平重衡と頼朝に重宝されていた狩野介宗茂 | 和美人を目指す〜日本古来の美しさを身につける〜

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日本史、日本文学が大好き。
和の文化を現代に取り入れ、和美人になるにはどうしたらいいか?
日本人として持って生まれた美しさを最大限に活かす方法を考えていきます。

懲りずに重衡続いてます(笑)

しかし、重衡を語るだけでも、これだけの人々が関わっているという証拠ですね。

頼朝についても書きたいな。


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今回は、狩野介宗茂という人物とのやり取りに注目してみます。

狩野介宗茂とは、生没年未詳。

工藤祐経のいとこで、頼朝に重宝されていた人物です。

宗茂とのやり取りもまた、前回の実平同様、重衡が源氏の生け捕りになって以後に出てきます。

実平は重衡の護衛、今回の宗茂は重衡の身柄を預かった人物です。




南都をほろぼしたる伽藍のかたきなれば、大衆定めて申す旨あらんずらんとて、伊豆国狩野介宗茂に預けらる。
(中略)されども狩野介宗茂なさけある者にて、いたくきびしうもあたり奉らず。
やうやうにいたはり、湯殿しつらになンどして、御湯ひかせ奉る。
(巻第十「千手前」)


→南都焼打ちした重衡は、狩野介宗茂に預けられた

→しかし宗茂は情け深い人であったので、重衡に厳しくしたり当たりを強くすることはなかった

→むしろ重衡をいたわった

→風呂にも入れてあげていた




こちらでも出ましたね、

「なさけある者」。


『平家物語』だから源氏が悪く描かれているかといったらそうではないのです。

平家の人物を引き立たせ、また、重衡のような悲運な人物を物語を通して救う為には、

時に源氏は情け深くある必要もあるのです。

もし宗茂や実平がひどい人物で、重衡に

「貴様は南都焼打ちした罪人なのだからこれでも喰らえ!!」

とばかりに惨い仕打ちをしていたならば、物語の印象は変わりますよね。

「重衡かわいそう…」

ではなく、

「ほら、仏さまを焼くからそうなるんだ、自業自得だよ」

に傾くようになります。

物語でまでそんな描かれ方をしては、重衡も救われません。

これはあくまで物語なのです。

古典に限ったことではありません。

現代の漫画や小説などもそうです。

物語として事象をどう描いているかを考えると、とても面白いですよ(^^)