不自由の幸せを求める

自由が僕たちを苦しませる

ひどい身分制度であるバーラト(印度)のカースト制度がこれだけ平等を謳う世界情勢にも関わらずなぜ存続しているのか?という話を聞いて考えました。

「不自由な幸せがある」それが答えです。

「自由」は素晴らしいと言いますが、凡人の求める自由なんて小さな範囲でしかありません。
誰かに決めてもらう不自由の幸せに勝るものはありません。

カーストの身分の議論は置いておいて、カーストでは身分と家で仕事が決まっています。
大工の子は大工と決まっているというわけです。

そんな!好きな仕事に就けないの?ひどい!と思うかもしれませんが、
仕事が代々決まっていると言うのは長い実績と歴史があり、顧客も固定でいます。
新規参入もなく安定した経営ができます。
下層の身分でも食べていくのに困りません。

日本でも安定した職を求めますが、そう簡単じゃなかったりします。
仕事だって自由だけれどどこが安定しているとか親とか先生とかネットなどである程度決められることで安心します。

誰かが決めてくれたら悩まなくてもいいし、考えなくてもいい。
考えたくないでしょう?決断したくないでしょう?
他人が決めたなら責任も負いません。
めっちゃ楽です。

政治だって民主主義と言っておきながら国民のために働いてくれる天才独裁者を望んでいるでしょう。

すごくいい人が自分が豊かになることをズバズバやってくれたらいいのにな~。ってのが本音です。
選挙に行かない人は考えない、誰か良い様にやって~って考えなのでしょう。

世間体と常識に沿ってやれば考えなくていい。

ルールがあるから楽。

なんでも自由な世界って地獄です。

値段も決められているから楽、自分で値段をいつも付けていたらしんどい。
最近は選択肢が多すぎてしんどい。三択でいい。

自由恋愛なんていうから未婚が多くなる。
AIが結婚相手を全部決めれば結構楽かもしれない。
合わなければAIのせいにできるし、結婚は個人より社会のための制度。
自由に決めていたらそりゃ未婚も増えます。

仕事だって自由なようでいて結局は既存の職業から選んでいるのが実情。
本当に自由なら全員異なる仕事をしていてもおかしくない。

昔、産婦人科では妊娠判定に子宮の体液をねずみやカエルに注射してから解剖して反応を見ていたそうです。
そこでカエル係なる仕事も存在していたとか。(余談)

サラリーマンなら朝9時から18時と決められていることに安心感を覚えているはず。

自由にいつでも働けと言われたら戸惑う人も多いでしょう。

住むところだって不自由です。
明日は隣の家で寝たいと言っても無理。
自分の家と決められたところにしか住めません。

昨今は終身雇用ではなくなり、副業もしないといけない。
自分で考えて自分で行動する。
これめちゃ大変です。
だから現代人は疲弊する。

引きこもりの人は自ら自分の部屋でしか生きない不自由な幸せを得ているのかもしれません。

才能がある人は自由な裁量を生かせる能力があるからいいんです。
凡人がそれを真似しようとするからしんどい。

野生で生きる自由
檻で生きる不自由

どっちがいいのか。

凡人はチワワみたいなものです。
カッコつけて野生に飛び出して生きていけるのか?

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