幼少期の性被害による、トラウマ記憶との向き合う時期と期間の記録 | 自分を育てる方法を考え動いてみた。

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宗教二世・機能不全家庭で育ち、20才頃パニック障害、ひきこもり。精神障害2級×5年で認知行動療法(行動療法より)を受ける。回復してから11年経過。「成人してからの環境や性格は、自分で決める」

幼少期の性被害による、トラウマ記憶との向き合う時期と期間の記録








2020.9.2 

第一の波。当時の記憶を【初めて】感情を交えて詳細かつ具体的に文章化してメモ。泣く。1週間位、記憶の反芻&過緊張&泣き&慰めあり、その後落ち着く。


2021.2.9

第二の波。前回から5ヶ月後。あるスイッチのきっかけがあり、(詳細は書かないが)、記憶のフラッシュバック。過緊張あり。子供のトラウマガイドラインに沿って、自分の症状を整理して泣く。緊張もほぐれ、自分を慰め、励まして落ち着く。今回も1週間位。いや、10日くらいかも。


この5ヶ月間も、何度かトラウマ体験について思いを馳せた。(加害女児のこと、父親のこと)5回程度?ただ、あまり深く考えないで、ふんわり悲しくなったりする感じ。


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追記 3.30

第三の波がやってきた。かなり小規模な波。きっかけは、記憶を思い出すような文章を読んだこと。

今回書いた4つの記事を順に読み、また涙を流したらスッキリした。

もう、辛い記憶のピークは過ぎたんだな、というのを実感した。

発汗や動悸という恐怖反応は体感でピーク時10→今回1.2

記憶を思い出した時間は、数日にわたり、トータル3-4時間。

ただ、腰痛はあった。

あと、保育園くらいの子供を見て、涙ぐむことがあった。「こんなに小さかったんだな、こんなに小さいのに、辛い思いをしたんだね」


4.5

第三の波、数日の後、記憶自体の回想は無くなったものの、腰痛が酷さを増した。

他にも新年度で子供の環境に変化があったこと(プレ幼稚園)、他、色々な要因が噛み合ってだと思うけども、4.7、久しぶりにギックリ腰にもなった。

ストレスが腰に来るのは、結構辛い。


4.23

こころを癒すノート、認知処理療法の本を読み始めた。1章を読み、私の体験との照合、持続エクスポージャー法との違いを考えながら、読む。具体的には後日書くとして、読書中、動悸あり(6.7)腰痛あり。

その後、子供の寝かしつけとともにリラックスタイムを設けて落ち着く。


トイトレ中の子供、そのウンチを漏らしたオムツに、強烈な怒りを感じる。→性被害の後に起きた、それを想起させるような辛い経験について思い出し、泣く。(別記事あり)


これも読んだ

https://core.ac.uk/download/pdf/144565323.pdf



追記終わり。

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第一の波より、第二の波の方が、しんどかったかな、という感想。私の場合、大体いつも2回目の記憶回想の方がビッグウェーブになるんだよね。


多分、分析が細かかったのと、最初のトラウマに付随した、他の被害についても連動して思い出したからだろう。

トラウマって、大体一つで終わらないんだよね。一つのトラウマが更なるトラウマを生んだりとか、紐付けで芋づる式に出てきたりする。だから、余計直面するのはしんどいんだよなぁ。



私の経験からすると、第三の波は、また数ヶ月後に来ると思う。

でも、次回の波は、今回よりも小さいと予想。なぜなら、ほとんどのトラウマ記憶を出し切ったから。あとは、トラウマの残骸を、思い出すたびに、同じような手順で処理していくことになると思う。



私は、今まで1人でやってきて、うまくやってこれた、という成功体験があるから、今回のラスボス級のトラウマについても、きっとうまくやっていけるだろう。という見立てができている。



トラウマ記憶(元夫のことを皮切りに)と向き合い始めて10年か。長い10年だったなぁ。

でも、私にとって、学びの多い10年だった。

嵐のような時期もあったし、自暴自棄になることも。


あ、私の怒りをルサンチマンと言われた時は、腹が立ったな。笑

(ルサンチマンとは恨みの念。ニーチェの用語では、強者に対し仕返しを欲して鬱結した、弱者の心。)

そんな簡単な言葉で済ましてくれるな、と思うからね。どれだけ辛い経験か、何十年も苦しませるものなのか、知らないから言えるんだ。


私は、恨み上等・怒り上等だよ。

大体被害に遭うのは、立場が弱い人間だ。

立場が弱いだけで、弱者なわけではないんだよ。

殺されかけて怒りを持たない方が、不自然だよ(笑)


恨み切って、一生恨むくらいでもいいと思ってる。でも、人間、恨み切ってやる!と思うと、意外と恨むのにも飽きて忘れていくもんなんだよね。


時々思い出して、ムカ!とすることはあっても。ちょっとムカついちゃったわ〜程度になるんだよね。ほんとに。感情の激しさが乗らなくなってくの。そして、加害側の心情理解も進むから、うっかり幸せを願っちゃったりするようになってくるの。

あー、遺伝と環境の相互作用で、そうなっちゃったんだね。あなたも大変だったな、加害なんて本当はしたくなかったよねー。みたいに思えちゃうから。


これは、強制されてじゃなくてね。自然の流れで、自分の思考がそうなっていくのを私は感じている。


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怒りも悲しみも、十分出し切って自分を大切に介抱すれば、消えていく。

私の体験によれば、だけど。


私は、その間、社会の役に立つことはほぼなかったかも。でも、大切な自分の役に立つ、10年だったと思う(^^)



深い傷を負った自分の助け方、支え方、育て方を学んだ。

貴重でかけがえのない10年だった、と。

私はこうやって捉えていたい。



いつだって、私は私の味方で、一番大切。

命をかけて、自分を守っていこう。育てていこう。


と、思ってきた。




まー、今、一番大切というポジションは、子供に譲ったけど(*´-`)

大切な私の子だから、まあそりゃ可愛いに決まってるよね。笑





↑木です。

夫に「何に見える?」と聞いたら、「わかんないよ、白い線がぴゅっとなってる」



↑なみだ。

私は泣きながら絵を描くことがある。大体、暗い絵から始まって、だんだん、明るい絵に変わっていくんだよね。

希望の光が差し込んで、キラキラと輝いていくように。



「世の中は辛いことでいっぱいだが、それに打ち克つことも満ち溢れている」(ヘレン・ケラー)