10/17
私は被害に遭ったのに、それによって起こってきた出来事について、罪悪感や自責があった。
私の行動のクセを見て、頭が悪いとか悲劇のヒロインとか、異常者、気持ち悪い、感情がない、などと呼ばれたこともある。
それがどれだけ、辛かったか。
被害を受けた人は、更なる被害者や加害者にもなり得る。
そんな連鎖の中で、懸命に生きている体験者の声、実際の診療現場での患者達の症状・様子、そういった記録が私を助けてくれた。
私は、然るべき理由で、当時のような症状・行動を取った。
私はなんとか、懸命に生きてきた、と認められた。
10/17
思い出すことがある。昔、心療内科で言われた「自分を全力で守ってください」という言葉。私は当時、その言葉がすごく印象に残り、かつ、それがどういうことなのかよく分からなかった。強い違和感を持ちながら、ただ、なんとなく嬉しいな、とも思った。私を心配してくれている、と感じたからだろう。
思い返すと、私は子供の頃から、全力で守られたことがなかった。5.6才で性被害に遭ったとき、私は自分を守れなかったし、守ってくれる人はいなかった。ケアもなく健忘した。その後、様々な場面で強い苦痛を感じる時も同様だった。だから、自分を守るということがよく分からなかった。
自分が傷つけられている、という感覚自体が薄かったし、苦痛を感じたとき、私は「怒り・悲しみ・思考を強制終了して現状を受け入れる」形を常に取っていた。もう一つ、私が悪いからだ、という考えが自然と浮かんだ。私は5.6才で性被害に遭った時も、私が悪いからだ、と感じでいたのだと今は分かる。
あの時の、危害を加えられた状況に対する私の思考・行動が、その後治療するまでの20年ほど、同様の作用をもたらしたと思う。物心がつく頃のことなので、私の基盤となって、なんの違和感もなく身につき、それを繰り返していた。成人後にそれを修正するのは非常に骨が折れた。サポートを受けてもね。
今もまだ修正途上であると思う。それでも、生きやすくなった、自分を守れるようになった。自分を幸せに・大切にする選択肢はどれなのか、という見極めや判断力も、生活に困らない程度にはついたと思う。修正していく方法論も体験的に学べた。数少ない、良かったことは、それかな。
10/17
5.6才の時の性被害と向き合い始めて、気づけばもう1年が経つ。
想像エクスポージャー風に、当時の場面を思い返しては泣き、自分を慰め、という作業を何回繰り返しただろう。大げさでなく100回は泣いたと思う。過緊張による腰痛からぎっくり腰にもなった。
想像エクスポージャー(を個人利用)による場面暴露によって恐怖反応が減った頃、今度は当時の私が感じた知覚を漫画にして描いてみた。描きながら泣き、読みながら泣き、校正しながら泣き、アップしてからも何度読み返して泣いたか分からない。
30年直視できなかった恐怖の体験を、私はようやく直視し、そして最初の頃は強烈なフラッシュバックが起きたり、恐怖による身体反応から涙が出る(緩和)までに時間がかかったりしたが、最近は、読んでも「そうそう。辛かったよね」と涙が流れる程度が多く、強い衝撃・情動・過緊張は起きにくくなった。
私は、5.6才の頃から人が怖かったんだな、とか、それが要因で人への接し方に偏りがあったんだな、あれも後遺症だったのか、とか、その偏りによって私はますます自分を苦しめたんだな、とか、改めて腑に落ちたように思う。そうすると、自分への愛しさはますますアップしたかな。
人が怖くなる体験を複数して、こういうptsd症状を持つのは当然で、ああいう人生の選択をしていったのは、ごく自然の流れで、だから私は重度の精神障害と呼ばれる状態になったのだな、と。私はよく生きてきたなぁ、頑張ったなぁ、と。自分への慈しみのような感情がますます強くなった。
私が心療内科の通院を終了してから、もうほぼ10年。ここ10年は、社交性は十分あるし、むしろ行動的であると思う。不快な接し方をしてくる人に対しての対応も、昔と比べてうまくなったと思う。
他人の機嫌を伺うことで人への恐怖心を打ち消していた頃と比べると、自分の感情を優先して言いたいことを随分言うようになったし。最近は、感情が強く表出しすぎる時があり、それは新たな課題でもあるけれど。
それでも、10年以上前に認知行動療法を通じて、新たに取得してできるようになった対応技術と、
また思春期以降の辛い記憶を書き出すことによって気づくことができるようになった、自分の感情(不快な接し方に不快感や悲しみ・怒りを感じられる)にはとても助けられている。
今回の件では、具体的に現状が何か変わったか?というと、正直はっきりとした変化はないかもしれない。ただ、恐怖の塊だった昔の記憶を直視できるようになったこと、小さかった自分のために怒ったり泣けるようになったこと、それは、外からは分かりにくい変化で、でもとても大切な体験であったと思う。
それは、なんだろうな。ミヒャエルヘンデのモモみたいなね。現実的に何があるわけでもないけど、自分の声に耳を傾けるというか、そっと寄り添うというような、心温かな体験であったと思う。やり始めは非常に辛くもあったけど、得られたものは大きかった、という、私だけの充足感がある。
私は中学生の時、「虐待された少年が、ある少女との出会いによって癒されていく」物語を書いたけれど。それから20年経った今、私はようやく、底の底で苦しんでいた私も、自分で助けに行きケアしているんだなぁ、と思うと感慨深い。傷は、だんだんと、傷跡に。少しずつね。
テーマ:幼少期の性被害と複雑性PTSD