こんにちは。
つなぎびと雫です。

いつもお読みくださり
ありがとうございます。


こちらの続きを
書いていきたいと思います。





心穏やかに

心豊かに

日々
生きていきたい




新月の日に願ったこと



ようやく

心の奥で
しっかりと
感じることが出来たように思います。



その瞬間
心地よさが広がっていく
のが分かりました。




誰もが望んでいることは
きっと

心が満たされること




沢山のお金があっても
沢山の高級品に囲まれていても
沢山の贅沢をし尽くしても
沢山の人に囲まれていても


心が伴っていなければ
虚しいだけ


一時的に
満たされたつもりになっても

それは
ずっとずっと際限なく
繰り返されていくのでしょう。



一見
満たされているように見えても
隙間だらけで
内側から光を放つことは出来ないのです。



心豊かであるとは

ぴったりと
ハートに寄り添った状態


だから
必要以上に
何かを求めることはなく
ちょうどよい状態が
常に与えられていく


だから
いつだって
にこにこと
心穏やかでいられるのです。



このことをいつだって
信頼していられたら
その通りになっていき


ひとりひとりがそのことを
信頼していられたら

世界はいつだって
ちょうどよい
心地よさで包まれるのです。



このことを
ようやく
体感出来たように
今思っています。



今朝のブログに書きました
昨夜からの体験と夢について
書いていきたいと思います。



夜氣づくと
布団の中が
薄紫色の光で溢れていました。


どこまでも透き通り
艶やかな光沢感までも
たたえていました。



その光は
彼女から放たれていました。

その色は
初めて出逢ったとき纏っていた色と同じでした。



そして
そのままに眠ってしまい
夢を見ました。



それは
水の夢
でした。



わたしは
すべてを潤わし
すべてを癒す
水に巡り合いました。



その水に触れるだけで
からだの内側も
外側も
よみがえっていく水でした。



その水を飲んだり
顔を洗ったりして
整っていく様に
喜んでいました。



この水をみんなに届けたいと
思っていました。



だけど

その水を管理している人がいて
その人に言われるのです。



この水は

清らかであり
清らかではないと


わたしにとって
すばらしい水でも
そうではないということなのか…



清らかであり
清らかではない

この言葉が妙に
起きたあとも残っていました。



夢の中で
この言葉を聞いたとき
不思議と納得していたことを
覚えています。



全く同じ水でさえ
真逆に変わってしまう





生徒さんたちのおかげで
どんどん氣づき
繋がっていったこと


2020年4月8日
の自分史上
一番の体験を思い出し

そして
そこから繋がっていったことを
思い出していきました。


陰と陽は
常に表裏一体であり
すべてに
両方の側面がある。



陰と陽は
本来
ひとつ


偏れば真逆になってしまう。



本来
ひとつのものに対して


こっち側が正しい
そっち側は間違っている


こっち側が善で
そっち側は悪だ


こっち側が優れていて
そっち側は劣っている



この世界は二極だから

必ず

裏の側面がある


でも

それは見ていないだけの

裏側


今もなお

淘汰されずに残っている

古代の叡智は

道標として

表と裏を

創造している


それは

この世界が

二極を通して

学び

氣づき

成長していく

(本来の自分に還る)

場であったから



二極の対極には

本来の自分に還る

メッセージが刻まれていた



二極は

分離を生むために

創られたのではない



そこにある

大切なメッセージに

ひとりひとりが

氣づいていくために

創られた


氣づいていく

過程こそ

大切で必要なものだったから



ひとつの

に繋ぎ直してゆくために



でも


これからは

二極から

学び

氣づくのではなく



すでに

ひとつのわである

そのことから

学び

氣づいていくときがきた



全てが

そこの中にある




↑水に触れたときに
受け取ったメッセージです。




世界を
ちょうどよい心地よさで
包み込むために

ひとりひとり

心豊かであること。


それは

ひとりひとりの
真ん中
ハートにぴったり
寄り添っていること。




いつも最後まで
お読みくださりありがとうございます。

愛と感謝を込めて。
氣づきと心の解放が生まれますように。