シャイロックの子供たちという映画を観た。
いつものように調べてみれば・・・・
なにやらドラマ化もされた物語だという。
どんな話なのかとみてみたら・・・・・
KOKONOちょっこっと
🔳偏見と疑い
このことについてちょっことだけ。
偏見とは、偏った見方のこと。
私たちは知らない間に他人に意味を与えていたりしますよね。
さて家族をサポートするときや
職場やその他でサポート側になる場合・・・・
偏見をちょっとわきに置いておきたい。
理由は簡単なことで・・・・
目の前で起こっている状況をそのまま見ることを難しくする笑。
例えば、認知症の人は・・・・認知機能が低い。って考えてしまうと・・・・この先入観やその情報から見てしまう偏見などは‥‥その人のことを見えなくしてしまう。
認知機能が低下していたり衰えていたとしても状況によっては、意思表示をする。
うつ病でもそう。
うつ病だからゆっくりしていなさいって言ったって・・
ゆっくりできないのに無理して休めっていうことは・・・
あまりよくない。
例えば、考えないようにするために考えないことを考えるって行為は‥‥考えないことを考えているので・・・
かんがえないにはつながりにくい・・・・
もうひとつのちょこっとは・・・・
疑うというのは・・・・
私たちは先入観や偏見のように
最初に手に入れた情報に影響を受けていますが・・・
これについてあらためて考えられるようにして
疑って・・・それが本当に正しいことなのかということを
改めてかんがえるということ。
例えば、ドラマアンメットの中で
ヒューマンエラーを生み出してしまいます。
このシーンである先輩看護士が同僚???後輩に
スイッチについてお願いして別の業務に取り組みます。
多分彼女はいつも通りのことなので・・・
ちゃんとみたら大丈夫だと考えていたと思います。
このことについて
看護師長はいつもの目視や手を使って再確認することなどの
大切さを確か???謝りながら語ったかと思います。
これに似たようなことで・・・・
私たちが大丈夫と考えることや・・・・困らされる行為や
悩みなどでこまることについて・・・
またはうまく言った行為について・・・・
本当にそれでよかったのか???
もしくはほかの方法があるのではないかというように・・・・
考えを拡げることにこの疑うという行為が役立ちます。
例えば語弊的な言葉を使いますが・・・・
「私はお馬鹿さん」
このように意味づけをしたとき
私たちはこの考えや意味が正しいことを探し出そうとします。けれどもこの与えた瞬間ラベリングされた瞬間に・・・
剥がすかのように・・・・
私は本物のお馬鹿さんなのか??
私はお馬鹿さんってどのぐらいとか??
私のお馬鹿さんは私に迷惑をかけていくのか???
そんな風に最初に与えられた名称を疑う・・・問いを
与えることで・・・・それについて改めて向き合いながら・・・考えるということができるようになります。
同じように
お母さんは頑固もんだ
お父さんは頑固だと決めてかかると・・・
そのいみからしか見えなくなってしまいます。
おおよそ人は多面的であり
一側面だけからしかとらえていないことがただ多くあります。
そのちょこっとだけ交わった場所からその人のすべてをとらえ方のようにしてみることは・・・とってももったいないことであって・・・・実はぜんぜんわかっていないこととあまりかわりがありません。
これは・・私という自分についてもいえることではないかと私は思っています笑。
さらにちょこっとだけですが・・・・
実は・・・・この問いや疑うって
専門家やベテランほど大切だったりする笑。
ある研究でその業務に関わっている人ほどその業務パフォーマンス力(技術・能力)があるかと思いがちですが・・・・実は、そうではなくってただ慣れているだけでそれでなんとかこなしてしまっている。逆にもっといえば・・・
パフォーマンス力は低下しているってことがわかっています。
ちょっとわかりやすく解釈してみると・・・
多分、誰もがそうではないかと思うのですが・・・・
最初料理をしたころといまとはどうでしょうか???
もしくは、夫婦になったときの家事の能力といまでは・・・
多分慣れとは応用力とか??手を抜く方法に気づいて・・・
丁寧さやそれに向き合い方などが変わっていることに気づくかと思います。
もう一つの例でいえば・・・車の運転。
いつも運転しているからと言ってうまくなっているということではなく逆に技術は低下しています。
多分、初心者時代のほうが・・もっと丁寧に運転をしていませんでしたか???注意力も初心者の時の方が・・・・
いまは車の性能が素晴らしいので・・・昔の車のような技術はあまり必要としないかもしれません。これも技術が低下している。
ひとってその見方を味方にすると
その見方に依存してしまって・・・・他の見方をかんがえることも難しくされてしまう。
例えば「正しい」「間違い」この考え方にも。笑。
ここでもう一つ考えなければならないのは・・・・
どの視点から‥‥その考え方を考えるか(とらえようと試みるのか)???
忘れなければ次回はこれをテーマにちょこっとだけ笑。