【注意】
タイトルのような実体験を含む内容です。
具合が悪くなりそうな方はここで引き返してください。
5/8
※Twitter向けに書こうとしたので、敬語になってます。結局、そちらには投稿せずメモ帳入り。
私は5.6才の時に、同性女児から性加害を受けました。自宅の寝室で、ドアを閉められ密室に。下半身を脱がされ、床に寝転がされて指の挿入あり、その指を嗅いで「くさーい」と笑われる、「なんか…みたいなのついてるよ、きたなーい」等、あまりの恐怖に私は硬直し、思春期まで記憶を失っていました。
それでも、私は小学校に上がり、その女児と似た、目立つ容姿の女子とばかり友人になり、主従関係を築いていました。
また、女児も被害を受け「再演」を私にしたのだと思われます。
私の苦しみは、信用していてよく遊んでいた女児に、自分の家の寝室で、突然恐怖に突き落とされたということです。
https://core.ac.uk/download/pdf/144565323.pdf
久留・餅原:外傷後ストレス障害 PTSD に関する治療心理学的研究 131
〉Foaら(1989)も,実際の脅威(actualthreat)よりも,知覚された脅威(perceived threat)の方が重要であると強調している。
〉後者を構成する二大要因, 「自分の意志による行動の 制御がまったく不可能な状態(Uncontrollability)」と「まったく予測不可能な突発的な災害,辛 故状沢(Unpredictability)」の程度によって症状の重篤さは変わってくる。
〉例えば,同じレイプでも,思いもよらぬ自宅で,絶体絶命の中で遭遇すれば, PTSDに高頻度に結びつくという。
〉 McFarlane (1988)が報告する全盲者におけるPTSDは,信頼していた男性によるレイプ,安全なはずの横断歩道での交通事故,隣人からの暴力行為がそれぞれ契機になって いる。
〉その当人が「いかなる状態でその状況を体験し,認知した(受けとめた)か<person X situation>という心理的意味」が症状に大きな影響を与えている(Wilsonら, 1985 。
そして、加害した相手について、複雑な思いを持っていること。彼女もまた、たった5.6才で、何らかの性被害者であると思われるので。では、許すべきか?というと、私もまだ苦しい、
30年間、苦しんできた、私の痛みは、まだここにあるので。
彼女も被害者だと頭では分かっていても、私にとっては直接の加害者で。憎める相手も失い、私は途方に暮れることもあります。
でも、PE・持続エクスポージャーのように、自己流で過去の体験を整理をする中で、私の中にある変化が起きています。
怒りや悲しみの波にのまれ、「なぜ私がこんなに酷い目に遭わなければならなかったのか」と、加害女児の代わりに、運命を呪うこともありますが、もうひとつ、全く別の変化です。
恐怖心から避けていた、加害女児の容姿を、はっきりと、思い出すことができたのです。彼女は、写真のように、5.6才の姿で笑っていました。事件以前の、仲が良かった、あの頃のように。
私は辛くて絶望している小さな私と一緒に、彼女のことも、抱きしめたい、と思いました。「辛かったね」と。
もちろん、そう思えるのは、数回イメージが浮かんだだけで、やはり私の中にはまだ複雑な思い、負の感情も当然にありますが。
苦しいです。憎むこともできない、というのは。加害者に思い切り怒りをぶつけて気持ちを消化する、というやり方が今回は使えなかった。
でも、この方法が使えなかったからこそ、私は彼女を抱きしめることができたんだと思う。
全ての被害は、鎖のように繋がって、誰かを傷つけ苦しませ、そして新たな被害者を生みます。
生きるって残酷だな、と思います。被害者が、そして加害者が生まれざるを得ない、こんな世の中。
今も、苦しみの渦中にいる人がいる。私も含めて。
全ての人の悲しみが癒えて、全ての鎖が断ち切れたら、どんなに幸せな世界だろう、と思います。
でも現実はそうではないので。
自分についた鎖を断つ、そのためにもがいている。それだけでも、私は充分よく頑張ってる、と自分に言ってあげたいですね。
また、辛さの波が来ることも、きっとあると思います。
許せない、とか、負の感情でぐちゃぐちゃになる日も。
でも、私はその度に、自分の気持ちに寄り添って、苦しみの中から私を引き上げたいと、そう思います。
追記。
5/9
朝、久しぶりに、当時の光景を鮮明に思い出してみた。
動悸7、腰痛9。
これ以上やると腰が劇的に痛むと思ったので、2回ほど記憶を辿った後終了した。
安心感のある布団の中でイメージしたこと、何度かイメージ化したことで慣れたことで、動悸が以前より弱まっているのを感じた。
生々しく思い出したというのに。
少しずつ、痛みは減ってるのだろうか。
それから、子供の「ウンチをもらしたパンツ」に強い情動が起きた件について、その後は…
うちの子大体2日に1回ウンチするんだけど、なんと、その後3回成功。私の方をチラッと見て体をくの字にしたり、「ママ、うんちでそう」と教えてくれたりで。(1週間経過)
その後、風邪の影響で、起きてすぐにオムツで下痢をしたけど、その時はなんとも思わなかった。全くのフラット。下痢でかわいそうと思ったくらいで。
どうも、すごく限定的に、「パンツにウンチを漏らす」ということ、「そのウンチを手洗いしなければいけない状況」の2点が、過去と密接にリンクして情動反応があるみたいなんだよね。
次パンツにウンチをしたらどんな気持ちになるか、記録したいところだけど、とりあえず、しばらくはオムツでいいか…という気持ちになってる。
その先行刺激に対して、私がどんな反応をするか、バクチみたいなところもあるから。
条件が限定的なら、とりあえず避けてもいいんじゃないかな、と。今は、ね。
いつかは克服したいけど。
とりあえず、本丸の性被害のフラッシュバックに対する恐怖反応がもっと減ってからでもいいかもしれない、というところ。
トラウマ体験のフラッシュバックというのは、過去からのSOSみたいだな、と私は思う。
当時、ショックを受けて「助けて!」と叫びたかったのに、言えなかった。支援を得られず、苦しみがそのまま凍結された。
だから私は過去からの「助けて!」という叫びが聞こえたら、
「もう大丈夫。いつでもおいで」
「怖かったね、泣きたかったね。辛かったね、誰かに助けてほしかったね。混乱したね、苦しかったね。痛かったね、死ぬかと思ったよね、絶望したよね。
もう大丈夫。
あなたが助けて!と叫びたかったあの日。助けて!と叫んでいる、今も。私がそばにいるからね。苦しみが溶けるまで。だから、いつでもおいで」
※インスタで、
機能不全家族・性被害・宗教二世で育った私のエッセイ漫画を始めました
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