子供のトイトレ。正直、おしっこについてはそんなにイラつきもなく、ゲーム感覚で割と楽しく出来た。
ウンチも最近、上手にできるようになってきた(成功数、4)のだけど…
過去2回、失敗した時に、
強烈な、
ものすごく強烈な、
とんでもないような、
怒りを感じた。
頭では分かっている、
・ウンチの失敗を怒っても、子供が排泄することに恐怖を感じるようになって、むしろトイトレは後退する
・最初はうまく出来なくても当然、まだ排泄の感覚がうまく掴めてないのだから
・むしろ、おしっこもほぼマスターしつつあるし、うちの子はすごく頑張ってる(私もよく頑張ってる)
なのに、ウンチを失敗したパンツを見ると、とんでもなく強烈な怒りに襲われた。
子供に被害が行かないよう、本人には出来るだけキツくならないように、(でもイラついて)、リビングに行かせ一人で遊ぶよう促し、
私は一人で発狂するようにウンチのついたパンツを洗った。
止められないような、気が狂いそうになるような強い怒り。
私は、この感覚に覚えがある。
(以前はその後、リカバーとして、落ち着いた後に「トイレでウンチ成功時の状況の再現」を子供と遊びでして褒めたり、その時の動画を子供と見て、ニコニコ、「トイレでウンチ=楽しい」のイメトレした。今のところ、ウンチへの恐怖心はないようだけど、私の怒りが影響するのは間違いない…)
2年前、離乳食を食べない子供を見て、強いイライラと不快感を感じた。
その時は、
・自分の子供時代に、ご飯中、親にされた酷い態度(泣きながら残したご飯を食べた私、それを父親が笑いながら撮る)を思い出し、泣き、自分を慰めた
↓
子供がご飯を食べなくて不快感があっても、トラウマ反応だと割り切ることで、強いイライラは起きにくくなり、むしろ手を抜きながら、まあいいか、の精神でいられるようになった
残飯を捨てる時に、強い不快感があったが、だんだんとなくなっていった
(数ヶ月経過)その後、
・子供の好き嫌いは、「じゅんばんばんご飯」という、行動分析学を元に、試行錯誤して始めた食事の仕方を取り入れたことで、ほぼなくなった。
↓
苦手だった、ブロッコリー、ミニトマト、ピーマンなどの野菜や、普段なかなか進まない白米も食べるようになった。
という2つの手段で成功したわけですが…。
詳細↓
今回についても、
ウンチのトイトレ自体のやり方は、行動分析学を元に、合っている・うまくやれている、という自信がある一方、
自分の感情が常軌を逸脱する状況については、過去の記憶と向き合っていく必要がある、と感じた。
去年から取り組み始めた、幼少期の性被害にも関連する、ある記憶。
私は前回、それを取り扱わなかった。でも、多分この記憶が、私の過剰なまでの怒りに関連しているのだろう、という予測がある。
とりあえず概要を書いてみよう。
なぜ前回取り扱わなかったかというと、この記憶については、なんだかぼやーとした部分もあって、うまく言語化できなかったから。
あれは、5.6才。時期的には、性被害に遭った後の出来事であったと思う。
私の通っていた保育園、1クラスしかなく、全員持ち上がりだった。そして、年中と年長の担任は同じ女性。
厳しかったと思う、私は好きでなく、怖がっていたように思う。
そして、ある日。私ともう一人の子が園の廊下で立っていると、誰かが、「くさーーい」と言った。
先生が「漏らしたの誰?」と言った。
私は、自分はしてないと思った。隣の子がパンツをあけられてチェックされ、次に私がチェックされた。
私の記憶では、「私は漏らしてなかった」と思う。でも、それが事実かはわからない。
私はトイレに連れて行かれた。担任と、もう一人の女の先生が、私のズボンとパンツを脱がせ、手洗い場?のようなところに私を座らせ、二人で笑いながら、私を右に左に押し合うようにしながら、洗っていた。
私は、ものすごい恐怖で、固まっていた。
今思えば、もしかしたら私は実際にウンチか何かを漏らしたのかもしれないし、それで洗われたのかもしれない。
薄い可能性としては、私は本当に漏らしていなかったが、先生達から嫌がらせ、虐げ的に、その対応をされた、かもしれない。
これは、正直、分からない。
でも、5.6才当時の記憶としては、「漏らしてないのに、手洗い場でお尻を洗われた、大変な恐怖」という風に残っている。
ただ、それは、ものすごく恐ろしい性被害に遭った後日の出来事であったのだと思う、だから異常なほどの恐怖心を感じたのだろう、と思っている。
下半身裸にされて冷たい水で、モノのように洗われる、という行為が、恐怖心を蘇らせ、私を硬直させ、記憶が保存された、と思う。
多分、私の尋常じゃない怒りは、この時の経験から影響を受けているのだと思われる。
性被害の時の記憶と比べると、こちらの記憶についてはクリアでない部分もあるけども、私にとって、心の傷となったのは事実であると思う。
私は今これを書きながら、心拍上昇、動悸・発汗という身体反応が起きている。
先生に対して、怒りがあるかというと、本当に漏らしていて適切な処置として洗ったのか、それとも嫌がらせでされたのか定かでなく、それ以前の性被害体験と合わせて考えると、前者の可能性も高いことから、怒りという感覚はない。(今はね)
でも少なくとも、この事を思い出した当時思春期だった私は、先生に対して強い嫌悪感、怒りを感じていたし、当時の5.6才の私も、「理不尽な目に遭っている」「怖い」「助けて」という悲痛な苦しみを感じていたと思う。
被害は、こうやって根を下ろして、他のPTSDとも呼べる記憶をも、生み出していくのだと思う。
それだけ、辛かったんだよね、私は。
この件については、性被害の加害者は加害者でありながら被害者であっただろう、という見立てでもあるので、私は、責める相手を見失っている。
先生についても、はっきりしないので、責める気持ちは、今は持てない。
それでも、30年にわたり、私を苦しめてきた、明らかな被害は事実としてあり、それによって30年、PTSDの症状に苦しめられてきたことも、事実だ。
私は、トイレでのウンチに失敗した子供、そしてウンチのついたパンツを見て、体の中が煮えくりかえるような、尋常じゃない怒りを感じた。
それは、きっと、当時私を笑いながら(体感としては、雑に)洗った先生達、性被害の加害者、それから、ウンチを漏らしてしまった(のか?、あるいは疑われた)私に対する怒りが、投影されたのではないか、と思う。
子供がウンチを漏らした、その事実に対して、
私のトラウマ反応が起きて、マグマのような、血管が切れそうな怒り、というのが反射的に生まれたのだ、という視点。
私は、次に子供がウンチを漏らした時、自分の怒りに対して、そうやって言ってあげられたらいいな、と思う。
それから、まだケアが足りてないんだろうな。
この先生達にされた事、恐怖の再来、誰にも言わず一人で抱え込んだこと。
本当は、悲しかったんだよね。
私はきっと。
誰か助けて、と私は思った。
でも、誰も助けてはくれなかった。
30年間、私はその辛い記憶を、持ち続けて、自責する事で、記憶の想起を回避していた。
本当は、泣きたかったし、怒りたかったよね。
誰かに、抱きしめてもらいたかったよね。
私は、他人から傷つけられたりモノのように酷い扱いを受けるような、存在じゃない、って。
誰かに怒ってもらいたかったね。
「もう大丈夫だよ」
私が、その「誰か」になって、自分に言ってあげたいと思う。
私の発狂しそうになるような、強い怒り。その底にある、絶望感、深い悲しみ。
すくい上げて、私の腕の中に、そっと。
私はもう、きっと、大丈夫。
次、子供がウンチを失敗した時、どんな気持ちになるのか?も後日、記そうと思う。
離乳食を食べない子供については、自分の記憶を整理した後は、イライラが激減した、ということについても、ここに書いておく。
4月半ば ウンチ失敗→怒り10(MAX、体感的には限界突破して12)
ウンチ失敗についての、理論的なことを頭で考え、次は怒らないようにしよう、と思う。
4月下旬 ウンチ失敗→怒り10 (MAX、体感的には限界突破して12)
やはり、この怒りは尋常ではない、理論や理性だけではどうにもならないような、反射的かつ、とてつもなく深いところから沸き上がってきている感覚がある。
自分の記憶としっかり向き合う時期がきたのではないか、と考える。
この文章を書く。
泣いていたら(性被害の記憶の時は号泣したが、今回は涙が少し流れる程度)、2才の子供が昼寝から起きてしまった。
「ママ、どうしてないてるの?」
「目がかゆくて、涙が出たんだよ」(笑顔で)
「めがー、かゆくて、なみだがぽとん、ぽとんっておちたの?」
「そうだよ、かゆかったの」
しかし、
「涙がポトンポトンって落ちる」って、なかなか表現豊か。(親バカ 笑)
そう言えば、今日公園に行った時のこと。
長い枝2本と短い枝1本を握りしめて、
「パパとママが、◯ちゃんをぎゅーとしてるの」
発想力豊か。笑(親バカ)
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じゅんばんばんご飯
お皿4つほど用意し、横一列に並べ、
左から一口ずつ食べさせていく(自分で食べさせる)方法です(^^)
好きな、ソーセージや果物と、あまり進まない野菜やご飯。苦手なものを一口食べたら好物も食べられる!ということで、よく進みます。
〈野菜は、苦手なうちは、2.3口(2.3回)で食べられる量に。お皿が空っぽになったら、「トマトさん、バイバーイ!」とバイバイさせて、下げる。最後には、好物のお皿だけが残る仕組み。またゼリーなどの時は、スプーンを一番小さいものにして、回数を増やす。進まないご飯などが最後に残る場合は、全部食べ終わった後のご褒美を用意することも。これも楽しんでそう〉
私も、きちんと順番に食べているか見張らないといけないから(笑)、常に注目あり、かつ、苦手なものの時は、食べたらすかさず褒め言葉もかけています。
時々好きなものばかりの時は、私が見てなくても一人でじゅんばんばん。
もう、このやり方を始めて、8ヶ月くらいは経つかな?苦手なものはほぼゼロになりました。
行動分析学のプレマックの原理、それからゲーム感覚(奥田先生風)、注目と褒め言葉による強化、などの合わせ技!
トイトレについても、成功までの道を記録しているのでまたまとめたいなー。
あとは、子供のウンチのついたパンツを洗ったら、何か特別なご褒美を私にあげる、というのも考えたけど、なかなかこれと言うご褒美が思い当たらないという…欲しいものは特になく、食べたいものはいつでも食べているので飽和状態。
追記。
私は、トラウマ・PTSDを抱えて育児をする、ダメな母親だろうか?
私は、自分のことを、強いかあさんだと思う(^^)
子供を守るため、健やかに育てるために、力を振り絞って、自分と向き合ってるからね。
失敗もするし、完璧とは程遠いけど。
ええかあちゃんやん、と私は思う。
追記。
その後、一度トイレでのウンチに成功、
4/29はウンチ失敗
夫がいたので、即、「ママは関わらないので、パパ、ウンチお願いします」と言って、自分はトイレに行かず寝室で横になった。
心拍上昇、動悸、発汗あり。
激しい怒りはなかったが、イラつきあり(前回12→5)
ウンチ失敗後、数分後にまた失敗
「パパ、お願い」と言って任せ、また寝室へ。
イライラ7程度、口の中で文句を言いつつ、横になり本を読み冷静に努める
心拍上昇、動悸あり。記憶をふんわり思い出しつつ、涙が出る。
動悸、継続中。20分くらい?
胃痛、歯の痛み、腰痛あり。
体をトントンする、ため息をつく(深呼吸)、パズルゲームをやる。
パズルゲームのいいところは、自分の集中力が図れるところ(集中すれば勝てるし、してなければ負ける)その得点や勝敗によって、自分の今への集中力が明らかになること、そして負けた時はもっと集中しようと意識が働くこと、また5回やったらしばらく出来なくなるところ。
以上、記録。
これからも記録していく。