令和4年5月25日の在外日本国民最高裁判所裁判官国民審査権行使制限規定違憲大法廷判決について | 団栗の備忘録

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心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく書きつけます。なるべく横文字を使はずにつづります。無茶な造語をしますがご了承ください。「既に訳語があるよ」「こっちのはうがふさはしいのでは?」といふ方はご連絡ください。

最高裁のお部屋(HP)から、令和4年5月25日の在外日本国民最高裁判所裁判官国民審査権行使制限規定違憲判決(大法廷判決)の判決文を印刷し、読んだので、その感想を述べます。いつものやうに、盲蛇に怖ぢずの類の寸評ですので、気楽に読んでください。

 

まづ、憲法79条2項の条文の文言について。「最高裁判所の裁判官の任命は、その任命後初めて行はれる衆議院議員総選挙の際国民の審査に付し、その後十年を経過した後初めて行はれる衆議院議員総選挙の際更に審査に付し、その後も同様とする。」となってゐますが、これはちょっと日本語が変です。最初の部分は「任命された最高裁判所の裁判官については、その任命後初めて行はれる衆議院議員総選挙の際国民の審査に付し、…」とすべきでせう。あるいはこの文言は「その裁判官を任命したことについて、その任命行為が妥当なものであったかどうかを審査する」といふ意味なのでせうか。しかしそれだと、同じ裁判官を十年経過する毎に何度でも審査する、といふこととの整合性がとれません。もしかして、Miss Olivia、ぢゃなかった、GHQと折衝に当たった日本側担当者は、英語を話すことが不自由?

 

あと、最高裁判所裁判官国民審査法14条も意味が分かりません。

(投票用紙の調製)

第十四条 投票用紙には、審査に付される裁判官の氏名として通知裁判官の氏名を第四条の二第一項の規定による通知の順序により印刷するとともに、審査に付される裁判官としてその氏名を印刷する者のそれぞれに対する×の記号を記載する欄を設けなければならないものとし、都道府県の選挙管理委員会は、別記様式に準じて投票用紙を調製しなければならない。

② 前項の規定にかかわらず、第四条の二第二項に規定する場合には、投票用紙には、審査に付される裁判官の氏名として新通知裁判官の氏名を同項の規定による通知(当該通知が二以上あるときは、その直近のもの)の順序により印刷するとともに、審査に付される裁判官としてその氏名を印刷する者のそれぞれに対する×の記号を記載する欄を設けなければならないものとし、都道府県の選挙管理委員会は、別記様式に準じて投票用紙を調製しなければならない。

わからないのは第1項及び第2項の〈審査に付される裁判官としてその氏名を印刷する者のそれぞれに対する×の記号を記載する欄を設けなければならないものとし、〉の部分です。おそらくここは〈その氏名のそれぞれについて×の記号を記載する欄を設けなければならないものとし、〉といふことが言ひたかったのだと推察しますが、助詞の使ひ方が独特過ぎて、読解できません(「その氏名を印刷する者」とは投票用紙を印刷する業者のことなのか? もしここが「審査に付される裁判官としてその氏名が印刷されている者のそれぞれに対する×の記号を記載する欄を設けなければならないものとし、」であればからうじて理解できます)。もしかして、私は日本語を読むことが不自由?

 

この大法廷判決を下した裁判官の中には、平成29年10月22日執行の国民審査で審査の対象となった裁判官が、長官を含めて四人ゐます。事案の関係者は、裁判官としてその案件に関与することができないはずでは? いいのでせうか。

 

国民審査権が認められなかったために、原告は精神的苦痛を受けたので、被告は金5000円を支払へ、とのことですが、なぜ50円や50万円ではなく、5000円なのでせうか。その金額の根拠は何でせうか。仮に日本がもっと経済的に落ちぶれてゐて、常時数千万人の有権者が外国に出稼ぎに出てゐるといふ状況だったら、損害賠償額もまた違ってゐたのでせうか(僕も私もその時外国にゐて、国民審査権を行使できなかったので5000円くださいといふ訴へが、裁判所にたくさん押し寄せることになるでせう)。国民審査の用紙を渡されても「いや、名前も顔も全然知らないし。ふさはしくない裁判官に×をつけろといはれても無理」と思ふのが有権者の大多数ではないでせうか。国民審査の用紙を渡されなかったことが、そんなに苦痛だったのでせうか。まあ、気持ちはわかりますが。「みんな用紙を渡されてゐるのに、なんで自分だけ」「悔しい(悔しい!)悔しい(悔しい!)悔しい(悔しい! だが、これで)よくない!」

 

第一審では、原告は損害賠償額として金一万円を請求してゐましたが、一審判決では金5000円に減額されてしまひました。その理由がケッサクです。曰く〈本件訴訟において在外国民の国民審査権の行使を制限することが違憲であると判断され、それによって、前回国民審査において投票をすることができなかったことにより原告らが被った精神的苦痛は相当程度回復されるものと考えられることなどの事情を総合勘案すると、原告らが被った精神的苦痛を慰謝するには、それぞれ金5000円を下らないというべきである。〉と。お聞きになりまして、奥様。「裁判所で違憲判決を出してやったんだから、お前らもこれで大分慰撫されただらう?」ですって。まさか判決文を読むことでおなかの脂肪を落とすことができるなんて、今まで知りませんでしたわ。

 

判決文には被告が誰だか書かれてゐないので、全くわからないのですが、中央選挙管理会でせうか。もしさうだとすると、中央選挙管理会は「現在存在する法律」に従って選挙を行はざるを得ないので「国会が」法律を制定しないがために国民審査権を行使できない、といはれてもどうしやうもありません。被告である中央選挙管理会には責任はないと思ひます。お門違ひだと思ひます。

 

「来年の事を言へば鬼が笑ふ」といふ諺があります。次回の国民審査執行の日までに、在外国民は日本に帰国して日本国内に住民票を移してゐるかもしれませんし、日本国籍を離脱してゐるかもしれません。また死亡してゐるかもしれません。個々の在外国民が「次回の」国民審査権を持つ、といふことを裁判で確認するのは無理でせう。

 

判決は「憲法は、選挙権と同様に、国民に対して審査権を行使する機会を平等に保障しているものと解するのが相当である。」と言ひますが、これは国民審査権にも憲法44条を類推適用する(44条は「両議院の議員及びその選挙人の資格」についての規定であり「国民審査の審査人」のことには直接言及してゐません)といふ趣旨でせうか。それとも国民審査権は基本的人権の一つである、といふ趣旨でせうか。もし前者だとすると、外国に住所地がある者と、日本国内に住所地がある者とで区別をすることは、44条の列挙事由のいづれにも該当しませんので、憲法違反とはいへないと思ひます。もし後者だとすると、国民主権の原理は様々な立法の形を許容しますので、国民主権の原理といふ理由付けだけでは弱いと思ひます。在外国民に審査権を認めないとする立法の形が、国民主権の原理に反するとは思へません。憲法15条1項は「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。」と規定しますが、各省庁のお役人を、国民が選挙で選んだり、解職(リコール)したりするといふ制度にはなってゐません。どの範囲の国民が、どの公務員を、投票や解職といふ制度で、選定・罷免できるか、といふことについては、国民主権原理からは一義的に決まりません。たとへば(憲法と民法とで「成年者」の年齢を異にすることも可能ですが、日本では今のところ一致させてゐます)、民法や公職選挙法で「年齢二十五歳をもって、成年とする。」と規定した場合には(憲法自身は何歳をもって「成年者」とするかは決めてをらず、法律に委ねてゐます)十八歳から二十四歳の者は選挙権がないことになります。なぜなら憲法15条3項は、公務員の選挙については「成年者による」普通選挙を保障してゐるだけだからです。また、憲法15条3項は、公務員の「選挙」については「成年者による」普通選挙を保障してゐますが、最高裁の裁判官の「国民審査」については「成年者による」国民審査を保障するとは言ってゐません。なのでもし国民審査法で「国民審査の審査人になれるのは、二十歳以上の者に限定する」と定めれば、成年である十八歳と十九歳の者には審査権がないことになりますが、この条項が憲法に違反するとは思へません(実際、つい最近まではさうだったわけだし)。日本国憲法が要求してゐることは「最高裁の裁判官は十年毎に国民の審査に付される」「投票者の多数が裁判官の罷免を可とするときは、その裁判官は、罷免される」といふこと、それだけです。その他の事項については、法律の定めるところに任せる、と言ってゐます。憲法79条4項は、審査に関する事項は、法律でこれを定める、と規定してゐますので、法律が在外日本国民に審査権を認めないとしてゐれば、在外日本国民に審査権はないと思ひます。

 

選出母体の有権者が国会議員候補者に対し(たとへば)「消費税法を廃止しろ」と命令することや、選挙時の、消費税法を廃止しますといふ公約に反して、消費税率を上げる法案に賛成票を投じる行動をとった国会議員を、解職(リコール)することは、憲法43条に違反するとされてゐます。更に憲法51条は、国会議員が(憲法違反ではないかとの疑ひが強い)法律を制定したことや(憲法上望ましいと思はれる)法律を制定しなかったことに対して、法的な責任を問はれることはないと規定してゐます。これらの規定から考へると、国会議員には、不合理な法律を廃止したり、憲法上望ましいと思はれる法律を制定したりする「政治的な責務」はあるけれども「法的な義務」はないと思はれます。

 

国会には立法をなす義務があった、といひますがその義務はいつの時点で生じたのでせうか。まづ、原告が胎児になる前は、国会には義務はないでせう。権利義務は人間(法人を含む)と人間の間でのみ、発生するものだからです。また、原告が国民審査権を行使できる年齢(以前は二十歳、現在は十八歳)になる前も、原告との関係において国会には立法義務はないでせう。原告が国民審査権を行使できる年齢に達しても、日本国内に住所があれば、国民審査権を行使できるのだから、やはり立法義務はないと思ひます。この時点で国家賠償請求の訴訟を起こしても、アンタ、何も権利を侵害されてないでせう? といはれて終はりです。では、原告が外国に行って日本国内に住所がなくなった時点で、国会に立法義務が生じたのでせうか。しかし外国に行ったのは原告自身の意思で行ったのであり、国が原告を国外追放処分にしたわけではありません。それに誰がいつ外国に行ったのかは国会議員にはわかりません。従って国会には義務違反はないのではないかと思ひます。最高裁は「遅くとも平成29年国民審査の当時においては、在外審査制度を創設する立法措置をとることが必要不可欠であり、それが明白であるにもかかわらず、国会が理由なく長期にわたってこれを怠ったものといえる。」といひますが、国会議員が知りたいのは「遅くとも」ではなく「早ければ」のはうです。一体自分たちが立法義務違反になったのは何時からなのか、が知りたいわけです。裁判所にとっては明白であっても国会議員にとっては全然明白ではありません。明らか、といふのは裁判所の感想ですよね? なんだらう、憲法も国民審査法も(この点については)改正されてないのに、社会が変化したといふ理由でいつの間にか立法義務が発生してゐて、立法不作為が違憲になる、といふのやめてもらっていいですか。

 

『日本国憲法が想定する法律状態』といふものがあり、国会議員は常にその状態を保持する「法的な義務」がある(単に政治的な責務がある、といふことではない)。その状態から外れてしまった場合には、国会議員は法的義務違反の誹りを受ける。そして『日本国憲法が想定する法律状態』なるものが何であるかを判断するのは、裁判官である」多分裁判官たちの憲法観はこんな感じなのでせう。しかし、三権分立の観点からして、裁判所が国会に対して、かういふ法律を制定しろだの、あの法律を廃止しろだの、お茶買ってこい、灰皿よこせ、だの指図するのはをかしいと思ひます。もしこの手口が使へるとなれば、様々な政治的主張が裁判所に押し寄せることになるでせう。なにしろ国会で多数派を形成しなくても、法律を通すことができるわけですから。

 

(令和4年6月11日、13日加筆)