私が楽になった考え方 | 元中学校英語教師の新米ママ。完璧ママより笑顔ママ(o^^o)Life is beautiful.

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鬱になったことのある
元中学校英語教師。
現在一児の母。
ママの笑顔が世界を変えるはず!

Pray for peace.

一昨日と昨日ほとんど家にいて
精神衛生上良くないので今日はお出かけ♪
バスに乗って吉祥寺へ^ ^

家を片付けたり家事をしたりもしたいけど
外に出て気分転換しないと、
結局片付けも家事もやる気が湧かない^^;
やはり人間、外に出て歩いて
日の光を浴びないとね。


さて、ついこないだまで親のことや
旦那、義父母、その他人間関係で
色々悩んでいた私がどうしてこんなに
気楽になったか、
ひとつ大きな変化をあげると、

「他人の感情に責任を感じなくなったから」
です。

それまでの私は、
理不尽な理由で一方的にイライラされたり、
隣で旦那がイライラしていたり、
義父母が旦那を叱っていたり、
自分は関係ないのに
誰かと誰かがもめていたりしたら、

「私がなんとかしなきゃ」
「私があのときこうしなかったから…」
と責任を感じたり、
なんとかうまくおさめようとしていました。

でも、そのほとんどが
自分のせいではなく、
自分がなんとかしなきゃいけない問題ではなく、
その人自身の問題でした。

もっと言うと、
その人の心の癖や思い込みが原因で
イライラしたり傷ついたり
揉めたりしていたので、

もう周りがどんなに頑張っても
フォローしてもきっと無駄で、
その人が変わらない限り、
どうすることもできない問題でした。

私自身がそうだった。
勝手に
責められてると勘違いしてしまったり
攻撃されたと思い込んで
イライラしたり反撃したり
落ち込んだりしてしまっていた。

結局は自分の問題なのに
人のせいにしたり文句ばかり。
そんな自分が嫌で、
そんな人を見ると自分と同じだから
イライラしてた…
今考えると自分サイテーだったなぁー
と思いますが、

それに気付いたときのショックを乗り越え、
「じゃあどうしたらよいのか」
「これからどう生きていけばよいのか」
を考えたときに、
私の中での答えは

「人の感情に責任を持たない」
ということでした。

イライラしてようが、
喧嘩してようが
責められようが怒られようが、
それが本当に自分に原因がなく、
その人の問題ならば

放っておく。

これ、私にとってはとてつもなく
難しいことでした。

お節介野郎だった私が、
自分の力の及ばないところだ、と思ったら
放置、無視、本人に任せる、
なんて、とても違和感がある。

でも、逆に言うと、

その人のことを信じて、
自分の問題は自分で解決できる、
それを見守る、

ということ。


そして、お節介なのは

その人に任せておくとダメ、
自分の問題を自分で解決できない、
とその人のことを見下している、

ということ。

あれこれ言うのは相手を信じてない証拠。
助言することで
貢献してる、役に立ってる
という優越感にひたりたいのかもしれないし、
人から認められたい=承認欲求
の表れかもしれない。

とにかく私はこのことに気付いたときから

相手を徹底的に信じる
=口出ししない、
感情の責任を取らない、感じない、
ただただ見守る、

言いたいことは提案や相談の形で伝える。
その言葉をどう受け取るかも相手の問題。

と考えることにしました。


違和感もあって、まだまだ難しいけど
だいぶ楽^ ^

以前は
街中で喧嘩してる人とか、
非常識な人とか、
お節介な人とかに対して
イライラしてたけど、
今はもうどうでもい~と思います。

その人の問題であり、
私には一切関係ない。
というと冷たく聞こえるかもしれないけど、
誰かの人生を背負うことなんてできない、
そして自分の人生を精一杯生きることが
結果的に周りを幸せにする、
私はそう信じることにしました^ ^

結局は自分が何を信じてるか
どうすることに決めたか
それが自分の人生を創り出す

死ぬ前にそれに気付けて良かった。

Pray for peace.