東日本大震災から、14年が経ちました。
去年も暖かかったけれど、
今年も暖かかったですね。
14年前、外は寒かったな。
マンサクが満開です。
14年前の3.11は。
今でも覚えているのは
会社が暑かったこと。
家に帰れない人が大勢、
会社にとどまっていました。
ビルの全館空調は止まっているけど
電気は使えてPCはついているから
部屋の気温がどんどん高くなって
蒸し暑くて大変でした。
仕事で関係していた
クリエイティブチームのいる13階の
エアコンがある部屋に避難させてもらって
カーペットの上にみんなで横になりました。
毛布とアルファ化米と水が配布されて、
とりあえずそれを食べて。
テレビはずっと津波の映像が流れていて。
そんなことを断片的に思い出します。
今年の3.11は。
軽井沢アイスパークで
カーリングのオープン大会に出ていました。
正確に言うと、
カーリングのオープン大会には
抽選で外れてしまったのですが
抽選で外れてしまったチームで
大会をやるという荒業を考えてくれた人がいて
それにありがたくのっかった、というわけで。
いろいろ勉強になりました!
そして何より楽しかった!
シーマニアの皆さん、ありがとうございます😊
14:46には心の中で黙とうを。
丁度休憩時間でよかった。
知っておきたい、3.11のこと。
東日本大震災のあと
熊本地震、北海道胆振地震と
震度7の地震が起きて、
去年の1月1日には
能登半島地震が起きました。
震度7に満たない地震も
本当にたくさん起きています。
南海トラフ地震の起こる確率は
80%に引き上げられました。
震災から14年が経ち
私たちは災間を生きている、と
改めてそう思います。
岩手日報は2017年3月11日、
震災を風化させてはならないと
「最後だとわかっていたなら」という詩を
新聞に掲載しました。
さまざまなメディアに取り上げられて
とても多くの人がこの詩を目にしたそうです。
それ以来毎年、
「最後だとわかっていたなら」をテーマに
震災を伝える企画を継続しているそうです。
14年が経ち、
震災の年に生まれた赤ちゃんは
もうすぐ中学3年生。
物心つく前であれば
もうすぐ高校3年生ぐらいでしょうか。
東日本大震災を経験していない世代が
まもなく成人を迎えようとしています。
東日本大震災を知らない子どもたちに
震災を伝えるのはとても難しい。
そんな時に使われてきたのが
「最後だとわかっていたなら」をはじめとする
岩手日報の震災広告だったそうです。
そこで2025年春より、
岩手日報の震災広告を公式に教材化し、
無料で提供する教育プログラムが始まるそうです。
すごく素敵な取り組みだと思う。
そこで「最後だとわかっていたなら」を誰でもお使いいただける教材にすることを目指すことにしました。
それがきっと「未来の防災」にもつながると信じています。
そして一人でも多くの子どもたちが日々、身近な人たちを大事にし、今日を大切に過ごすことを願って。
たくさんの学校で
こんな授業が行われたらいいな。
それがきっと
「未来の防災」にもつながる、
まさにそうだと思います。
そしてもうひとつ、
原発の今についても知っておきたい。
特集「原子力発電所の今」では
福島県の置かれた厳しい状況が伝えられていました。
再放送しないかな。
3.11は、大切な人を想う日。
朗読が沁みる動画です。
今日ですべてが終わるのだとしたら、
私は何をするだろう。
でもそれ以前に
今日ですべてを終わらせないために
できるだけのことをしておきたい。
大切な人と自分のために。