最高裁令和5年7月11日の性同一性障害経産省職員女性用便所使用制限判決の判決文を読んで | 団栗の備忘録

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最高裁令和5年7月11日の性同一性障害経産省職員女性用便所使用制限判決の判決文を読んだので、その感想を述べます。判決文中に(←感想部分)といふ形で、半畳を入れます。

 

 

3 原審は、上記事実関係等の下において、要旨次のとおり判断し、本件判定部分の取消請求を棄却した。

経済産業省において、本件処遇を実施し、それを維持していたことは、上告人を含む全職員にとっての適切な職場環境を構築する責任を果たすための対応であったというべきであるから、本件判定部分は、裁量権の範囲を逸脱し又はこれを濫用したものとはいえず、違法であるということはできない。

4 しかしながら、原審の上記判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。

⑴    国家公務員法86条の規定による行政措置の要求に対する人事院の判定においては、広範にわたる職員の勤務条件について、一般国民及び関係者の公平並びに職員の能率の発揮及び増進という見地から、人事行政や職員の勤務等の実情に即した専門的な判断が求められるのであり(同法71条、87条)、その判断は人事院の裁量に委ねられているものと解される。したがって、上記判定は、裁量権の範囲を逸脱し又はこれを濫用したと認められる場合に違法となると解するのが相当である。

⑵    これを本件についてみると、本件処遇は、経済産業省において、本件庁舎内のトイレの使用に関し、上告人を含む職員の服務環境の適正を確保する見地からの調整を図ろうとしたものであるということができる。 そして、上告人は、性同一性障害である旨の医師の診断を受けているところ、本件処遇の下において、自認する性別と異なる男性用のトイレを使用するか、本件執務階から離れた階の女性トイレ等を使用せざるを得ないのであり、日常的に相応の不利益を受けているということができる。一方、上告人は、健康上の理由から性別適合手術を受けていないものの、女性ホルモンの投与や≪略≫を受けるなどしているほか、性衝動に基づく性暴力の可能性は低い旨の医師の診断も受けている(←はたして医者はそんなことまで判断できるものであらうか)。現に、上告人が本件説明会の後、女性の服装等で勤務し、本件執務階から2階以上離れた階の女性トイレを使用するようになったことでトラブルが生じたことはない。また、本件説明会においては、上告人が本件執務階の女性トイレを使用することについて、担当職員から数名の女性職員が違和感を抱いているように見えたにとどまり、明確に異を唱える職員がいたことはうかがわれない(←たとへば「タバコを吸ってもいいですか」といはれて「やめてください」とはなかなかいへない。また、女性職員が「彼が女性用便所を使用することは、いやです」とはっきり言ったら、彼の「女性用便所を使用する自由」は、存在しないことになるのか? 他人の意向を無視して貫徹することができるものが、権利や自由といふものであらう。他の女性職員が内心どう思ってゐたかとか、どう発言したかとかは、彼の「女性用便所を使用する自由」に影響を及ぼすものではない筈である)。さらに、本件説明会から本件判定に至るまでの約4年10か月の間に、上告人による本件庁舎内の女性トイレの使用につき、特段の配慮をすべき他の職員が存在するか否かについての調査が改めて行われ、本件処遇の見直しが検討されたこともうかがわれない(←する必要があるのだらうか)。以上によれば、遅くとも本件判定時においては、上告人が本件庁舎内の女性トイレを自由に使用することについて、トラブルが生ずることは想定し難く、特段の配慮をすべき他の職員の存在が確認されてもいなかったのであり、上告人に対し、本件処遇による上記のような不利益を甘受させるだけの具体的な事情は見当たらなかったというべきである。そうすると、本件判定部分に係る人事院の判断は、本件における具体的な事情を踏まえることなく他の職員に対する配慮を過度に重視し、上告人の不利益を不当に軽視するものであって、関係者の公平並びに上告人を含む職 員の能率の発揮及び増進の見地から判断しなかったものとして、著しく妥当性を欠いたものといわざるを得ない(←こんな、生の利益衡量では、裁判官のお気持ち一つでどうにでも評価できる。「女性用便所は女性のみが使用できる」といふ、従来の女性の権利はどこに行ってしまったのか。一体「性同一性障害の男が、女性用便所を使用することができる自由」はどこから来たものなのか?)。

⑶    したがって、本件判定部分は、裁量権の範囲を逸脱し又はこれを濫用したものとして違法となるというべきである。

 

 

どうしてかうなったのかを考へてみると思ひ当たる節が一つあります。それは民法の不法行為の改正です。

民法709条

故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。

実は平成16年より前は「権利」だけであり「又は法律上保護される利益」の文言は、ありませんでした。改正後の条文が「他人の法律上保護される利益を侵害した者は」といふ文言であればよかったのですが、不用意にも「権利」と「法律上保護される利益」とを並列に並べてしまったことが、躓きの石になったのではないかと思ひます。

 

そもそも権利とはなにか。常識的に考へると「権利とは、法律上保護される利益のことである」といへると思ひます。即ち、権利=法律上保護される利益、です。しかし709条は「権利」と「法律上保護される利益」の文言を「又は」でつないでゐます。さうなると709条における「権利」と「法律上保護される利益」とは異なるものである、と考へるのは自然の流れです。そして709条の「権利」とは法律上保護される利益のことなのであるから、他方の「法律上保護される利益」とは「法律上保護されるべきであると考へられる利益」のことである、となるのもこれまた自然の流れです。保護されるべきであると考へるのは誰か。それは勿論裁判官です。裁判官が「これは保護してあげたいなぁ、損害賠償を認めてあげたいなぁ」と感じれば、そこに突如として「法律上保護される利益」が発生して、損害賠償が認められる、といふ寸法です。「法律上保護される利益」は、予め法律で(直接的にも間接的にも)定められてゐる必要はない、といふわけです。裁判官の胸三寸で、突如として「法律上保護される利益」が発生することになるのです。私はこれを「不法行為制度から不当行為制度へ」「法に基づく裁判からお気持ちに基づく裁判へ」と呼んでゐます。

 

本件の性同一性障害の男性の「同僚の女性職員と同じ女性用便所を使用することができる権利」なるものは、どの法律にも認められてゐないものでした。この権利は、この判決によって、突如として発生した権利です。こんなふうにして裁判をやってしまって、はたしていいのだらうか、と思ひます。私は、裁判官が法を創造することを全面的に否定する、といふ立場に立ってゐるわけではありません。けれどもしかし、この不用意な不法行為法の改正が、長い尾を引いて本件判決に影響を与へてゐることは確かだと思ひます。

 

 

裁判官宇賀克也の補足意見は次のとおりである。

 1 本件で第1審と原審とで判断が分かれたのは、①上告人が女性ホルモンの投与や≪略≫等により女性として認識される度合いが高いことがうかがわれ、その名も女性に一般的なものに変更されたMtF(Male to Female)のトランスジェンダーであるものの、戸籍上はなお男性であるところ、このような状態にあるトランスジェンダーが自己の性自認に基づいて社会生活を送る利益(←この利益の根拠になる法律はなにか?)をどの程度、重要な法的利益として位置付けるかについての認識の相違、及び②上告人がそのような状態にあるトランスジェンダーであることを知る同僚の女性職員が上告人と同じ女性トイレを使用することに対する違和感・羞恥心等をどの程度重視するかについての認識の相違(←違和感等の問題ではなく、そもそも男は女性用便所に入ってはいけないのである)によるのではないかと思われる。

 2 本件を検討するに当たって、上告人が戸籍上はなお男性であることをどのように評価するかが問題になる。本件で、経済産業省は、上告人が戸籍上も女性になれば、トイレの使用についても他の女性職員と同じ扱いをするとの方針であったことがうかがわれるが、現行の性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律の下では、上告人が戸籍上の性別を変更するためには、性別適合手術を行う必要がある。これに関する規定の合憲性について議論があることは周知のとおりであるが、その点は措くとして、性別適合手術は、身体への侵襲が避けられず、生命及び健康への危険を伴うものであり、経済的負担も大きく、また、体質等により受けることができない者もいるので、これを受けていない場合であっても、可能な限り、本人の性自認を尊重する対応をとるべき(←裁判官のお気持ちは、根拠にならない)といえる。本件においても、上告人は、当面、性別適合手術を受けることができない健康上の理由があったというのであり、性別適合手術を受けておらず、戸籍上はなお男性であっても、経済産業省には、自らの性自認に基づいて社会生活を送る利益をできる限り尊重した対応をとることが求められていたといえる(←国家公務員法86条から「自らの性自認に基づいて社会生活を送る利益」をひねり出すのは無理ではないか。所詮は、生の利益衡量になってしまふ)。

3 経済産業省は、職員の能率が充分に発揮され、かつ、その増進が図られるように服務環境を整備する義務を負っているところ(国家公務員法71条1項)(←義務ではなく、単なる責務では?)、庁舎内のトイレについて、上告人の自らの性自認に基づいて社会生活を送る利益に配慮するとともに、同僚の職員の心情にも配慮する必要がある。本件で経済産業省が、女性職員が上告人と同じ女性トイレを使用することに対する違和感・羞恥心等を重視してとった対応が上告人の自らの性自認に基づいて社会生活を送る利益に対する制約として正当化できるかを検討すると、法廷意見が指摘するとおり、上告人が女性トイレを使用することにより、トラブルが生ずる具体的なおそれはなかったと認められる。そして、本件判定が行われた平成27年5月29日の時点では、上告人が女性の服装で勤務を開始してから4年10か月以上経過しており、上告人がその名を変更し職場においてその名を使用するようになった平成23年6月からは約4年が経過していた。したがって、本件判定時には、たとえ、上告人がMtFのトランスジェンダーで戸籍上はなお男性であることを認識している女性職員が、本件執務階とその上下の階の女性トイレを使用する可能性があったとしても、そのことによる支障(←女性職員が、本件執務階とその上下の階の女性トイレを使用することによって、いかなる支障が女性職員に生ずるといふのか? ここは文章がちょっとをかしいのではないか)を重視すべきではなく、上告人が自己の性自認に基づくトイレを他の女性職員と同じ条件で使用する利益を制約することを正当化することはできないと考えられる。さらに、上告人が戸籍上は男性であることを認識している同僚の女性職員が上告人と同じ女性トイレを使用することに対して抱く可能性があり得る違和感・羞恥心等は、トランスジェンダーに対する理解が必ずしも十分でないことによるところが少なくないと思われるので、研修により、相当程度払拭できると考えられる(←研修を実施しても、違和感等が払拭できない場合はどうなるのか? 払拭できるまで、五回でも六回でも研修を受け続けなければならないのか?)。上告人からカミングアウトがあり、平成21年10月に女性トイレの使用を認める要望があった以上、本件説明会の後、当面の措置として上告人の女性トイレの使用に一定の制限を設けたことはやむを得なかったとしても、経済産業省は、早期に研修を実施し、トランスジェンダーに対する理解の増進を図りつつ、かかる制限を見直すことも可能であったと思われる(←可能であったかもしれないが、見直しをする義務まではないのでは?)にもかかわらず、かかる取組をしないまま、上告人に性別適合手術を受けるよう督促することを反復するのみで、約5年が経過している。この点については、多様性を尊重する共生社会の実現に向けて職場環境を改善する取組が十分になされてきたとはいえないように思われる(←そのやうな取組をしなければならないとする、法的根拠はなにか?)。

4 結論として、本件判定部分は、本件の事実関係の下では、人事院の裁量権の行使において、上告人がMtFのトランスジェンダーで戸籍上はなお男性であることを認識している女性職員が抱くかもしれない違和感・羞恥心等を過大に評価し、 上告人が自己の性自認に基づくトイレを他の女性職員と同じ条件で使用する利益を過少に評価しており、裁量権の逸脱があり違法として取消しを免れないと思われる。

 

裁判官長嶺安政の補足意見は次のとおりである。

私は、法廷意見に賛成であるが、さらに以下の点を敷衍しておきたい。 本件説明会において、担当職員が、数名の女性職員の態度から違和感を抱いていると見たことから、経済産業省としては、職員間の利益の調整を図ろうとして、本件処遇を導入したものと認められるところではあるが、トイレの使用への制約という面からすると、不利益を被った(←性同一性障害の男が、女性用便所を使用できないといふことが、その者の不利益とはたしていへるのか、疑問である)のは上告人のみであったことから、調整の在り方としては、本件処遇は、均衡が取れていなかったといわざるを得ない。もっとも、上告人は、本件説明会の翌週から女性の服装等で勤務するようになったというのであるから、本件処遇は、急な状況の変化に伴う混乱等を避けるためのいわば激変緩和措置とみることができ、上告人が異を唱えなかったことも併せて考慮すれば、平成22年7月の時点において、一定の合理性があったと考えることは可能である。しかし、本件判定時に至るまでの4年を超える間、上告人は、職場においても一貫して女性として生活を送っていたことを踏まえれば、経済産業省においては、本件説明会において担当職員に見えたとする女性職員が抱く違和感があったとしても、それが解消されたか否か等について調査を行い(←仮に、調査した結果、違和感が解消されてない、となったらどうなるのか?)、上告人に一方的な制約を課していた本件処遇を維持することが正当化できるのかを検討し、必要に応じて見直しをすべき責務(←義務ではない?)があったというべきである。そして、この間、上告人によるトイレ使用をめぐり、トラブルが生じることもなかったというのである。上記の経緯を勘案し、また、自認する性別に即して社会生活を送ることは、誰にとっても重要な利益であり(←女湯に入りたくて「自分は女である」と自称する男にとっても、重要な利益なのか? 赤の他人が「本物」と「偽物」の区別を、どうすればできるといふのだらう)、取り分けトランスジェンダーである者にとっては、切実な利益であること、そして、このような利益は法的に保護されるべきものと捉えられること(←前述の「不用意な不法行為法の改正」の影響が、ここに現れてゐる)に鑑みれば、法廷意見がいうように、人事院が上告人のトイレの使用に係る要求を認めないとした本件判定部分は、著しく妥当性を欠いたものであると考える次第である。

 

裁判官渡惠理子の補足意見は次のとおりである。

私は、その主文および理由ともに、法廷意見に賛同するものであるが、トランスジェンダー(MtF)である上告人による本件庁舎内のトイレ利用の検討について補足意見を述べておきたい。私は、経済産業省に施設管理権等に基づく一定の裁量が認められることを否定するものではないが、原判決も認めるとおり、性別は、社会生活や人間関係における個人の属性として、個人の人格的な生存と密接かつ不可分であり、個人がその真に自認する性別に即した社会生活を送ることができることは重要な法益として、その判断においても十分に尊重されるべきものと考える(←お気持ではなく「法律上保護される利益」であるとする法的根拠はなにか?)。 もっとも、重要な法益であっても、他の利益と抵触するときは、合理的な制約に服すべきことはいうまでもなく、生物学的な区別を前提として男女別トイレを利用している職員に対する配慮も必要であり、したがって、本件についてみれば、トランスジェンダーである上告人と本件庁舎内のトイレを利用する女性職員ら(シスジェンダー)の利益が相反する場合には両者間の利益衡量・利害調整が必要となることを否定するものではない(←生の利益衡量なら、そこらの一般人でもできることである)。しかしながら、女性職員らの利益を軽視することはできないものの、上告人にとっては人として生きていく上で不可欠ともいうべき重要な法益(←女性用便所を使用することが、か?)であり、また、性的マイノリティに対する誤解や偏見がいまだ払拭することができない現状の下では、 両者間の利益衡量・利害調整を、感覚的・抽象的に行うことが許されるべきではなく、客観的かつ具体的な利益較量・利害調整が必要であると考えられる(←客観的かつ具体的な利益較量・利害調整といってみても、結局裁判官がどう感じたか、で結論が決まることには変はりがない)。本件についてみれば、上告人は、性別適合手術を受けていないものの、本件説明会の翌週から女性の服装等で勤務するようになり、社会生活を送るに当たって、行動様式や振る舞い、外見の点を含め、女性として認識される度合いが高いものであったということができたのであり、上告人による女性トイレの利用に当たっては、法廷意見や1審判決が判示するとおり、女性職員らの守られるべき利益(上告人の利用によって失われる女性職員らの利益)とは何かをまず真摯に検討することが必要であり、 また、そのような女性職員らの利益が本当に侵害されるのか、侵害されるおそれがあったのかについて具体的かつ客観的に検討されるべきである(←不埒なことをしないのであれば、男が女性用便所に入ってもよい、といふことなのか?)。そして、本件についてみれば、経済産業省は本件説明会において女性職員が違和感を抱いているように「見えた」ことを理由として、上告人に対しては執務する部署が存在する階のみならずその上下の階、あわせて3フロアの女性トイレの利用も禁止するという本件処遇を決定し、その後も、上告人が性別適合手術を受けず、戸籍上の記載が男性であることを理由にこれを見直すことなく約4年10か月にわたり本件処遇を維持してきたものであり、このような経済産業省の対応が合理性を欠くことは明らかであり(←この点は人により評価が異なる)、また、上告人に対してのみ一方的な制約を課すものとして公平性を欠くもの(←上告人が男性用便所に入ることは自由である)といわざるを得ない。とりわけ、一般に、当初はトランスジェンダーによる自認する性別のトイレ利用に違和感を持ったとしても当該対象者の事情を認識し、理解することにより、時間の経過も相まって緩和・軽減することがあるとする指摘がなされており(一件記録によれば、このように考えていた女性職員らが存在したこともうかがわれる)(←そのやうには考へられない女性職員も、存在するであらう)、また、誤解(←どのやうな誤解?)に基づく不安などの解消のためトランスジェンダーの法益の尊重にも理解を求める方向で所要のプロセスを履践することも重要であるという指摘もなされている。そして、このような観点からは、仮に経済産業省が当初の女性職員らからの戸惑いに対応するため、激変緩和措置として、暫定的に、執務する部署が存在する階のみの利用を禁止する(その必要性には疑問が残るが、たとえ上下2フロアの女性トイレ利用まで禁止する)としても(←ここは文章が変ではないか。ここは【激変緩和措置として、暫定的に、(その必要性には疑問が残るが)上下2フロアの女性トイレ利用までをも禁止することとしたのであるが、たとえ執務する部署が存在する階のみの利用を禁止することとしたとしても】ではないか?)、徒らに性別適合手術の実施に固執することなく、施設管理者等として女性職員らの理解を得るための努力を行い(←努力をするだけで、なすべきことをなしたことになるのか。結果的に女性職員らの理解を得ることができなくても、それは仕方ない、といふことになるのか)、漸次その禁止を軽減・解除するなどの方法も十分にあり得たし、また、行うべきであった。 また、原審の認定事実によっても、本件説明会において女性職員らが異議を述べなかったことの理由は明らかではない(←女性職員が異議を述べたか述べなかったかで「女性用便所に入る自由」が左右されることになるのか?)。上告人が男性であると認識していたために、上告人が女性トイレの利用を希望することを知って戸惑う女性職員が存在することそれ自体は自然な流れであるとしても、本件説明会において女性職員らが異議を述べなかった理由は一義的ではなく複数あり得るものである。すなわち、女性職員らが、上告人にその自認する性別のトイレ利用を認めるべきであるとの認識の下で異議を述べなかったことも考えられる(一件記録によれば、このような女性職員の存在もうかがわれる)。また、女性職員らが、異議ある旨の意見を多数の前で述べることに気後れした可能性がないとは言い切れないものの、戸惑いながらも上告人の立場を配慮するとやむを得ないと考えた場合や反対することは適切ではないのではないかと考えた場合(←差別だ、差別だ、と非難されたくなかったのかもしれない)(一件記録によれば、このように考えた女性職員らの存在もうかがわれる)などの理由による場合も十分にあり得ると考えられる。原判決が、こういった女性職員らの多様な反応があり得ることを考慮することなく、「性的羞恥心や性的不安などの性的利益」という感覚的かつ抽象的な懸念(←とは言ひきれないであらう)を根拠に本件処遇および本件判定部分が合理的であると判断したとすると、多様な考え方の女性が存在すること(←原判決は、このこと自体は別に否定してはゐないのではないか?)を看過することに繋がりかねないものと懸念する。以上のとおり、トイレの利用に関する利益衡量・利害調整については、確かに社会においてこれまで長年にわたって生物学的な性別に基づき男女の区別がなされてきたことやそのような区別を前提としたトイレを利用してきた職員に対する配慮は不可欠であり、また、性的マイノリティである職員に係る個々の事情や、例えば、職場のトイレであっても外部の者による利用も考えられる場合には不審者の排除などのトイレの安全な利用等も考慮する必要が生じるといった施設の状況等に応じて変わり得るものである。したがって、取扱いを一律に決定することは困難であり、個々の事例に応じて判断していくことが必要になることは間違いない(←しかし、法である以上は、ある程度の一般性は保たなければならないのでは? 「アナタダケ特別デス」といふわけにはいかない)。しかしながら、いずれにしても、施設管理者等が、女性職員らが一様に性的不安を持ち、そのためトランスジェンダー(MtF)の女性トイレの利用に反対するという前提に立つことなく、可能な限り両者の共棲を目指して、職員に対しても性的マイノリティの法益の尊重に理解を求める方向での対応と教育等を通じたそのプロセスを履践していくことを強く期待したい(←お気持ちの表明は日記とか、よそでやってほしい。共棲は無理だ、となったらどうするのか)。

 

裁判官林道晴は、裁判官渡惠理子の補足意見に同調する。

 

裁判官今崎幸彦の補足意見は次のとおりである。

トランスジェンダーの人々が、社会生活の様々な場面において自認する性にふさわしい扱いを求めることは、ごく自然かつ切実な欲求であり、それをどのように実現させていくかは、今や社会全体で議論されるべき課題といってよい。トイレの使用はその一例にすぎないが、取組の必要性は、例えばMtF(Male to Female)のトランスジェンダーが意に反して男性トイレを使用せざるを得ないとした場合の精神的苦痛を想像すれば明らかであろう。本件説明会において、上告人は、女性職員を前に自らがトランスジェンダーであることを明らかにしているが、引き続き行われた意見聴取の際には女性職員から表立っての異論は出されていない(←匿名での意見表明なら、また違ってくるかもしれない)。その後上告人は本件処遇に従い使用を許された階の女性トイレを使用しているところ、その期間は本件判定の時点で約4年10か月(休職期間を除いても約3年8か月)にわたっているが、その間何らの問題も生じていない(←結果論)。加えて、原審の認定事実によれば、本件説明会に先立ち、上告人は、平成10年頃から継続的に女性ホルモンの投与を受け、平成20年頃からは私的な時間の全てを女性として過ごすようになっており、そのことを原因として問題が生じたことはなかったというのである。法廷意見は、こうした事案において、直接には上告人の行政措置要求に対する人事院の本件判定部分の当否を判断の対象としているが、実質においては上告人に対する経済産業省当局の一連の対応の評価が核心であったことはいうまでもない。その観点から得るべき教訓を挙げるとすれば、この種の問題に直面することとなった職場における施設の管理者、人事担当者等の採るべき姿勢であり、トランスジェンダーの人々の置かれた立場に十分に配慮し、真摯に調整を尽くすべき責務があること(←職場における施設の管理者、人事担当者等に、調整を尽くすべき法的な義務が、当時認められるのかが問題)が浮き彫りになったということであろう。 課題はその先にある。例えば本件のような事例で、同じトイレを使用する他の職員への説明(情報提供)やその理解(納得)のないまま自由にトイレの使用を許容すべきかというと、現状でそれを無条件に受け入れるというコンセンサスが社会にあるとはいえないであろう(←社会評論家ではなく、裁判官としての判断をしてほしい)。そこで理解・納得を得るため、本件のような説明会を開催したり話合いの機会を設けたりすることになるが、その結果消極意見や抵抗感、不安感等が述べられる可能性は否定できず、そうした中で真摯な姿勢で調整を尽くしてもなお関係者の納得が得られないという事態はどうしても残るように思われる(杞憂であることを望むが)。情報提供についても、どのような場合に、どの範囲の職員を対象に、いかなる形で、どの程度の内容を伝えるのか(特に、本人がトランスジェンダーであるという事実を伝えるか否かは場合によっては深刻な問題になる。もとより、本人の意思に反してはならないことはいうまでもない。)(←本人が「トランスジェンダー」であるといふ事実を周囲に伝へることなく、女性用便所に入ることが、はたして許されるのか? 「本物」と「偽物」の判別は、どのやうにすれば可能なのか)といった具体論になると、プライバシーの保護(←「トランスジェンダー」であるといふ事実が、私事(プライバシー)として、法的な保護の対象になる、といふのは何か法的な根拠があることなのだらうか? やっぱりこれも、単なる裁判官のお気持ちの表明にすぎないのか?)と関係者への情報提供の必要性との慎重な較量が求められ、事案によって難しい判断を求められることになろう。こうした種々の課題について、よるべき指針や基準といったものが求められることになるが、職場の組織、規模、施設の構造その他職場を取りまく環境、職種、関係する職員の人数や人間関係、当該トランスジェンダーの職場での執務状況など事情は様々であり、一律の解決策になじむものではないであろう(←ある程度の基準でさへ、つくることはできないといふことか)。現時点では、トラ ンスジェンダー本人の要望・意向と他の職員の意見・反応の双方をよく聴取した上で、職場の環境維持、安全管理の観点等から最適な解決策を探っていくという以外にない。今後この種の事例は社会の様々な場面で生起していくことが予想され、それにつれて頭を悩ませる職場や施設の管理者、人事担当者、経営者も増えていくものと思われる。既に民間企業の一部に事例があるようであるが、今後事案の更なる積み重ねを通じて、標準的な扱いや指針、基準が形作られていくことに期待したい。併せて、何よりこの種の問題は、多くの人々の理解抜きには落ち着きの良い解決は望めないのであり、社会全体で議論され、コンセンサスが形成されていくことが望まれる。 なお、本判決は、トイレを含め、不特定又は多数の人々の使用が想定されている公共施設の使用の在り方について触れるものではない。この問題は、機会を改めて議論されるべきである。

 

(令和5年7月19日 加筆)