昨日息子が遊びに来てくれて、いろいろと話をした。
働きながら、勉強する方法を模索しているらしい。
自分のこと、ちゃんと考えてて、本当にワタクシの息子か心配になる。(笑)
お金の頼りにはならないことは本当に申し訳ないが、自分の信じる道を進んでほしい。知り合って二カ月で同棲を初めて、そんなに早い展開で大丈夫なのかと思ってよく考えてみると、その後30年以上連れ添った嫁さんとワタクシが暮らし始めたのも、知り合ってから2カ月ぐらいだった気がする。
それからは、もうほとんど毎日一緒だった。一番離れたのは、里帰り出産の時と、今かな。
蛙の子は蛙、という言葉と鳶(とんび)が鷹を生む、という言葉が交錯する。
先日、嫁さんが入院していた病院のがん相談室のWさんに会いに行った。
今、リブログかリンクを貼ろうかと当時の記事を探そうとしたが、まだまだ読める状況にはないので、それはあきらめたけど、嫁さんが入院当時、辛い思いを伝えて、嫁さんともども大いに助けられた。
そのお礼、と言えばかっこいいけど、今の辛い気持ちを聞いてもらいたいという思いの方が圧倒的に大きかった。
嫁さんが姿を変えて、物質的に関われなくなってから、実は一度耐えられなくなってきて、一度会いに行っているので、二度目だ。
もちろん、話を聞いてくれる友人も居るんだけど、そうした友人とはまた少し違う、闘病の時を知っていて、そして、一度辛い目にあってから以降
(さすがにこの記事は貼ろうと思いました。読み返せないけど。)
先生の診断を聞く時には必ず付きそってくれた。
シンプルに言えば、話を聞いてくれるだけ、なんだけど、それがどれほど助けられるか。
嫁さんも大好きで、自宅療養中も、何度も声を聞きたがっていたけれど、気の弱くなっていた嫁さんは、迷惑だから、とほとんど電話もしなかった。
その都度、Wさんからは、遠慮せず電話かけてきて、と言われてはいたんだけれど。
自分も、気にせず来てください、と言われては居るが、どうなんだろうな。
なんか、気にしてしまうけど、どうしようもなくなったら、また来ます、と言ったら、
その前に来てください、なんて言われたな。
生きてるといろんなことが起きて、やっばり一人では処理しきれないこともある。そんな時、せめて話を聞いてくれる人が居てくれる、というのはめちゃくちゃ大きいな。
もっとちゃんと話を聞けば良かった。
もっとちゃんと話をすれば良かった。
本当に後悔しかない。
嫁さんなら、なんて言うかな。
たぶん、同じこと言われるんだろな。
今からやればいいやん。
今から頑張ればいいやん。