考える英語 (英作で英会話上達!)

身の回りの事から、社会情勢まで、幅広い事柄を、自分の知っている簡単な英語で表現していきます。英会話教室をやっております。

英作『山菜の宝庫、山の恵みを頂く』(山菜採り3)

2024-04-17 20:48:00 | 英作 解答

英作問題『山菜採り』

3. この山は、山菜の宝庫で、麓(ふもと)の宿では、四季を通して山の恵みを頂ける。

⇒ 『山菜の宝庫』とは、英語でどう表現したらよいだろうか。

宝庫とは、何か。

なぜ、宝庫というのか。

宝庫、お宝という言葉で、それを言っている人の、言いたい所を思うことが大事である。

山菜の宝庫というしかない状況を想像する。

山菜の宝庫という時の、絶対条件の一つは、数である。1つや2つしかないのなら、それは宝庫とは言わない。要するに、数で言うと「多い」ということである。

宝庫という為のもう一つの条件は、質に関してである。単にあるものが、多数あるからといって、それを宝庫とは呼ばない。質や価値として高いものだから、宝なのである。質や価値が高いものとは、要するに「良い」ものである。

以上を総合すると、山菜の宝庫とは、要するに、良い山菜が、多数山にある、ということになる。よって、

・This mountain has a lot of good wild plants. 

良い山菜とは、何かというと、当然「食べられるもの」なので、

・The mountain has a lot of edible wild plants. ということになる。

 

物理的観点から言うと、宝庫とは、数量的には、単に多いということでしかない。では、心理的観点から言うと、宝庫とは、どういう心境なのだろうか。山菜採りに行って、お目当ての山菜が、辺り一面に生育している。探し求めたものが、目の前に、辺り一面に広がっているとしたならば、特にそのことが予期せぬことであれば、なおさら、その事態は、心理的、感情的観点から見ると、それは驚きに他ならない。よって surprise を使って

・You will be surprised to see so many (edible) wild plants in this mountain. 

山菜の宝庫ということで、宝なので、treasure という語を使おうと思う方もいるだろう。本当に、古墳から発掘されたり、何らかの埋蔵金のような、純然たるお宝であれば、本来の意味として treasure を使うのは自然であるが、山菜を称して宝というのは、比喩的な表現であり、山菜が宝であるのは、それらの価値を高く評価する一部の人たちだけである。よって、広く宝と認知されていないものに、宝と言うのは、英語にすると不自然となる可能性がある。従って、treasure の使用は、山菜採りの文脈においては慎む方がよいだろう。不自然になり得る、ハイリスクな英語を避けることも、大事な英語力の一つである。

『麓(ふもと)の宿では、四季を通して山の恵みを頂ける』

麓の宿、ということであるが、麓とは何か。最も簡単に考えると、山に対して、麓は山の近くと考えられるので near the mountains となる。 厳密にいうと、山の麓は、at the foot of the mountain という。山の足元ということ。対するのが at the top of the mountain である。これを覚えているのがベストである。英作の趣旨では、知らないなら、考えよということなので、英会話においては、必ずしも常にベストな答えは出ないという、現実に立脚した発想が大事であり、最善でなくても、次善の策として(second best)どんな時でも、自分の持つ英語で、自在に表現できる力を培いたい。

続いて、宿ということであるが、いかにも日本的な響きのする語であり、inn という語もあるが、わからないと言って、すぐ調べるまでもなく、少し考えたら、同じ形式のもので、欧米に似たものはないかと思うと、すぐに hotel が考えつく。hotel の定義(OXFORD 現代英英辞典)→a building where people stay, usually for a short time, paying for their rooms and meals(短期間滞在する所(建物)で、部屋と食事代を払う)とある。宿そのものである。宿のイメージはもう少し小規模かもしれないが。 innの定義は、a small hotel, usually in the country(小さなホテル、たいてい田舎の方にある)とある。inn は、a small hotel と定義されているので、要するに、宿は hotel でよい。

宿を、a Japanese inn と知っていればよい。しかし、知らない時に、だからと言って、慌ててスマホや辞書にお世話になったり、お手上げで何も言えないという事態は避けたい。

『四季を通して山の恵みを頂ける』

山の恵みとは、何か。

恵みという、ある種漠然とした、抽象的な言い方は、そのままでは英語にするのが難しいものは、具体的に考えるとよい。

山の恵み、というのは、具体的に言うと、明らかに、山菜のことであり、その他を意味はしない。よって、山の恵みを頂くとは、単純に考えて、山菜を食べること(もしくは採取すること)なので

・You can eat wild plants from the mountains. / You can get wild plants in the mountains. 

『四季を通して』とは、どう考えるか。

四季を通してとは、どの季節でもということなので

・You can eat wild plants in every season. 

四季を通して頂けるということは、特定の季節ではないということ。即ち、いつでもということ。よって

・You can always get wild plants in the mountains. 

四季を通してということは、年中ということ。夜通しが all night なので、年中ならば all year となるので

・You can get wild plants all year. (年中→ all year around /throughout the year 等もあり)

 

他にも『山の恵みを頂ける』ということで、山菜を食べることを楽しめると解して

・You can enjoy eating wild plants in every season.  

 とも考えられる。

『四季を通して山の恵みを頂ける』ということは、1つの季節限定ならば、採れる山菜の種類も限られるかもしれないが、四季を通してということは、四季折々の山菜が楽しめるということで、幅広い種類の山菜が採れることを意味する。

・You can enjoy eating many kinds of wild plants, because you can pick wild plants all year in this mountain. (たくさんの種類の山菜が楽しめる、なぜなら、年中山菜採りができるから)

have でもよい。

・This mountain has various wild plants for us in every season. 

簡単な英語であっても、我々の工夫と使い方次第で、十分意味を伝えることができる。ネイティブの英語に耳を傾ければ分かるが、我々の認識をはるかに超えて、基本単語を多用している(もちろん簡単な英語といえども、基本単語の基本的な使用法から、前置詞との組み合わせで意味が千変万化する句動詞の使用も含まれるが)。

まとめると

『この山は、山菜の宝庫で、麓(ふもと)の宿では、四季を通して山の恵みを頂ける』

・This mountain has a lot of edible wild plants. At hotels near the mountains, you can eat various wild plants from the mountains all year around. 等。

 

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英作『山菜は、日当たりのよい場所等、至る所に自生』(山菜採り2)

2024-03-03 17:40:13 | 英作 解答

英作問題『山菜採り』

2. 山菜は、日当たりのよい場所や、川のほとりなど、山の至る所に自生している。

⇒ 英作は、考えることを重んじる。我々は、既に多くのことを知っている。誰しも学校で多くの知識を得ているだろう。しかしそれらは、使われなければ、もしくは使い方を知らなければ、いくら多くの知識を持っていても、知らないことと同じである。考えることで、我々は、自分が何を知っているかを知ることができる。考えなければ、自分が何を知っているか、知らないままである。

 

『日当たりのよい場所』を考える。

日当たりがよい、とはどういうことだろうか。

山菜にとって、日当たり、即ち日光とは、生存に欠かせないものである。山菜にとって、日当たりとは、必要不可欠なのものなので、need を使い

・Wild plants need sunlight. 

これだけでも、どんな場所で山菜が生えているか、イメージできる。

Where can we find wild edible plants in the mountains? と聞いて、

They need sunlight. と答えられたら、日当たりのよい場所(に行けばよい)ということになる。

 

さらに具体的に考える。日当たりのよい場所とは、具体的にどんな場所か。

山菜を遮(さえぎ)る物、即ち遮蔽物がない場所である。日光を遮蔽(しゃへい)する物とは、当然、高い木や植物である。山菜を採るにあたり、日当たりのよい場所へ行くということは、即ち、高い木や植物がない場所へ行くことと同義である。よって

・If you want to find wild plants, you must go to a plce where there are no trees or tall plants. となる。なぜか。日光(sunlight) を浴びる必要があるから。合わせると、

・Wild plants need sunlight. If you want to find wild plants, you can go to a place where there are no trees or tall plants around.

日当たりと言うと、日光である。英語では、sunlight やsunshine を使い、get と共に、My room gets a lot of sunlight/sunshine. (私の部屋は、日当たりがよい)のように使う。sun だけでも使われ、My room gets a lot of sun. とも言う。

・Wild plants need sunlight. We need to go to a place (or area) which gets a lot of sunshine. 

・We have to go to a place where there is a lot of sunshine. 

関係代名詞でなくてもよい。

・If there is a lot of sunlight, you may find wild plants easily. 

・Go to a place with no trees or tall plants around. You will find wild plants easily. 

 

『山菜は、日当たりのよい場所や、川のほとりなど、山の至る所に自生している』

自生しているとは、何か。

その字面の通り、自(おの)ずから、もしくは自(みずか)ら生きている、存在していることである。

要するに、そこに『ある』ということなので、 There is/are や have でよい。

川のほとりとは、要するに川の近くである。near を使い

・There are /We have wild plants near the river. 

・There are /We have wild plants on the riverside. 

自生は、grow wild とも言う。知っていれば使うもよし、知らなければ知らないでよい。英作修行の趣旨からすれば、自生=そこに存在すること、と見抜いて have を使う柔軟性があれば、英会話上達は近い。

山の至る所とは?

至る所とは、簡単に言うと、多くの場所である。many を使い

・We have wild plants in many places (of a mountain). 

至る所とは、言い換えれば、どこでも、ということ。everywhere を使って

・We have wild plants everywhere in the mountains. 

自生しているとは、栽培の反対の概念であり、誰かが意図的に、特定の区画に、人為的に植物を食用並びに観賞用に植えているのではなく、ただ自ずから、自然発生的にそこに『在る』ものである。自生しているものは、山菜採りをする人間の側からすれば、野に分け入って『見つける』ものである。よって find を使うのもよい。

・We can find wild plants in many places of a mountain.

『山菜は、日当たりのよい場所や、川のほとりなど、山の至る所に自生している』

合わせると

・You can find wild plants in many places of a mountain. You can go to the riverside, and go to a place with no trees or tall plants around, because (most) wild plants need sunlight. 

have だけでもよい。

・We have wild plants everywhere in the mountains. We have wild plants where we have a lot of sunlight in the mountains. We also have wild plants near the river. 

日当たりがよい、ということは、太陽があるから成立する。日当たりがよいということは、人間の立場から考えると、太陽が見える位置にあるということになる。よって see を使って

・We can find wild plants where we can see the sun. 

日当たりがよい場所とは、逆に言うと、陰(shade)の所では、山菜は生えていないと考えられる(種類にもよるだろうが)。

・We have no wild plants in the shade. 

・We have fewer wild plants in the shade.  

 

日当たりというと、sunny という単語がある。 It is sunny today. (今日は晴れている)のように使うが、場所に使って

・We have wild plants in sunny places. 

・Many wild plants grow in warm, sunny places. のように言える。

 

いずれにしても、自分のよく知っている基本単語で言えないか、という意識が大事である。道具(英語)は、持っているだけでは、使えない。その道具をよく使うことだけが、その道具の使用法に熟達する道である。使わない道具は、錆びるのみである。機会は、待っているだけでは得られない。自ら使う機会を求めるべきである。

Practice makes perfect! (練習あるのみ)

 

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英作『春の訪れ、山菜採りが恒例行事』(山菜採り1)

2024-02-17 21:26:55 | 英作 解答

英作問題『山菜採り』

1. 春が訪れると、山で山菜採りをするのが、我が家の恒例行事だ。

⇒ 山菜というのは、食べられる野草のことで、野草は、野にある植物なので wild plantsと呼ばれる。これに、食べられるという意味のedible を組み合わせて edible wild plants と呼ばれる。edible →edi + ble (可能) のediの部分は、語源的に、食べるの意味の eat から来ている。edi とeat は似ているので覚えやすい。

英作の注意点であるが、趣旨としては、簡単な英語、知っている英語、習った英語を、最大限駆使して、表現するということである。日本語を見たまま、反射神経で訳してはならない。直訳になるからである。日本語の表面的な字面を訳すのではなく、意味を考えて、英語にすることが大事。

 

『春が訪れると』

春が訪れるということは、簡単に言うと、春が来るわけである。come を使って、

・When spring comes.

春が訪れると、という日本語は文章になっているが、単純に『春には』と考えれば、

・In spring  もよい。

 

『山で山菜採りをする』

山で山菜採りをする、ということは、どういうことか。

山で山菜採りをするということは、差し当たり、山へ行ってすることなので

・We go to the mountains.   →特定の山というより、単に山へ行く、ということだが、通常このようにthe +山の複数形となる。

 

他にも、単に『山で』なので、in the mountains でもよい。

『山菜採り』とはどうなるか。

山菜を採ったり、花を摘む場合、pick という語がよく使われる。

・We go to the mountains and pick edible wild plants. のように使われる。

pick でもよいが、pickを知らなくても、考えれば、他にいくらでも言いようがある。

英作では、知らなければ、自分で考えるということを重んじる。

その気概がなければ、一言も英語では言えない。もちろん何でもいいわけではない。正しく、自然な英語でなければならない。

 

山菜を採るということ自体を考えると、その逆は当然、野菜を意図的に栽培することである。

栽培している野菜を収穫するのではなく、山に行って自生している山菜、野草を採取するためには、我々は何をするのか。

山菜を探す。何のためか。見つけるためである。

・We go to the mountains to find wild edible plants. 

採るということは、その前提として、見つけなければならないので、find という基本動詞でよいことになる。

採ることは、見つけること。ならば、見つけるためには、探さねばならない。look for で

・We go to the mountains and look for wild plants.   でもよい。

 

山菜を採る、ということは、山菜を得ると考えれば、

・We go to the mountains and get wild plants. 

他にも、山菜採取とは、何のためかを考えれば、山菜のためなので、for を使えば、

・We go to the mountains for wild plants.  と言えば、採取と言うのに動詞も言わずに、ただ適切に前置詞を配置すれば、事足りる。

 

該当する言い方を言えない際は、そのこと自体を言おうとせずに、他で代替する。

山菜を採る、ということだが、なぜ山に行くのか、山があるから、と言ったエベレストを目指した登山家がいたが、今回は、山に行くのは、山菜があるからなので、

・We go to the mountains because there are a lot of wild plants in the mountains.  というように、特に『採る』を言わなくても、理由を明確に述べれば、『採る』の意味を表すこともできる。

 

『我が家の恒例行事だ』を考える。

こういう文章を考える時は、『要するに』どういうことか、という観点から考えるのがよい。

要するに、恒例行事とは、定期的に何かを行うこと。もっと簡単に言えば、よく行うこと、いつも行うということに過ぎない。

『山で山菜採りをするのが、我が家の恒例行事だ』

山菜採りが、恒例行事とは、要するに、毎年行くということである。春が訪れると、ということなので、毎年春には~ということ。

・Every year we go to the mountains for wild plants in spring. 

every year と spring を合わせてもよい。

・Every spring we go to the mountains and find /get /pick  wild plants. 

我が家のということなので

・When spring comes, my family /the whole family / every one in my family / all of us in my family / go(es) to the mountains and collect /gather (集める)wild plants. 

 

恒例行事や、その他日本語特有の慣用表現等を英語で言おうとする場合、そのまま字面を英語にしようとしてはならない。直訳になると、通じない。日本語と英語は全く別物であると考えないといけない。直訳の問題点は、いくら単語レベルで英語に直しても、全体として何を言っているの不明瞭な英語になってしまうことである。少し立ち止まって、考えることで、極力間違いを避けつつ、より自然な表現に近づけることができる。

恒例行事とは、単にいつも、毎年、それを行なっている、ということでしかない。

英語にすると、単に every ~ ということであるし、いつも行う、ということならば、英語表現というよりも、文法で言うと、現在時制(現在形)を用いるだけで、変わらない習慣等を言い表せるため、別に特別な表現は、本来必要はない。

考え方だけで、自然な英語で表現ができる。

 

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英作問題『山菜採り』

2024-02-08 20:31:00 | 英作 問題

英作問題『山菜採り』

1. 春が訪れると、山で山菜採りをするのが、我が家の恒例行事だ。

2. 山菜は、日当たりのよい場所や、川のほとりなど、山の至る所に自生している。

3. この山は、山菜の宝庫で、麓(ふもと)の宿では、四季を通して山の恵みを頂ける。

4. 旬を逃すと、山菜も伸び過ぎて、食べ頃を過ぎてしまう。

5. 山菜は大抵、強い苦みがあるので、水にさらす、煮るなどの下ごしらえをして、あく抜きをする必要がある。

6. 山菜は、様々な調理法があり、天ぷらにするのもいいし、炊き込みご飯も人気だ。

7. 山菜によっては、有毒植物もあり、誤食による食中毒も毎年報告されている。

8. 山菜採取においては、食中毒防止のため、素人判断は、厳に慎むべきである。

9. 彼女は、この道50年の山菜採りの名人で、山を知り尽くしている。

10. 雪国の山菜は、長らく雪の下で過ごすため、旬が長く、香りが強く、アクが少なく、風味がよい。

11. 間違って私有地である山に入山して、山菜採取を行なうと、通報される恐れがあるので注意が必要。

12. 山菜採りに際しては、山菜を根こそぎ採らず、再生可能な範囲で採取することがルールである。

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Plain living and high thinking. 【読書と英会話】

2024-01-12 22:10:00 | 英語学習

今年は、私どもの教室 English and Beyond では1月5日(金)より、新年最初のレッスンを行なっております。皆さま、気持ちも新たに、寒い中ですが、熱気あふれる英会話の練習を行なっております。

元旦に、能登半島にて大地震が発生し、犠牲者、行方不明者、被災した方々のことを考えると、胸が痛みます。遠く離れた兵庫でさえも結構揺れて、かつての阪神・淡路大震災のことなどを思い出しました。

タイトルにあります Plain living and high thinking は、イギリスの詩人で Wordsworth という人の言葉です。

plain とは、簡素な、質素なという意味です。普段生きるにあたり、特に贅沢するのではなく、つましく、簡素な生き方を旨とし、清貧に甘んじつつも、高遠、高邁な思想を抱く、といった意味でしょう。

中国古代の思想家である孟子(もうし)の言った『志(こころざし)を尚(たか)くす』ということにも通じますし、江戸時代から昭和にかけて、読書家によく読まれた、菜根譚(さいこんたん)という中国の書物がありますが、その書名の由来となる『人、常に菜根を噛み得ば、即ち百事為すべし』という言葉を思い起こします。志を尚(=高)くす、とは、何があろうとも、人としての理想を忘れないことでしょう。菜根を噛み得ばとは、葉っぱを食べるような質素な生活に耐えることができれば、何事でも達成できるということです。

質素、簡素ということですが、生活の仕方のみならず、考え方に関しましても、この複雑で混迷した世の中にあって、ある種のplain さ、ということも、大事なことだろうと思います。

plain と言いますと、私のお教えする英作に必要なものは、中学1年生くらいの、基礎的な英語です。要するにplain (簡単、平易)な英語です。どんな難しそうに見える日本語であっても、自分で考えて、本当に言いたいことは何か、理解することができれば、あとは簡単な英語で表現できます。

英作の一方で、教室の生徒の皆様には、タイムその他数多くの、ネイティブが読むものを、どんどん読んで頂き、世界の問題、国際情勢等に触れて頂いています。

読んでみるとわかりますが、難しい単語や表現ばかりです。その分野の専門家や記者が書いたものなので、難しいのは当然です。英語のネイティブがネイティブに伝えるために書いたネイティブの記事だからです。しかし、たとえ英語は難しくても、これはぜひ生徒さんに読んで欲しい、知ってほしいと思われるものは、いくら難しいものでも、躊躇なく、教材として、読んでもらいます。語彙水準で見れば、通常は英検1級レベルでやっと読めるかというものであっても、うちでは2級でも、その手前の人でも、読んでもらいます。無謀だと思われるかもしれません。

英語学習者は、英語のレベル、語彙水準で見れば、ネイティブに比べれば、当然、その英語は、いわば赤子のようなものかもしれません。しかし、いかに英語が、つたないものであり、赤ちゃんのレベルであっても、我々は、色々な経験を経た大人なのです。多くのことを経験し、見聞きして、喜びも悲しみも味わってきた、大人なのです。同じく大人であり、我々日本人と同じように喜びや悲しみがあり、悩みをもつネイティブ達が書いたものです。心を開いて、虚心坦懐読んでみれば、読んで読めないわけがありません。

最近はガザ地区の記事も、生徒さんに読んで頂いています。CNNの記事ですが、昨年秋の戦争開始直後の記事です。戦争の記事なので、戦争関連の用語などが多数使われています。いつもですが、みなさん、こんなの読めるのかなと思われます。記事の3ページ目あたりに、少年の写真があります。爆撃を受け、がれきの中で横たわり、酸素マスクを着けた状態で、虚(うつ)ろな目で、こちらを見ている写真です。今この少年は、どうしているかは、わかりません。この時、少年はどんな思いだったのでしょうか。

記事の冒頭に Tempers flare at the UN. とあります。中ほどにも、emotions run high (at the Security Council=国連の安全保障理事会)とあり、国連事務総長が、ガザの窮状を見て、停戦を訴えているとあります。emotions run high とありますが、これは、どういった意味なのでしょうか。直訳すると、感情が高く走る、となりますが、何でしょうか。冒頭にtempers flareとありまが、temperとは、気質、気性など、flareは燃えるの意味。tempers といい、emotions といい、何らかの感情のことのようですが、はっきりわかりません。しかし、記事を読みながら、事務総長の説明を読みながら、グテーレス事務総長が、どう思っているのか、ガザの現状を見て、子供たちを見て、どう感じているのか、想像してみましょう。

喜怒哀楽で言うと、明らかでしょう。怒っているのです。もしくは、深く悲しんでいるでしょう。 He is angry. もしくは、He is sad. となります。世界平和のために、日夜奮闘している機関のトップです。恐らく激怒しているはずです。He is very angry.

一方のイスラエルは、どうでしょうか。10月6日にハマスにより攻撃され、多くのイスラエル人が人質そして、犠牲となったことから始まった今回の戦争。世界最優秀の諜報機関であるモサドを持ち、そして世界最強の対ミサイル防空システムであるアイアンドーム(Iron Dome)で、ミサイルの迎撃率が90%以上という、鉄壁といえる防衛網を持っていたはずのイスラエルが、処理能力を超えた圧倒的な量のミサイルで攻撃され、侵略を許してしまい、多数の国民を殺害されたイスラエルの恐怖と怒りは、想像に難くありません。イスラエルに関しても、感情でいうと、事務総長に対して、憤慨していますし、ハマスに対しても、記事にありますが、should be erased off the map.  と外交官が発言しています。erase は消しゴム(eraser) のerase です。地図からerase するべきとのこと。喜怒哀楽で言うと、当然怒りです。Tempers flare. Emotions run high. 具体的に言ったら、双方が怒っているわけです。They are all angry. They are angry with each other.  ということに他なりません。

記事には難しい単語が並んでいます。しかし、我々は、例えばこの記事の少年の写真を見て、彼の心情を慮(おもんばか)ることを、忘れるべきではありません。少年の気持ちを想像する。住民の気持ちを想像する。人質の気持ちを、被害にあった人、その家族の気持ち、攻撃する側の心情。我々は、難しい記事を読みつつ、当事者それぞれの心情を考え、想像することができます。単に目を走らせても、難しい英語に打ちのめされるだけです。考え、常識を働かせて想像し、理解しようとすることが大切です。

そして、考え、想像して、自分なりに理解したならば、必ずや、その時は、自分の言葉で言い表すことができるでしょう。読むことは大切です。しかし理解することが、もっと大事です。そして理解するためには、考えることです。そして想像することです。難解な英語の向こう側にいる人間そのものを観ようとする、眼力が問われます。

考えて、想像して、理解した暁(あかつき)には、必ずや、自分なりの簡単でplain (平易)な英語で表現できます。ここで英作の修行が効いてきます。逆に言うと、読んだことを、平易に表現できないならば、それは考えるというプロセスが不足しているから、とも言えます。

読むにせよ、表現するにせよ、考えなければなりません。自分で考えることが、複雑な事物、事象を、単純化、簡素化する、近道となるでしょう。

便利な機械に囲まれて、事態はより一層、人間を考えるということから、遠ざけつつあります。故に、混迷した世の中であるとも言えます。

たとえ、話す英語が、平易(plain) で拙いものであっても、我々は、良識ある大人として、堂々と、世界の直面する問題を、英語で読んで、英語で感じ、英語で考え、英語で悩み、英語で、どうあるべきかを、考えるべきだと思います。

ゆえに、Plain English and High Thinking!

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