創業10年をまもなく迎えるにあたり、過去を9年間を振り返る企画。
今回は、7年目~8年目について振り返ってみたいと思います。
そう、あのコロナの真っ最中のお話です。
7年目
コロナの波は、対面業務が主体の研修や人材育成事業に、モロに打撃を与えました。2月、3月からポツポツ中止が舞い込み、業界最大の繁忙期であり売上も大きい、4~6月の新入社員研修の時期に、どんぴしゃりという悪いタイミングでもありました。
4月は、研修の延期やキャンセル、方法の度重なる実施内容の変更、オンラインへの移転など、もう死にものぐるいで対応していました。コロナではない平常時でさえ1.5倍の仕事量のこの時期、そこにさらに大混乱が!とにかく必死でした。キャンセルや延期などの悲報も多数あり、社会不安も増大する中で、仕事のモチベーションを維持しつつ、お金のやりくりを考えました。投資や積極的な活動を停止し、削減できる経費・固定費はなるたけ削りました。パートナーさんにも相談したり、頭も下げて回りました。その一方で、もう1つのことを考えました。
「講師も不安で大変だろうな」
多くの方が、仕事がなくなり「仕方ないですよね・・・」と意気消沈している声、B2Cに転身しようかしら、業界引退しようかと嘆く声、、という声が色々聞こえたり、感じ取れました。
そこで、こんな時代に出来ることはないか?という想い立ち、オンラインイベントやらコミュニティ活動など、不安を感じているであろう方々と”つながる”機会を企画しました。何のためになるか分からないけど、ないよりいいか、と。
こうした活動を続けている中、1つの境地に経ちました。
コロナはもう数年続くたろう、、、
元には戻らないだろう、、、
だったら、、、
という視点に立ち、11月ぐらいにある決断をしたことをよく覚えいてます。
「もうなりふり構わず、やるしかない」
「私自身もいいカッコしいをしていられない、今こそ毒を出そう」
「なぜ、Brewという社名を付けたのか、今こそそれを形にする時期では!?」
こうして、自分の中に熱いものがこみあげてくる、居ても立っても居られない
そんなジワジワ”発酵”の”きざし”が生まれてきたのでした。
そうです
この時に、組織発酵学の萌芽が芽生え、弊社のeラーニングサイトを作ろう!、と2つの新規事業を立ち上げることにしたのでした。
しかし、7年目の売上は、そうは言ってもやはりかなり減少しました。ただまだ当社は規模が小さいので「まだまだ影響が小さい方だ、周りはもっと大変だ」と感じていました。同業さんの中には事務所撤退、社員縮小、事業縮小、などの声も多数聞こえていました。
8年目
コロナ2年目。この年の方が、実は「もどかしい!」想いをした1年でした。皆様も経験されたと思うのですが、コロナがやや治まってきたかと思うと、また流行して、の繰り返しの中で、仕事もアクセル踏んではすぐブレーキを踏む、という繰り返しだったので、疲れた・・・という印象が強く残っています。
ただし、行動は明快でした。そういった、二転三転しても、焦らない、反応しない、やることやる。「だって、コロナだもん」そういう心境でした。自身も前年にコロナ罹患して、辛い想いをしたので、そりゃそうなるよね。諦めの境地・・・とまで高尚ではないのですが、ある意味淡々とやっていました。
そして、2つの開発プロジェクトを遂行し完成に邁進していました。eラーニングのECサイト「きざし」、そして、弊社オリジナルのコンテンツ「発酵」にまつわるソリューションの開発です。組織発酵学の開発にあたっては、シンプルに、自分自身の経験やクライアントの社員さんが、よくつまづくであろう事をコーチの方と対話しながら抽出し、微生物の発酵の世界の先人達に教えを請い、そしてU理論や成人発達理論、量子力学や、武道の先人の叡智などを、ぐるぐる混ぜて落とし込む、これをを繰り返していました。
この2つのプロジェクトを苦悶しながらも、2歩進んでは1歩戻る。。。そんな1年でした。
会社の方は、お客様やスタッフのお陰でしょうか。売上が回復し、コロナ前の売上に近い数字に戻ってきました。「あら?頑張らずとも数字が出る」これは自分にとって、新しい発見でした。また、この時期に出会った方にスタッフとして入っていただくことになったり、自分がジワジワ発酵していくことを体感した時でした。
7~8年目をまとめると
この2年は、まさに窮地に追い込まれたからこそ、次のアクションに踏み出せた、もうこれに尽きます。まさに「陰極まりて陽となす」「陰中に陽転のきざし」を肌で感じたものでした。さらに、ここでも、自分の思い込みやイメージが大きくブレーキをかけていたことに、後々気づかされるものでした。
1つは、前にも書きましたが「自分が講師をするなんて・・」という自己過小評価。
もう1つは、会社の事業に対する思い込みでした。それは、商品を差別化しないと、ニッチな尖ったものにしないと、他社がやっていないサービスでないと、、、という大いなる誤解でした。自分は、マーケティングを専門としてきたこともあり、差別化、専門性、オリジナリティがなければ売れないのでは? だから・・・と、必死にそこに力を入れてしまったのだと思います。
それが、コロナでもう何でも売ってやる!に書き換わり、お客様が求めるなら何でも提供していく!となったのです。会社を維持していくためには、こだわっている余裕がなかったのです。
こうしていくことで、お客様との接点が増え、スタッフも売りやすくなり、提供範囲も拡がりました。そんな当たり前のこと、、、と今なら思いますが、自分にとっては大事な経験・プロセスを遠回りしてでも通る必然だったのでしょう。ある意味、持論=自分の正解を振り回していた、お客様にも無理強いしていたのだ、とさえ思うのです。
次章、最終回「9年目~今後に向けて」をお楽しみに
Brew株式会社
代表取締役
原 佳弘