条の要件に該当するとの判断をする。そして、日本精神神経学会は、これまで、性同一性障害に関する医学的知見や臨床経験を踏まえた専門的な検討等を経て、医療者に対する診断及び治療の指針として、詳細なガイドラインを定め、必要に応じこれを改訂している。また、性同一性障害に関する研究の推進、知識の向上等を目的とするGID学会(性同一性障害学 会)は、一定の知識と能力を備え、専門家研修会での研鑽を積んだ臨床医を認定するGID学会認定医制度を設けるなどしている。これらは、上記要件に係る医師の診断に関し、その診断を的確に行うために必要な知識及び経験を有する医師か否か、一般に認められている医学的知見に基づき行う診断か否かについて判断する上で考慮すべき重要な事情ということができる。 以上を踏まえると、裁判所は、特例法が規定する要件について、適切な根拠に基づいて判断を行うものであり、その適正が担保されているということができる。(←はたしてさういへるか、疑問である。医師の診断とは言っても、心の中のことが、どこまでわかるのか)

3 結論

以上のとおり、本件規定及び5号規定は違憲無効であり、5号規定の要件該当性について判断するまでもなく、特例法の残余の要件に照らし、抗告人の申立てには理由があるから、原決定を破棄し、原々審判を取り消して、抗告人の性別の取扱いを男から女に変更する旨の決定をすべきである。

4 私は、1に述べたとおり、本件規定の合憲性について、現時点における判断として、平成31年決定の結論を改めるものであるが、(←解釈を変へた、即ち説を改めたのか? どうもさうではなく、社会の状況が変はったから、といふことらしい)この4年余の間にも、本件規定により重大な影響を受けた者は少なくないと考えられることに鑑み、特に付言する。特例法の一部を改正する平成20年法律第70号は、附則3項において、性同一性障害者の性別変更審判の制度については、この法律による改正後の特例法の施行の状況を踏まえ、性同一性障害者及びその関係者の状況その他の事情を勘案し、必要に応じ、検討が加えられるものとする旨を定めていた。(←性別変更審判の「制度について」検討を加へるのは国会議員なのであり、裁判官ではない。裁判官はその「制度」に拘束される存在である)そして、世界保健機関等による共同声明をはじめ、本件規定等の問題に関わる国の内外の見解や、諸外国の裁判例及び立法例が見られる中で、平成31年決定は、本件規定の憲法適合性については不断の検討を要する旨を指摘した。しかし、その後を含め、上記改正以来15年以上にわたり、本件規定等に関し必要な検討が行われた上でこれらが改められることはなかった。(←だからといって裁判官が出しゃばっていい、とはならない) 全ての国民は、個人として尊重され、生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とするものであり、状況に応じて適切な措置を講ずることは、国の責務である。取り分け、今日、性自認や性的指向等に関係なく、あらゆる分野において平等な参加が確保されるよう、社会的な障壁を取り除き、不適切な規範や慣習に対処して、あらゆる人々が生き生きとした人生を享受することができる社会の実現が求められている(令和5年(2023年)5月20日G7広島サミットの首脳コミュニケ、2022年(令和4年)6月28日G7エルマウ(ドイツ)サミットの首脳コミュニケ等参照)。 指定された性と性自認が一致しない者の苦痛や不利益は、その尊厳と生存に関わる広範な問題を含んでいる。民主主義的なプロセスにおいて、このような少数者の権利利益が軽んじられてはならない。(←人権を考へるときに、多数とか少数とか「数」を考慮に入れるのは不適当である。少数者であるから保護すべきであり、多数者であるから保護しなくてもよい、とはならない) (3に続く)