2021.5. PTSDメモ
2021.5.3
PTSDへの治療法の一つ、認知処理療法の本を読んでいて、「つらい出来事より以前の考えは?」「それまでの信念は?」という問いがあった。
答えられないなぁと思った。
5.6才の被害時以前にどう考えていたか?が分からないから。ここについては難しさを感じた。
#PTSD
「出来事を書く→声に出して読む→体験を振り返る→ご褒美を与える」の流れは、想像エクスポージャーに似ているなと思った。
私は「出来事を書く→目で読み直す→自分の悲しみを表現して書く→自分にあたたかい言葉をかける、泣く」かな。
私にはリラグゼーション効果抜群のご褒美。疲れはするけど。
6/10
私が不安障害だった時に、自分に投げかけ続けた言葉って、
トラウマ記憶と照合すると、大体そこで受けた言葉なんだよね。
「私は臭くないかな。だから外に出るのが怖い」→性被害中に、「くさい」と笑われた、とか。
「ブスだから嫌われる」→親に何度も容姿を貶められた、とか。
今も確かに、客観的に見て、強い緊張に晒されると匂いのきつい汗をかくことはある。
顔も、なんなら老化した。
でも、自分を責めることはなくなった。
「強いストレスを感じたんだね」とか
「そのままで愛おしいよ」
という言葉が頭の中でふと浮かぶように変化した。
自分を貶めたい、嫌悪したい、小馬鹿にしたい、人なんて
本来、ほとんどいないんじゃないかな。
自分を好きだと思えて自信が持てたら人生楽だから。
でもそれが出来なかった、自分への好意を受けなかったから。「辛かったね」
この見方の変化が私を変えた。
↓ちなみに、不安障害だった当時は、
「◯◯と言われたから、自分のことをこう思うんだ」という視点は一切なかった。多分、辛いトラウマ記憶を想起させるのを回避していたから、というのもある。
ただ、「私はブスで臭い」と、それが絶対的な事実であるように思考していたんだよね。
大切な人が亡くなっても、どうしても許せない人がいても、日常生活を送ることは出来る。
忘れないと、前に進めないわけじゃなくて。辛い感情を持つことと、穏やかな生活は両立できる。
周囲から見たら後ろ向きでも、一生痛みと共に、でも自分に寄り添って人生を終えるのも、悪くないと思うな。
6-8月、漫画を描く
しばらく、別のことに没頭する
10月、再びTwitterへ
10/7
思い出すことがある。昔、心療内科で言われた「自分を全力で守ってください」という言葉。私は当時、その言葉がすごく印象に残り、かつ、それがどういうことなのかよく分からなかった。強い違和感を持ちながら、ただ、なんとなく嬉しいな、とも思った。私を心配してくれている、と感じたからだろう。
思い返すと、私は子供の頃から、全力で守られたことがなかった。5.6才で性被害に遭ったとき、私は自分を守れなかったし、守ってくれる人はいなかった。ケアもなく健忘した。その後、様々な場面で強い苦痛を感じる時も同様だった。だから、自分を守るということがよく分からなかった。
自分が傷つけられている、という感覚自体が薄かったし、苦痛を感じたとき、私は「怒り・悲しみ・思考を強制終了して現状を受け入れる」形を常に取っていた。もう一つ、私が悪いからだ、という考えが自然と浮かんだ。私は5.6才で性被害に遭った時も、私が悪いからだ、と感じでいたのだと今は分かる。
あの時の、危害を加えられた状況に対する私の思考・行動が、その後治療するまでの20年ほど、同様の作用をもたらしたと思う。物心がつく頃のことなので、私の基盤となって、なんの違和感もなく身につき、それを繰り返していた。成人後にそれを修正するのは非常に骨が折れた。サポートを受けてもね。
今もまだ修正途上であると思う。それでも、生きやすくなった、自分を守れるようになった。自分を幸せに・大切にする選択肢はどれなのか、という見極めや判断力も、生活に困らない程度にはついたと思う。修正していく方法論も体験的に学べた。数少ない、良かったことは、それかな。
10/11
昔、うつ病や不安障害などの病名をもらったけども、PTSDと言われたことはない。
それは、私が精神科医や心理士に、幼少期の性暴力体験について話したことがなかったからだと思う。私にとってそれは、人に話せることではなかったし、話す必要性も感じていなかった。
こういう人、結構いると思う。
「話したところで過去は変わらないし、人に話すなど恐ろしくて耐えられないし、そもそも思い出すこと自体が耐え難い恐怖なのに。人間が怖いし不信感があるのに、よく知らない人に、あの事を話すなんてあり得ない」というか。
そもそも、あまりの恐怖心で、意識の上にのぼってこない記憶というか
また、それほどの恐怖があるのに、「あれは話すほどのことじゃない、そこまで大きな出来事ではなかった」というような相反する考え方も出てきて。
混沌としている、封印した記憶なので、とにかくそれを開けてしまったら自分がどうなってしまうか分からないほど怖い、という感じだったと思う。
10/10
幼少期のトラウマ記憶を話しながら録画し、見返して気づいたこと
・そこそこ辛い記憶の時は右横を見ている
(聴覚、言語化した記憶を思い出そうとしている)
・特に辛い記憶を話す時には早口になり、ずっと右上を見ている
(過去の視覚的情報にアクセスしている)
自分の目線の動きがとても興味深かった。
特に深い傷になるトラウマ体験は、映像として脳に保存されているんだなぁ、としみじみ感じた。
私は探究心、好奇心が強いから、自分のこともある種の研究対象のように思うことがある。
自分の思考や行動の仕組みを解明していこう、トラウマ体験と向き合ったことによる変化を記録として残そう、という態度で対峙してきたことで、少しだけやりがいがアップし、また自分を客観視できたと思う。
10/10
多分、一番厄介なのは「感情だけのフラッシュバック」だと思う。
トラウマ記憶と何か類似したものに対して、トラウマ体験のことは一切思い出さず、その類似したものだけに感情が爆発する、というか。
「そんなことで、何で号泣するの?腹を立てるの?固まるの?」と不思議に思われるような場面で。
自分1人の時に起きるならばまだ良いけども、誰かと一緒にいる時にこれが起きると、相手、あるいは周囲の人に「困った、厄介な人」と思われたり、攻撃的、また対人関係が悪化する場合もある。本人も、なぜ泣くのか怒るのか固まるのか、自分でもよく分かっていないから説明できない。ただ激情するのみ。
時には、トラウマ記憶に類似する何か、その「何か」が本気で不快なのだ、という認識だけに留まることもある。
これが、自分のトラウマに対する感情のフラッシュバックだったと理解すると、混乱は減り感情も落ち着きやすくなる。最終的には、感情のフラッシュバック自体が弱まり、また起きにくくなる。
10/10
私は過去のトラウマ記憶をメモ帳に書き出す、
自分の心情も書き出す、というのから始めた。最もリラックスできる、自分のベッドに寝転がって。時にはパズルで休憩して。
まだ読んでないけど、
「ナラティヴ・エクスポージャー・セラピー―人生史を語るトラウマ治療」にも近いのかもしれない。
〉ナラティブエクスポージャーは、 トラウマ体験に焦点を当てながら、人生史を詳しく語り、「自伝」を作成していく作業による、心理療法です
記憶について文章で書く、を、
数ヶ月後レベルアップさせたのが、絵に描く。
当時の自分の知覚、触覚、反応、心情、映像記憶を可能な限り描いてみた。
先日は最終段階として、自分の口で当時の状況について語り、それを録画してみた。そして、見直した。
私にとって、トラウマ体験を口頭で述べるよりも、文章に書き出したり絵に描く方がハードルが低かった。自分が被害体験を語り、その様子を客観的に見ることが出来るまでに、恐怖心は払拭された様子。
〉『意識的な行動の無意識的な理由 心理学ビジュアル百科 認知心理学編』越智啓太
テトリスはPTSDの緩和に効果的
「テトリスに没頭している時、心の中では目まぐるしくブロックを回転させどこに置くべきか瞬時に判断している。この時主に視空間的ワーキングメモリが働いている。→
〉この働きがトラウマ的な記憶が呼び起こされるのを防いでいると考えられる」
視空間的ワーキングメモリとは、「視覚的・空間的な材料に関する短期記憶」らしい。
テトリスのみなのか、他の落ちゲーはどうなのかは書かれていない。
私が幼少期のトラウマ記憶・映像をあえて思い出して曝露していた初期の頃(恐怖を感じる刺激にあえて自分をさらし、「今はもう大丈夫」と実感することで、恐怖心を緩和していく)、
その刺激が強すぎて危険だと感じた時は、スマホのパズルゲームをやって感覚緩和していたのを思い出す。効果的でした。
EMDRでは、トラウマ記憶を思い出しながら眼球運動をするみたいだけど、近いものがあるのかもしれないな、とも思う。