東京蓋散歩 ~マンホール巡り~

東京蓋散歩 ~マンホール巡り~

マンホールや消火栓などの蓋、特に地味蓋を中心に観察しながら歩きまわります。タイトルとは裏腹に都外出没頻度も高いです。

宿坊で6時半からのお勤めに遅刻ギリギリになって参加、7時朝食、7時半過ぎに出発しました。

 

Day1のその1にも書きましたが今回のシリーズではお寺の山門より内側の写真は基本的に省略しようと思います。気になる方は現地で確認または検索してください。

 

8番を目指します。

 

こういう瓦はなんていうんでしたっけね。飾り瓦?

火の見櫓もチェック。

 

ごしよおおはし

 

秘密基地?ミステリーサークル

 

幼き日の二宮先生

 

八番熊谷寺は右という案内が出ているのに台湾人グループが直進していったので、そっちじゃないよと声をかけようとしたのだけど地図を見ると直進出会っている模様。

 

直線を示すシールがあった。色あせているけれどよく見ると<歩きへんろ道<とあった。建設省と徳島県がグルになって騙しにかかってくるので要注意。一般的な遍路道と彼らが定める「四国のみち」は別者なのだ。パチモンなのに「八番」などというお遍路用語を使わないでほしい。遍路転がしならぬ遍路騙し。

 

 

庚申塔と馬頭観音。庚申塔のほうはちょっとはっきりしないですがやはりサルは二匹のよう。馬頭観音のほうは三面八臂というタイプらしい。

 

 

昭和と彫られているのが読めます。

 

どういう建物だったのでしょう。

 

逆打ち用道標 👈7ばん

 

南無大師遍照金剛

放送受信章

 

こんどの飼料館版はマルエイ

石のはしご付き灯篭

御所神社

 

三木武夫邸跡のヘンロ小屋

ありがとうございます。

 

第8番札所熊谷寺到着

 

 

境内内の写真は載せないという自分で決めたルールを毎回のように破っていますが、山門を抜けたところを一般道が横切っていて駐車場もあるので事実上の山門になっている中門までの様子も少し。

 

歴応二年(1339年)建立の板碑。土成町の解説文によると阿波板碑というタイプだそうです。南北朝時代の北朝の年号が刻まれているのだとか。ちなみに地蔵時近くの羅漢という地区にあった板碑は九州型なのだそうです。

多宝塔

ちょっと軍事遺構的なものもありましたが何かの倉庫かな?

ピンボケヤマガラ。しっかり撮れるまで狙っている時間的余裕がないのでという言い訳。

 

 

 

 

 

初日最後の札所、十楽寺に向かいます。

 

道標詰め合わせ

 

この写真を撮った時に気付いていなかったのですが右のカーブミラーの柱に「新年の道しるべ」とありました。

お地蔵さんの左の道しるべもちゃんと撮っていたのでよく見ると確かに「願主 真念」とありました。江戸時代中期に四国八十八ヶ所遍路の礎を築いた人だそうです(NHKアーカイブス 真念さん)。1687年に刊行されたガイドブック「四國遍禮道指南」は現代語訳版があるそうなので一度読んでみたいです。

 

現代と言ってもちょっと古そうな道しるべ。七と十のところが白塗りの上に黒字で修正したようになっています。六番安楽寺の案内板の転用だったりしますかね?まさかパクってきた?

 

熊野神社

 

 

全国で活躍しているこのリスさんに名前はついているのかな?確か、一人称は「わたくし」だったはずですが。

アニマルとベジタブル

 

ちょうど前回記事に多木肥料の看板が登場しましたがそのライバル、住友の看板「日本で初めての住友液肥1号」何の日本初なのでしょうね。明言できない何かがある? 15 6 6は窒素リン酸カリの配合比のようです。

うな丼みたいに竹とか梅もあるのでしょうか? 日産の農薬というのもあるのですね。

  

あと少し

 

「農林水産省 排泥工」。こういうところで使う「工」とはなんでしょう?設備のこと?

 

着きました。第七番札所十楽寺 15:43

 

初お遍路の最初の宿はこの十楽寺の宿坊。宿坊自体、止まるのは初めてですがお部屋はWifiも完備でビジネスホテルと変わりがありません。大浴場は夕方6時までというところがホテルとは違いますね。朝食前にお勤めに参加できると言うところが「ならでは」でしょうか?

 

 

豪華というほどではないにしてもバランスの取れた晩御飯でした。台湾人グループとも同宿でしたが指定された食事のテーブルが離れていてお話はできませんでした。

 

本日の歩行距離:約21.5km 歩行時間:約8時間40分 (休憩時間、待機時間を含む)

地蔵寺門前のお地蔵さん。

 

道標の他に板碑もありました。「觀應の板碑」とあります。観応年間に建てられたものということだとすると1350年代のもので700年近く前のものということになりますね。古い!そして状態がいい。

八坂神社

忠魂碑も今回のお遍路中たくさん見ました。

 

徳島でよく見た里程標を兼ねた親柱 「距市塲町一五二粁」とあります。

反対側には「距撫養町一九〇粁」

立派な石灯籠

ちょっと読めないのですが「遍路みち」と漢字交じりで書かれているのでしょうか?

何気なく撮った石碑なのですが

日本廻國とあります。ネットで調べてみると日本六十六カ国の霊場を回る巡礼のことのようです。「文化十三丙子八月」「奉供養大乗妙典日本廻國」。江戸時代に全国を巡礼する人たちがいたのですね。しかもこんな立派な石碑まで立てて。この碑はどういった場所に建てたのかも気になります。霊場に建てていったというよりも巡礼を終えた人が地元に建てたとかでしょうか?あるいはその縁者が巡礼者をしのんで建てたのか?

 

四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクトさんが運営してくださっているヘンロ小屋第44番神宅の案内標。案内標は歩き遍路のイメージですが赤いシンボルマークが幽霊っぽくなっていました。

諸々の石碑。周辺にあったものを一堂に集めた感じでしょうか?やや雑多に感じます。

そんな中に庚申塔。「貞享元甲子年」とあります。1684年。庚申塔の鑑賞ポイントとか分類とかをいつかはちゃんと勉強したいと思いつつなかなか出来ていません。時々詳しい方の解説を聞くのですが一向に覚えられません。初心者向けによくまとまったこの動画(ちゃらぽこ散歩チャンネル「クールでロックな庚申塔の世界」)を時々見返してはみるのですが。

キャラクター的には腕が四本の青面金剛、サルが2匹と鶏が2羽。シンプルですがくっきりと濠が残っていて300年以上前のものとは思えないほどきれいです。

時刻は14時過ぎ。うどん屋が見えます。おなかがすきましたが寄り道する元気もありません。

小柿休憩所で一口羊羹ランチ。

 

大事なことは何度でも。ここは旧撫養街道だと思うのですが一里ごとに塚を設置するのではなく松を植えるようにしていたのですね。省コスト。呼び名についていないだけで実際には塚もあったのかもしれませんが。

 

蓋散歩。「かみいた 集落排水」

 

つい撮ってしまう肥料看板。少なくとも琺瑯看板的には多木肥料のシェアが高そうですね。各地で目にします。「マグホス」「しき島肥料」「タキホスカ」「コーポしき島」窒素・リン酸・カリなどと習いましたがマグネシウムも重要なのですね。

食堂サンプル陳列ケースのタイルがおしゃれ。

松島神社

 

見慣れない形の持ち送り

 

安楽寺を示す道標

 

「願主 中司茂兵衛義?」とあります。この方、江戸時代末期からお遍路をはじめ、大正11年に亡くなるまでに生涯280回も巡礼したと言われる超人のようです。230か所も道標を設置したとのことでまさにお遍路界のスーパースターですね。この道標にも「百八十三度目」!とあります。

 参考記事:

  データベース『えひめの記憶』 中務茂兵衛-四国遍路280回-

  空海の道 中務茂兵衛義教

道標を見ているだけでも遍路史上重要な人物が何人も出てくるようなのでこのシリーズが終わった時にでも振り返りの記事を書きますかね。ネット情報のまとめに過ぎないものになりますが。

 

そんなこんなで第六番札所安楽寺到着。

 

 

境内の写真は載せない載せない詐欺。お大師さんかと思ったら違いました。スカーフをまいたお遍路さんのようですね。どなたでしょうか?

 

この安楽寺には人気の宿坊があるのですが、次の札所の宿坊があるのでそちらに泊まることにしました。近いのと、納経所が開く時間の8時まで待つのがもったいない気がしたのでそうしました。

台湾人の歩きお遍路さん4人組が車で伴走中のガイドさん?が運んでいたお弁当を楽しんでいるのを横目に4番札所を後にしました。

 

山神社

竹林にタケノコのように埋もれたお地蔵さん。丁石かもしれません。

 

キンカンかな?

どちら様でしょうか?

ヘタウマな馬。これも馬頭観音になるのかな?右側の漢字二文字がよく分かりません。

 

工事現場もお遍路さんにやさしい。

 

 

ちょっとピントが合ってないホオジロ

 

地球にやさしいだのSDGsだのという言葉のイメージとはかけ離れた光景。農業よりは楽にもうかってしまうから仕方がないのでしょうけれど。

 

番外霊場泉福寺のしだれ桜。まったくいい季節に歩きました。

 

無印ながらいい感じの消火栓蓋。

 

ほどなく到着。4番から2㎞の5番地蔵寺

山門前のしだれ桜も見ごろ

 

若くて着衣の仁王様?と思ったら、金剛力士ではなく多聞天と持国天なのだそうです。しかも阿吽が一般的な配置とは左右逆。

 

 

四国で1ケ所などという誘い文句につられて五百羅漢も拝観させてもらってきました。勝手に抱いていたイメージとは違って仁王門の二天さん以上にカラフルな衣装を着てとてもエキゾチックかつユーモラスなお顔立ちの羅漢氏がずらり。写真での紹介は控えておきますが必見です。

 

地蔵寺の参道の石柱門

不許葷酒入山門 そういえば歩きお遍路の動画を見ているとニラのはいった定食やガーリックチップなどの昼食シーンがありますが本当は入れてもらえないんですね(笑)。お昼からビールもダメか。

1番から2番は1.4km、2番から3番は2.6km、3番から4番は5kmとここまでは倍々ゲームで札所間の距離が伸びています。とはいえ、この5kmで撮った写真が170枚。例によって取るに足らない(撮るに足らない?)写真ばかりとは言え取捨選択に悩みます。

 

旧撫養街道の高徳線踏切手前の立派な道標。右大坂越とあります。讃岐方面へ向かう道のようです。

 

左側の道標は「☞三番金泉寺五丁、☜四番大日寺五十丁」とありますが向きがおかしいです。本当は東西を差していたものを鉄道工事か何かの際にここに移設して南北を差すような向きに置いたのでしょうか。

右側の道標は「左 奥院 ?し久ら さぬき 古とひら 道」とありますがこれも逆向きのようです。

 

小ぶりながらいい煉瓦煙突

 

 

坂口良子さんでしょうか?

88か所札所以外は寄っている時間がないと言っていましたが思わず吸い寄せられた巨木。

樹齢約七百年と推定されているクスノキだそうです。管理人は実は巨木好きでもあるようです。

 

番外霊場 宝国寺導引大師 

番外霊場も簡単に手を合わせるにとどめさせていただきました。

 

このぼうやは誰?

 

 

遍路道のキリ看

 

ありがたい休憩所

 

振袖地蔵 400年ほど前に亡くなった当時の城主の娘をしのんで建てられたのだそうです。

 

300年以上前の庚申塔「供養 庚申待一座為二世? 寛文十三(癸丑?)年十月十四日」

 

あぜ道のような歩き遍路道へ。気分が盛り上がります。

こういった道標も一つ一つ解読しながら歩けたらもっと楽しいんでしょうね。

石臼的なものなのか水道管的なものなのか?

 

指差し絵の他に両矢印付きで「へんろ道」と書かれた道標もあります。いい文字ですが歴史的には新しいのでしょうね。ちょっと調べてみると昭和37~38年頃に中尾多七さんとおしゃる方たちが建てられたもののようです(ブログ「時空散歩 歩く・見る・書く」)。

 

 

いろんな石仏を目にしますがなかなか識別できません。でもこれは不動明王ですね。他に分かるのは千手観音くらいかな?

こっちの識別はツチイナゴかな?

 

こっちでいいのかな?と不安になったところで

ちゃんと案内があってホッとします。

気持ちのいい景色

いかにも私有地というところにも遍路道の看板があって安心です。

休憩所のようなので休ませてもらうことにして腰を下ろしたらご近所の方と思われる方がお茶を入れてくださりお菓子もいただきました。これがお接待なのですね。ありがたいありがたい。本当は納め札をお渡しするという風習があるらしいのですがスマートにできません。この後も結局、お接待のお礼に納め札というのは一度もできませんでした。

 

フランス人らしきグループが合流。お接待のお礼にハーモニカ演奏。(ちょっと長かった

 

 

いつのまにか境内に入っていた別格霊場愛染院の山門を出ます。

有名なお相撲さんの像かと一瞬思ってしまってごめんなさい。まあ金剛力士ですから間違いはないか。

 

巨大わらじ。ここのご本尊の不動明王は弘仁7年弘法大師作なのだということがこの石碑に書いてあることに、この記事を書いているときに気付きました。ご挨拶してくるべきだったな。

すっかりおなじみの「ば」の変体仮名で四ばんみち。右上は「四國」?

 

また山道へ入ると「四國第四番是ヨリ十七丁」とある明治十二年に建てられた道標に馬頭観音とも刻まれていました。道標と兼ねた馬頭観音なのですね。あと、すべてかどうかは別として指差し道標が明治期に建てられていたこともわかります。

明治三十七年の馬頭観世音碑と昭和十三年の牛供養塔。牛の絵がかわいい。こういうのは初めて見たように思います。馬ばかりずるい! ということでしょうか。特別可愛がっていた牛が亡くなったのかもしれませんね。

 

庚申堂がありましたがお堂の中の庚申塔はよく見えませんでした。この指差しマークとお地蔵さんの付いた道標は文化年間(1810年前後)に建てられた「照蓮道標」と呼ばれるものだそうです(ブログ 四国遍路道の道標・丁石)。

 

 

農林水産省の草かんむり紋章蓋

これも照蓮道標なのでしょうね。

職場のルールではなく「やってみよう」レベルなのかな?

日本道路公団管轄?

こんなに落ち葉がいっぱいの場所で喫煙可能だなんて大丈夫か?

法乃橋とありますが橋ってあったかな?

 

4番と5番の分岐点

 

すぐ三ばん、四ばん? 札所みち、十三丁目

 

 

突然ですが変わった碍子

 

いよいよ四番

着きました。

第四番札所 大日寺