月に何回かアメーバさんからメールが届くんですけどね。「104歳/全温度チアー4号さんに先週のブログ運営のレポートが届きました!」なるタイトルで、さも朗報かのように報せてくださるんですけれども。
 例えば3月4日に届いたもの。2月26日から3月3日集計分が先々週からアクセス数が増えたんだとかで、「
おめでとうございます。このレポートを活かしてアクセス数を伸ばしていきましょう」って、なぜかハイテンション調で書かれてあるんですよ。そのあと「今週のブログ執筆活動に生かしてみてください」って書いてありました。
 だけどさぁ、そのときの対象になった記事がコレなんですよ。

 

 

 コレ、アメトピをディスってるような内容のときのじゃん。じゃあコレを生かした記事をまた書けってことかよ。
 いいんですね? こちらとしてはあまり気がすすまないのですが、アメーバさんがそうしろと仰せなんだったら遠慮しなくてもいいってことだもんね。
 たしかにこの記事は一部でウケがよかった。リブログも複数件ありましたよ。でもあまりやりたくないのは本音でもありまして、だからこそ最後のところへ「このシリーズ、どなたか私の代わりに引き継いでくれませんかね?」って書いてるんですよ。
 けれど私の代わりにやってくれてる人が見当たらないのよ。じゃあまた私がやるしかないじゃん。はいはい、やりますとも。やりますけれども、いいかげん、これっきりにさせてほしいわ。 ┐(´д`)┌ヤレヤレ


【ほぼ皆がノーマスクだった卒園式】

 ワクチン接種歴は不明の男性。息子さんの卒園式へ出席したところ、先生や親たちのほとんどがマスクを外していたとのこと。

右矢印この男性、式じたいもよかったそうなんですが、みんなの顔がよく見えたことも喜んでおられる様子。まともな感覚をお持ちの方とみえる。
 どうしたことだろう? これまではコロナ煽り一辺倒だったアメトピ。「ノーマスクで出かけたら感染してしまいました」的な内容であれば嬉々として採用していたアメトピが、そうではないものを出してきた。やっとわかってきたのか? 私のブログを見て気づいてくれたのなら嬉しいことなのですけどね。
 だけどこの記事、趣旨になってるのは息子さんの卒園が感慨深いというものなんです。マスクについては一文しか触れられていない。主題を無視して見出しに「ノーマスク」というキラーワードを使って煽ろうとするあたりに、やはりアメトピ担当者の悪意を感じずにはいられないのであった。


【まさかの院内で感染したコロナ】

 ワクチン接種5回以上の女性。がん患者で手術後に入院中の院内でコロナ発生。そのせいでトイレや洗面所など、行く場所に制限がかかったとのこと。

右矢印やっぱりアメトピ担当者はこういうのが好きだったか。変わってなかったわい。
 病院も病院なんだが。そんな行動制限で実際に感染を抑えられたこと、これまでにあるんですか? 
 ブロガーさんは先生を信頼しているそうですけど、先生からは注射漬けにされてるんですよね? ちゃんとインフォームドコンセントはしてくれてるのかな? コロナ脳な病院にはぜったいに入院したくないものでありますね。


【2回目のコロナ感染で続く症状】

 ワクチン接種歴は不明の女性。セカンドコロナだそうです。ファーストコロナのときはコロナ後遺症で倦怠感と食欲不振が続いていたが、今回もだるさや頭痛が続いているとのこと。

右矢印書かれてあるのを見るかぎりでは、症状じたいはふつうの風邪と一緒。でもコロナだからVIP待遇してアメトピに採用したのかとしか思えない記事。
 ブロガーさんが悪いわけではないけれど、読み物としては面白みがあるとは言い難く、でもそういうのを採用するのだから、やっぱりアメトピ担当者はコロナ脳なんだろうな。


【学校や遊ぶ時も常にマスクする娘】

 ブロガーは教育熱心な小6女子の母。娘が食事とプリクラするとき以外は、ずっとマスクしているとのこと。母としてはマスクなしで過ごせるようになってほしいのだそうで。

右矢印ところがこのブロガー氏、記事の最後にPickで子ども用不織布マスクの広告を貼っておる。「小柄な高学年女子にオススメです」だって。わかってないな。これだったら、なんでマスクなしを望まれているのかわからないではありませんか。
 あなたの娘さんはマスク依存症に侵されている可能性が高い。おそらくマスクをつける理由は感染対策とは関係ないところにあるのでしょう。これは深刻な心の病です。
 そしてあなたのオススメした不織布マスクでは、いま問題とされている感染症の予防にはひとつも役立ちません。それをつけることによる弊害のほうが、よっぽど大きいです。あなたが熱心に面倒をみておられる学校のお勉強よりも、そっちのことを勉強するほうが生きるうえで役立つのではありませんか?
 せめて広告を貼るなら不織布マスクではなく、N95マスクにするべきだった。

 

 

 ほかにもアメトピに表示された香ばしい見出しをスクリーンショットに撮っておいたものはあったのですけど、もととなる記事をうっかりブックマークから削除してしまいまして。残念なことに、ここで採り上げれなくなりました。なので本日のアメトピいじりはここまでです。

 ただ、撮ってある画像の見出しを見てうっすら思い出したのは、テレビでやってるような薄っぺらい(あるいは間違った)知識しかないため、他責思考になってる人が多いなーと、読んだときは感じたことですかね。

 

コロナは飛沫ではなく空気感染がメイン

 

 それはいったん置いとくとして。このたびここで扱ったアメトピ記事のなかで、とくに気になったのは【学校や遊ぶ時も常にマスクする娘】だな。こういうのを見るたびに思い出すのが、この前も当ブログに書きました「徹子の部屋」のなかで高峰秀子さんが話してた戦時中の目撃談。まだ若い特攻隊員たちは陛下のために死ぬことしか教わってこなかった。国のために散る――それが正しいと教育されてきた。だから戦争が終わったって言われても思考が追いつかず、みずから爆弾を積んだ特攻機に乗って無人の海へ次々と突っ込んでいったという話。あれとおんなじ図式じゃんって思ったの。

 特攻隊員が海へ突っ込んでいったのは自身の判断だって言うかもしれんけども、だけど彼らをそんな思考にしたのは誰なんだよ? 国であり教育であり周りの大人たちじゃないのかよ。

 マスクをするのは個人の自由って言うかもしれないよ。だけどこんな思考にしたのは誰なんだよ? 国であり専門家であり周りの大人たちじゃないのかよ。

 もともとマスクは個人の自由でよかったんだよ。だけどそれを許さなかった空気が確実にあったわけでしょ。しかも間違った認識でそれを全体に強要しようとする輩が大勢いたじゃないの。・・・いや、過去形じゃないな。まだ洗脳から解けてない大人もいっぱいいるな。

 まだ大人なら3~4年のブランクをリセットするのは比較的容易だろう。だけど少年・少女たちにとっての3~4年はデカいんですよ。刷り込まれる度合いも重症度も、大人たちのそれよりははるかに根深い。どうするんだよ、これ。

 

 

 

おわっ!あせる 最近、リブログしようとすると真っ黒けに表示されてリブログ機能が作動しなくなることがあります。移動できない場合は👇をポチしてください。


 コロナ禍は、それまで表面上には見えなかった人間性を炙り出してくれた。とくに日ごろ善人面してる人物の本性がムキ出しになっていく様子が、生々しく伝わってくる場面に遭遇するには事欠かない環境になっていた。
 この事態になった際、いくつかのパターンに人は分かれる。

 

【ワクチン部門】
<A-1>ワクチンが安全で効果的だと信じ込み、打った。
<A-2>ワクチンが安全で効果的だと思ったが、何らかの事情で打たなかった。
<A-3>ワクチンには多少の不安はあるが、メリットのほうが多いと思って打った。
<A-4>ワクチンは信用しなかったので、打たなかった。
<A-5>ワクチンは信用しなかったので打ちたくなかったが、何らかの事情で打つことになった。

【マスク部門】
<B-1>マスクは感染対策に有効だと信じ、着用した。
<B-2>マスクは感染対策に有効とは言い難いので、着用しなかった。
<B-3>マスクが感染対策に効果がないのは知っていたが、感染対策とは違う事情で着用している。

 

 大きく分けるとこんなところですかね。細かいのを挙げるともっと分かれるのだろうし、もちろん途中で考えが変わった人もいるだろう。
 なかでももっとも問題なのは<A-5>や<B-3>のように、自分の思いを蔑ろにされ、他者による圧で不本意な決断を強いられるケースが横行したことですね。人権侵害も甚だしく、言語道断であります!

 

大問題となった職場でのワクチンハラスメント。ほかにも、

入所者を人質に「ワクチン打たない者には面会させない」とのルールを設け、圧をかけてくる病院や施設が横行しました。

 

 あと思うんですけどね。これって同和問題なんかにも似てますよね。加差別者からの攻撃を怖れて被差別者とのかかわりをいっさい避けるのか。あるいはそれを理由に距離を置くのか。それともまったく関係なくふつうにかかわれるのか。そういった圧に対して抗う姿勢を見せるのか・・・。

 

「コロナになるぞ、コロナになるぞ!」

いまだにコロナの恐怖を煽ろうとする専門家がいる。世の中のコロナに対する関心が薄れてくると、こんどは違う感染症を持ち出して延々と感染対策を続けさそうとする連中。だけど彼らの発言は感染症とは別の被害者を生むだけで、何ひとつ役に立たなかった。

 

 ・・・とここで、あるブロガーさんの記事をご紹介いたします。アメブロ内をテキトーに徘徊していて、たままたみつけた記事。おそらく初めて訪問した方だと思います。当初はふつうにコメントを書こうとしてたのですが、うちの読者さんにも読んでほしくなったのでリブログに切り替えることにしました。

 最近、アメブロのリブログは、右クリック⇒「リンクを新しいタブで開く」でも移動できるようになりましたね。ちょっと前まではいま見ているページから移動して、また戻らなくてはならず、いちいち読み込みに時間がかかって不便だったんですけど。

 

 

 本当にそのとおりだ。たしかにコロナ騒動は自分の生き方を問われる大きな岐路だった。どう動いたかで各々の人間性が露呈してしまう、大いなる心理ゲームを見ているようでもあります。
 しかも罰ゲームあり。楽しくない罰ゲーム。選択を間違うと、それまで築いてきたものを一瞬で台無しにしてしまうほどのリスクをともなう罰ゲーム。
 そしてこれはまだ終わっていない。現在進行形。いまも続行中。さらには、仮にこの騒動が収まっても、検証も反省もしないから、また似たようなことが起これば、おんなじようなことをするだろう。だって現に日本人の多くはおんなじことを繰り返した。令和の時代に、ひとつも学習能力のないネズミみたいなことを本当にやらかしてしまったのだ。
 私はそれ、早い段階で直感的に抱くことができたので慎重になれたんですよね。この日本が過去にやらかした過ちの歴史を知っていたから。だけど過去の過ちなら私に限らず多くの人も知っていたはずなのに、なんでみんなそっちへ行っちゃったのか? 知っていれば国やマスコミが作り出すプロパガンダにも、そう簡単には流されなかったんじゃないかと思うのですけれど、実際には流されまくった人のほうが圧倒的に多数派だったわけでしょ。それが私には不思議でならないんですよね。
 あと私なんかは目立つのが好きじゃないし、面倒くさいことも嫌なんだけど、どうしても譲れないのは「多数派に入ってれば安心」みたいな生き方だけはしたくないと思ったんですよね。そういう目を怖れて、例えばマスクなんかもテキトーにつけて、そっち側の仲間になったフリをするのも。それやっちゃったら、自分で自分を許せなくなるだろうと思ったのでね。だから面倒でも、相手が多数派でも、そこへ抗うことに決めたんですよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【重要!】ロンドンの神経学者=マーガレット・グリーズブリッソン博士が訴えるマスク着用による弊害。


 最後に。こちらの記事を貼っておきます。
 クリス・クオモ氏は、かつて反ワク派を侮辱していた人物である・・・。

 


 クオモ氏、こんどはワク推派から攻撃されるようになったのか。
 こういう記事を見ると、いつも思うことがある。仮面ライダーをはじめとする石ノ森章太郎作品に登場するヒーローの多くは、悪の組織出身の存在であり、悪の組織から授かった能力を駆使して戦うのです。「悪から生まれし者が悪と戦える」という、大きな大きな裏テーマがありました。石ノ森作品に限らず、白土三平作品のカムイや梶原一騎作品のタイガーマスク、永井豪作品のデビルマンなどの、いわゆる"抜け忍"系ヒーローにもいえることです。
 その法則を当てはめると、コロナワクチンの悪と戦えるのはワクチン接種者なんじゃないかって気もしてるんですよね・・・。