12/11.
性被害についてあえて思い出し向き合った1年だけど、この3.4ヶ月は、Twitterに書き込みに来る時以外、思い出すことも減った。普段は日常生活に意識が向いている。
時々思いに耽るけど、「引き戻された」「怖い」ではなく「哀悼を捧げる」「自分の痛みに寄り添う」、優しい時間だな、と思う。
なんだろう、やっぱり私は5.6才で一度死んだように思う。
感情が、魂が、無邪気さが。?
死んだあの日の私のために、哀悼を。あの時も、その後30年間も、誰も私の幼い死に気づくことも、寄り添うこともなかったから。
ようやく会えたね、というか。
痛いけど、気づいてくれてありがとう、というか。
そんなことを思ったのは、このミイラに幼き日の私を重ねたからかもしれない
12/17
10年前、心理士さんが、「あなたは人に良く思われるスキルをたくさん持ってるけど、人に嫌われるスキルが足りない」と私に言った。
相手が望んでいる言動を提供するのは上手で、相手が好まない言動をするのは苦手だった(恐怖心により、顔色伺って生きてきたから。拒否や交渉が苦手)
私は、この心理士さんの言葉が嬉しかったから、今も覚えている。
コミュニケーションにおける全ての能力が劣っているわけではなくて、ある種、一つのスキルが特化した状態に成長したというか。バランスは悪いけど、過酷な環境で、私は私なりに役に立つスキルを身につけていたんだな、と。
そして、足りないスキルはこれから身につければいい、と、周囲の人への拒否や交渉に挑戦していったんだよね。親相手や、友達にも。
相手を喜ばす選択、交渉や拒否する選択。どちらも自由自在に。
それが出来る今は、まあまあ総合的なコミュ力高いんじゃないかと思う(笑)
他
私は性被害の恐怖記憶と向き合った時、思い出し→号泣して初めて、強いリラックス効果が得られたのを経験したけど、この実験では脳の血流測定や心理テストを使用して、「号泣によるストレス緩和」を実証してるんだね。
面白い。涙が出るリラックス効果より、号泣は10倍と体感していたけど、納得
私は性被害により女性が怖くて、成人する頃の最も精神疾患が重症な時期は、外部の女性と一切会えなかった。
ネットで文字越しに接するのさえも怖いし、会うなんてとても無理!という状態。昔から付き合いのある女友達も、結構いたんだけど。恐怖心が増幅していて拒否感が猛烈に強かったな。
今も、「親しくなる」に一線は引いてはいるけど、友達付き合いは出来るし、女性相手にも拒否や交渉が出来る。当時の恐怖は忘れていないけど、「自分の気持ち・要望を相手に伝えても何ら問題ない」という体験を10年間で繰り返して、新たに安心感を増やしていった感じ。
今は数年前に移住した土地で、定期的に会い、楽しく過ごせるママ友も10人程いる。
幼稚園から成人するまで、女性達と学校生活を過ごし、なんとかサバイバルしてきたわけだから。
「連絡を取り合って、継続的に遊びたいと、相手の女性に思われる」力はむしろ長けていたんだなぁ、と実感している。
昔、心理士さんが「れんさん、(将来結婚して子供を産んだとして)ママ友付き合いとかできるんですか?」って言ってたけど。
ママ友付き合い、余裕のよっちゃんで楽しんでますよ!と、声を大にして伝えたい。笑
テーマ:幼少期の性被害と複雑性PTSD