春。

3月。

Spring。

あっという間。




ワタシはよく、

「去年の今日は何をしていたかな?」

と、手帳やスマホを確認します。




いや、今更過去を振り返ってみても

意味は無いことかも知れませんが、

ついやってしまいます。




特に自分でしなくても、

Google先生などが

「ほれ、去年のあなたはこんなことしてましたよ」

と、わざわざ教えてくれますしね。




しかも去年どころか、

10年前、15年前など、

かなり前の情報までご提供してくれるので、

良い思い出も、苦い思い出も

否応なしに蘇ってきます指差し



母がそばにいる時は、

ちょっと無理してでも外に連れ出して

一緒に散歩をしました。

これは良き思い出ニコニコキューン



特に春のこの時期は、

桜を愛でにあちこち連れて出かけたものでした。



さらにもっと昔は、

母と旅行にもよく出かけました。

母はいつも「どこかに連れてって」とか

「一緒に行こう」とか

とワタシに言いました。



ワタシは、

「母を連れてってあげる」」

という感覚でいましたし、

途中でケンカなどになると、

←些細なことでするんですよね💦

ワタシは切り札のように

「もう二度と一緒に出かけない‼️」

と言い放ち、

母をシュンとさせたものでした。。




時が経ち、母がそばにいない今。

当たり前のことが当たり前で無くなった今赤ちゃん泣き



どこへ出かけるにも母を連れていたのに

その母がいない。

だからワタシは必然と出かけることが少なくなり、

桜も愛でに出かける、等ということが

グンと少なくなってしまいました。



1人で出かければいい話だし、

1人が寂しければ、友達を誘えばいいこと。

だけども、それは何か違う気がする。。

出かけるのが目的はなく、

母と一緒に、ということが重要なのであったから。



で。

最近よく思うんです。


「連れてってあげたんじゃなくて、

連れて行ってもらってたんだ」

と。



母がいたからこそ、

色んなところに行くことが出来たワタシ。


ちょっとしたお出かけだって、

近所の散歩や買い物だって、

母がいたから何倍も楽しかったし、

心穏やかでいられた。


車椅子も重かったし、

途中でトイレに寄るのも大変だったし、

酸素ボンベのアラームも怖かったし、

何だかんだ大変だったけど、

結果、ワタシが連れていってもらったんだ。

と、今更ながらそう思うのです。



母がいたから、

本当に色んなところに出かけられた。

心からそう思う。



また一緒に出かけられる日を願って、

精一杯心を精進させようと思う、

今日この頃のサトエダなのです。






母と観たいつかの🌸。