学ぶ側が「何を学ぶべきか分かっていない」中で、どう学びを設計するか | 「選ばれる講師」~企業・研修会社に選ばれる講師/Brew(株)

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人材育成業界、研修・セミナー、自署である「研修講師が企業・研修会社から選ばれる力」に関するお話。研修業界18年。1000人以上の講師に会い、自社でも350名の登録講師がいる。好きなワードは「なんかおかしくない?はイノベーションの種」

先日、とある企業の人事担当者さんとお話していて改めて感じたことがありました。

 

それは、学びというのは「学ぶ側が、何を学ぶべきか、わかっていない」状態が前提である、ということ。

 

本人がこれが課題だな
これを学びたい

と分かっている=自己理解しているならば、それは自学自習の支援をすれば良いだけである。

しかし、多くの場合でそうではない。

 

そういった学びの領域があったのか!

そんな気づきが今の自分には必要だったのか!

今こそ、これを自分の課題として認識した!

 

というように、本人にとって必要な学びは、外部から与えられたキッカケや刺激、環境が必要であることが多い。そんな事が必要だったのか!と。そして、それは学びの中身だけでなく、その必要性であったり、自分の認識レベルであったり、ゴールイメージであることも多い。本人が想定していなかった点、領域、テーマ、課題などに自分のスイッチがはまり、本人が深く自分ごと化していくものである。

 

この点を勘違いして研修設計をする「大間違い」については以前本ブログで指摘した。研修のアンケートを取ったから、社員が学びたいことはすべてこのアンケートにあります、と豪語していた企業の人事担当者の悪例である。

 

 

 

また、その一方で真実であることは

学ぶ側が分かっていないとはいえ、教える側、学びを施す側も「これを学びなさい!」と仕掛けても、それは対象者にスンナリと入っていかないことが多いことである。会社の先輩や、人生の先輩が、良かれと思って、自分と同じ二の舞いをさせたくないから、など動機は様々だが「これを学びなさい!」などの「良かれ」は大方にして、効果が低い、あるいは裏切られることになりがちである。よくいう「ウマを水辺にに連れていくことはできても~」である。

 

本来の学びは、教えられてすぐ気づいたり、役立ったり、成果につながることは稀だ。よく言われる、知らないから知る、知るから分かるへ、分かるから出来るへ、と様々な環境やキッカケ、ヒトに揉まれながら、発酵的に醸成されていくものだ。

 

 

この実施側と受講側の2つの視点を合わせ鏡のようにして、人事の担当者さんと議論をしていました。

 

学ぶ側、学びを提供する側、それぞれに背景やねらい、その時の状況が有り
そして、学びの場を実施した結果を診断・評価するのか

 

ある意味、ジレンマである

学ぶ側も、教える側も、自分の立場を正当化すれば、すれ違いだ

 

 

ただし、人材育成を提供するプロデューサーとしての腕の見せ所であることは間違いない
と改めて確信したお話でした。

 

 

 

Brew株式会社
代表取締役

原 佳弘