キマグレ競馬・備忘録

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F1ドライバー、アイルトン・セナ没後30年

2024年05月02日 | Sports
F1ドライバーのアイルトン・セナ選手が、1994年5月1日に事故死してから30年が経ちました。
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「音速の貴公子」事故死から30年、母国ブラジルで生きるセナの遺産
日本でも「音速の貴公子」と呼ばれて親しまれたF1レーサーのアイルトン・セナ。1994年、34歳の若さでレース中に事故死してから、5月1日で30年が経つ。圧倒的な実力を誇り、世界中で人気を集めたセナの遺産は、生誕地ブラジルで今も受け継がれている。
サンパウロ中心部から車で30分のモルンビ地区に、緑の芝生が広がる。花束がひときわ多く置かれた墓地の一角に、セナの眠る場所があった。碑銘には「神の愛から私を引き離せるものはない」と刻まれていた。(後略)
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アイルトン・セナ選手の事故死というのは、当時のF1ファンには衝撃的な出来事でした。今の若者は彼の事を知らないかもしれませんが、現代で例えると、人気絶頂の大谷選手が突然姿を消してしまうような感じです。それくらいショックが大きかった。
30年前のこの日、夜のF1録画中継を楽しみにテレビを点けたら、何故か生放送になっていて、サーキットに立つフジテレビのアナウンサーとF1解説の今宮純さんが、コース上で神妙な顔つきで立っていました。その後、セナ選手が亡くなったという話を始めましたが、二人とも声が震えて泣いてしまい、話にならなかったのを今でも覚えています。あれから30年経って、日本のF1人気がセナ選手に支えられていたこと、彼がいなくなってF1人気が急落し、地上波放送が無くなり、BS無料放送が無くなって(BS有料放送は続いていましたが),テレビのニュースで取り上げられる事も無くなりました。振り返ると、この日が日本でのF1人気凋落の分岐点になってしまった感じがします。
世界のスポーツ競技が多様化して、色々な分野で日本人選手が活躍している現代では、もう当時のようにF1で盛り上がる事もないでしょう。私自身も、もし日本人F1選手のスーパースターが現れたら見るかもしれないけれど(F1挑戦中の角田選手は、スター性がいま一つ)現在のF1にはあまり興味が湧かないです。もしセナ選手が日本人だったら、F1がメジャーなスポーツになったかもと思っているオールドファンは多いと思います。そういう意味で、F1のスター選手を輩出し、亡くなった今でも彼の事を忘れないブラジル国民が羨ましい気もします。
因みに、私は1989年に東京のホンダウェルカムプラザで、セナ選手を見た事があります。目の前を歩くセナ選手には"オーラ"が漂っていました。人間にオーラというものを感じたのも初めての体験でした。忘れられない思い出です。当時、セナ選手のグッズも少し集めましたが、引越しの時に紛失してしまい、残っているのはつまらないステッカーだけです。でもこれが私とセナ選手との思い出を繋ぐ唯一のグッズ。大切に保管します。(^^)



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