幼少期の性被害とPTSDについてさらに掘り下げて書く。 | 自分を育てる方法を考え動いてみた。

自分を育てる方法を考え動いてみた。

宗教二世・機能不全家庭で育ち、20才頃パニック障害、ひきこもり。精神障害2級×5年で認知行動療法(行動療法より)を受ける。回復してから11年経過。「成人してからの環境や性格は、自分で決める」

なんかタイトルがめちゃくちゃやな。


一応、カテゴリーで分けてるので、興味のある人はテーマ別からどうぞ。



さて、思考の垂れ流し。



加害女児について 5/3


ちゃん(本名も覚えている)

・顔は写真のように思い出せるし、声も思い出せる。笑っている。背丈から見て、幼児の時のちゃん。加害当時と変わらないちゃん

5.6才、同い年の園児、クラス数1つのため3年一緒

・小学校は学年に2クラスあって、2年に一度クラス替え。確か6年間一度も同じクラスにならなかったんじゃないかな。私は、クラス替えの度にほっとしていた記憶。被害当時の記憶はなくしていたけれど、私は彼女を見るのがとても怖く、嫌悪感を持っていた


・元々は、仲は良かったと思う

・園の出し物で、私は太鼓だったけど、彼女は鉄琴をやっていたのを覚えている。いいなぁと思った記憶

・クラスで一番くらいに可愛かったと思う

・天然パーマ、茶髪で色素薄め。光に当たると金色っぽく見えた

・私は天然パーマが羨ましく思っていた

・目立つタイプで、音楽や運動が得意だったんじゃないかな

・家に遊びに行ったことがある

・うちに来たことがあった、そこが被害現場に



5/6


・中学になって、一度見かけたことがある

(中学はクラス数が多く、同じクラスにならなかったので、見かけることも滅多になかった)ショートカットで、背が低くて、ぽっちゃりしたな、という印象だった。そういえば、ちゃんのお母さんに似てきたな、とも思った


——————


ちゃんは、おそらく、性被害に遭ったんだと思う。

直接的な可能性が高いと考えているけど、見た、という可能性もあると思う。

子供はptsdになるような体験をした時、遊びの中で克服していくことがある、と読んだ。


彼女にとって、あれは遊びで、自分が受けたショックを、消化しようとしていたのかもしれない。

私にとっては、とても遊びだなんて思えない、レイプだけど。


加害者がもしいるとしたら、性加害の連鎖で、私は被害にあったんだと思う。

彼女がそれを覚えているのか、忘れているのか、分からないけども。

何らかの、悪影響を今も受けているのではないかと思う。もしかして、私とは違って、理解者に早めに出会えていたら、あるいは安定した環境でその後育つことができたのなら、また分からないけど。


これを書いてると、腰が痛くなる。

またぎっくり腰になりそうなので、今日はここまで。



と思ったけど、もう少しだけ。


私が職場の福利厚生を利用して、年に数回受けられる無料カウンセリングを受けようとした時のこと。

組合のメンタルヘルス事業から最初に紹介された先生は、中年の女性だった。話を傾聴してくれる感じで、私は一応、建前上話したけれども、「次はない」と思った。

彼女が女性だったから、と言うのが一番の理由。ちょっと叔母に似ていたのもある。深い悩みを打ち明けられない、と思った。

二番目に、認知行動療法ではないだろう、ということだった。


もう一度メンタルヘルス事業に連絡をし、認知行動療法をしている先生がいい、と伝えると、今度は男性の先生を紹介された。

私はその先生に、「なぜ、心理士を交代したの?」と聞かれた。

私は、二番目の理由、「専門が認知行動療法ではなかったから」と答えたけども、

「女性が怖いから、深い悩みを相談できない」とは言えなかった。

もしそれを言えば、「なぜ女性が怖いの?」と聞かれるだろうと、多分私は予想したからだと思う。


私は、女性からの性被害について、人に話すことをとても恐れていた。


それまでの人生で話したことがあったのは、高校生の時に、元夫に対して。(その後、信頼した結果、とても辛い思いをした)、


それから重度の精神病になって実家に帰った後、「女性は友達含めて一切会えない」「ネットでチャットなど交流する相手も女性は無理」という状況だった私に対して、父親が「なんでなんや!」と怒鳴り、私は理由を瞬発的に話した(保育園のちゃんに性的にひどいことをされたから!園の担任にもひどいことされた!)と。詳細でなく概要だけ。


2011年に過去の話を書いた時も、このやりとりについて書いたけども、「女児からの性被害」というのは書かなかった。恐怖というのが一点、書いても理解されない、信じてもらえないと思ったのが二点目。他に書かなかった話として、宗教指導者からの呪いの預言というのがあった。これも、恐怖心からが一点、宗教を特定されるのが怖かったのが二点目。


とにかく、私は極力この性被害について人に話したくなかった。思い出すのも怖かったし。


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私は小学生の時、兄2人、男性の担任、隣の席の男子(その都度仲良くなった)に対しては、恐怖心なく接することができた。

特に次兄については、生まれて間もない頃からよくお世話をしてくれたという印象で、小学生の時はしょっちゅうケンカをしていたけども、それでも仲が良く、宗教家庭で規制ばかりされる中での同志、という連帯感があった。私が中学に入って、兄が荒れ始めた後は、私は自分のことのように辛かったな。


(ちなみに10才過ぎてから近くで暮らすようになった祖母のことも好きではあったが、やはりよそよそしさはいつまでもあって、一緒にいてホッとするものの、相談などができる対象ではなかった。相談という意味では、兄など含めて人全てに対して、出来なかったけど)



男性の担任からもらった、当時の、なんだろう?寄せ書き帳を見ると、「いつもヘラヘラ」「すぐ叩く」(私は、男子や担任の肩をバシバシとはたくクセがあった。そんな強くはなかったと思うけど、たまに「いて!」と痛がられた。私はからかわれやすくて、からかわれた時、相手が男性の場合は、ベシベシ叩いてた。大人になった後、ある男友達に「女子に肩を叩かれたいから、からかうんすよ」と言われて驚いたけども、今思うと行動分析学的に理にかなっているかもしれない。)


また私は1.2年と3.4年の女性担任は苦手だったが(唯一、半年だけいた、とても優しかった女性担任は慕っていた)、5.6年の男性担任のことは好きだったな、と思う。


いつもヘラヘラは、私が身につけた防衛反応の一つだと思う。

男子に対して、小学生までは負けん気が強くて、男勝りだった私だけど、

中学に入ると、男女の間にかなりの溝ができたこと、また次兄が荒れるなどがあり、私は一緒にいて安心できる存在を失ってしまった、と思う。


この頃、幼少期の性被害についても思い出す。

また、虐待に強い関心を示し、itと呼ばれる子、シーラと呼ばれる子などの本を読んだ。私自身、「虐殺された少年が思春期になり、そこで知り合った、天使試験を受けに来た少女に救済される」という小説を書いていた。



私は、女性と一緒にいる時、「レディーファースト」と言って、ドアを開けて先に通したり、やたら気を遣っていた。私は女性だけども、男性のような気持ちでいた。だから、男には負けないぞ、とも思っていた。


また女性と一緒にいる時の私は、「姫に仕える従者のようだな」と自覚があった。そして、その状態でいることを望んでいた。

私が女性と対等になるなどおこがましい、のような意識もあった。

他の女の子達のように、友達に悩みを話したり、友達の前で泣いたり、みたいなのが一切なく、同じクラスの時は、大抵1人の女の子ととても親しくなるものの、クラス替えで寂しい、と言う感覚はほぼなかったかな。

また、新しく友達見つけなきゃいけないのか、という暗い気持ちはあったけど。


卒業する時も、悲しいと泣くこともなかった。だから、泣いてる子がむしろ不思議に思えた。そして、フェードアウトが基本だった。

私にとっては、女友達は、学校生活を送る上で仕方なく、社交せざるを得ない相手で、でも何の信頼感も親密さも、私は感じていなかった。


高校の同級生には、卒業する時に、とてもあたたかな手紙をもらった。私のことを親友、と呼んでくれる子は、わりとそれまでもいたけども。

私は、かなりの温度差を感じていた。

好きな友達ももちろんいたんだけども、私は表面的にしか付き合うことができなかったので、なんだろう、冷めていて。そんな自分が、辛かったな。孤独だった。


私の、「誰も私を理解してくれない」とか「誰も私を守ってくれない」という強い考えは、私の幼少期、あの性被害に遭った日に形成されたのだと思う。

もちろんそれだけでなく、家庭環境などによって、その考えを強固なものに変えていったのだけど。


子供のptsdは自然回復することも多い、とどこかで読んだけど、本当かなぁ?

私は確かに女性恐怖症の割には、学校も休むことができない家だったので、なんとか適応していたし、会話することもできた。


でも、ケンカしたこと、一度もなかったよ。私は女性とケンカしたことがなかった。24才くらいで(対人恐怖症を克服していく中で)一度あるくらいで。

もめる前に、確実に私が折れていた。だって、怖いから。

また何されるか分からない、そんな恐怖心が根底にあったと思う。


そして、重度に病んだ時、私の女性恐怖症は一気に表に出た。私は、とにかく女性が怖くて、対人恐怖症で、全ての人が怖かったけど、女性に最も会えなかった。



そういやこの前、ある女性が、幼児の時に園の男児達から性被害に遭ったという内容を漫画にした話がニュースになっていた。

けど、女児が女児に、というのは私の周りに聞いたことがない

レアケースなのだろうか?

子供が被害にあった後、「遊びの中で、回復させていく」ならば、私以外にもいそうだけど。


私が受けたような生々しいのは、あまりないのかな


はぁ。


ほんとにね。

事故のようなものだと思うよ。


この件に関して、私の親だって青天の霹靂だろうし。もし親子関係が良ければ、話していたかもしれないけど。あるいは、私の異変に気づいてくれたかもしれないけど。分からないけど。


でも、加害女児も、園の担任達も、親も、この件に関しては、責めにくい。


私は、だから、未成年の女児に対する、性加害者のニュースを見ると、ものすごく怒りを感じていたし、そういう未成年の被害者がセカンドレイプされているのを見ると、辛くて仕方なかったな、と思う。


あとは、ある民族で、レイプされ殺された女性の遺体を分割して、各部族に送る、みたいな話とかね…私はそれを小学生の時に読んで、恐ろしくて震え上がった。当時は、なんでそこまで恐怖心を感じたのか分からなかったけど。

今思えば、その女性と自分の姿を重ねていたのかな。


あと、宗教の信仰によって、虐殺される子供の話とかね。あれも自分のことのように感じて恐ろしかったし、漫画で、死ぬ直前の恐怖を感じている子供の絵を見た時、ゾッとした。

これも、きっと重ねて見てたんだと思う。



世の中、私みたいに割を食う人間がどうしても出てくるよ。幸せな家庭ですくすく育つ人もいれば、私のように危険を避けようとびくびくしながら育つ人もいる。


私は後者だった。


悔しいけどね。なぜ、なぜ、なぜって。

それくらい思ってもいいでしょ。


なぜ、なぜ、なぜ、なぜ私なの?って。


誰かが引き受けなければいけない役だった、この世界に生きている限り、必ず被害者は存在する。


私は、この辛い役が、他の誰かではなく私で良かった、と思う時もあるけど


やっぱり、なぜ、なぜ、なぜ、と悲しみに暮れることもあるんだよ。



痛み。


私は今、割と平凡に暮らしてるけども。


まだまだ、この痛みはすぐに消えそうにない。



少しずつ、楽になっていく日を願って。