(新)Nothing happens to me.

科学には人間を理解することができない理由がある

認知症と診断されて自尊心が傷ついても、仕方がないと我慢すべきか(異常な人間は存在し得ない)(1/5)

認知症の人間の言動は理解不可能か・第3回

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 前回の続きである。認知症や軽度認知障害と診断されると自尊心が傷つくことがあるが、その理由を前回推測した。


 そうした診断はひとを認知能力の低下具合から「異常」と判定することであるが、異常と判定するそのことはそのひとを「人でなし」と見なすことである、ということが前回明らかになったわけである。「人でなし」の烙印を押されれば、誰だって自尊心が傷ついて当然ではないかということだった。


 しかし前回最後に、こう反論するひとが出てくるだろうと予想した。


「実際、認知症もしくは軽度認知障害なんだから、自尊心が傷ついても仕方ないじゃないか! 甘ったれたわがままを言うな!」


 今回はその声に「ほんとうにそうか。それはほんとうにわがままか」と返すところから話を始める。


◆異常な人間はこの世に存在し得ない

 ひとを正常もしくは異常と判定するというのは、ふたつのものを比較するということだった。そのふたつというのは、判定対象になっているひとの実際のありようと、判定者であるこちらがひとというものに対して持っている「ひととはコレコレこういうものだ」というイメージである。そのふたつを比べ、判定対象者のありようが、こちらの頭のなかにある「ひととはコレコレこういうものだ」というイメージに合致していれば、その合致していることをもってそのひとのことを問題無しと考えるというのが、ひとを正常と判定するということだった。


 いっぽうひとを異常と判定するというのは、そのひとのありようが、こちらの持っている「ひととはコレコレこういうものだ」というイメージに合致していないことをもってその判定対象者のことを問題有りと考えるということだった。


 そして、「ひととはコレコレこういうものだ」というイメージに合致していないことをもってそのひとのことを問題有りと考えるというのはひと言で、そのひとのことを「人でなし」と見るということであると確認した。


 いま再確認したこの正常と異常の意味を念頭に置いて、これから話を進めていく。






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