しかし、重衡を語るだけでも、これだけの人々が関わっているという証拠ですね。
頼朝についても書きたいな。
今回は、狩野介宗茂という人物とのやり取りに注目してみます。
狩野介宗茂とは、生没年未詳。
工藤祐経のいとこで、頼朝に重宝されていた人物です。
宗茂とのやり取りもまた、前回の実平同様、重衡が源氏の生け捕りになって以後に出てきます。
実平は重衡の護衛、今回の宗茂は重衡の身柄を預かった人物です。
南都をほろぼしたる伽藍のかたきなれば、大衆定めて申す旨あらんずらんとて、伊豆国狩野介宗茂に預けらる。
(中略)されども狩野介宗茂なさけある者にて、いたくきびしうもあたり奉らず。
やうやうにいたはり、湯殿しつらになンどして、御湯ひかせ奉る。
(巻第十「千手前」)
→南都焼打ちした重衡は、狩野介宗茂に預けられた
→しかし宗茂は情け深い人であったので、重衡に厳しくしたり当たりを強くすることはなかった
→むしろ重衡をいたわった
→風呂にも入れてあげていた
こちらでも出ましたね、
「なさけある者」。
『平家物語』だから源氏が悪く描かれているかといったらそうではないのです。
平家の人物を引き立たせ、また、重衡のような悲運な人物を物語を通して救う為には、
時に源氏は情け深くある必要もあるのです。
もし宗茂や実平がひどい人物で、重衡に
「貴様は南都焼打ちした罪人なのだからこれでも喰らえ!!」
とばかりに惨い仕打ちをしていたならば、物語の印象は変わりますよね。
「重衡かわいそう…」
ではなく、
「ほら、仏さまを焼くからそうなるんだ、自業自得だよ」
に傾くようになります。
物語でまでそんな描かれ方をしては、重衡も救われません。
これはあくまで物語なのです。
古典に限ったことではありません。
現代の漫画や小説などもそうです。
物語として事象をどう描いているかを考えると、とても面白いですよ(^^)