借金は年間の売り上げの二割以内に抑える
以前、ある銀行が、融資先に対して、「おたくの宗教は仏教ですか。それはよかった。キリスト教なら、自殺が禁止されているから死ねないけれども、キリスト教でなければ問題ないでしょう。死んだら生命保険金が入りますから、ご主人に頑張ってもらいなさい」というようなことを言ったとして、マスコミから追及されたことがありました。
銀行のやり方は昔からワンパターンです。銀行員には、融資をするときに、「あなたは生命保険に入っていますか」と、すぐに訊くような、嫌なところがあります。そういう、自殺を慫慂するような銀行の取り立てによって、迷惑を被っている人もいます。できれば、そんな“経済学”は持ちたくないものです。
実際、私自身も、幸福の科学の初期に、銀行の担当者から、「ところで、先生は生命保険に入っているのですか」と訊かれたことがあります。ほんとうにワンパターンで腹立たしいことです。
銀行の担当者が、「生命保険に入っていないと融資はできない」という言い方をするので、「最初から人に『死ね』と言うのか。そんなところから誰が借りるものか」と思いました。生命保険は担保の代わりなのでしょうが、そういう考え方は嫌なものです。
商売においては、なかなか難しいとは思いますが、できれば無借金経営に持っていく努力をしてください。無借金経営をしていて首を吊った人はいないのです。首を吊った経営者は借金がある人ばかりです。
もちろん、借金があっても、それを返せる人は首を吊りませんが、「借金を返せないため、高い利息を取る別のところに借り換えていき、それで追い込まれて死ぬ」というケースがほとんどなのです。
経営者の自殺の原因は、ほとんどが借金です。あとは、脅迫をされたりして、追い詰められて死ぬ場合もあります。
したがって、「借金は悪である」と思ったほうがよいのです。
ただ、全国民が、私の言うことをきいて借金をしなくなったら、銀行が潰れて、また自殺者がたくさん出てしまうので、そこまで無借金経営を徹底させるのは極端でしょう。
借金は、「するな」と言われても、どうしてもするものです。私は、それを知った上で、あえて、念のために言っているわけです。
なるべく無借金経営を目指したほうが望ましいし、借金をする場合でも、できれば年間の売り上げの二割以内に抑えたほうがよいのです。売り上げの三割ぐらいまでは、借金ができる可能性はあるかもしれませんが、できれば二割ぐらいに抑えてください。
年商が一億円ならば、借金は二千万円ぐらいまでに抑えておくことです。借金が、二千万円を超えて、五千万円、六千万円、あるいは、年商と同じ一億円ぐらいの金額になったりしたら、借金を返せなくなります。
できれば無借金が望ましいし、それができないなら、借金は年間の売り上げの二割程度までに抑えてください。そして、チャンスがあれば返していき、借金の額を減らすことです。
借金をつくる原因は、ほとんど、見栄による事業拡張や投資、あるいは、先見の明がなく見通しを誤ることです。もちろん、急激な環境の変化によって売り上げが減る場合もあるでしょうが、できるだけ無借金経営を願ってください。
金融機関には“日傘”しかないと思うこと
トヨタ自動車は、現在、財務体質の強い会社ですが、昔は資金に困ったこともありました。そのときに銀行が融資をしてくれなくて苦労したため、トヨタは、「もう銀行からは借りない。これからは自己資金で生きよう」と考え、無借金経営を築いたのです。「銀行がお金を貸してくれない」という経験をして、そのような経営方針を採ったわけです。
「金融機関は、こちらがお金を貸してほしいときには、貸してくれないものだ」と思わなければいけません。こちらが借りたいときには貸さず、こちらが借りたくないときには貸したがるのです。
あまのじゃくで嫌な性格ですが、「金融機関には、日傘しかなく、雨傘はないのだ」と思ってください。雨が降ったときには傘を貸さず、晴れたときには傘を貸すのです。基本的に日傘しかないと思ったほうがよいでしょう。
私にも、そういう経験があります。
一九九一年ごろに、幸福の科学は、一部の悪質なマスコミから、いろいろと悪口を言われたことがあります。そういう記事が週刊誌などに出ると、金融機関は、とても怖がりました。当時、私は銀行の担当者を集めて融資の依頼をしたのですが、ただの一行も融資をしてくれませんでした。
そのときに、銀行の人は、「幸福の科学は、先生お一人でもっているようなものなので、先生に万一のことがあったときに困るのです」「マスコミに、いろいろと書かれているので、怖いのです」など、いろいろと言っていました。
ただ、そういうことを言っていた銀行は、その後、十年以内に、ほとんどが潰れたり別の会社になったりしています。どこも、「先見の明がなかった」ということでしょう。
そのように、銀行は、大事なときにはお金を貸してくれないものですし、マスコミは、宗教に対して、“兵糧攻め”によって資金源を断とうとしてきます。
そういうことがあったので、私は、「借入金があってはいけない。自己資金による無借金経営にしなければいけない」と考えて、幸福の科学を、そういう方向に持っていきました。
もちろん、信者の協力もあってのことですが、当会は、現在、完全に無借金経営になっています。国内でも海外でも、支部や精舎を、すべて無借金で建てています。
心の修行によって無執着の境地へ
無借金経営をするため、当会は、建物を建てることを、普通の宗教団体よりも十年ぐらい我慢したのです。無謀な投資はせず、自己資金をためたわけです。
一定の段階まで粘ると、うまく回っていくようになります。最初は発展の速度が少し遅く感じられますが、うまくいきはじめると、その速度は速くなってくるのです。
最初に三年分か五年分ぐらいの経営資金を借金すれば、一気に事業を始められるので、うまくいくような気がするものですが、それは焦りなのです。やはり、「小さく始めて、だんだん大きくしていく」ということが常道であり、実力以上の仕事をしてはいけないのです。
自殺した経営者は、かわいそうではありますが、たいていの場合、無理や無駄、見栄などが、かなりあったはずです。
社長でなくなったからといって、人生が終わるわけではありません。まだまだ、ほかに生きていく道はあるし、これからも幾らでも道は開けます。
無理や無駄、見栄のために首を吊るのは愚かな話です。遺された家族は、たまったものではありません。「保険金さえ下りれば、それで終わりだ」と思っているなら無責任です。自殺者を親に持ったりしたら、子供は大変ですし、かわいそうです。
さらには、たいていの場合、自殺者は天国へ行けないので、家のなかをうろついたり、マンションや会社の跡地に居座ったり、奥さんや子供に憑いて何十年も苦しめたりします。
なかには、家族を引きずり込んで、奥さんや子供を自殺させたりすることもあります。そういう悪の連鎖は断たなくてはいけません。
どうか、無理や無駄、見栄の部分を捨て、考えを改めてください。
仏教では昔から無執着を説いています。無執着の境地になり、生かされていることの喜びを感じたなら、どんな職業に就いていても生きていけるのです。
そのために大切なことは心の修行です。心の平静を得ること、穏やかな心を得ること自体が人生の一つの修行目標なのです。
外見的な成功や失敗だけにとらわれてはいけません。そのなかにおいて、よりよい人間関係を築き、生き抜くことが大事です。
(「生命の法」第二章 自殺を防止するためには 第六節 経営者は「無理・無駄・見栄」を捨てよ 大川隆法著より)
いじめを許さない教師の会 会長 後藤克彦
以前、ある銀行が、融資先に対して、「おたくの宗教は仏教ですか。それはよかった。キリスト教なら、自殺が禁止されているから死ねないけれども、キリスト教でなければ問題ないでしょう。死んだら生命保険金が入りますから、ご主人に頑張ってもらいなさい」というようなことを言ったとして、マスコミから追及されたことがありました。
銀行のやり方は昔からワンパターンです。銀行員には、融資をするときに、「あなたは生命保険に入っていますか」と、すぐに訊くような、嫌なところがあります。そういう、自殺を慫慂するような銀行の取り立てによって、迷惑を被っている人もいます。できれば、そんな“経済学”は持ちたくないものです。
実際、私自身も、幸福の科学の初期に、銀行の担当者から、「ところで、先生は生命保険に入っているのですか」と訊かれたことがあります。ほんとうにワンパターンで腹立たしいことです。
銀行の担当者が、「生命保険に入っていないと融資はできない」という言い方をするので、「最初から人に『死ね』と言うのか。そんなところから誰が借りるものか」と思いました。生命保険は担保の代わりなのでしょうが、そういう考え方は嫌なものです。
商売においては、なかなか難しいとは思いますが、できれば無借金経営に持っていく努力をしてください。無借金経営をしていて首を吊った人はいないのです。首を吊った経営者は借金がある人ばかりです。
もちろん、借金があっても、それを返せる人は首を吊りませんが、「借金を返せないため、高い利息を取る別のところに借り換えていき、それで追い込まれて死ぬ」というケースがほとんどなのです。
経営者の自殺の原因は、ほとんどが借金です。あとは、脅迫をされたりして、追い詰められて死ぬ場合もあります。
したがって、「借金は悪である」と思ったほうがよいのです。
ただ、全国民が、私の言うことをきいて借金をしなくなったら、銀行が潰れて、また自殺者がたくさん出てしまうので、そこまで無借金経営を徹底させるのは極端でしょう。
借金は、「するな」と言われても、どうしてもするものです。私は、それを知った上で、あえて、念のために言っているわけです。
なるべく無借金経営を目指したほうが望ましいし、借金をする場合でも、できれば年間の売り上げの二割以内に抑えたほうがよいのです。売り上げの三割ぐらいまでは、借金ができる可能性はあるかもしれませんが、できれば二割ぐらいに抑えてください。
年商が一億円ならば、借金は二千万円ぐらいまでに抑えておくことです。借金が、二千万円を超えて、五千万円、六千万円、あるいは、年商と同じ一億円ぐらいの金額になったりしたら、借金を返せなくなります。
できれば無借金が望ましいし、それができないなら、借金は年間の売り上げの二割程度までに抑えてください。そして、チャンスがあれば返していき、借金の額を減らすことです。
借金をつくる原因は、ほとんど、見栄による事業拡張や投資、あるいは、先見の明がなく見通しを誤ることです。もちろん、急激な環境の変化によって売り上げが減る場合もあるでしょうが、できるだけ無借金経営を願ってください。
金融機関には“日傘”しかないと思うこと
トヨタ自動車は、現在、財務体質の強い会社ですが、昔は資金に困ったこともありました。そのときに銀行が融資をしてくれなくて苦労したため、トヨタは、「もう銀行からは借りない。これからは自己資金で生きよう」と考え、無借金経営を築いたのです。「銀行がお金を貸してくれない」という経験をして、そのような経営方針を採ったわけです。
「金融機関は、こちらがお金を貸してほしいときには、貸してくれないものだ」と思わなければいけません。こちらが借りたいときには貸さず、こちらが借りたくないときには貸したがるのです。
あまのじゃくで嫌な性格ですが、「金融機関には、日傘しかなく、雨傘はないのだ」と思ってください。雨が降ったときには傘を貸さず、晴れたときには傘を貸すのです。基本的に日傘しかないと思ったほうがよいでしょう。
私にも、そういう経験があります。
一九九一年ごろに、幸福の科学は、一部の悪質なマスコミから、いろいろと悪口を言われたことがあります。そういう記事が週刊誌などに出ると、金融機関は、とても怖がりました。当時、私は銀行の担当者を集めて融資の依頼をしたのですが、ただの一行も融資をしてくれませんでした。
そのときに、銀行の人は、「幸福の科学は、先生お一人でもっているようなものなので、先生に万一のことがあったときに困るのです」「マスコミに、いろいろと書かれているので、怖いのです」など、いろいろと言っていました。
ただ、そういうことを言っていた銀行は、その後、十年以内に、ほとんどが潰れたり別の会社になったりしています。どこも、「先見の明がなかった」ということでしょう。
そのように、銀行は、大事なときにはお金を貸してくれないものですし、マスコミは、宗教に対して、“兵糧攻め”によって資金源を断とうとしてきます。
そういうことがあったので、私は、「借入金があってはいけない。自己資金による無借金経営にしなければいけない」と考えて、幸福の科学を、そういう方向に持っていきました。
もちろん、信者の協力もあってのことですが、当会は、現在、完全に無借金経営になっています。国内でも海外でも、支部や精舎を、すべて無借金で建てています。
心の修行によって無執着の境地へ
無借金経営をするため、当会は、建物を建てることを、普通の宗教団体よりも十年ぐらい我慢したのです。無謀な投資はせず、自己資金をためたわけです。
一定の段階まで粘ると、うまく回っていくようになります。最初は発展の速度が少し遅く感じられますが、うまくいきはじめると、その速度は速くなってくるのです。
最初に三年分か五年分ぐらいの経営資金を借金すれば、一気に事業を始められるので、うまくいくような気がするものですが、それは焦りなのです。やはり、「小さく始めて、だんだん大きくしていく」ということが常道であり、実力以上の仕事をしてはいけないのです。
自殺した経営者は、かわいそうではありますが、たいていの場合、無理や無駄、見栄などが、かなりあったはずです。
社長でなくなったからといって、人生が終わるわけではありません。まだまだ、ほかに生きていく道はあるし、これからも幾らでも道は開けます。
無理や無駄、見栄のために首を吊るのは愚かな話です。遺された家族は、たまったものではありません。「保険金さえ下りれば、それで終わりだ」と思っているなら無責任です。自殺者を親に持ったりしたら、子供は大変ですし、かわいそうです。
さらには、たいていの場合、自殺者は天国へ行けないので、家のなかをうろついたり、マンションや会社の跡地に居座ったり、奥さんや子供に憑いて何十年も苦しめたりします。
なかには、家族を引きずり込んで、奥さんや子供を自殺させたりすることもあります。そういう悪の連鎖は断たなくてはいけません。
どうか、無理や無駄、見栄の部分を捨て、考えを改めてください。
仏教では昔から無執着を説いています。無執着の境地になり、生かされていることの喜びを感じたなら、どんな職業に就いていても生きていけるのです。
そのために大切なことは心の修行です。心の平静を得ること、穏やかな心を得ること自体が人生の一つの修行目標なのです。
外見的な成功や失敗だけにとらわれてはいけません。そのなかにおいて、よりよい人間関係を築き、生き抜くことが大事です。
(「生命の法」第二章 自殺を防止するためには 第六節 経営者は「無理・無駄・見栄」を捨てよ 大川隆法著より)
いじめを許さない教師の会 会長 後藤克彦